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パリ・オリンピック見聞録(後半) 深川聡子

その3: 「庶民のお祭り」でもあった

 事前散策の予想でひとつ明確に誤っていたことがあります。「短い会期に美観を満喫するにはチケット購入が必要」というくだりです。大変失礼いたしました 。メディアが大会を称して « une grande fête populaire »「庶民の」「人気のある」大きなお祭りと呼ぶとき、それはお金を使わなくても参加できてこそ、なのでした。

チャンピオンズ・パーク
 会期が進むにつれて口コミやメディアで評判が広まったのが、トロカデロ広場の「チャンピオンズ・パーク parc des champions」。会期中は連日午後からメダリストの祝賀セレモニー、パブリックビューイングやパフォーマンス、DJイベント等がプログラムされており、これが出入り自由(もちろん待機行列と荷物検査はありますが)、無料で開放されていました。エッフェル塔を望むこんな一等地に、巨大画面で座ってビューイングができて、競技会場にはないアルコール販売もあって、いわゆる「控えめにいって最高」でした。

 足を運んだ夕方はサッカーの男子準決勝の最中で、フランスが負けた試合でしたが、勝ったスペインを応援する人たちの臆することない明るさもあって、最後まで大盛りあがり。設営中のバリケードを外から見上げて「セレブしか入れない場所にちがいない」と思い込んだ自分のさもしい根性を問い詰めたい!
 期間中はパリ市内外の各地でパブリックビューイング、あるいはスポーツやゲーム、スペクタクルを無償で楽しめるオリンピック関連スポットが多く設けられており、「パリ・プラージュ」のような既存の夏休み向け設備を融合させた場所もありました。フランスの人々のヴァカンスの娯楽とお祭りに対する本気の度合を知った気がしました。

沿道観戦:トライアスロン
 無料といえば、自転車ロードレースも、トライアスロンも、マラソンも、沿道から自由に声援を送ることは十分に可能でした。安全が守られ、無事に試合が開催されて、本当に良かったです。こうした競技は主に午前中開催で、朝寝坊の私には厳しいものがありましたが、トライアスロンの日はアレクサンドル3世橋の観戦スタンドの裏側近くに立ち寄ってみました。男子の試合が水質問題で延期され、早朝開催の女子の試合に続いて実施されることとなったため、朝寝坊でも間に合ったというのが本音です。
 セーヌの水を見てやろう、などと多少意地悪な気持ちを抱いて足を運びましたが、目に飛び込んできたのは河岸を覆う人だかり。自転車の一群が通り過ぎる一瞬を捉えたつもりが、写真に映っていたのは沿道の人だけでした。これだけの人に声援を送られて走る選手たちは嬉しいに違いありません。

沿道観戦:女子マラソン
 大会最終日の朝は、気合を入れて早起きをして、女子マラソンの観戦に出かけました。41キロ地点の手前の並木のある沿道に、通過予想時間の40分ほど前から場所取りをして、スマホでOlympics公式アプリの経過記録とFrance TVアプリの中継映像を交互にチェック。近くにいた日本の方のスマホからは増田明美さんの声が聞こえ、不思議なような、心強いような。
 大型ヴィジョンが何でも教えてくれる会場観戦とは異なり、道路で目の前を走る選手が誰かを知るには、近くの人との情報交換がものを言います。さっきのはどこの国の人?アプリの画面のこの国旗はどこの国?なかなか現れない最終ランナーのブータンの選手を待つ間、隣のお兄さんと何となく意気投合し、観戦体験のお喋りに花が咲きました。ゴルフ場が最高だった、とか、前日の深夜に同じコースで開催された「皆のマラソン(marathon pour tous)」も盛り上がったらしいよ、とか。最後の選手がようやく現れたのはお昼近くでした。ゴールのアンヴァリッドの方まで一緒に歩いてくるよ、オリンピック精神だからね、と去って行くお兄さんを見送る空に、飛行機雲。

 沿道からの観戦は、座席がないぶん応援する方も自由なもので、暑ければ日陰に移動すればよく、見えなくても散歩の一部だと思えばそれほど悔しい気もしません。声援を送る人の横で雑談する人、昼間から一杯ひっかける人。アスリートが通り過ぎればそのまま日常に戻る人もいて、オリンピックとの関わりは当たり前ながら人それぞれ。どっぷりと観戦にはまった自分を客観的に振り返るひとときにもなりました。

その4:まさに「世界中から人が集まる祝祭」だった

歓待の準備
 「世界中から人の集まる祝祭を楽しみたい」――下見のときの願いは、予想をはるかに超えた満願成就。それというのも、世界中の人を迎えるための準備が周到に行われていたからです。
 警察官や憲兵隊、セキュリティが本当に厳重だったこと。ボランティアの人数が多く、案内が行き届いていたこと。チケット販売のシステムと、試合前日まで機能するリセール制度の仕組みがスマートだったこと。大会&チケット&交通、3つの公式アプリが便利で使いやすかったこと。会場周辺で電波が落ちる経験をしなかったこと。電車の本数が多く、流れがスムーズだったこと。電車やバスの新車両にUSBの充電プラグが備えられていたこと。会場内にも街中にも飲料水の水道やミストが多く設置されていたこと。仮設トイレがたくさんあったこと。観光のグローバル化が進み、求められるインフラのレベルが上がるなか、ここまでの準備が整ったのはすごいと素直に思いました。


 世界の富裕層がサービスの質をどう感じたのかは想像もつきませんが、世界中から集まる観客の経済力を待ち構えるように、シャンゼリゼ通りには公式グッズのメガストアだけでなく、スポンサー企業の体験型施設も並んでいました。競技場付近にはカード会社の「ホスピタリティ・パック」利用者限定の特設ラウンジが設けられ、円安の日本人には目玉が飛び出そうな高価なグッズが飛ぶように売れていました。
 また、ラ・ヴィレット公園内には、フランスチームの応援スポット「クラブ・フランス」を含む「ネイションズ・パーク Parc des Nations」が設けられ、世界14カ国が出展し自国の応援とさまざまなイベントを展開していました。街の中でも、旧証券取引所・ブロニアール宮を借り切った「チームUSAハウス」を筆頭に、さまざまな国がパヴィリオンを出していました。日本はエッフェル塔に近いパリ日本文化会館を会場に「チームジャパン・ハウス」が開かれ、日本選手や東京大会の紹介はもちろん、日本文化・スポーツ体験も世界中の人で賑わっていました。国のイメージアップ、国際交流、ひいては観光インバウンドの誘致に、得難い機会なのでしょう。近代オリンピックの源流に万博があったことはよく知られていますが、今やオリンピックが万博を呼び込む時代なのかもしれません。


語学の効用
 大会中、近くに居合わせた日本からの観客と話をすると、印象はおおむね好意的で、よく聞いたのが「街の表示がわかりやすかった」「人が親切だった」「思っていた以上に英語を話してくれた」の3つでした。フランス語教育に携わった者としては若干複雑な思いがありますが、「外国人には英語を話す」のは国際イベントの共通認識でしょう。各所の文字情報は英仏2言語が基本でしたし、そこかしこで見かける大会マスコット・フリージュのセリフも « One, two, tri ! »(1,2,3 threeと「分別」の tri をかけたゴミ分別の呼びかけ)、« Have a gourde day »(「良い good 一日を」と「水筒 gourde」をかけて、マイボトル持参を推奨)、など、英語とフランス語を掛け合わせた微妙な洒落をきかせていました。


 世界中から集まった観客にとって、観戦に不可欠な「情報」はスマホがあれば手に入り、語学力よりもアプリを使いこなすリテラシーのほうが重要な気さえします。そもそもスポーツは言葉を超えて楽しめるはず。しかし、競技観戦の周縁には移動があり、食事と排泄があり、そこには常に待機と行列があります。そう、オリンピックは「待つ時間」が思いのほか長いのです。ちょっとした「この先どうなる」かは、スマホは教えてくれません。自分で切り抜ける/やり過ごすしかありません。語学力が「役に立つ」のはそこです。
 期間中、街には本当に多くのボランティアの人が動員されていました。駅に行けばパリ交通公団RATPの濃紫のベスト。公式ボランティアは緑系にピンクが差し色のユニフォームで、全体で4万5千人の参加があったとか。
 場外の公式ボランティアは、カンカン照りの下での交通整理からインスタ撮影ボードを持った「写真撮ります」役まで、持ち場の当たり外れは大きそうでしたが、基本的に元気で笑顔。見張り番台でメガホンを持った案内役のなかには、歌を歌ったり、来場者にウェイブを煽る人まであり、サービス精神という以上に、自分たち自身が楽しむことに意欲的な様子でした。


 交通整理や案内にあたって細かいところは本人裁量のようで、案内の台詞もスタイルはひとそれぞれ。「押さないで、電車は次があるよ、命はひとつだよ」「待ってるみんな、暑いし、人多いけど、もうちょっと待ってね、どっちの列も変わらないよ、スーパーと一緒だよ」。炎天下の行列で、ユーモアのきいた心遣いは嬉しく、笑っていると近くの人と目が合い、笑顔が広がりました。月並みですが、語学力は、人とすれ違う一瞬を良い時間にできる、人を人らしくする、自分と相手を元気にする力だと感じました。


 会場の素晴らしさ、スポーツの面白さ、そして人が集まる祝祭のパワー。3年前の東京大会が有観客だったら何が見られていたんだろう……と何度口惜しく思ったことか。結局のところ、一番「予想を超えてきた」のは、自分自身のはまりっぷりだったかもしれません。果たしてこの「五輪ロス」は、2028年のロス五輪の頃にはどうなっていることやら。

パラリンピックとその先
 8月28日から9月8日まではパラリンピックが開催されます。この見聞録を書いている最中にも、オリンピックの成功によってパラリンピックのチケットの売上が伸びているとの報道があり、何をかくそう私自身もオリンピックで行けなかった会場を目当てに観戦チケットをいくつか入手済。スペクタクル性、国による応援の流儀の違い、ビデオ判定の多さなど、スポーツ観戦についてオリンピックで感じた様々なことが、パラリンピック観戦でどう深まるか、自分でも楽しみです。
 パリ市内中心部とヴェルサイユ宮殿の観戦スタンドは会期終了後に撤去されます。コンコルド広場がパラリンピックの開会式の舞台となった後は競技会場に使用されないのも、新年度を迎えて交通の要所としての機能再開を急ぐからでしょう。「元に戻る」ことがレガシーだというのはどこか皮肉な感じもしますが、パラリンピックを前にパリ市内の交通機関のバリアフリーの不足がにわかに取り上げられ、数十年がかりでの変化を予感させる動きも出てきています。お祭りムードの再燃と、インクル―シヴな街に関する議論、そして各々の新学期の始まりとが共存する秋になりそうです。

(ふかがわ・あきこ)

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