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[座談会]「渋沢栄一がフランスで得たもの、日本にもたらしたもの」(2/3)鹿島茂・寺本敬子・三浦信孝

徳川昭武に随行してパリ万博へ

三浦:寺本さんにお聞きします。昭武一行が出席したパリ万博とはどういったものだったんでしょう。

寺本敬子:世界の国々の「物」を一堂に集め展示する万国博覧会は、1851年にイギリスの首都ロンドンで世界で初めて開催されました。次に、開かれたのがパリです。ナポレオン3世が即位し第二帝政が樹立した3年後、1855年のことです。当初はまさにイギリスとフランスが互いの国力・技術力を競い合っていたわけですが、イギリスでの博覧会がThe Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations という名称であるのに対して、フランスでの万博にはExposition universelle と敢えて“universel”(全世界的・普遍的)という、より強い語を用いているところにも、イギリスを越えようという願望がみてとれるかと思います。

 続いて1862年に再びロンドンで万博が開かれています。ですから、昭武一行が参加した1867年のパリ万博は、前のロンドンでのそれをかなり意識し、まさにそれを凌駕することが開催の動機となっていました。そして“universel” の名に相応しく「完全に全世界的で普遍的な博覧会にする」という目標をかかげます。極東の日本にまで参加の要請があったのは、そのような背景があったからです。幕府の他にも薩摩藩、佐賀藩、また商人による出品が行われましたが、このように日本が主体的に万博参加をしたのはこの時が初めてですので、フランスの社会はこの1867年の万博で日本を「発見」したと言えるでしょう。その後1870年代に一大日本ブームが巻き起こりますが、この67年の万博が「日本」への関心を生み、後の「ジャポニスム」という文化現象へと発展する重要な契機になっていることは見逃せない点だと思います。

 1867年の万博でのフランスと日本の出会いは、その後両国の交流関係の発展に大きな意味を持つことになります。徳川昭武が将軍名代として参列するなど日本にとっては自らの存在を諸外国にアピールする外交上の場として重視されていましたし、またヨーロッパの最先端の産業・技術および文化を知る比類ない機会となりました。日本からは第一級の工芸品が出品されましたが、なかでも養蚕、漆器、手細工物ならびに紙は非常に高く評価されました。ちなみに万博はやがてウィーンやブリュッセル、またアメリカの都市などにも広がっていきますが、ロンドン万博が先の2回にとどまったのに対し、パリの万博開催は計6回を数え、まさにパリは万国博覧会の中心的存在となったことも付け加えておきたいと思います。

パリ万博をつくった男たち

鹿島:我々はふつう「万国博覧会」と訳していますが、Exposition universelle というのは「万有博覧会」なんですね。ちなみに1900年のパリ万博では、Exposition universelle et internationaleと「国際的」という語が追加されて「万有・万国博」になりました。なぜ「万有・普遍」という部分を強調するかというと、パリ万博の構想にはフレデリック・ル・プレという社会学者とミシェル・シュヴァリエという経済学者が深く関わっているからです。シュヴァリエは元サン=シモン主義者、ル・プレはサン=シモン主義に近い学者でした。サン=シモンというのは、ルイ14世の時代からルイ15世の時代にかけての回想録で知られるサン=シモン公爵ではなく、社会改造の思想を練りあげたサン=シモン伯爵(1760-1825)の方です。彼は百科全書派で、“universel” というのはまさに百科全書的概念です。すべての「物」は競争でしか改良されないし、価格も下がらない。競争によってよりよく、より安くなった商品をより多くの人に甘受してもらうという考えが、万博開催の基本理念としてありました。

 ル・プレとシュヴァリエの考えは、67年の万博により濃く現れていますが、楕円型の会場もサン=シモン主義のユートピア的思想そのものです。縦に歩くとそれぞれの国の「物」が博覧できて、横へ行くと、ある商品について世界中からの出品物を見ることができるという作りになっています。極めて理念的な万博です。“universel” は全世界的・万国的であり、また普遍的・万有的だということを端的に示しています。そういうなかで、時の外務大臣ドルーアン・ド・リュイスが駐日フランス公使のレオン・ロッシュに日本の代表団をぜひ連れて来るよう厳命を下し、また慶喜が尊皇開国派であり大変な西洋好き、フランスびいきだったことも功を奏して、日本のパリ万博参加は比較的スムーズに実現したのだと思います。ところで社会学者のフレデリック・ル・プレは家族類型を研究した人で、エマニュエル・トッドの発想の元にもなっています。ル・プレは親・子・孫といった直系家族famille souche を重んじる保守的な人でしたから、平等を旨とするフランスの共和主義とは、相容れないところがあるんです。第二帝政期というのは、例外的に上層部に直系家族的な思想が入りこみ、平等を基本理念に掲げる共和主義と、上からの主導に基づく直系家族的資本主義が出会った社会だと言えます。そもそも平等主義には資本主義のような競争理念は根付きにくいですから。渋沢のように儒教的な考えを持った日本人が、いきなり共和政のフランスに出会ったら拒否反応があったんではないかと思いますが、この例外的に直系家族的な面のある第二帝政期のフランスには、親和性があったのではないかというのが僕の仮説です。ちなみにル・プレの弟子に、近代オリンピックの提唱者ピエール・ド・クーベルタンがいます。商品の競争原理を人間に当てはめたのがクーベルタンだと言えます。

サン=シモン主義的金融システムとの出会い

三浦:パリ万博以外で、昭武や渋沢はどのような経験をしたのでしょう。

寺本:渋沢栄一、向山一履らに随行され、将軍の名代を務めた昭武は、当時まだ13歳でした。この時、フランス皇帝ナポレオン3世から任命された形でレオポルド・ヴィレット中佐が昭武の教育係となります。当時45歳でした。慶喜より「博覧会展観後、条約締結国へ巡歴して各国との友好を深めること、各国巡歴後はフランスにおいて3年~ 5年、さらに長期に渡って留学すること」を命じられていた昭武は、パリにしばらく滞在して、ナポレオン3世に謁見したり、万博を見物した後で、スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスなどを順に訪問します。もちろん渋沢も同行しています。その年の12月から昭武は本格的な留学生活に入りますが、まもなく幕府が大政奉還したとの知らせが舞い込みました。結局当初の予定より短くはなりましたが、それでも昭武も渋沢も合計1年半ほど滞在していたことになります。


寺本敬子氏

鹿島:フランスにおいて名誉総領事として、彼らの案内役を買っていたのは、フリュリ=エラールという銀行家でした。彼が頭取を務めるフリュリ=エラール銀行は、フランス外務省関係の決済銀行だったこともあり、駐日公使のロッシュは彼を推薦したようです。フリュリ=エラールとヴィレット中佐はいわゆる「商(=銀行家)」と「士(=軍人)」なわけですが、この二人が対等の関係であることに渋沢は腰が抜けるほど驚いたそうです。経営農家出身で武士となった渋沢にとってみれば、当時の日本ではとても考えられないことだったんでしょうね。万博期間中から渋沢はフリュリ=エラールに連れられて、さまざまな金融施設を見学したり、株式会社の制度を勉強したりします。幕府が大政奉還したという知らせが届き、留学費用がストップしてしまった時も、フリュリ=エラールの勧めで国債や鉄道社債に投資し、その利益から滞在費を捻出しています。この投資体験から経済というものを実際に理解したのだと思われます。

 ただ、ここで注意が必要なのは、当時のフランスの資本主義経済は、現在我々が考えるようなものとは少し違ったということです。フランスは19世紀になっても前半は産業的に大きく発展することはなく、イギリスに比べはるかに遅れをとっていました。保護貿易の影響もあります。そういうなかで積極的に金融改革と鉄道の敷設を主張していたのがサン=シモン主義者の一団でした。サン=シモンの方法論は主に4つ──産業に投資するためのベンチャー銀行、直接金融を容易にする株式会社、「物」の流通のための鉄道建設、そして商品の競争する場を提供する万国博覧会です。ナポレオン3世自身がサン=シモン主義にかなり傾倒していたこともあり、先ほどの経済学者ミシェル・シュヴァリエや銀行家のぺレール兄弟など、サン=シモン主義者たちが次々皇帝の周りに集まって来て政治のブレーンになっていきました。こうして、第二帝政開始からわずか5年の間にフランスは一気に近代化を進め、さらに10年ほどでイギリスと肩を並べるほどの、あるいはそれ以上のヨーロッパ一の大国になったのです。

 渋沢がパリに来たのはまさにちょうどその時です。サン=シモン主義の資本主義は経済・社会政策であり、王政か、帝政か、共和政かという政治体制は関係がありません。だからこそ、本来資本主義がなじみにくいフランスでも短期間で成功したといえます。パリで国債・社債・株式投資のシステム、とりわけ小口の預金を集め産業に投資するベンチャー型キャピタルの方法を学び、国富の源はここにあると理解した渋沢は、それとは知らずにサン=シモン主義の金融システムを学びそれを日本で応用したのではないか、だからこそ日本で資本主義の根付けに成功したのではないかと僕は思います。

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