[座談会]三浦信孝・福井憲彦・三谷博「革命とは何か?」第3回
〈民衆〉の問題
三浦 今回のシンポジウムは、セルナさんにインパクトを与えたと思います。はじめ、世界の九大革命に、彼は明治維新を入れていなかった。しかし本書『フランス革命と明治維新』の中でやっと明治維新を世界十大革命に入れるようになった。
福井 明治維新も革命に入れるべきだというスタンスだよね。
三浦 シンポジウムに招いた時点では、 明治維新は革命とは言えないというスタンスだった。君主制を廃止して、人民主権の共和国を作るような体制転換がなければ革命とはいえないという発想がはっきり彼の中にありました。
三谷 それが理想の姿だという部分はもっともです。
三浦 スイリさんも明治維新は革命とは呼べないというスタンスだった。「革命(revolution)」と呼ぶか、「復古(restauration)」 と呼ぶか、これは古い議論だけれど、フランス革命二百周年の時にも問題になり、西川長夫氏はrévolutionと呼ぶべきだと主張した。ところが柴田先生は明治「変革」、遅塚先生は明治「改革」と呼んで、二人とも「革命」とは言わない。
福井 そうですね、下からの変革ではないという意味で。
三浦 セルナさんが三谷さんの論考について、民衆の視点が全くない、人権について触れていないと批判した。まず人権について言えば、フランス革命において一番大事なのは「人と市民の権利宣言」、彼の言葉で言うと「普遍的市民権」なので、そう言わざるを得ない。ただ明治維新において人権という概念がスローガンになっていたわけではないのは明らかで、それを批判するのは無い物ねだりです。
三谷 革命はシークエンス全体を見ることが大事だと思います。内部事情から脱身分化したあとに西洋の思想がどっと入ってきて、自由民権運動が始まり、その中で人権の思想が根付いた。次いで明治憲法ができた。維新で脱身分化が行われ、その基盤の上で人権思想も盛り込まれる。革命には長い時間を要します。維新の出発点には、明瞭な理念やイデオロギーがなかった。しかし、その長い時間の中で課題が発見・共有され、それが膨らんでゆく。革命は巨大な学習過程であって、理念だけに注目するのは全く不十分です。
三浦 スイリさんは民衆史を重視している。日本の民衆史家たちが海外に発信しない、あるいは翻訳されないために非常に大切な貢献が世界で認知されていないと残念がっている。インドの国民史の書き換えであるサバルタン・スタディーズは、英語で発信されて世界的に評価されている。それと同じくらい日本の民衆史はインパクトがあるはずなのに、と常々言っています。
三谷 安丸良夫さんの研究はとても素晴らしいものです。『神々の明治維新』(岩波新書、一九七九年)はぜひとも翻訳してほしい。
福井 ぜひ翻訳すべきですよね。他のお仕事も。
三浦 スイリさんは今回遠慮して、民衆史については強調しなかったけれど、別の論文では自由民権運動に限らず、幕末の一揆や世直しなど民衆の抵抗運動を非常に重視しています。民衆が革命に参加したから暴力が激しくなったという議論は確かにある。ルフェーヴルの場合は農民、ソブールの場合はサンキュロットに注目します。スイリさんもその点では正統派の流れを引いているようでいて、明治維新はエリートの間での政権交代にすぎないから革命ではないという考えは、ちょっと矛盾しているように思います。
三谷 革命の担い手が誰かというのは大事ではないのではないか。担い手が誰だったかではなく、実際に権利の大規模な再構成が行われたということが重要だと思います。
三浦 民衆の抵抗運動や反乱というファクターをスイリさんはかなり重要視していて、勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書、一九八二年)を仏訳しています。もちろんヨーロッパにも一揆のような農民の反乱はあって、フランスの歴史家にもインパクトを与えたようです。
福井 テーマとしてどこに着目するかが問題で、三谷さんがいうように権力の移行、政治体制の編成替え・変革に焦点を絞ると、明治維新の場合、民衆の関わりはあまりないということになる。ただ、社会状況としてはいろんな動きがあって、社会的流動化は現実に起こっているから完全に無関係とは言えない。どこに焦点を当てて、どのような時間の幅で、どのスパンで考えるかの違いだから、どこで対立しているかということではないと思う。比較できないものを比較することの難しさは、そういうところにあるんでしょうね。
三谷 僕が民衆運動を研究していないのは確かに弱点です。しかし、政治家の史料には民衆の動きが出てこない。政治運動と民衆とは水と油だったのです。維新期に様々の民衆運動があり、一揆・打ちこわしの件数が増えたほか、新宗教の運動も特徴的だった。最近気付いたものに水戸天狗党の乱があります。降伏した八百人あまりのなかで武士は三十数人しかいなかった。武士ではなくて、主導権は百姓、民衆の方にあったのではないかと思い始めています。ただ、彼らがなにを目指したのか分からない。民衆の政治意識は解釈が難しい。
福井 それはフランスも同じです。例えばヴァンデの反乱(一七九三―九六年)。革命派が発した徴兵令に反発した農民が反乱を起こすんですが、それを反革命の貴族が利用する。では、民衆は反革命だったかというと、単純にそうは言えない。都市から出た司令で自分たちにとって何かわけのわからないものが降ってくる、しかも徴兵令が出て誰か出せと言われる。しかし都市ではカネ次第で徴兵を回避する方法があるらしい、そんな馬鹿なことがあるかということで反乱が起こる。それを反革命勢力は利用して内戦になるのですが、単純に民衆の反革命戦争とするのは全く間違っている。そういう動きをどういう形で革命的変革というプロセスに組み込んで考えるのか、そのときにフュレのようにそれは余計な夾雑物だという視点はとりたくないと僕は思います。
三谷 明治十年の西南内乱の後、民権運動は地方の裕福な地主が担っていく。他方、この時代には下層の民衆が別の動きをする。その緊張・交錯関係を書いたのが牧原憲夫さんの『客分と国民のあいだ』(吉川弘文館、一九九八年)で、その先鞭をつけたのが色川大吉さんの一連のお仕事です。ただ、民衆がまだ政権争奪の場に入ってこない維新期に民衆運動と言われても困る。身分制が解体されたあとに民衆がどっと出てくるんです。
三浦 フランス革命で一七八九年の夏に大恐怖(Grande peur)というのもありました。領主に対して農民が反乱を起こした。
福井 一時、総蜂起的な状況があった。だからこそ封建制の廃止(八月四日)で農民の動きは一気に沈静化する。ただしこの段階では農民は土地を買い取る必要があったので、実態的な意味はほとんどなかった。
在りし日の革命史家たち
三谷 高橋幸八郎さんは農地改革に関心がおありだったと聞いたことがあります。
福井 高橋さんは封建制から資本制への移行に焦点を絞ってフランス革命を取り上げました。そうすると、領主制から私有制にどう転換するかという点が鍵になる。それが資本主義化の基礎になると議論した。非常に論理的で理論的です。最初、僕は『市民革命の構造』(御茶の水書房、一九五〇年)を読んで、理論のお化けみたいな本だと思いました。僕なんかとてもそんな発想できない。だからこの移行の議論は、フランス本国でもインパクトがあった。
三谷 戦前日本の地主制は封建的と言えるかどうか……。
福井 高橋さんは寄生地主制だと規定した。高橋さん自身、福井の大地主の家系なのだそうですが、その点では非常に不思議なことです。
三谷 寄生地主制の廃止が重要な課題だということで、戦後の社会主義運動が盛り上がった。しかし、占領軍が農地解放してほとんどの農民が自分の土地を持つようになった。私有財産を強制的に取り上げて分配した。占領軍は社会主義革命をやったと言ってよいでしょう。そのお蔭で逆説的に、小作争議が頻発した農村は保守化した。社会主義運動は都市だけになり、農村は保守の牙城に変わった。だから高橋さんが農地改革に関心を持ったのはなぜなのかなと思いました。
福井 資本制がいかに成立するかという理論的な観点ですね。もう一点はプロト工業化の問題です。その担い手が農民から出てくると考えた。農民層からブルジョワジーの新たな類型が成長してくるという理論的枠組みです。
三谷 高橋さんはいわゆる講座派だと理解していましたが、その議論は労農派的ですね。
福井 この議論はフランス革命についてですから。日本の場合はそうは言わない。日本は明治維新によってそういう風にはならなかったと言うわけです。
三谷 でも明治政府は私有財産は認めたわけでしょう。
福井 土地制度については、地主小作制が再生産されたとみるわけです。だから工業生産は国策として発展していくわけだけれど、大本にある土地所有に関しては寄生地主制だった、と。だからやはり講座派だった。
三浦 高橋先生の時代から柴田・遅塚両先生の時代はどういう変化があったのか改めて確認させてください。
福井 ひとつは、キース・ベイカーたちが論じ始めた政治文化論を引き受けたということではないでしょうか。特にコリン・ルーカスなんかはフュレみたいに極端ではないし、社会集団との関係も問う。おそらくそっちの方に意識が向かった。アンシアン・レジームの末期にはすでに言説や実務能力によって統治者集団に上昇していく回路は確立されていた。それが革命前になるとうまく機能しなくなり、そこに「ストレス・ゾーン」が生じてくる。その層が革命の初期に大きな役割を果たした。ロベスピエールなんかもそうかもしれない。社会がうまく動いていたら、彼らは支配階層に入っていた。それがそうじゃなくなった。こういう理解に柴田先生たちは共感した。
もう一点、柴田さんたちは、ワールド・システム論のような、グローバルな資本主義体制の展開のなかにフランス革命や明治維新を位置付けて考えた。これは高橋史学とは大きく異なっている。
三浦 福井さんは東大の西洋史で柴田先生に師事したんでしょう。
福井 指導教員でしたが、私は革命史の専門家ではありません。
三浦 僕はお会いしたことがありませんでした。晩年の遅塚先生にはよくお話を伺ってファンになりました。
福井 すべてを明確に大きな声ではっきり言うよね、遅塚さんは。
三浦 講談みたいで聞き惚れました。
福井 内緒話ができない人だった(笑)。
三浦 遅塚先生の『フランス革命――歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書、一九九七年) は名著ですが、死後出版になった『フランス革命を生きた「テロリスト」――ルカルパンティエの生涯』(NHKブックス、二〇一一年)という本には、なぜ革命にテロルが起こったかという論考が入っています。セルナさんはこの問題を避けているけれど、遅塚先生はこの問題に正面から答えた。正統派の学会はロベスピエール学会と言いますね。遅塚先生は正統派の系譜に連なる方だけど、恐怖政治にしっかり向き合っている。誠実だと思います。
福井 柴田さんと遅塚さんが問いかけた「文化革命」としてのフランス革命という理解は戦後革命史研究の大きな遺産です。彼らの問題意識は、現代になっても日本には組織型人間がたくさんいるということにありました。上意下達です。フランス人は簡単には従いません、徹底的に議論する。一方、日本はお上に従う。この原因は明治維新がフランス革命のような普遍的自由や人間の発言権を確立しなかったことに求められるのではないか。彼らはそこを突いた。
三谷 非常に重要な問題ですね。私も日本人の過剰同調性には辟易しています。私は学界では一匹狼で、一部からは暴れん坊に見えているようです(笑)。社会一般であれ学界であれものを一様にしか考えない傾向がある。政治でもみな今の政権になびこうとする。長いものに巻かれろとの傾向が強まっている。ただ、いつの時代でもそうかというと違います。明治なかばに憲法が制定された頃はみんな言いたい放題だった。それが明治の終わりごろには言論の幅が狭まってくる。 昭和期に入ると、メディアの普及も伴って、過剰同調性が世論を支配するようになった。日中戦争が始まったとき、経験ある政治家は早く止めねばと考えましたが、世論の前には微力で止められなかった。こうした過剰同調性がいままた兆しているのは健全なこととは言えません。
理念か、結果か
三浦 高橋先生、柴田先生、遅塚先生はじめ、日本でフランス革命史研究をリードした先学たちは明治維新のことを考えながら研究に取り組んできた。もちろん、現在もフランス革命史研究は続いています。現在の研究者は、明治維新との比較はやっていますか?
福井 あまり聞きませんね。
三浦 革命史家の山﨑耕一さんは「フランス革命はかつては参照すべきモデルだったが、今は比較の対象に変わった」という趣旨の論考をフランス語で書いています。他方、スイリさんはフランス革命を近代市民革命のモデルにして、明治維新は不徹底なブルジョワ革命だったとか、日本の近代化はどこが足りないとか、ねじれた近代だったとか、そういう見方を「欠如史観(lack history)」と言って批判しています。ただ、僕はフランス革命やヨ ーロッパ近代を理念化することによって、そこから現代日本を批判するという最後の世代に属しています。
福井 僕は違うな。比較は必要だけど、理想化しては駄目だと思う。
三浦 うーん。欠如史観がよくないというのはどうなんだろうか。西洋近代をモデルにする「近代主義者」というレッテルで丸山眞男がよく批判されました。でも、理念的モデルがあって日本を批判する視座を初めて獲得できる。それを否定し去るのはおかしいと思う。例えばセルナさんが掲げているのはフランス革命の理想です。彼はそれがあくまで理想で実現されているとは言ってない。理想と現実の間には乖離がある。そういう意味でフランス革命は終わっていないわけです。この点ではセルナさんに共感します。
三谷 半分ぐらいは理解できます。人間は自分だけ見つめているとすぐに自惚れる。だから他者という鏡を二枚か三枚は持っていた方がいい。ただ、普遍的理念の実現方法には注意しないといけない。その方法を間違えると犠牲者がたくさん出る。上手にやると少ない。例えば現代の中国を考えてみましょう。党の強大な権力の下でいかにして自由の領域を広げていくか。それは理念を唱えるだけでは全く歯が立たない。暴力ももちろん使えません。どういう風に隙間を見つけて息ができる空間を広げていくか。以前、編著で『東アジアの公論形成』(東京大学出版会、二〇〇四年)という本を刊行しましたが、元々自由のイデオロギーも経験も乏しい社会で、どう政治的自由を可能にするのかを問うた本です。どんな立派な理屈を唱えたって、人々がそれを受け入れなければ駄目なわけです。理念重視ではかえってうまくいかないことも多い。中国みたいな巨大な国家がある方向に走り始めて止まらない状態になったときに、途中で進路を変えるにはどうしたらよいのか。そこを視野に入れないと、これからの革命論はやっても意味がありません。中国だけじゃない。トルコも危うい道を選びつつある。中央アジアの諸国も追従している。現代世界の基本問題です。
歴史の終わり?――八九年以後
三浦 本書には、フランス革命二百周年記念国際大会における柴田先生と遅塚先生の報告「日本の歴史学におけるフランス革命像」を収録しているのも大きな特長です。この大会では憲法学の樋口陽一先生も報告された。「四つの八九年」という論考です(『共和国はグローバル化を超えられるか』平凡社新書、二〇〇九年所収)。一六八九年の権利章典、一七八九年の人権宣言、一八八九年の明治憲法、そして天安門事件があった一九八九年の革命二百周年。この四つの八九年を通して日本を立憲主義の世界展開の中に位置付けた。もう一人、大会で報告したのが西川長夫先生。彼は国民国家建設のプロセスでは、フランス革命も明治維新も同じだと指摘した。どちらも革命だとはっきり言ったのは西川さんが初めてではないか。フランス革命をモデルにして、明治維新の足りないところを議論する「欠如史観」のアンチテーゼです。さらに極端に単純化していえば、国民国家はナショナリズムや植民地主義という悪の根源だという。
三谷 九〇年代の日本史学でも流行りましたね。国民国家のマイナス面を暴くのがテーマになった。
三浦 フランス革命礼讃ではない発表を西川さんは八九年のパリでやっている。それが彼の国民国家論の出発点になった。フュレのような修正派とはまた違うけれど、これは非常に重要な問題提起だったと思います。こうしたポストコロニアル的切り口での批判は、日本はフランスよりもずっと早かった。
三谷 確かに当時の社会科学系の大学生は西川さんの本をよく読んでいました。私は別の糸口からナショナリズムの負の側面を考えるようになりました。当時中国や韓国から留学生が大量に来るようになっていた。私は彼らと話すうちに二十世紀前半の日本が隣国と大きな問題を引き起こしたことが気になり始めた。ただし、国民国家論の方々と違って、国民という言葉を追放すれば世の中がよくなるとか平和になるとは考えなかった。国民と市民の指す対象はほとんど重なります。国民という言葉を追放すると、社会をよくしようとする主体がなくなってしまうのではないか。ここで市民という言葉が必要になる。英語でnation を使う場合には外部に対抗者ないし敵がいる。社会の内部を意識するときはcitizen を使う。ただ日常的にcitizen を使ってきたアメリカでも九・一一からnation を使うことが多くなった。秩序を作る主体を言うときは市民、外国を意識するときは国民。こうした使い分けがこれからは必要ではないか。国民国家論は単純に走りすぎたのではないかなと思います。
福井 我々の足元ではまた別の事態が進行しています。日本の外国史研究も一次史料を参照することがものすごく簡単になってきた。それによって非常に限定されたテーマで研究が行われています。確かに現在では一般に博士論文を書かないと大学などでの専任ポストはありません。ただ、知的生産というのは、どこかにポストを得て生きていくためだけではなく、社会的発信がなければ趣味になってしまう。問題を広い時代的脈略に位置づけてとらえるとか、多様な比較の視点をすえてみるといった思考の姿勢が、いまこそ必要になってきているように思います。
三谷 維新史研究も同じ問題に直面しています。一次史料を丹念に読むのは大事ですが、今の問題を敏感に感じてほしい。その関心が直接論文に出るのはまずいが、現在を意識しながら問題設定してほしい。そうすると、読んだ人に研究の意義が伝わる。感動を呼び起こさない論文は自他ともに意味がないんじゃないか。(了)
二〇一八年十月十九日、白水社編集部
三浦信孝(みうら・のぶたか)
1945年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。中央大学文学部教授などを経て、現在、日仏会館副理事長、中央大学名誉教授。著書に『現代フランスを読む』(大修館書店)、編著に『近代日本と仏蘭西』(大修館書店)、『自由論の討議空間』(勁草書房)、『戦後思想の光と影』(風行社)他。
福井憲彦(ふくい・のりひこ)
1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。学習院大学文学部教授、学習院大学学長を経て、現在、日仏会館理事長、学習院大学名誉教授。著書に『〈新しい歴史学〉とは何か』(講談社学術文庫)、『時間と習俗の社会史』(ちくま学芸文庫)、『世紀末とベル・エポックの文化』(山川出版社)、『ヨーロッパ近代の社会史』(岩波書店)、『近代ヨーロッパの覇権』(講談社学術文庫)他。
三谷博(みたに・ひろし)
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。東京大学大学院総合文化研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、東京大学名誉教授。著書に『明治維新とナショナリズム』(山川出版社)、『ペリー来航』(吉川弘文館)、『明治維新を考える』(岩波現代文庫)、『愛国・革命・民主』(筑摩選書)、『維新史再考』(NHKブックス)他。