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ふらんす2017年12月号特集

特集「アフリカの〈存在感〉」

アフリカの「プレゼンス」「現前」を名に冠した、黒人文化総合雑誌Présence Africaineが創刊されて、今年で70周年。1950年代のアフリカ脱植民地期に重要な役割を果たした、この歴史的雑誌をめぐる国際シンポジウムが東京で開催されました。

雑誌Présence Africaine

>シンポジウム詳細
 アジア・アフリカ言語文化研究所
 「『プレザンス・アフリケーヌ』研究 新たな政治=文化学のために」


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「亀裂の上に世界を作る 国際シンポジウム「『プレザンス・アフリケーヌ』研究」
佐久間寛


 『プレザンス・アフリケーヌ』(以下PA)とは多義的な名である。1947年から現在まで続く黒人文化誌の名であるとともに、同誌を刊行する出版社、同社に併設された書店の名でもある。しかもこの名の下に集うた言葉と人は、アフリカばかりかカリブや南北アメリカの反植民地主義運動を後押しした。つまりPAとは超域的な黒人文化運動の名でもある。

 本年8月PA誌刊行70周年を記念する国際シンポジウムが東京外国語大学で開催された。8カ国21名の研究者が全3日間報告を行い、159名の来場者を集めた。主要言語はフランス語だった。

 シンポジウム企画者の念頭に準備当初からあったのは、1956年にPAがパリで開催し、エメ・セゼール、レオポル・セダール・サンゴール、フランツ・ファノン、リチャード・ライトといった知識人が一堂に会した、黒人作家芸術家会議である。当時PAは黒人自身が黒人文化を語る場として他に類のない輝きを放っていたが、同会議はその輝きを象徴する出来事だった。あの神話的会議の「精神」を再現する場を作り出すこと。それが本シンポジウムの目指すものだった。無謀な試みだったかもしれない。しかし想像以上の成果が得られたことも確かである。

 シンポジウムの口火を切ったのは、PA誌現編集長フォンクアの基調講演である。PA創刊の背景や創刊者アリウン・ジョップの構想、そこから始まるアフリカに向けた言論の展開を解説すると同時に、党派・地域・イデオロギーを捉えたPA の立場性──「プラットフォーム」としての役割──を指摘するものだった。…


PAの初代編集長アリウン・ジョップ
by Bruce Clarke

 (続きは『ふらんす』2017年12月号をご覧下さい)

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「PA編集長フォンクア氏に聞く」




 ──雑誌の今と昔をどう見ていますか?

 『プレザンス・アフリケーヌ』(以下PA)は3つの挑戦でした。1つ目は創刊の挑戦。黒人世界を知らしめる知識人の雑誌として戦後フランスに存在した雑誌すべてと競合しました。2つ目はプラットフォームとしての挑戦。PA はアフリカに関するどんな問いも排除しません。経済から哲学まで何でもです。3つ目は二種類の読者を相手にするという挑戦。一方でヨーロッパ人は黒人問題を知らず、他方でアフリカ人も自分たちのことをよく知りませんでしたから。

 1980年に創刊者アリウン・ジョップが他界しますが、彼の死後に根本的な課題が生じたまま現在に至ります。何より後継者不在のなかでPA をどうするかという問題がありました。数年間[90 ~ 94年]は休刊だった時期もあります。雑誌継続には知識人兼政治家である協力者を探す必要がありました。だがジョップ以後の世代でどちらの要件も満たす者を見つけるのは難しい。大半の知識人がアフリカからの亡命を余儀なくされていることも今日の課題です。

── PA の現在の言論については?

 アフリカの統一はもはや今日の課題をなしません。アフリカの名のもとに語るアフリカ人たちが隅っこから意見を言い立てますが、論拠もなければ議論もなく、建設的な基盤を作れません。少なくともPA が知的な雑誌であり続けるよう編集長として努力しています。

──編集に関わった経緯は?

 90 年代からPA に時おり協力していました。最初の記事ではサンゴールがいかにフランスの知識人になったのかを論じました。それからジョップ夫人から編集委員会参加の打診があり、やがて編集長になりました。とはいえジョップの死後に編集長であるのは実に大変なことですよ。

──今回のシンポジウムの印象は?

 主催者のみなさんに感謝の気持ちを何より伝えると同時に、雑誌を続けなければならない責務を改めて感じています。シンポジウムで問われるアフリカの統一、言語、学問などの問題は将来のPA の糧になるでしょう。それはかつてジョップが突き当たった問題でもあります。

──言語問題については?

 アフリカ諸言語で書けば解決するとは思いません。フランス語や英語は植民地の言語である一方で、アフリカ諸言語の垣根を越える伝播性を有しています。ルワンダ大虐殺は言語面で見れば一方が他方の現地語を殺害した現象です。現地語こそが自分たちの考えを表現できる唯一の手段だとする見解はおかしい。

 現在、フランス語も英語もアフリカ的になっています。ウォレ・ショインカの英語は、規範的な英語ではなく、ナイジェリアの社会的現実と結びついた英語です。フランス語や英語なのにまるで母語で表現しているかのようです。その状況を強調しておきましょう。

(2017年8月24日、聞き手/構成:中村隆之)

『ふらんす』2017年12月号に、ロミュアルド・フォンクア氏による講演「『プレザンス・アフリケーヌ』:理念の歴史、行動する思想」、中村隆之さんによる「『プレザンス・アフリケーヌ』とフランスの知識人」、佐久間寛さんによる「亀裂の上に世界を作る 国際シンポジウム「『プレザンス・アフリケーヌ』研究」の全文も掲載しています。ぜひあわせてご覧下さい。

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