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特集「生誕150年 ポール・クローデルと日本」

『ふらんす』2018年6月号から、特集の一部をご紹介します。

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彫刻家カミーユ・クローデルの弟にして、フランスを代表する詩人・劇作家……。

駐日フランス大使として両国の絆を深めるのに尽力した、ポール・クローデルを特集します。

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「「共同出生」を目指した詩人大使ポール・クローデル」
中條忍

はじめに

 表題に記した「共同出生」とは?と首をかしげる方もおられると思う。原語はco-naissance で、クローデル独自の理論である。端的に記せば、いかなるものにも過不足があるが、万物はそれを利用し、たがいに補い合い、共に生まれ、共に生きる、といった考えである。つまり、共有、共存である。

 その萌芽となったのが、1898(明治31)年の日本旅行であった。中禅寺湖に向かう途中、クローデルは「松の黒さがかなたの明るい緑と結びついている」ことに気づき、万物の間には「密やかなつながり」があることを実感するのだ。この発見が、「共同出生」へと発展していったのである。それを支えたのが、聖トマスの相互補完の説であった。

 滞日中の彼の足跡をたどると、「共同出生」という考えが一貫して流れていることがわかる。駐日大使として来日したのが1921(大正10)年で、駐米大使に任命され離日したのが1927(昭和2)年である。当時の『東京朝日新聞』は彼を〈詩人大使〉と呼んでいた。まことに彼は、詩人でもあり大使でもあった。

外交官クローデル

 大使として赴任したクローデルには、3つの任務があった。その1つがフランス製品、特に武器と航空機の売りこみである。だが、その対象はレール、紡績機、ガラス、ウール地など、多方面に広がっている。

 もちろん彼は、忠実な外交官であった。しかし、「共同出生」の考えから、互いに過不足を補い合い、相互利益を優先させることを心がけていたのである。「永続的な関係を結ぶには、相互の利益に基づく関係でなければならない」、それが彼のモットーであった。

 当時の日本は、第一次大戦の教訓から航空機の増強を目指していた。しかし、クローデルはそれにつけこみ、強引な手段に出ることはしなかった。本省から強い要請があっても、「我々はそれを押しつけることも、提案することもできません」とはっきり断っている。

 日仏間の人物の交流も重視した路線であった。彼は陸海軍の航空技官の渡仏を知るとそれを本国に知らせ、日本が仏人技師を必要としているとの情報を入手すると、その派遣を本省に依頼している。それも相互理解を深めるためであった。

 こうした姿勢は、もう1つの任務である仏領インドシナ問題の解決にも見られる。海外に市場を求めていた日本は、仏領インドシナが日本製品に課している高率な関税の撤廃を求めていたのだ。それを受け、クローデルがとった手段は、仏領インドシナ総督を日本に招き、日本の現状を知ってもらうことであった。

 彼は黒田清輝の助力を得ると、メルラン総督と経済関係者の訪日を1924(大正13)年に実現している。そして、翌年には日本の答礼使節団に随行し、仏領インドシナに滞在しているのである。相互理解を通して相互利益を見出し、協定へと持っていこうとしたのである。しかし、高率関税の撤廃は、1941(昭和16)年の日・仏印條約の締結まで待たなければならなかった。

 フランス語の普及も、クローデルが受けた任務の1つであった。目指すは、国際語となりつつある英語と日本で幅をきかせているドイツ語の駆逐であった。現在、日仏会館と呼ばれている施設は、そのために構想され、当初はフランス会館、またはフランス学院と呼ばれていた。

 だが、クローデルが共鳴したのは、1919(大正8)年に大学使節として来日したポール・ジュバンとモーリス・クーランの提言であった。具体的には、フランス人研究者の宿舎と日仏研究者の集いの場の創設である。まさに「共同出生」に基づく考えであった。

 それに賛同し、援助を惜しまなかったのが経済界の重鎮であった渋沢栄一である。1922(大正11)年には、フランス会館とかフランス学院とかといった名称は、「日仏会館」となり、「日仏文化の協働を発展させる」場と定義されることになるのである。

 クローデルは、1924(大正13)年の日仏会館の開館式で、「日仏の研究と共鳴の場」の誕生を喜び、パリでの同様の施設を望んでいる。それに応えるかのように、1927(昭和2)年には関西日仏学館(現アンスティチュ・フランセ関西)が稲畑勝太郎の協力により京都に、1929(昭和4)年には日本館が薩摩治郎八の助力によりパリ国際大学都市に設立されることになる。

 すでに彼は、来日して一年もたたない1922年の日光での講演で、日仏間には差異があるからこそ互いに学ぶものが多いといって、両国間の交流を願っていたのである。

詩人クローデル

 滞日中、クローデルは2度にわたって、『古今和歌集』の「仮名序」の冒頭部を引用している。彼が共有を目指したのは、そこに記されている「人ひとの心こころを種たね」とする日本詩歌の精神であり、それによる「共同出生」であった。目ではなく心に響くもの、一瞬見せる生命の密やかな息づかいや微かな陰影、それを捉え、日本の歌人なみにうたいあげることであった。[…]

(続きは『ふらんす』2018年6月号をご覧ください)

(ちゅうじょう・しのぶ/青山学院大学名誉教授。著書『日本におけるポール・クローデル』『ポール・クローデルの日本』)

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【ポール・クローデル 生誕150年記念イベント】
イベント詳細は、https://paulclaudel150.web.fc2.com

詩人大使ポール・クローデルと日本展
日時:2018年5月19日(土)~ 7月16日(月・祝)、月曜休館(但し最終日は開館)
会場:神奈川近代文学館
日本の作家や画家との交流を示す資料、原稿などを展示し、その影響関係を軸に文学者クローデルの足跡をたどります。会期中、辻原登館長の講演、クローデルの創作を支えた山内義雄に関する対談、クローデルの句集『百扇帖』をめぐる俳句討論会(月刊『俳句』に掲載予定)、創作能『薔薇の名-長谷寺の牡丹』のビデオ上映が予定されています。
→詳細は、http://www.kanabun.or.jp/exhibition/7219/

ポール・クローデル作『繻子の靴 四日間のスペイン芝居』全曲上演
日時:2018年6月9日(土)、10日(日) 
会場:静岡芸術劇場
翻訳・構成・演出:渡邊守章、映像・美術:高谷史郎、照明:服部基、音楽:原摩利彦
出演:剣幸/吉見一豊、石井英明、阿部一徳(SPAC)、小田豊、豊富満、瑞木健太郎、片山将磨、山本善之/武田暁、岩澤侑生子、岩﨑小枝子、鶴坂奈央/藤田六郎兵衛(能管)/野村萬斎(映像出演)
→詳細は、http://spac.or.jp/syusunokutu_2018.html

『百扇帖』コンサート
日時:2018年11月1日(木)
会場:日仏会館ホール
歌:マチルド・エチエンヌ、エミリオ・ゴンザレス=トロ、伴奏:西本夏生

国際シンポジウム「ポール・クローデルの日本」
日時:2018年11月3日(土)、4日(日)
会場:日仏会館ホール 
第一日 11月3日(土)
[開会の挨拶] 芳賀徹、ローラン・ピック仏大使/[基調講演] 福井憲彦/【クローデル受容】 渡邊守章/【日本を読み解く】 井戸桂子、大出敦/【日本の息吹】 カトリーヌ・マイヨー、パスカル・レクロアール、ミシェル・ワッセルマン
第二日 11月4日(日)
【日本への視点】 ドミニック・ミエ= ジェラール、上杉未央、フランソワ・ラショウ/【日仏間の橋】 濱口學、クリスチャン・ポラック、三浦信孝/[総括] 中條忍/ローラン・テシュネ、他 『百扇帖』ビデオ上演とコンサート/[閉会の辞] 坂井セシル
→詳細は、日仏会館公式サイトhttps://www.mfjtokyo.or.jp

 

『ふらんす』2018年6月号では、中條忍さんの寄稿の全文、三浦信孝さんによる寄稿「ポール・クローデルと日仏会館」も掲載しています。ぜひあわせてご覧ください。

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