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[座談会]待鳥聡史×宇野重規「いま、なぜ、コモンズか?」第2回

<第1回

都市の論理、農村の論理

待鳥 コモンズに別の角度から光を当ててみましょうか。コモンズって、言い換えると、都市の持つ自由さ、多様性ではないか、という気がしています。都市は歴史的にも、たくさんの人がいて、でも相互にぶつかり合わずに自由に生きられる空間ですよね。そのときに、都市は誰の持ち物かという話はあまり関係ないし、そもそも自分の持ち物だけを愛でていたのでは、都市全体の自由さは確保できないわけです。こういう理解はそう外してませんか?

宇野 コモンズって本来、都市的なものです。ところが今の日本社会を見ると、本来都市的なものが、「農村化」ないし「田舎化」している。「コミュニティ化」しちゃっている。商店街だっていろんな人が入れ替わり立ち代わりしながら、外から客を呼び込むという話なのに、「ここは自分の土地だ」という農民の論理になっている。コモンズを農村的な感覚で扱っている。本来、都市的な空間に、田舎の論理を持ち込んでいるのです。今の日本社会の問題は、本来都市的な空間が「農村化」、「コミュニティ化」し、それが維持不可能になりかかっているというところにあります。

待鳥 近代だけの現象かもしれませんが、農村は私権を非常に大事にしますね。共同体なので、私権が侵されるような強い規制がかかることが多くて、その反動があるのではないかと思います。認められた私権は絶対に手放したくないという感覚です。農村から都市への人口移動は、日本に限らず近代社会の普遍的現象ですが、そのときにかつて属していた社会の行動準則を新しい社会に持ち込むことは別に不思議なことではない。谷口さんが扱ってるデンマークの事例なんかは、そのことを示唆する気がします。ただ日本の場合には、それがあまりに短期間に起こった。その結果として、現代日本社会の多くのところで、物理的な都市化は進展したけれど、逆に都市的なエートスは弱まってしまって、近代的な公私二分論や公共性論に侵食されているんじゃないか。それは確かに、都市化ではなく農村化かもしれないですね。コモンズ論でよく問題になる、管理組合が崩壊したマンションなんて、自分が所有する一室以外に関心が向かず、本来コモンズになるべき空間が機能しなくなるという意味で、都市の農村化の典型例のような気もします。さっき話題になった商店街の後継問題や、地方で増える耕作放棄地の問題も、コモンズの問題というよりも、コモンズたるべきものがコモンズとしての要件を満たさない、機能を果たせないことによって生じる問題なんでしょう。例えば、先祖伝来の土地を手放さないと言って、耕作放棄地が増えているという話を考えてみましょう。仮に先祖伝来で受け継いでいるものがあるとすれば、それは耕作権ですよね。土地は戦後の農地改革で所有するようになったわけですから。耕作権と所有権の一致は先祖伝来でも何でもないのですが、今や耕作権は放棄しても所有権だけは守るという論理で動いている。そこには所有権の及ぶ範囲を超えて快適な空間、コモンズを作り出すという意識はないわけです。こうした事態に対して、コモンズが意味を持つんじゃないか。

宇野 都市とは雑居的で、異質な人たちがなんとなく一緒にいられる場所です。でもそれが不快になることがないよう仕組みがあります。大切なのはお互いの領域にずかずか入り込まないとか、みんな違うのは当たり前なんだという共通了解です。これは都市が時間をかけてルールなりノウハウを蓄積してきた結果なんだと思う。これに対して、日本の都市化は速すぎた。価値観の異なる人間が時間をかけてルールを洗練させて共存していく都市の自由さではなく、昔ながらの農村的コミュニティで、一杯呑んで、一緒にお祭りやって、家族ぐるみで付き合わないと仲良くできない。農村的なモデルで都市の問題を解決しようとしている。もちろん、盛り上がってうまくいく瞬間もあるけど、それでもどこかで息苦しくなって、最後は誰もいなくなる。急速な都市化で、時間をかけて成熟したルールをつくれなかったことが大きい。

>第3回

◇初出=待鳥聡史、宇野重規編著『社会のなかのコモンズ ——公共性を超えて』

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