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「あなたはイディッシュ語を知っていますか」ミリアム・トリン博士講演録 第2回

「あなたはイディッシュ語を知っていますか」
ミリアム・トリン博士(エルサレム・ヘブライ大学イディッシュ語講師)講演
訳:鴨志田聡子(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)
第2回

<第1回

3. イディッシュ語は「つぎはぎ」の言語
●イディッシュ語とヘブライ文字
 イディッシュ語は、一般的に中高ドイツ語から派生したゲルマン語だと言われています。でもユダヤ人はイディッシュ語をヘブライ文字で書いてきました。ヘブライ文字がユダヤの伝統的な表記法だからです。ラテン文字はキリスト教の教会との繋がりから「コシャー(“kosher”、ユダヤ法に基づいた「清浄なもの」を意味する)でない」と考えられていました。
 またユダヤ人はヘブライ文字を読むのは伝統的な義務と考えていたので、とくに男性は幼い頃から宗教学校「ヘデル(“kheyder”)」に通ってヘブライ文字で教育を受けており、識字率は高かったようです。
 ところで、ヘブライ語はセム系の言語なので、つづり字が発音通りではありません。とくにイディッシュ語と違うのは母音です。ヘブライ語の場合、一般的に母音は文字ではなく記号で表します。母音記号を文字の上か下、または中に書き加えるのです。しかしイディッシュ語では発音通りにつづるために、別の新しい方法が使われました。ヘブライ文字にイディッシュ語のすべての子音と母音をあてはめ、いくつかの文字に新たに母音の機能をもたせました。こうして新たにつくられたイディッシュ語の文字システムがこちらです。これを「アレフベイス(”alef-beys”)」と呼びます。

表1. アレフベイス

文字 文字の名前 ラテン文字表記
א shtumer (silent) alef Silent, N/A
אַ pasekh alef a as in wand A
אָ komets alef o as in ore O
ב beys b as in boy B
בֿ veys v as in violet V
ג giml g as in gold G
ד daled d as in dog D
ה hey h as in home H
ו vov oo as in room U
וּ melupm vov oo as in room U
ז zayen z as in zoo Z
ח khes ch as in loch Kh
ט tes t as in toy T
י yud y as in yes;
i as in bit;
ee as in beet
y; i
כּ kof k as in kitchen K
כ khof ch as in loch Kh
ך langer khof (used at end of word) ch as in loch Kh
ל lamed l as in long L
מ mem m as in mouse M
ם shlos mem (used at end of word) m as in mouse M
נ nun n as in now N
ן langer nun (used at end of word) n as in now N
ס samekh s as in sink S
ע ayen e as in elm E
פּ pey p as in pink P
פֿ fey f as in farm F
ף langer fey (used at end of word) f as in farm F
צ tsadek ts as in patsy Ts
ץ langer tsadek (used at end of word) ts as in patsy Ts
ק kuf k as in kitchen K
ר reysh r as in red R
ש shin sh as in shop Sh
שׂ sin s as in sink S
תּ tof t as in toy T
ת sof s as in sink S


YIVOによるYIDDISH ALEF-BEYS (ALPHABET)を訳者が編集
https://www.yivo.org/Yiddish-Alphabet

 イディッシュ語は音韻的にはゲルマン語ですが、文字はヘブライ文字を使います。このように複数の言語のシステムを使う「つぎはぎ」の性質は、語彙、形態、文法、統語にも見られます。この「つぎはぎ」は、イディッシュ語を特別で豊かなものにしました。イディッシュ語を味わっていただくためにいくつか例を紹介します。

●イディッシュ語の語彙
 イディッシュ語は世界各地を旅して、行った先々で周囲の言語と接触しました。それがよく現れているのが語彙です。イディッシュ語の語彙の約8割がゲルマン語からきたものです。そのため、ドイツ語を知っている人はイディッシュ語をよく理解できます。いくつか例をあげます。「 」内に日本語の意味を示しました。

例1
「イディッシュ語は素敵です。」
イディッシュ語  “yidish iz sheyn.
ドイツ語 Jiddisch ist schön.

 この文の場合、使われている語彙がドイツ語とほとんど同じで語順も単純なので、ドイツ語を知っている人なら聞けば理解できると思います。しかしそう簡単にはいかない語彙もあります。ユダヤ人はイディッシュ語に特殊な語彙を加えて使いました。とくにヘブライ語とアラム語です。これらの語彙によって宗教的な意味が加わります。
 例えば先ほどご紹介した、一週間の7日目、つまり土曜日を意味するヘブライ語の“shabes”がそれです。他の例もあげます。
※( )内には参考として、訳者の調べられた範囲で他の言語の語彙を記す。似たものが見つけられなかった場合は(?)と記した。

例2
「結婚(式)」 “khasene”(ヘブライ語ではchatnah、ドイツ語ではHochzeit)
「新郎新婦」 “khosn-kale”(ヘブライ語ではchatan vekalah、ドイツ語ではBräutigam und Braut)
「祝日」 “yontev”(ヘブライ語ではyom tov、ドイツ語ではFesttag)
「棺」 “orn”(ヘブライ語ではaron、ドイツ語ではSarg)

 イディッシュ語はスラブ語圏の東欧まで旅をしたので、ポーランド語、ウクライナ語、ベラルーシ語などからたくさんの単語を吸収しました。例をあげます。

例3
「おじいさん」 “zeyde” (ポーランド語ではdziadek)
「おばあさん」 “bobe” (ポーランド語ではbabcia)
「行う、祝う」 “praven” (?)
「(へとへとになって)働く」 “horeven” (?)

 スラブ語の語彙はチ、チュ、ジュ、ジェといった独特な音をもっていてヘブライ文字一文字で表せなかったので、文字を組み合わせました。

表2. 組み合わせた文字

文字 ラテン文字表記
וו v as in violet v
זש s as in measure zh
דזש j as in judge dzh
טש ch as in cheese tsh
וי oy as in toy oy
יי a as in date ey
ײַ i as in ride ay


YIVOによるYIDDISH ALEF-BEYS (ALPHABET) を訳者が編集
https://www.yivo.org/Yiddish-Alphabet

例4
「縫い付ける」 “tshepen” (ポーランド語ではszyć)
「節約する」 “zhaleven” (?)

 こうしてスラブ語が混ざったおかげで、イディッシュ語の語彙がとても豊かになりました。セム系、ゲルマン系、スラブ系という三つの語族がイディッシュ語の中で一緒になりました。これで正真正銘のつぎはぎ言語です。つぎはぎこそがイディッシュ語を豊かにします。その一つが豊富な同義語です。それぞれ微妙なニュアンスがあります。

例5
「例」
bayshpil”(ドイツ語ではBeispiel)
moshl” (ヘブライ語ではmashal)
dogme”(ヘブライ語ではdugmah)

「悲しい」
troyerik” (ドイツ語ではtraurig)
smutne” (ポーランド語ではsmutny)
umetik” (?)
atsvesdik” (とても悲しい。ヘブライ語のatsuvにイディッシュ語の形容詞の語尾“-dik”)

「仕事」
arbet” (ニュートラルに「仕事」を意味。ドイツ語ではArbeit)
pratse” (「労働」を意味。ポーランド語ではpraca)
avoyde” (「宗教的なサービス」を意味。ヘブライ語ではavodah

 語彙が豊かなおかげで、エレガントでスタイリッシュなニュアンスも表現できます。例として「祈る」の表現を三つあげます。

例6
「祈る」
davenen” (ユダヤ教徒が祈ること。ラテン語のdīvīnusに、イディッシュ語の動詞の語尾“-n”をつける)
tfile ton” (ユダヤ教徒が祈ること。ヘブライ語の「祈祷」tfilahに、イディッシュ語の動詞「する」“ton”をつける)
modlien zikh” (ポーランド語の「祈る」modlićに、イディッシュ語の再帰代名詞“zikh”をつける)

 まったく同じ意味というわけではありません。イディッシュ語を話す人は、文脈から使い分けます。 “modlien zikh” は、ユダヤ人の周りにいたキリスト教徒が話していたポーランド語からきた言い回しで、キリスト教徒が祈ることを意味します。他にもこんな例があります。

例7
「手」
hent” (ニュートラルな「手」の複数形。単数形は“hant”で、ドイツ語ではHand, pl. Hände)
yodaym” (特別な大きな「手」の複数形。単数形は“yad”で、ヘブライ語ではyad, 複数形はyadayim

 どちらも手の複数形ですが、“hent”は単純に手という意味で、“yodayim”は特別で大きな手のことを指します。

 ユダヤ人はイディッシュ語をライン川の地域で使っていましたが、次のようにフランスやイタリアからの古い単語も混ざっています。

例8
「祈る」 “bentshn” 
「チョレント(煮込み料理の名称)」 “tsholnt” 

●イディッシュ語の形態と文法におけるつぎはぎ性
 イディッシュ語の形態や文法もつぎはぎです。次の例を見てください。

例9
「(キリスト教の)祈る」 “modlien zikh” (ポーランド語ではmodlić。イディッシュ語では再帰代名詞“zikh”をつけて「祈る」)

 先ほどお話ししたように、これはキリスト教の人が「祈る」という意味です。“modlien zikh”のベースは“modlić”(祈る)というスラブ語ですが、不定形の語末が“-n”でゲルマン語らしくきこえます。これはドイツ語の動詞の不定形、たとえば“schreiben,” “lachen,” “sagen”の語尾と同じ形です。
 ドイツ語で「祈る」を意味する “beten” に“sich” はつけませんが、イディッシュ語では再帰代名詞の “zikh” をつけます。これはポーランド語の影響だと言われています。
 イディッシュ語の過去形は、ドイツ語のように過去分詞を使ってつくります。ただ目的語などが入った場合、ドイツ語とは語順が違います。下に例をあげます。下線で示した過去分詞の位置を見てください。どちらも「見る」の過去分詞形ですが、イディッシュ語ではドイツ語のように現在分詞を文末に置かずに、次のような語順になります。

例10 「私は昨晩面白い映画を観た」
イディッシュ語:“ikh hob gezen nekhtn in ovnt zeyer an interesantn film.
ドイツ語:Ich habe gestern abend einen sehr interesanten Film gesehen.

 このようにイディッシュ語にスラブ語、ゲルマン語、ヘブライ語の語彙的、形態的、文法的要素が混在している例は多々あります。

(第3回に続く)


参照文献
・鴨志田聡子,『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』,三元社,2014.
・鴨志田聡子訳・解説「アヴロム・スツケヴァルの詩の重要性」, 『れにくさ』, No.8, pp. 187–189, 東京大学人文社会系研究科現代文芸論研究室,2018.

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