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[特集]アニー・エルノー ノーベル文学賞受賞を受けて 【座談会】堀茂樹×小倉孝誠×森千夏

2022年度のノーベル文学賞を受賞したフランスの作家アニー・エルノー。12月10日の受賞記念スピーチでは、race(人種)という言葉をあえて古い用法で用い、「階層を同じくする仲間の雪辱を果たすvenger ma race」という表現を使って、自分にとっての「書く」という行為の切実さを語りました。『ふらんす』2023年2月号ではアニー・エルノーを特集。エルノーを日本に紹介した訳者の堀茂樹さんと、長年エルノー作品に親しんでこられた小倉孝誠さん、森千夏さんによる座談会を収録しました。その一部をお届けします。

ノーベル文学賞受賞の知らせを受けて

小倉孝誠:フランスの作家アニー・エルノーがこの度ノーベル文学賞を受賞したということで、彼女と彼女の作品を巡って、翻訳者である堀茂樹さんとエルノー研究をされている森千夏さんと、これからお話していきたいと思います。まず今回のノーベル文学賞受賞に関して、どのような感想を持たれましたか?

堀茂樹:ノーベル文学賞の発表は10月初めでしたね。実は、ここ5年ほど毎年その時期にある通信社から、エルノーがノーベル文学賞の有力候補になっている、受賞の際には夜8時過ぎに電話で知らせるから一晩で原稿を書いてくれと予約されるようになっていました。受賞の可能性については半信半疑でした。まさかという気持ちがあって別に原稿も用意せず、その日は夜8時半頃までうっかりしていました。そこへ、その通信社や他の新聞社から電話がかかってきたんです。アニー・エルノー本人も、台所にいるときに受賞の報を聞いたらしいですが、やはり吃驚しました。本人に失礼かもしれないけど、「マジか?」と思いました(笑)。その後もメディアからどんどん電話がかかってくるんですね。翻訳者に過ぎない私でさえ、その後数日は忙殺されました。


堀茂樹さん

 第二次大戦から21世紀初頭にかけてのエルノー自身と時代の歩み、個人と集団の記憶を綴った傑作Les Années(2008. 『歳月』未訳)の英訳が2017年に出たことで、世界的な評価が一気に高まり、2019年のブッカー国際賞の最終選考にも残りました。そういう前触れはありました。にもかかわらず、なぜ私がエルノーの受賞に意外の感を覚えたのかというと、バルザックとかトルストイとかドストエフスキーとか、ああいうスケールのものこそが偉大な世界文学だという「偏見」を今も私が保持しているからです。

 その観点から見て、エルノーの作品はひじょうにクオリティが高いとはいえ、けっして大型作家のものとは言えません。ただ、見方を変えれば、アニー・エルノーの文学的実践の質が高く評価されて、普遍的なものとして認められるようになってきたのだろうとも思います。各国で学位論文の対象になることが多いのもその証左ではないでしょうか。だから意外ではあったが、考えてみれば正統な受賞かな、と。また勿論、かつて自分がフランスで掘り出してきて、心をこめて日本に紹介した作家だったので、個人的にはたいへん嬉しく感じました。でもやはり驚きました(笑)。

小倉:私はかつて、森さんが大学院時代に論文の指導をする機会があったんですけれど、そのときに森さんはアニー・エルノーでたいへん立派な修論を書かれました。指導する立場でもあったので、実はそれがきっかけでアニー・エルノーを少しまとめて読んだんです。以来、エルノーの作品は常に追っています。森さんは今回のエルノーの受賞をどう受けとめていらっしゃいますか?


小倉孝誠さん

森千夏:一読者として今回の受賞はすごく嬉しかったですね。これをきっかけにもっと日本の人に彼女の本を読んでもらいたいです。とくにこの20年ほど、私は彼女の作品の勇気や女性の生き方といったものに感銘を受けて生きてきたのですが、もっと日本の女性が彼女の作品を知ったら勇気づけられるのに、生き方が変わるのに、と強く思います。堀先生がさきほどおっしゃったように、アメリカで翻訳されたのがよかったですね。その後、『シンプルな情熱』や『事件』も映画化されました。ノーベル賞関係者も「女性と社会状況」などに言及していましたが、やっぱりMeToo運動なども後押ししたんじゃないかなとも思いました。


森千夏さん

 先日、フランスのラジオでも言われていましたが、ここ最近のフランスの受賞者であるモディアノやル・クレジオはどちらかというと権威で、エリートが好むような作家であり、大衆全体が読んでいるような作家ではない。それに対して、アニー・エルノーは商業的にもすごく成功している作家ですよね。いろんな人が読んでいて、Elle parle de nous. Elle parle de notre société. (彼女は私たちについて、私たちの社会について書いている)と言われている。エルノーは我々の同時代の作家であり、私たちのことを語っていると。だから、これほど彼女の受賞がフランスで喜ばれているのだと思います。エルノーは現在82歳ですが、今は女子高校生も読んでいる。彼女の作品を通して自分のおばあちゃんの世代や自分のお母さんの世代について知る機会にもなる。なるほどこんなにも身近な人が獲ったということが嬉しいんだろうなと強く感じました。でも多分、日本ではその辺りがあまり伝わっていなくて、少し温度差があるなと思いました。

小倉:私も先ほどの堀さんと同じで、意外という印象は確かに持ちました。ただ4年前の2018年、ノーベル文学賞が授与されなかった年がありましたね。あのときに、いろんな国で、もし受賞するなら誰がふさわしいかみたいなアンケートがあったんです。フランスの作家ではアニー・エルノーが入っていました。そのときにトップで入っていたのはマリーズ・コンデです。実際、ノーベル文学賞の代替賞としてスウェーデンの市民団体が設立した「ニュー・アカデミー文学賞」を受賞しています。

 誰がノーベル文学賞候補になっているかというのは、50年経たないと公にされないことになっているのであくまでも下馬評にすぎないのですが、先日フランスからある研究者がやってきて、ちょうどこの話題にもなり、もちろんエルノーは高く評価されてるけれども、もしかしたらウエルベックも候補になってるかもしれないと言っていました。数年前から堀さんが毎年のようにマスコミから連絡をもらうということからもわかるように、エルノーが候補になっていたことはまず間違いなかったのだとは思います。英訳が出て、それが評判になったことも大きなインパクトを持っています。やはり彼女の作品の内容、特に女性の社会における立場や広く言えばジェンダー的な問題も重要な点です。彼女は決して、いわゆるフェミニズム運動などを声高に叫ぶタイプではないですが、作品がそういう側面を持っていることも事実なので、その辺りが評価されたのかなという印象は持ちましたね。

フランスでの賛否

堀:直前のフランス・メディアによる情報や、あるいはネットの情報では、ウエルベックを推す声がかなり強かったですね。アニー・エルノーの受賞直後は、特にSNS上で様々な反発が出ました。これには現代政治の問題が関係しています。文芸誌「すばる」にも書いておきましたが、アニー・エルノーは作品の中で政治的な意見を述べているわけじゃないんです。しかし、著名な市民としては、社会問題に関する共同声明に名を連ねたり、政治的デモに参加したりもしています。それはもちろん議論の余地のある彼女の立場取りであり、私自身も、自分の傾倒する作家アニー・エルノーのオピニオンだからといって、すべてに賛同というわけにはいきません。フランスでは、「あんなことをやってる人がノーベル文学賞を受賞するなんて」という反発がかなり強く、逆に「ああいう政治参加の人だからこそ」というポジティブな評価も負けていません。

 それを遠目に見て思うのは、作品を脇に置いて、ノーベル文学賞の作家についてもっぱら政治的な立場や態度表明などを云々するのはどうなのか、ということです。本来、作品自体の迫真性や、作品が時代や地域を超えて持つインパクトなどによって選ばれるべきものなのに、ノーベル財団の方にも、今は女性の時代になってるから女性を選ぶとか、そういった表面的な思惑で選んでいるかのように思わせる側面があります。世間、とくにメディアはそういう面を取り上げたがる。世間はとかく作品そっちのけで、作家の政治的発言や社会的アピールに注目し、どうかすると肝腎の作品をそうした表層に還元して分かった気になる。それはあまりにも浅はかでしょう。

 たしかにエルノーは、従来あまり文学で扱われてこなかった女性の経験や社会階層の心理を積極的に取り上げている。エルノー作品はマニフェストではないけれど、その作品を書く動機や情熱に関していえば、社会的な反抗や抵抗にほかならない。そこには、ある社会階層から別の階層に移った「階層越境者」としてのエルノーの鋭い自覚がある。でも、だからこそ彼女は隙のない書き方を、つまりブルジョワジーの側に上から目線で見ることを許さない書き方をしています。下層の生活を悲哀の中で美化するとお涙頂戴的なセンチメンタリズムになり、上から目線で「そうそう、かわいそうな人たちね」と同情されてしまう。そんなことは悔しいし、やりたくないわけです。また、上の方の階級に身を寄せて、下層の側にもそれなりの文化と誇りがあることを無視するようなことは論外ですね。エルノーには階層越境者に固有の屈辱と抵抗の気持ちがあって、それが作品をすっくと立たせている。媚びないテクストにしている。

 けれど、繰り返しますが、作品の中で善悪の議論はしていません。どっちがいいとか悪いとかいうことは宙づりにして、作家エルノーはあくまで、現実を構成する事実の忠実な反映としての真実を追求してるんです。そのようにして彼女の作品はあるのに、フランスで、日本で、そしておそらくはそれ以上に英米世界で、現代の進歩主義対保守主義の話題のイラストであるかのように、本当は主題である筈の作品の意義を語ることが多いと思うんです。私はそこは疑問に思っている。深く疑問に思っています。それでは、文学の本当の凄さは理解されないんじゃないか、と。

小倉:今、堀さんがおっしゃったエルノーの社会階層的な側面は、確かにエルノー文学の中心的問題のひとつですね。実際、エルノーは現代社会学、例えばブルデューなどを非常に高く評価していますし、実際ブルデューについて書いた文章もある。逆に、社会学者たちも、現代の作家の中でエルノーを非常に重要視し、高く評価していることも、決して理由のないことではありません。

堀:それだけに、そこにイデオロギーの論争が実はあるんですよね。

小倉:あるかもしれません。でも個人的にはやっぱりそこを抜きにしてエルノー文学は語れない気もするんですね。もちろん彼女の文章そのものは非常に中立的というか、彼女自身がécriture plate(平板なエクリチュール)という言い方をしますが、彼女の作品のもつ社会学的な面については後ほど改めて触れることにしましょう。

 

悲痛な体験を描いた『事件』と映画『あのこと』

小倉:日本語訳では『事件』と訳されているL’Événement(2000.邦訳『事件』2004年)が映画化され、2022年12月に『あのこと』というタイトルで日本でも封切られました。ヴェネチア国際映画祭でも最高賞の金獅子賞に輝いたこの問題作を、座談会に先駆けて我々も見ました。原作は自伝的なもので、妊娠してしまった大学生のアンヌが孤独で壮絶な体験をします。この作品の歴史的な背景に触れておくと、フランスは1975年になるまで人工妊娠中絶が法律的に禁止されており、それがシモーヌ・ヴェイユが厚生大臣のときに合法化されました。いわゆるヴェイユ法です。映画も原作も、このアンヌの身に起きたことがそれ以前の話であるという前提をまず押さえておく必要があります。

堀:設定は60年代前半ですよね。原作と映画は簡単には比べられないとは思いますが、ご覧になってどうでしたか?

森:映画自体は、もう本当に痛かったです(笑)。見るのが本当に辛かったですね。実際ヴェネツィア国際映画祭では上映途中で退出した人もいたそうで、やはり中絶にまつわる描写はきついものがありました。本を読んだときには自伝だとは知らずに読んでいたのである程度冷静に読めましたが、実際に映像を目で見るのはこんなにも辛いものなんだということも痛感しました。本当にお腹が痛くなるような感じで、でもその感覚は、実は原作を読んだときも一緒でした。読みながら本当に辛くなる。

 映画が原作と印象が違うなと思ったのは、映画にはあまりにもモノローグがないことです。主人公アンヌは「痛い」とか「辛い」とか「苦しい」とか「中絶したい」とか、そうしたことをほとんど口にしない。なんでこの人はこんなに喋らないんだろうと思って、途中で気づいたんですが、本の中の語り手は、当時のことを30年以上経ってから振り返って書いている60歳ぐらいの〈私〉ですが、映画ではこの語り手の〈私〉の視点がなく、23歳のアンヌにフォーカスしている。23歳当時の〈私〉は、友達にも、まして家族にも話せないし、気づかれてもいけない。自分だけ周りと全然違う存在になっていくけれど、誰にも何も言えない。それが、自分の部屋の中でとにかく自身の体と向き合うしかない、すべての怒りや苦しさを閉じ込めたあの押し黙った表現になっているんだということに気づかされました。

 エルノーは処女作Les Armoires vides (1974. 『空(から)の洋服ダンス』未訳)でも中絶をテーマに自伝的小説を書いていますが、荒々しい言葉遣いで、苦悩の叫びや社会に対する抗議を表すような文体なのです。映画では、そんなことを胸の中で思っても、書くこともできないし、書くときにも「中絶」や「子供」という言葉は使っていない。「妊娠」という語は当時の〈私〉は一度しか使っていないと語り手は回顧していますが、なんという追い込まれた状況で生きていたんだろうと思いました。

堀:目を背けたくなるけど見なきゃいけないものが提示されていますね。カメラワークが、エルノーのテクストの〈私〉という一人称を生かしています。視覚芸術である以上、主人公のアンヌの姿を外から撮らなきゃいけないので制約があるものの、それでも観客はアンヌを通して他の人物たちと出会うような形になっていました。そこがこの映画のポイントの一つかなと思いました。[…]

続いて「ヴェイユ法と中絶をめぐる日本の状況」「エルノー作品との出会い」「自己を語るエクリチュール、あるいは写真」「エルノーの文体と文学的立ち位置」をテーマに議論が交わされました。座談会の全文はぜひ『ふらんす』2023年2月号でお楽しみください。

2022年12月4日水道橋にて
構成:ふらんす編集部

◇堀茂樹=慶應義塾大学名誉教授。アンスティチュ・フランセ東京講師。訳書にエルノー『シンプルな情熱』『場所』『ある女』『嫉妬』、トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』

◇小倉孝誠=慶應義塾大学名誉教授。著書『革命と反動の図像学』、訳書ルジュンヌ『フランスの自伝』、フローベール『紋切型辞典』、ユルスナール『北の古文書』

◇森千夏=文化学園大学他非常勤講師。20世紀フランス文学

『ふらんす』2023年2月号では、佐藤久理子さんによる映画『あのこと』監督・主演女優インタビュー、須永美奈子さんによる「アニー・エルノーと私」も掲載しています。Karyn Nishimuraさん「C’est vrai ?」、じゃんぽ〜る西さん「フランス語っぽい日々」もアニー・エルノーがテーマです。ぜひあわせてお楽しみください。

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