「あなたはイディッシュ語を知っていますか」ミリアム・トリン博士講演録 第3回
「あなたはイディッシュ語を知っていますか」
ミリアム・トリン博士(エルサレム・ヘブライ大学イディッシュ語講師)講演
訳:鴨志田聡子(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)
第3回
4. イディッシュ語文学とその翻訳
イディッシュ語は時代を経て豊かになり、多様な文学を生み出しました。イディッシュ語文学は時代ごとに三つに分類されます。古イディッシュ語時代の中でも14世紀の宗教的な文学、次に古イディッシュ語の後期から中期イディッシュ語の時代に聖書や騎士のロマンスからヒントを得て書かれた文学、最後に19世紀半ばから第二次世界大戦後における最盛期のイディッシュ語文学です。
さて、イディッシュ語文学を語る上で最も重要な作家が三人います。
まずヘブライ語とイディッシュ語の真のバイリンガル作家メンデレ・モイヘル・スフォリム(Mendele Moykher-Sforim *1)、次にユダヤ啓蒙主義のショーレム・アレイヘム(Sholem Aleichem)、そして社会主義と密接だったイツホク・レイブシュ・ペレツ(Yitskhok Leybush Peretz, 1852-1915)です。
現代イディッシュ語文学はこの三人が中心になってはじめました。このうちメンデレ・モイヘル・スフォリム(これはペンネームで、実名はショーレム・ヤンケフ・アブラモヴィッツ, Sholem Yankev Abramovitsh)とショーレム・アレイヘム(これはペンネームで、実名はシャローム・ラビノヴィッツ, Shalom Rabinovitz)は、「おじいさんと孫」というあだ名でよばれていました。
この作家たちはいろいろな言語で生活していたのですが、作家としてのキャリアをはじめた言語は当時「文化的言語」とされていたヘブライ語でした。彼らが大衆に向けて、大衆の言語 “mame loshn” (母の言語つまり、母語。イディッシュ語のことをこう呼ぶ)で書いたのは後になってからです。
メンデレ・モイヘル・スフォリムは、本物のバイリンガル作家でした。ちなみに彼は現代ヘブライ語文学でも中心的な存在です。彼の創作は、鋭い風刺であり、伝統的ユダヤ社会に対する批判でした。散文では自分の視点で、同時代の庶民的なユダヤ人の古びた考え方と生き方を批判しました。彼は自分の小説を通して大衆を近代化させ、普遍化させ、もっと知的に発展させようとしました。
ショーレム・アレイヘムは、「おじいさん(本当のおじいさんではありません)」のメンデレとは反対でしたので、ユーモアと愛をこめて「孫」と呼ばれているようです。彼のユーモアと愛は作品の中にもみられます。東欧のシュテーテル“shtetl”(東欧のユダヤ人の村)に住んでいた「ユダヤの小市民」へのまなざしです。メンデレとはことなりショーレム・アレイヘムの作品には、ユダヤの小市民への理解や共感がみられます。
ショーレム・アレイヘムも伝統的で宗教的なユダヤ人の世界を否定しました。そんなものは終わらせて、ユダヤ人も周囲の人たちのように近代化するべきだと主張し、作品にもしました。でも、ユダヤの大衆への愛は大切にしました。メンデレの作品がユダヤ人社会を上から目線で裁くのに対し、ショーレム・アレイヘムの作品は人々の側に立っています。
この相反するアプローチはペンネームにもよく表れています。インテリだったメンデレはその著作によってハスカラ(Haskalah, ユダヤ啓蒙主義)という思想的、社会的運動をもたらしました。ペンネームの「モイヘル・スフォリム(本売り商の意味)」にもあるように、その本を売っていました。これとは反対に「ショーレム・アレイヘム(Sholem Aleichem)」というペンネームはイディッシュ語の挨拶「こんにちは!」の意味です。ぼくは君らの仲間だよ! という立場からです。ショーレム・アレイヘムの物語や小説は、民衆の言語と魂、慣用表現そしてユーモアにあふれています。
三番目の作家は、この中で一番真面目で複雑なイツホク・レイブシュ・ペレツです。この作家の姿勢は時代で変化しました。モイヘレ・スフォリムのように、伝統的ユダヤ社会を厳しく批判、風刺しました。反宗教的で社会主義的な姿勢をみせ、政治的な活動もしました。その後彼は東欧系ユダヤ人の文化やイディッシュ語の伝承といった、伝統からインスピレーションを受けました。そして最終的には、かつて自分が否定的だったユダヤ敬虔主義ハシディズムの素晴らしさについて書いていました。
この三人の作家は、現代のイディッシュ語に大きな影響を及ぼし、たくさんの言語にも翻訳されています。
しかし残念なことに、この三人の作家たちは家庭ではイディッシュ語を話していませんでした。彼らは「より文化的」な言語で家族と話しました。メンデレとショーレム・アレイヘムにとってはロシア語、ペレツにとってはポーランド語でした。最近ショーレム・アレイヘムの最後の孫がアメリカで亡くなりましたが、イディッシュ語を話しませんでした。彼女も作家ですが、英語で書いていました。
とはいえ三人の作家はイディッシュ語モダニストの重要人物として崇拝されています。とくにペレツはワルシャワにおける文学の「権威」でした。若いイディッシュ語作家が彼に意見を求めました。ペレツはたくさんの新人をサポートし、能力を発揮させました。
●イディッシュ語文学の地理的な広がり
1920年代から1930年代には、二つの大きなイディッシュ語の中心地がありました。ポーランドのワルシャワと「黄金の国」のニューヨークです。さらに当時できたばかりのソヴィエト連邦では、モスクワ、キエフ、ミンスクなどにイディッシュ語若手作家の活動の中心地ができました。
1920年代にはかなり多くの作家が、ポーランドやソヴィエトからベルリンに移りました。短期間でしたが、ここに生き生きとして面白いイディッシュ語文学の中心地ができました。けれども読者が非常に少ないことに作家たちは失望し、ドイツにおける彼らの現代文学には未来がないと考えました。
そしてほんのわずかでしたが、イスラエルの地にイディッシュ語作家が「アリヤ」(ヘブライ語で「のぼる」)して、そこにもイディッシュ語文学の小規模な拠点を作りました。
たくさんのユダヤ人がニューヨークに移住したのに伴って、1920年代からは、イディッシュ語作家の活動の主な拠点もニューヨークに移りました。
マニ・レイブ(Mani Leib)、モイシェ・レイブ・ハルペルン(Moyshe-Leyb Halpern)、ヤアコヴ・グラトシュテイン(Jacob Glatshteyn)、アーロン・グランツ・レイエレス(Aaron Glantz-Leyeles)がポーランドの若い詩人たちに影響を与えました。主な拠点はワルシャワとヴィルナ(現在のリトアニアの首都ヴィリニュス)でした。
ニューヨークでは二人の偉大なイディッシュ語詩人がいました。ツェリア・ドロプキン(Celia Dropkin)「ドロプキン」ではありませんか?とアンナ・マルゴリン(Anna Margolin)です。彼女たちはエロティックで、解放的な詩を書きました。ユダヤ人社会では斬新でした。
ヴィルナでは1920年代の終わりに文学集団「ユング・ヴィルネ(Yung-Vilne)」というのができました。ここに集った人々は社会と結びついた文学を書こうとしました。というのも、メンバーのほとんどがとっても貧しい家の出身で、社会主義の運動を盛んにしていたからです。
こういう文学的なグループの重要人物がアヴロム・スツケヴェル(Avrom Sutzkever *2)です。スツケヴェルは現代詩の美しさだけでなく、イディッシュ語の美しさをみせました。
素晴らしい文学を可能にしました。スツケヴェルは「ことばの魔術師」でした。彼はいつも完璧な表現をイディッシュ語で作り出し、見つけ出しました。こうしてイディッシュ語を洗練させたのです。彼がイディッシュ語で書いた作品の一部はすでに多くの言語に訳されていますが、まだ十分ではありません。
みなさんもご存知のように、アイザック・バシェヴィス・ジンガー(Isaac Bashevis Singer)の作品が世界中で訳されていますが、これは実はすでに英訳があるからです。ジンガーは国際的に認知され、評価されました。そして1987年にノーベル文学賞を受賞しました。一方でスツケヴェルについては、偉大な作家であるにもかかわらず、十分な敬意が払われていません。その主な理由の一つが、作品がそれほど翻訳されておらず、知られていないことです。豊かで複雑で重層的なイディッシュ語の世界を他の言語で表現するのが難しく、理解するのが難しいのです。残念ながら、これが超偉大なイディッシュ語作家とその多くの作品の運命です。
スツケヴェルが生み出した多くのイディッシュ語の単語や表現が、今のイスラエルでも生きていると思いますか? イディッシュ語の文学を翻訳する価値はあるのでしょうか? 他の言語で書かれた文学をイディッシュ語に訳す人はいるのでしょうか?
これらの疑問の答えの一つがこの本「小さいおばけ(Dos kleyne geshpenst)」です。これは有名なドイツ語の児童書です。イスラエルでイディッシュ語に訳され、公的にではなく、個人出版で出版されました。
Dos kleyne geshpenst(小さなおばけ)
オトフリート・プロイスラー作 ミリアム・トリン訳
訳者コメント
ミリアム博士の講演に訳者の解説を入れようかとも考えましたが、とりあえずそのまま皆さんに読んでいただきたいと考えました。トリン博士がイディッシュ語についてイディッシュ語でどんな風に説明したか、イディッシュ語がどのくらい面白い言語であるのかを、なるべく元の状態に近いかたちで味わっていただきたいと思いました。なるべく臨場感を伝えられるように努力しましたが、イディッシュ語で直接味わったときのおもしろさは再現しきれませんでした。これをきっかけにより多くの方にイディッシュ語に興味をもっていただければ幸いです。イディッシュ語を一緒に学ぶ仲間が増えることを願っています。
参照文献
・鴨志田聡子,『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』,三元社,2014.
・鴨志田聡子訳・解説「アヴロム・スツケヴェルの詩の重要性」, 『れにくさ』, No.8, pp. 187–189, 東京大学人文社会系研究科現代文芸論研究室,2018.
*1 作家の名前のラテン文字表記も載せておきました。気になった作家がいたら検索してみてください。名前のラテン文字綴りにはバリエーションがあるため、ここでは原則としてYIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe( http://www.yivoencyclopedia.org/default.aspx)の表記に従いました。このサイトで見つからなかった作家については一般的な綴りを載せました。
ちなみに、ヘブライ文字の綴りからラテン文字の綴りへの変換は、必ずしもいつも同じではありません。異なる作家間で一致していない場合があります。
たとえば「平和」を意味する挨拶をヘブライ文字で書くと、ヘブライ語では「シャローム」と読み、これをラテン文字で書くとShalomです。一方イディッシュ語では「ショーレム」と読み、これをラテン文字で書くとSholemとなります。読み方の違いがラテン文字の綴りに反映されています。気になった作家について調べたい読者の方がより検索しやすいように、より一般的な綴りを採用しました。ちょっとややこしいですが、こういったバリエーションもイディッシュ語の醍醐味ですので、どうぞお楽しみください。
*2 トリン博士が本講演で紹介したスツケヴェルの作品とその解説は、東京大学人文社会系研究科現代文芸論研究室発行の『れにくさ』(2018)に掲載。
【参考】
日本で読めるイディッシュ文学の作品リスト
*著者名の日本語表記はそれぞれの書誌情報に従った。
上田和夫編『イディッシュ語読本』大学書林、1995年
★イディッシュ語文学やイディッシュ語の新聞記事に、日本語の対訳がついています。イディッシュ語でも日本語でも読みたい方、語学好きの方にとくにおすすめです。
西成彦編訳『世界イディッシュ短篇選』岩波書店、2018年
★イディッシュ語を代表する作家たちの作品を一気に読みたい方におすすめです。
ショレム・アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』西成彦訳、岩波書店、2012年
★『屋根の上のヴァイオリン弾き』の原作です。ミュージカルや映画とちょっと違った原作の世界もお楽しみください。
アイザック・バシェヴィス・シンガー
『やぎと少年』モーリス・センダック絵、工藤幸雄訳、岩波書店、1979年
『よろこびの日 ワルシャワの少年時代』工藤幸雄訳、1990年
『まぬけなワルシャワ旅行』工藤幸雄訳、岩波書店、2000年
『お話を運んだ馬』工藤幸雄訳、岩波書店、2000年
『ルブリンの魔術師』大崎ふみ子訳、吉夏社、2000年
『ショーシャ』大崎ふみ子訳、吉夏社、2002年
『悔悟者』大崎ふみ子訳、吉夏社、2003年
『タイベレと彼女の悪魔』大崎ふみ子訳、吉夏社、2007年
『父の法廷』桑山孝子訳、未知谷、2009年
『不浄の血 アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選』西 成彦訳、河出書房新社、2013年
『メシュガー』大崎ふみ子訳、吉夏社、2016年
イツハク・カツェネルソン
『滅ぼされたユダヤの民の歌』飛鳥井雅友、細見和之訳、みすず書房、1999年
『ワルシャワ・ゲットー詩集』細見和之訳、未知谷、2012年
ビアトリス・S・ヴァインライヒ編『イディッシュの民話』秦剛平訳、青土社、1995年
★イディッシュ語の小話を日本語で読みたい方におすすめです。これをイディッシュ語で読むと話のオチの面白さが増します。