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「あなたはイディッシュ語を知っていますか」ミリアム・トリン博士講演録 第1回

「あなたはイディッシュ語を知っていますか」
ミリアム・トリン博士(エルサレム・ヘブライ大学イディッシュ語講師)講演
訳:鴨志田聡子(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)

はじめに
 ミリアム・トリン博士が2016年10月14日に早稲田大学(戸山キャンパス)で行ったイディッシュ語についてのイディッシュ語による講演「あなたはイディッシュ語を知っていますか」(主催:早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系)を和訳しました。注や解説は訳者がつけました。
 イディッシュ語についてイディッシュ語で解説できる人は、そう多くはありません。イディッシュ語についての詳しい解説書には、クセジュ文庫『イディッシュ語』(白水社、1996)があります。原著のLe Yiddish (1993)を書いたジャン・ボームガルテン教授(1950- )は、インタビューでこんなふうに話しています。「イディッシュ語はわが家の言語ではなかったので、ぼくはそれを大学で学びました。(中略)家の中でもイディッシュ語を話していませんでした。もちろんフランス語だけで話しました。ヘブライ語も少しだけ話しました」と話しています*1。彼は大学でこの言語を研究するようになってからも、イディッシュ語を話すことはなかったそうです。

 一方で、今回講演したトリン博士はポーランド生まれ、ドイツ育ちで、19歳のときにイスラエルに移住しています。その後イディッシュ語を習得し、東欧のユダヤ文学を研究し、イディッシュ語で子育てをしています。イディッシュ語、ヘブライ語、ポーランド語、ドイツ語、英語などの複数の言語を話すトリン博士ですが、イディッシュ語にかける情熱は特別です。そんな彼女が日本人を対象にイディッシュ語でイディッシュ語のことをどう説明したかを知っていただきたいと思って訳しました。クセジュ文庫の『イディッシュ語』と読み比べながら楽しんでいただけたら幸いです。


早稲田大学戸山キャンパスにて。左から松永美穂先生(司会、ドイツ語文学翻訳者、早稲田大学教授)、ミリアム・トリン博士、訳者

 講演者のミリアム・トリン博士(Dr. Miriam Trinh, 1975- )は、エルサレム・ヘブライ大学、テル・アヴィヴ大学の他、ショーレム・アレイヘム・ハウスというイディッシュ語文化センターや、世界各地のイディッシュ語夏期講座においてイディッシュ語講師をしています。専門は東欧ユダヤ文学です。トリン博士は語学講座や読書会においてイディッシュ語でイディッシュ語を教えてきました。彼女の活動については鴨志田(2014)にも記しました。
 文中のイタリックはヘブライ文字をラテン文字表記したものです。特にことわりがない場合は、イディッシュ語(YIVO方式によるラテン文字表記*2)です。

1. イディッシュ語は、アシュケナージ系ユダヤ人の言語
 イディッシュ語は中世ドイツに住んでいたアシュケナージ系ユダヤ人*3の言語として生まれました。それ以降、たくさんのユダヤ人たちが10世紀末から第二次世界大戦の後まで千年間以上使ってきました。
 それほど多くありませんが、現在でも母語として話す人がいます。現在の話者のほとんどが超正統派(ウルトラ・オーソドックス)*4のユダヤ人です。この人たちのことをイディッシュ語で「ハシディーム(”hasidim”)」と呼びます。イスラエルとアメリカに多く住んでいます。小規模ですがベルギーのアントワープや、オーストリア、南アメリカにも、ハシディームが集まって住んでいます。
 一方、世俗的なユダヤ人にも現在イディッシュ語を話す人たちがいます。彼らは、イディッシュ語を日常的にというよりは、文化遺産としてときどき使っています。イディッシュ語話者の人数はかつて非常に多かったのですが、だいぶ減ってしまいました。理由は特に次の4つです。
 まず、一度も独自の領土をもたなかったからです。イディッシュ語が唯一の公用語だとされるようなイディッシュの国家はありませんでした。ユダヤ人が住んでいた国々には別の公用語があって、イディッシュ語はいつも少数言語でした。
 次にホロコーストです。第二次世界大戦のときに600万人ものユダヤ人がナチに組織的に殺されましたが、彼らの中の多くがイディッシュ語を話していました。その後ヨーロッパにいたユダヤ人たちは、そこにとどまるのを嫌い、アメリカ、オーストラリア、イスラエル(パレスチナ)に移住しました。これがさらなる悲劇、ヨーロッパにおけるユダヤ人の終焉を招きました。
 さらに1948年のイスラエルの建国です。ユダヤ人国家のユダヤ人の言語は、現代ヘブライ語となりました。これによりイディッシュ語の、ヨーロッパのユダヤ人の共通言語としての意味は弱くなりました。こういった状況の中、イスラエル以外の国でも、ユダヤ人の子どもは現代ヘブライ語を学ぶようになり、イディッシュ語を学ばなかったのです。
 そして同化です。20世紀初めのモダニズムで、ユダヤ人も生活様式を現代化、都市化し、信仰から遠のきました。普遍への憧れがあったのです。ユダヤ人は周りの非ユダヤ人に同化していきました。「一人前の権利」を欲し、少数派でいるのを嫌いました。そのためにまず周囲の言語に同化しました。イディッシュ語を話すのを自らやめ、自分たちの子どもにイディッシュ語を教えるのをやめました。こうしてイディッシュ語話者の世代を超えた繋がりが絶たれました。

2. イディッシュ語の略史
●イディッシュ語の誕生(10世紀末から)
 イディッシュ語は10世紀末にライン川周辺で、現在ドイツとフランスがあるあたりで「生まれ」ました。ヘブライ語の単語「アシュケナージ(Ashkenazi)」はもともと西欧に家族のルーツをもつユダヤ人を意味しました。
 彼らはイタリアや南フランスからライン川に移ってきました。そしてライン川周辺で使われていた「中高ドイツ語」と接触しました。ユダヤ人は流浪の民なので、毎度のことながら、新しく住み着いたところの周りの言語を取り入れると同時に、自分たちの文字、つまり「アレフベイス(”alef-beys”、ヘブライ文字のアルファベット)を使っていました。そして、伝統的で宗教的な言語を取り入れます。祈り、トーラー(ユダヤ教の聖書)を読むための「古典ヘブライ語(”loshn-koydesh”、聖語)」です。ヘブライ語の語彙は、特殊な意味をもつ場合や、ユダヤの伝統や宗教に関する場合に使われました。
 例をあげて説明します。イディッシュ語の曜日はドイツ語と似ています。日曜日から始まり(ユダヤの一週間は月曜日ではなく日曜日からはじまります)、“zuntik, montik, dinstik, mitvokh, donershtik, fraytik”と言います。日曜から数えて第7日目にあたる土曜日は、ヘブライ語の“shabat”にならって「シャベス “shabes” 」と言います。


イディッシュ語の一週間をホワイトボードに書いて説明するトリン博士(右)とラテン文字表記を書き加える訳者(左)。一番右の行には日曜日から金曜日まで、真ん中にはラテン文字表記、一番左の行には土曜日「シャベス」。
撮影:Tomoko

●古イディッシュ語(1250年~1500年)
 さて13世紀になると、アシュケナージ系ユダヤ人は現在ポーランドがある東欧へと大移動しました。移動したことで、とくに19世紀後半から20世紀初頭のユダヤ人迫害によって多くのユダヤ人が東欧で犠牲になりました。けれども、実はこの移動こそがイディッシュ語の歴史で重要です。なぜならユダヤ人が自分たちの地域言語を新しい場所に運んだからです。周りの人々がスラブ諸語を話していた東欧において、ユダヤ人は「ユダヤ・ドイツ語」つまりイディッシュ語を使い続けました。ユダヤ人は他の地域では移動すると、たいていその地域の言語をすぐに使い始めるのですが、東欧では違いました。とはいえ、時間の経過とともに周りのスラブ人の影響を受けていきました。
 こうしてユダヤ人は自分たちの「ゲルマン語」に、ポーランド語、ウクライナ語、ベラルーシ語などの語彙、意味的要素、文法的要素、形態的要素を取り入れました。その結果イディッシュ語は非常に独自な言語になりました。もうドイツ語のユダヤ方言だなんて言えなくなりました。この1250年から1500年という時期は「古イディッシュ語」の時代と呼ばれます。

●中期イディッシュ語(1500年~1700年)
 1500年から1700年は「中期イディッシュ語」の時代です。ポーランドを中心とした東欧と、西欧にイディッシュ語を話すユダヤ人共同体が存在しました。イディッシュ語はこの時期ポーランド語から強い影響を受け、現代イディッシュ語に発展します。東欧ではイディッシュ語の口承文学が広がりました。

●新イディッシュ語(1700年~19世紀)
 1700年から「新イディッシュ語」の時代になります。1800年からは、とても豊かなイディッシュ語文学の時代です。出版された文学はヨーロッパ各地に広まったのですが、中でもよく広まったのは東欧です。啓蒙主義の時代は、東欧でイディッシュ語を話していたユダヤ人と、西欧、中でもドイツにいたユダヤ人の間に考え方のギャップがありました。ドイツのユダヤ人は「正しく美しいドイツ語」を話そうとしました(それゆえ、ユダヤ人の間でイディッシュ語離れが進んだ。正確なドイツ語を話してこそ発展できるという考えの中、ドイツ語に似ているイディッシュ語は邪魔になった)。このような背景から「新イディッシュ語」の時代には、イディッシュ語が決定的に東欧のユダヤ人のものになりました。

●現代イディッシュ語(19世紀半ば~)
 19世紀半ば、東欧で現代イディッシュ語が芽吹きました。豊かな現代文学、非常に人気があった演劇、強い影響力をもった新聞、体系的な言語の研究、教育があったからです。20世紀前半から第二次世界大戦までは、約1,100万人のユダヤ人がイディッシュ語を話していました。この時期が現代イディッシュ語の中心です。ユダヤ人は東欧から主にアメリカに移住し、これによって海を超えてイディッシュ語がさらに広範囲に拡散します。北米では、たくさんの英語の語彙がイディッシュ語に入りました。

>第2回 >第3回

参照文献
・鴨志田聡子『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』、三元社、2014。
・鴨志田聡子訳・解説「アヴロム・スツケヴァルの詩の重要性」、『れにくさ』、No.8、pp. 187-189、東京大学人文社会系研究科現代文芸論研究室、2018。

*1
ジャン・ボームガルテン教授のインタビュー
Yiddish Book Center
https://www.yiddishbookcenter.org/collections/oral-histories/interviews/woh-fi-0000089/jean-baumgarten-2010

*2:YIVO
1925年にヴィルノ(現在のリトアニアの首都ヴィリニュス)で創設されたユダヤ学術研究所でイディッシュ語の研究も盛んに行われてきた。「イヴォ」と読む。現在イディッシュ語の研究者や教育者などに広く採用されているイディッシュ語のつづりはYIVOが提案したもの。現在本部はニューヨークにあり、一般の人でも展示スペースや図書館に入ることができる。無料のオンライン百科事典などもあり、YIVOのウェブサイトもとても充実している。
https://yivo.org/

*3:アシュケナージ系ユダヤ人
ここでは主に中欧から東欧にルーツをもつユダヤ人を指している。ヘブライ語のアシュケナージは、中世にはドイツを指していたが、その後北部フランス、イギリス、北部イタリアさらに中欧、東欧も指すようになった。

*4:超正統派
18世紀東欧で、ユダヤ経験主義運動が起こり、ユダヤ教の教えを非常に厳格にまもる宗派。ヘブライ語では彼らのことを「ハレディーム」(haredim)と呼ぶ。超正統派ユダヤ教の中にも派閥があり複数の集団に分かれている。その一部が現在でもイディッシュ語を使っている。彼らはヘブライ語を聖なる言語と位置づけているため、それを日常生活で使うのを拒み、イディッシュ語を日常の言語としているようだ。

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