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連載インタビュー「外国語をめぐる書店」

中国図書センター 東方書店 田原陽介さん(第3回)

中華コンテンツファンの台頭

 近年、お店に足を運ぶ人に新しい層が加わっているという。専門家ではなく、趣味で中華コンテンツを楽しむ人たちだ。一般的にも人気のある『三国志』好きのような歴史ファンはもちろん、現代の小説やマンガ、SFにBLといった新しいジャンルの読者が多く、田原さんが「異常なほど」と形容するほど売れる本もあるという。人気のBL作品『魔道祖師』の作者である墨香銅臭と、その日本語版ラジオドラマの監修者の括号、そして綿矢りさの鼎談が特集で掲載された文芸雑誌『すばる』の2023年6月号が即品切れとなり、雑誌としては異例の増刷となったが、それもまた品切れとなったほど、ということを聞けば納得できる。

 その熱意から、翻訳だけでなく、中国語原書も買い求める人も多い。小説というのは情緒的な表現などもあるので、読み物としては上級向けになる。それで田原さんは、お得意様になった人に小説を読むのは難しくないか、と尋ねたところ、翻訳アプリを使って読むのだと教えてもらった。さらにインターネット上で意見交換をし、そして何回も読む。そうするうちにだんだん理解ができるというのだ。新しい読み方が生まれている。

 以前であれば、中国の小説を読むというのは、中国に興味のある人、研究する人がその社会や文化を知るために読む、いわば資料としての意味合いが強かった。いまの読者はまったくちがう。ただ楽しいから読むのであり、好きになった作品が中国のもので、それをきっかけにほかの中国の作品や文化に関心をもつという流れなのだ。勉強熱心な人は「BLの本を買いつつ、五代十国時代の、しかも概説書でもないような本を買っていく」のを目撃したこともある。

 中華コンテンツの熱心なファンは、東方書店のハブとしての新しいチャンネルも開いてくれた。「10年ほど前から同人誌を扱っているんですけど、それがすごく増えています」。ふつうは同人誌サークルが出展するイベントで販売されるのがメインだが、そういう場に行きづらい人にとって買いやすい場になっている。どうやら同人誌サークルのなかでも「東方書店に行けば置いてくれる」という口コミがあるようで、店に置いてほしい、と同人作家が直接持ってきてくれるようになった。

 同人誌の棚にはニッチながら、いやそれだからこそ興味をひかれるラインナップが並ぶ。最も人気がある『科挙対策 律令』(幾喜三月著、楽史舎)は、中国の官僚試験である科挙の受験マニュアルだ。ほかにも『ふだんづかいの青銅器』、『これから皇帝になる人のはじめての即位』(上下巻)と歴史ものから、『台湾自動販売機コレクション 2023』や『中国オタクイベントの歴史』などサブカルチャーのジャンルもある。

 函に入った厚い研究書が並ぶ棚がある一方、同人誌も取り揃える、一見まったくちがうものに思えるが、中国好きをつなげる東方書店では、ごく自然な光景なのだと納得させられる。

 

本の蓄積を循環させる

 もうひとつ、田原さんが方針としてほかのスタッフと共有してきたことがある。それはごく地道なことで、研究に必要な資料をしっかりそろえ、その資料を求める人にちゃんと売る、ということだ。つまりは仕入れと販売なのだが、これを田原さんは「循環」と表現する。

 繰り返しになるが、東方書店の屋台骨は研究書だ。お客さんである専門家の人たちが論文を書くために必要な一次資料をしっかり仕入れる。売られた本は、別の研究の基礎になる。そしてその研究の成果がまとまれば、その実りである書籍や論文を東方書店が仕入れる。仕入れた本を売り、その結果が次の仕入れにつながり、それがまた研究の肥やしとなる……。そうした研究の蓄積に本の販売を通して貢献することを、田原さんは循環と表現しているのだ。

 これを実現するためには、的確に仕入れて、必要とすべき人に売らなければならない。研究書は小さな出版社から出ていることも多い。それを漏らさないようにする。本を仕入れたら、目次は必ずチェックする。そのテーマは書名にはないけれど、この章で取り上げている、といった情報を伝えられるようにするためだ。

 この循環の環に入っているのは主に専門家のお客さんだが、最近はここに新しい層が加わっているという。それがBLと五代十国時代の本をあわせて買うような中国コンテンツのコアなファンであり、同人誌をはじめ中国を題材にした作品を作っているクリエイターの人たちだ。特にクリエイターの人たちは、創作の資料を買い求めてくれる。たとえば中国の服飾史の本。従来は出土品の写真を載せたものばかりだったが、イラストで描き起こしたものが登場し、実際の服装がイメージしやすいようで好評だ。中国の伝統色を扱った本が売れたときには、最初は理由がわからなかったが、その色を印刷したりディスプレイで出力するためのCMYKやRGBという数値が説明されており、クリエイター向けの資料として便利なのだとわかった。いずれも創作に資するように編集が工夫されているが、ベースにあるのは研究の蓄積だ。

 「研究者のために資料を集めるということは、良質な本がそろっているということ。そういう品揃えをすることによって、情報の正確さを重視するクリエイターの方に喜ばれているんじゃないかなと。わたしたちがそろえている本の重要さを自然と分かってくれて、当店に来てくれるのはすごくうれしいですね」

 中国専門書店なので、中国に興味のない人はやってこない。ただ幸いにも、さまざまなコンテンツが流行ることで新しいお客さんも来てくれるようになった。受け皿を整えていったところ、自然に裾野が広がったかたちだ。もちろんそれにかまけてはいられない。SNSを中心に絶えず情報発信している。売れそうだと見込みのある本があれば、刊行より前に情報を発信する。次に入荷時期が確定したら告知し、入荷したらそれもお知らせする。実際に売れれば、売れてますと追い打ちをかける。「シンプルなことをたゆまずにやる」ことだ。「小さな会社は、SNSでの発信は大変だけど、得るものは大きいんじゃないかと思いますね。特にうちは個性がつけやすいので」と分析している。

 同時にお客さんの新しい需要に応える品揃えをしようと心がけている。特にSNSはニーズが集めやすい。今後の売行や流行を予測することまではできないが、お客さんの反応には常にアンテナを張っている。その中で新しい商品を開拓したい思いがあるが、やはり大きな方針として、専門書をメインにという点は変わらない。「資料を提供して、その人のアウトプットした成果を必要な人に届けるというのは、先生方でもクリエイターの方が作るものでも同じで、流れは大して変わらないですよね」。お客さんの層は多少変わったが、その関心の軸は変わっていないわけであり、そこに応えるべきということだろう。

 新しい客層も取り込んでいると記すと、お店は順調にも思えるが、田原さんが苦笑いで「うちだってそんなに儲かっているわけじゃないですよ」と釘をさすように、もちろん常に課題は抱えている。店の方針にしてもSNSのやり方にしても、もやもやと課題を考えるなかで田原さんが言語化してきたことだ。商売である以上、厳しい面もあるが、そのうえでやりがいをもちたい。

 田原さんが感じる仕事の魅力は何だろうか。「自分の好きなこと、熱い思いをほかのお客さんに伝えられる、ハブになれるのが魅力ですね」。このやりがいをほかの人にも伝え、いい雰囲気の店を作りたいというのが目標だ。「そういうところじゃないとお客さんも集まってこないですから」。

 東方書店は受け皿である。だから、お店を作るのは店員だけではなくて、来店するお客さんでもある。これからどんなお客さんが訪れ、どんな店になっていくのか、楽しみだ。


人気の高まる中華SFの棚


中国のポップカルチャー、サブカルチャー好きの熱量は高い

 

おすすめの本)

1)中国語学習者におすすめの本

呂叔湘主編/牛島徳次・菱沼透監訳『中国語文法用例辞典』(東方書店、2003年)

中国で定評のある文法辞典の日本語版。中日辞典、日中辞典の次にそろえたい一冊。作文をするときなどに便利に使え、中級以上の学習者なら必携。

 

2)いま一押しの本

陳春成『夜の潜水艦』大久保洋子訳(アストラハウス、2023年)

1990年生まれの期待の新星の作者による短編集。中国の文学賞を総ナメした話題作。いまブームになっているSFのようなダイナミックな展開はないのだが、翻訳も読みやすく「ページをめくるのが楽しくなる小説」と田原さん。

 

3)書店を開きたいと思っている人におすすめのwebサイト

和泉日実子、大久保健「香港本屋めぐり」(web東方)

https://www.toho-shoten.co.jp/web_toho/?cat=2

東方書店のwebマガジン「web東方」で連載中のルポルタージュ。香港の独立系書店を紹介する。取り上げられる書店は、田原さん曰く「商売になるのかなと思うくらい自由な発想」の店ばかり。モチベーションアップにおすすめ。

 

【お話を聞いた人】

田原陽介(たはら・ようすけ)
中国語専門書店、東方書店東京店店長。
東方書店東京店 店舗情報:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-3 TEL:03-3294-1001 shop@toho-shoten.co.jp
営業時間:月~土10:00-19:00、祝日12 :00-18 :00 日曜休み
webサイトからの購入も可能 https://www.toho-shoten.co.jp/

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