フランスの出版界に激震 榎本恵美
「ガリグラスイユGalliGraSeuil」とは、フランスの三大文芸出版社の総称で、とりわけ文学賞シーズンとなると、この三社から注目作品が数多く出版されるため、書店員として一冊一冊を念入りに吟味し、選書をしている。なかでもグラッセ社は、ガリマールに断られたプルーストが『失われた時を求めて』の第一巻を自費で刊行した版元として知られ、近年ではノーベル文学賞作家ハン・ガンの代表作『別れを告げない』の仏訳刊行を手がけるなど、フランスが誇る老舗出版社でもある。
しかし2026年4月、グラッセ社を巡り、フランス出版界に激震が走った。長年グラッセを率いてきた社長オリヴィエ・ノラが解任され、これに抗議するかたちでヴィルジニー・デパントら、200名近い著者が同社を離れる意向を示す事態が起きたのだ。パリの国際ブックフェア前夜に起きたこの動きを、国内の主要紙はもちろん、海外の有力紙なども大きく報じており、単なる企業の人事問題にとどまらない深刻な出版の危機として受け止められている。
騒動の背景にあるのは、グラッセを買収した出版大手アシェットグループを通じ、絶大な影響力を行使している実業家ヴァンサン・ボロレの存在である。ボロレのメディア事業は近年、テレビや新聞を含めて急速に拡大しており、その過程で編集方針への介入や右傾化への懸念が指摘されてきた。今回の解任劇は、その影響が出版分野にも及んだ象徴的出来事とみなされている。とりわけ問題視されたのは、ノラが体現してきた編集の独立性である。ル・モンド紙は、彼が長年にわたりグラッセを文学性と自由な議論の場として維持してきた存在であったと指摘し、その解任は「編集の自律性に対する重大な打撃」と受け止められていると報じた。実際、作家たちは公開書簡で「文化とメディアに対するイデオロギー的圧力のもとに置かれることを拒否する」と表明し、集団での離脱を表明。日本のように一人の作家に複数の出版社の担当がつくのでもなく、英米のようなエージェント制が発達しているわけでもないフランスでは、個々の作家がひとつの出版社と直接強い関係を築いているという事情も関係している。
フランス語で出版社は「Maison d’édition(出版の家)」と表現される。作家にとって出版社は、作品と共に歩む「家族」なのだ。主要メディアが、作家が「家」を出るさまを「claque la porte(ドアを叩きつけるように出て行く)」という言葉で表現していたのが印象的であった。今回の事件では、巨大資本による介入にノンを突きつけ、「家」という出版の独立性を守ろうとする、フランスらしい強い意志の表れを感じた。社会の諸問題を文学で提起してきた「家」が崩壊していく様を目の当たりにし、一人の書店主として深く心が痛む。フランス文学の魅力は、その多様な「声」にある。作家たちの自由な声が、決して小さくなることがないよう願わずにはいられない。 (えのもと・えみ=書店Les Chats Pitres代表)



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