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連載インタビュー「外国語をめぐる書店」

中国図書センター 東方書店 田原陽介さん(第1回)

 本の街神保町には、中国専門書店として前回取り上げた内山書店と双璧をなす本屋がある。内山書店から交差点を挟んですぐ斜向かいにある東方書店だ。

 1966年、洋書輸入業を営む極東書店の中国部門が分離独立する形で創立された、歴史ある書店である。この東京店のほかに大阪にも支社兼店舗を構え、大学など研究者向けの外商部門も事業の柱としている。さらに出版部門を抱え、中国語教材や「東方選書」と銘打ったシリーズで良質の書籍を刊行している。中国に関する本の分野ではまさにオールラウンドな存在といえる。

 東方書店東京店店長の田原陽介さんは「外商でも小売店でも、研究者の先生方に本を売るのが屋台骨」と語る。一方で、同店のSNSのフォロワー数は小売店舗ながら2万を超える。全国展開する大型書店にも引けを取らないこの数字は、専門家だけでなく、一般の読者、中国好きもが、東方書店が発信する情報に注目していることを証拠づける。

 専門家向けでありながら、一般の関心も集める。矛盾しているようにも思えるが、それが両立しているのは、お店の根底に「中国好きの人の受け皿になる」という方針があるからのようだ。東方書店に入社以来、東京店に30年以上勤め、いまは店長として舵を取る田原さんに、東方書店という器の魅力をうかがった。

 

「中国語を話せますか」でつまずく

 中国好きの集まる店を標榜するからには、そこで働くスタッフもやはり中国好きである。田原さんが特に好きなのは中国の怪奇話や神話だという。原体験は小学生のときに読んだ、岩波少年文庫の『西遊記』。主役の孫悟空以上に惹かれたのが、悟空が天上界に行って暴れまわるときに登場する神々だった。さまざまな個性をもった神様が登場するのに驚き、しかも人間関係ならぬ神様関係があるのに魅力を感じた。後に子ども向けではない、岩波文庫のほうも読んだときに、三蔵法師の前世からの業について触れている部分が、少年文庫にはなかったことに気づいた。本好きの叔父にその理由を聞いてみたところ、翻訳の元にした本が違うという答えが返ってきた。底本の存在、中国語原書の存在をはじめて意識したできごとだった。

 中国の不思議な物語への興味は膨らみ、『西遊記』以外にも駒田信二訳『中国怪奇物語』や田中貢太郎の作品などを好んで読んだ。そして自然と中国語を学んでみたいという気持ちが生まれ、高校卒業後に日中学院に進んだ。本科で2年間学んだあと、仕上げというつもりで北京に留学を決めた。

 留学してほどなくして田原さんが思い知ったのが、これまで自分が学んできた中国語があくまで教室の中国語にすぎない、ということだった。休みのとき、学校のある北京から少し離れたところに行ってみようと、友人と二人で旅行を計画した。行先は鄭州で、選んだ理由はその近さだった。この近いという感覚は、当時、上海までだと列車で17時間かかるのに対して、鄭州なら8時間で済むという比較による。国内旅行でその所要時間になるのがさすが中国だが、その感覚に田原さんがすでに染まってしまっていたというのも面白い。

 鄭州は少林寺や殷墟(殷時代の遺跡)で有名であり、かつ交通の要衝でもある。多くの人が往来する土地で、しかも訪れたのはメーデーの時期。とにかくものすごい人の波に圧倒され、田原さんと友人はその混乱の中で乗るべきバスを逃してしまう。外国人向けではない素泊まりの宿を探す羽目になったのだが、そこで北京とはちがい、外国人に慣れていない、一般の中国人と接することができた。さて驚いたことに、学んだはずの中国語が通じない。これまで教室や教科書で学んできたものと、声調もちがうし、使う単語もちがう。「あなたは中国語を話せますか?」というごく基本の表現ですら単語が異なる。「教科書のしょっぱなに出てくるような単語がわからない。向こうからすれば、ぼくは中国語を勉強していますと言っているにも関わらず、そんな簡単なこともわからないから「はあ?」となってしまうわけです」。

 あるいは天津に行ったときのこと。餃子を食べようと注文するも、通じない。相手の発音を聞くと、その人の個人的な癖なのか、方言なのかわからないが、まったく声調がちがう。あるいは路地を散歩していたときに出くわしたおばさんとの会話。優しく話しかけてくれるが、何を言っているかわからない。

 もちろん、雰囲気から何を言っているかは理解できるのだが、留学してまだひと月足らず。間違って答えてはいけないと構えてしまい、臨機応変な受け答えができなかった。学校で先生相手であれば、あるいは外国人と接することに慣れた北京の人であれば、学習者に配慮して会話をしてくれるが、そうした環境を離れたら通用しないことを痛感した。

 それでもルームメイトとの会話をはじめ、中国語をどんどん使うことで、3か月も経つとかなりの語彙を使えるようになった。人と接して勉強する機会があるのが留学のよさだ。最初でつまずいたとしても「わからないと言われること、自分がわからないということに耐えるスタミナを鍛えること」が肝心だと田原さんは言う。

 

革命で中国を離れて

 田原さんの留学生活は波乱のうちに幕を閉じた。天安門事件が起きたためだ。そして田原さんはまさに天安門広場に居合わせていた。1989年5月のゴルバチョフ書記長の訪中にあわせて、NHKが現地の雑用全般をするアルバイトスタッフを募集しており、田原さんは先輩の紹介で採用されて現場入りしていたためだ。

 田原さんに割り当てられた仕事のひとつが、広い天安門広場で目印になるよう、脚立の上で立っておくというものだった。立っていると周りの中国人が何をしているのかと尋ねてきた。日本のテレビ局、NHKのスタッフだと答えると、「この真実を世界中に伝えてくれ」などと言われる。

 混乱した現場のなかで印象的だったことのひとつが、デモの現場にあった、ビニール袋に入ったレモンだという。目にレモンをこすりつけておけば、催涙弾が来ても大丈夫だということらしい。そうは言われても「レモンを目に入れること自体が大丈夫じゃない気がするんですが」。

 事の重大さは、中国人の中でも受け止め方がまちまちのようでもあった。学校の先生はそんなに大したことにはならないよ、と言うが、窓際に立ってはいけないとも言う。窓の近くにいると撃たれることがあるかもしれないからだ。静かな状態がしばらく続き、このまま終息するかという声もあれば、「共産党を甘く見てはいけない。必ず何かある」と予言する人もいた。

 緊迫した事態ではあったが、現地にいた田原さんにとっては客観的な情報も少ないのであまり状況が把握できなかったという。結局、このまま中国に残ることができないとなって感慨にふける間もなく帰国した。日本でさまざまな報道に触れることでやっと全容がわかったという感覚だった。

 


東方書店東京店 外観

 

(第2回につづく)

【お話を聞いた人】

田原陽介(たはら・ようすけ)
中国語専門書店、東方書店東京店店長。
東方書店東京店 店舗情報:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-3 TEL:03-3294-1001 shop@toho-shoten.co.jp
営業時間:月~土10:00-19:00、祝日12 :00-18 :00 日曜休み
webサイトからの購入も可能 https://www.toho-shoten.co.jp/

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