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パリ・オリンピック見聞録(前半) 深川聡子

 パリ・オリンピックが終わりました。閉幕直後には「JO(Jeux Olympiquesの略称)」と「nostalgie(郷愁)」を掛けた「JOstalgie(オリンピックロス)」なる造語がメディアに登場するくらい、それは大きな祝祭でした。夏前に会場予定地を歩いて回った様子を雑誌『ふらんす』8月号「きっと予想を超えてくる ―― 開催直前!オリンピック会場散策記」でレポートした後、会期を満喫した感想は「やっぱり予想を超えてきた」! では、どんな風に――手前味噌を並べるようで恐縮ですが、答え合わせのご報告です。

その1:「映え」が桁違いだった

聖火台が浮いた
 オリンピックを迎えたパリの各所が「映(ば)える」であろうことは予想のとおり。それでも実際に目にすると驚きの連続でした。
 たとえば、開会式のクライマックスで皆をあっと驚かせた、気球の形の聖火台。チュイルリー庭園の丸噴水に設置された高さ30 メートルの球体は、夜になると上空にふわりと浮かびます。凱旋門~シャンゼリゼ~コンコルド広場~ルーヴル美術館というパリ観光の大動脈、ミッテラン大統領のグラン・プロジェによって整備された軸線の上に、新たな立体感が生まれていました。

 日中の至近距離での見学は予約が必要でしたが、高さがあるので離れていても見えます。どこをどこからどう撮っても、極上のフォトスポットです。日没近くには、夕焼け空に気球が浮かぶ瞬間を捉えようと辺りは黒山の人だかりで、革命記念日や新年の花火以上の賑わいでした。
 しかも単なる「きれい」では終わりません。「気球のある風景」は、そこに集まる人混みを含めて1783年のチュイルリー庭園での有人気球飛行の初成功という史実の景色を元に造られているのですから。火災のリスクを排除した21世紀のハイテク気球が、それを見る者を240年前の風景に連れて行ってくれるという、時間軸の奥行き。「オリンピックには興味がないけれど、聖火台はよかった」という人が私の周りには少なくありませんでした。

モニュメントと競技観戦
 せっかくだから会場の中からの景色を見たいというもの。開会式の翌日から、競技会場に出かける日々が始まりました。価格面で手が届きやすい、つまりメダルのかかった試合ではない準決勝より手前のセッションを主に見に行ったので、勝敗に熱くなりすぎずに済み、心臓には良かったです。それでも試合ごとに選手や応援の姿にぐっとくる瞬間は必ずあって、競技会場は何よりもまず筋書きのないドラマの舞台なのだと思い知りました。ただ、その舞台がなんという空間であったことか!

コンコルド広場のアーバンパーク
 コンコルド広場では青空でのスケボー観戦がかないました。オベリスクを中心に配された競技施設が、円形やら方形やら形も色もさまざまで、他にも飲食・売店の木造スタンドあり、ベンチあり、噴水あり、全体が遊園地のようでした。実際、敷地内を行き来してスタンドの外から試演や練習を見たり、大型ビジョンで競技を楽しむことのできる「アーバンパーク」の入場チケットが、全席指定の競技観戦チケットとは別に販売されており、家族連れも多く見られました。
 いざ観戦席に登ってみると、聖火台はもちろん、シャンゼリゼもルーヴルも見えるという意味では、例年クリスマスに設置される観覧車と似ていますが、最上段でも高さは向かいのリヴォリ通り沿いの建物の最上階ぐらいで、街の賑わいと空で繋がっている感覚は格別でした。ボーダーたちの自由な動きを追いかける視野の端で、噴水の水のきらめきや、宙返りをする自転車や、飛び交うバスケットボールが目に入ったりもして、あふれんばかりの祝祭感。スマホのカメラの広角レンズでは収まりきらない広々とした空間が、ストリート生まれの競技にとても似合っていました。

エッフェル塔スタジアム
 ビーチバレー観戦に訪れたエッフェル塔スタジアムのスタンド上段の眺めはまさに「vue imprenable(遮るもののない眺望)」。普段ならトロカデロ広場やエッフェル塔「から」見るモニュメントを、今ここにしかない高さから対象として一堂に見渡せるのです。


 ビーチバレーのコートの北にエッフェル塔がそびえ、橋脚の合間からはイエナ橋、トロカデロ庭園と広場、シャイヨー宮まで覗けます。反対に南東を向けば、同じ軸線上に、仮設施設の並ぶシャン・ド・マルス公園、十字形のシャン・ド・マルス・アリーナ、さらにその先にモンパルナス・タワー。壮大なスケールの空間と、その中心で身体だけをバネに跳ぶ選手とのコントラストは鮮烈でした。
 ちなみに、モンパルナス・タワーには、会期前から競泳のレオン・マルシャン選手を起用したLVMHの巨大写真広告が出ていました。飛び込み台でスタートを待つ姿が、モニュメントの点と点を繋ぐ南北の軸線を見据える、まさにその選手が今大会最大のヒーローとなり、終いには閉会式で聖火を届けたわけです。なんというか、出来過ぎじゃないでしょうか。

馬がつなぐ軸:シャン・ド・マルス・アリーナ
 柔道は決勝のチケットが入手でき、君が代を聴けて胸が熱く……という自慢はさておき、会場のシャン・ド・マルス・アリーナについて。グラン・パレの改修期間中の代替施設として取り壊しを前提に建てられた、軽やかな木材の建物ですが、中には重厚なブロンズの騎馬像が! 調べてみれば会場が位置する広場に元からあった「ジョッフル元帥騎馬像」をアリーナ内に移設したものでした。しかも設置された1939年当時から、セーヌ川の対岸・トロカデロ広場の「フォッシュ元帥騎馬像」と正確に向かい合っており、大会会場でもその向きが再現されている、とのこと。

 エッフェル塔を挟んだ南北の軸線を司る騎馬像!想像をふくらませると、中間地点のイエナ橋の上の馬たちのいななきが聞こえそうです。セーヌ川を東から西へと疾走していた、開会式の機械仕掛けの銀の馬も脳裏に蘇ります。歴史を細部まで尊重することが、新しい物語の布石となり、見る者に謎解きの喜びを与え、それが次の歴史として語り継がれてゆく。パリの街を舞台にしたことの意味を改めて考えさせられました。(この場所で最後まで輝きを放ったテディ・リネール選手の大きさについても。)

ヴェルサイユ宮殿
 会期が進むにつれて欲深くなり、ついにはヴェルサイユ宮殿にも足を伸ばしました。リセールで粘って試合前夜にチケットを入手したときは思わずガッツポーズ。
 競技会場は宮殿本館から西へゆくこと約2.5 キロ。観戦スタンドは南北西の3面で設営され、全ての席から競技スタンドの東向こうに大運河を挟んでお城を望むことができます。宮殿を訪れた人が「あそこがオリンピックの会場だ」と指を差しているであろう、その鏡写し。森が切り取る地平の中に、幾何学的な池の配置、人工的な植栽の整形、シンメトリー(左右対称性)と、フランス庭園の基本の論理を浮かび上がらせる会場設計にうなりました。

 観戦したのは近代五種でした。フェンシング用のエアー式屋根(写真のオリンピック旗の下に仕込まれ、競技前に膨らませて設営)や25 メートルの小ぶりなプールは若干キッチュな感じもして、王侯貴族の世界線上に設けられた意味を邪推したくもなりましたが、宮殿の敷地を背景にひときわ印象に残ったのはやはり馬。障害を飛び越え、静かに駆ける馬の美しさ、動物をコントロールしようとする選手の動きや気遣い。会場見たさに来場して競技の面白さを知った、自分のような人はきっとたくさんいるんだろうなと思いました。

 モニュメントを活用した屋外会場での競技観戦は、本当に貴重な体験でした。試合という物語=歴史をお膳立てする、今だけの舞台という贅沢。ですが開放感と美しい景色は直射日光とバーターで、屋根のない炎天下は逃げ場がなく、また降雨の影響も直撃します。今大会は序盤に降雨と猛暑が交代で訪れ、トライアスロンをはじめ日程が変更された競技もあり、気候変動にまつわる問題がさまざまにクローズアップされました。
 訪れたどの会場でも最良のフォトスポットには必ずカメラが設置されていて、「映える」映像はこの先100年でも使い切れないほど撮れたでしょうが、見返す未来はいったいどういう視線を向けるやら。贅沢すぎた観戦の喜びにどこか後ろめたさもあり、バブルを振り返る昭和世代に似てゆく自分を少なからず想像しています。

その2:未来のパリを垣間見た

サントル・アクアティック(アクアティック・センター)
 事前の散策ではバリケードの印象が強かったセーヌ・サン・ドニ県の会場では、2つの競技を観戦しました。シンクロあらためアーティスティックスイミングを見に行ったサントル・アクアティックは、近づくと屋根のソーラーパネルが眩しく、壁面は空が透ける美しい建物でした。将来の維持費を理由に計画からサイズダウンされたせいで競泳には使われなかったとのことで、たしかに国際大会会場としては小ぶり。ですが自然光がほどよく入り、水上でも水中でも驚異的に笑顔を絶やさない、優雅でタフなスイマーたちを輝かせていました。ここが市民のスポーツセンターになるのは嬉しいだろうな、と思わせられました。


 一方、サントル・アクアティックとスタッド・ド・フランスを繋ぐ歩道橋は、オリンピック期間中の利用は関係者のみに制限され、自由に行き来することはできませんでした。地域の分断を産んできた高速道路1号線の上にオリンピックが橋を架けた、というストーリーの完成は先延ばしになった格好です。橋の中央に立って、映えるパノラマ写真が撮れなかったのは残念!

スタッド・ド・フランス
 スタッド・ド・フランスでは陸上を観戦。紫のトラックレーンが噂にたがわぬ鮮やかさで、「これまでに使われたことのない色、映像で選手が映える色」として選ばれた、と公式サイトに堂々と記載されているだけのことはありました。4時間近くの長丁場でしたが、フィールド競技とトラック競技が切り替わったり並行したり、スペクタクルのようにテンポよく進行して、退屈する暇がありません。障害物走の準備の途中では、ハードルをエッフェル塔の形に並べました!とアナウンスが入り、遊び心とサービス精神にびっくりしました。


 トラック際には、各競技の勝者が鳴らすことのできる金色の大きな鐘が置かれ、広いスタジアムの中で勝者を輝かせるフォトスポットとして見事に機能していました。実はこの鐘、大会開催後にはノートルダム大聖堂に設置されることが決まっているのだそうです。火災に遭った大聖堂の工事現場をセーヌ川の開会式で演出に取り込んだかと思えば、12月の改修完了に向けて、「あの鐘がオリンピックの鐘だよ」と言わせる未来が既に描かれているというわけです。サン・ドニのスタッドなのだからサン・ドニの大聖堂にも置けばいいのに、などと思ってしまうのは野暮なのでしょう。サン・ドニは開発が進行する「グラン・パリ」地域圏の目玉でもあるのですから。

サン・ドニ・プレイエル駅
 サントル・アクアティックとスタッド・ド・フランスは、大会ひと月前にオープンした地下鉄14番線のサン・ドニ・プレイエル駅からもアクセスが可能でした。オルリー空港直通の延伸が完成した14番線は全駅バリアフリー。終点のサン・ドニ・プレイエルは選手村の最寄駅でもあり、「見せたいパリ」であり、目指す未来の象徴なのでしょう。隈研吾設計の駅舎は、建設予定の地下鉄15~17番線のターミナル駅となる今後を見据え、大きく明るく清潔で空調も快適でした。

 会場からの帰りにはRERのB線、D線も利用してみましたが、駅前には多くのボランティアが案内に立ち、周辺地域のイベントガイドを兼ねた地図を配布するなど、地域のイメージアップを図る取り組みが目立ちました。 パリ北東部やサン・ドニというと治安の悪いイメージがありますが、競技会場に連なるアクセスルートでは「こわい」「きたない」と思うことはありませんでした。
 通行ルートの仕切りにはしばしばオリンピックのロゴの入りの覆いをかけてバリケードがあり、「見せたくないものには蓋」がされたところも少なくないのでしょう。それでも観戦体験はどれも快適で、あのバリケードだらけの状態から最終的には間に合わせてきた、ここまで整えたんだ、という驚きが先に立ちました。

(後半につづく)

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