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連載インタビュー「外国語をめぐる書店」

中国図書センター 東方書店 田原陽介さん(第2回)

 さて中国語をしっかり学び、歴史的な事件も目撃した田原さんなので、東方書店にもその能力や経験を買われて入社したのかと思いきや、実際にはその経緯はごくあっさりしていた。

 留学後の進路のあてもなく、帰国してさあどうしようかとなった田原さんが思い出したのが、本好きの叔父に子どものころから連れてきてもらっていた神保町だった。たしか中国関係の書店があった、そこで働くことはできないだろうか。店に行ってみると求人の貼り紙があった。支店の場所だけ確認して応募の電話をかけた。まずは話を聞きに行くという具合で総務部を訪れると、創業者で当時の社長の安井正幸さんが面接の場に現れ、「じゃあ明後日から出てきてもらおうかな」。なんと試験なしで入社が決まった。出社初日、当時の総務部長が先代の店長に「この子なにもわからないから、ぜんぶ教えてあげて」と指示し、そして「徳萬殿でタンメンをおごってもらって、始まったんだ、サラリーマン人生が」と田原さんは振り返る。

 なお、現在東京店の輸入書担当者も田原さんと同期入社で、やはり試験なしでの入社だったが、これはこの二人だけが例外で、ほかの人は試験を受けているとのこと。当時はバブル期で、人材は売り手市場ということもあり、早めに確保したいという事情があったのかもしれない。もっとも、田原さんたちを面接した安井元社長は、中国の指導部ともパイプをもち、日中交流に貢献した大人物であるから、その眼鏡にかなったというだけで十分と言えるし、この同期の二人が実際にいま店を支えている。

 東方書店に入社した田原さんは最初に輸入書を担当した。店でよく売れるジャンルは歴史と古典なのだが、田原さんにはまだこの知識が少なく苦労した。「たとえば『論語』の注釈があって、その注釈の解説を「疏」というとか、基本的な知識があるんです。そういうのは大学のときに集中的にやらないと身につかないですよね。それをわたしはやっていないので先輩によく教えてもらいました」。同じく輸入書を担当する先輩に多くを教わったが、とにかく大変だったと振り返る。

 その後、国内書の担当に代わる。ここで田原さんを鍛えてくれたのが、神保町の取次店、つまりは問屋の人たちだ。取次というのは、業者によってどの出版社の本を取り扱うかが異なっている。まだ経験の浅い田原さんはその取次が扱っていない本のことを言ってしまい、そんなのないよとぞんざいに言われたことがあった。厳しく怒られたこともあった。しかしそれは「問屋ですから、本屋とはお客さんの関係ではない」から。業者と業者とのやりとりであり、そうして怒られて育ったという感覚を田原さんは持っているし、神保町にはそうした商習慣が合っていると感じている。

 田原さんを育ててくれた存在でもうひとつ大きいのがお客さんだ。いまでもそうだが、店を訪れるお客さんは中国に詳しい人ばかりであり、そんなお客さんにいろいろと話しかけてもらうことで教わったことが多い。お店で話に花が咲くという、いまもある光景は昔から変わらないようだ。

 

感動をパスする

 店舗での輸入書と国内書の仕事での大きなちがいには、国内書では外部とやりとりがあることだという。輸入書は、別に外商なども含めた仕入部が中国とのやりとりを行うため、社内でのやりとりだけですむ。一方で国内書になると取次をはじめ出版社、あるいは直販をする場合などには著者や翻訳者とお金の出し入れを含めたやりとりをすることもある。そうした理由もあって、国内書の仕入れ担当は店長が行ってきた。田原さんは途中から国内書仕入れを担当するようになり、そして前店長が役員になることをきっかけに店長になった。

 店長として田原さんが向き合わなければならなかったのが、自身が仕事を始めたときとの店の状態の変化だった。田原さんの入社時はバブル期で中国への投資ブームがあった。インターネットなどもなく、中国の情報を求めて来店するお客さんが多く、レジは現在はひとりが基本だが、当時は常にふたりが立っていなければならないほどだった。

 それに比べると売上はずいぶん下がっている。仕入れた本を余らすことなく、適正な仕入れはできている感覚はあるものの、うまくいっていると言えるかどうか、田原さん自身わからない。その中でどうやって店をやるモチベーションを保っていくか。田原さんが店のスタッフと共有するようになったのが「中国好きの受け皿になる」という考えだった。売上とは別の視点からの発想だ。以前もそうした雰囲気はスタッフの間にあったが、それを改めてことばにして共有するようにした。

 受け皿という語は、ほしい本が買える場ということだけを意味しているのではない。田原さんがある取材で「中国自慢をしに来てください」と呼びかけたことがあるように、お店に来て、好きな中国のことについて話してほしい、それを聞きたいというのだ。

 「お客さんのほうがどう考えても詳しいんですよ。大学の先生とか、中国駐在何十年とかですから。だからわたしたちが教えることはないわけで、質問に答えるというよりも、話の受け皿になる。そうすると柔らかい話もできるし、お客さんも喜んでくれる。そういう接客もできるんじゃないかな」

 田原さんたち店員は専門家ではないが、話題に反応できるくらいの知識をもって耳を傾ければ、お客さんの話にも熱がこもる。この方針を最も体現するエピソードを生んだスタッフが、店のSNSも担当する筒井健さんだ。ある時、筒井さんがお客さんと話している。田原さんが昼の休憩に行って戻ってきても、まだ話している。そして荷物の発送を終えても、まだ話している。「恐ろしいことにその話の輪にまた知らないお客さんが加わっているんですよ」。このとき筒井さんは4時間ものあいだお客さんと話していた。一日の労働時間の半分にあたる。そのお客さんは常連になってくれた。

 中国自慢を聞くことの意義は、お客さんの満足度を上げることだけではない。東方書店の仕事の核にもつながっている。

 「いろいろなお客さんが感動した事柄というのは、店員の頭にも定着しやすいんですよ。そうするとその感動をほかのお客さんにもパスできるんです」

 店のラインナップにある本は、専門家ではない田原さんにとってはすっと理解できないものもある。そうした本も、どんな点が面白いかというお客さんの話を受けてからだと頭に入ってくる。田原さん自身が感動を共有することで、その本を別のお客さんに薦めることができるようになるというわけだ。

 こうした刺激を与えてくれるのはお客さんだけではない。東方書店には出版社の人や著者に翻訳者などもやってくる。これらの人たちは本の直接の作り手である分、制作途中の苦労話や工夫を話してくれる。それはセールストークというより、その本への思い入れ、こんな読者に届けたいという熱意から出てくる。「そういう話を直に聞けて肌で感じることができる。それがわたしたちがお客さんたちと話すときのエネルギーになるんです」。そうして得た情報を積極的に発信することは、作り手と直接会うことのないお客さんにとって、本への理解が深まることにつながっている。ある人の興味を別の人につなげる。いわば中国好きの「ハブ」としての機能を果たしている。

 このハブ機能は他業種とのコラボレーションにつながったこともある。古代中国を題材にした町づくりシミュレーションゲーム『水都百景録~癒しの物語と町づくり』の1周年に合わせて、ゲームの舞台となる江南の関連書籍を取り上げた。この効果はコラボレーション終了後にも波及した。数か月後に中公新書の『物語 江南の歴史―もうひとつの中国史』(岡本隆司著)を紹介したのだが、コラボの時に足を運んでくれたお客さんが東方書店で購入してくれた。これは新書なので全国の書店で買うことのできる本だが、それにも関わらず、わざわざ東方書店に来店してくれたのだ。

 よい本の情報や作り手の思いを伝えられる。田原さんは「うれしいものですよ、人から聞いたいい話をほかの人に伝えるって」とストレートに仕事の魅力を表現する。

 

接客の延長線上のSNS

 田原さんたちが感動というパスを送るフィールドは店頭のほかにもある。日々の商品情報をアップするウェブサイト、そしてSNSだ。特にXはお客さんに直接情報を届ける最前線になっている。

 Xはお店の売上につながる大切な宣伝ツールだとは言いつつ、田原さんはXを「完全にコミュニケーションツール、接客の延長線上という感じでやってます」と性格付けをしている。店頭での接客同様、好きな中国の話をして盛り上がる場であり、書店として本のことを中心に話題を提供する場にしようという考えだ。Xの担当は、聞き上手の筒井さん。もともとは自身ではあまり使ったことはなかったというが、田原さんに「一日一回は投稿してね」と軽く言われたのを機に、使い方を自分なりに勉強した。なにせお客さんと4時間話せる人材だ。店頭同様、SNSも中国好きの受け皿に作り上げている。書店なので面白い本のことはもちろん、お店と関係がなくても、学習に役立つ情報や面白い中国関連の話題があれば投稿する。本を紹介するにしても、筒井さんの視点で面白いと感じた点が紹介してある。その分野に知識や関心のないお客さんでも、どういう本かがわかるようになっている。筒井さんも「感動をパスする」人なのだ。

 


充実した研究書の品揃え

 

(第3回につづく)

【お話を聞いた人】

田原陽介(たはら・ようすけ)
中国語専門書店、東方書店東京店店長。
東方書店東京店 店舗情報:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-3 TEL:03-3294-1001 shop@toho-shoten.co.jp
営業時間:月~土10:00-19:00、祝日12 :00-18 :00 日曜休み
webサイトからの購入も可能 https://www.toho-shoten.co.jp/

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