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特集「ノートルダムとエッフェル塔」[特別対談]鹿島茂×三宅理一

『ふらんす』2019年8月号から、特集の一部をご紹介します。

この4月に大規模な火災に見舞われたノートルダム大聖堂と、今年竣工130周年を迎えたエッフェル塔。パリを象徴するこの二大モニュメントを巡って、仏文学者の鹿島茂さんと建築史家の三宅理一さんのお二人に、建築や文学、またパリという街の歴史についてお話いただきました。


鹿島茂氏(左)と三宅理一氏

ノートルダムの火災と修復

鹿島:最近、だんだん朝が早くなって、あの日[2019年4月15日。日本時間で16日早朝]も朝7時半に起きてパソコンを開けたら、パリのノートルダム大聖堂が燃えている映像が飛び込んで来て、しばらくネットのライブ映像を夢中で追っていました。そのうち、大聖堂の真上から捉えた映像も入って来て、身廊[入口から主祭壇までの中央の細長い広間の部分]と交差廊のつくる十字の部分がすべて赤々と燃えているのを見て、これはたいへんなことになるな、と予感しました。途中、薔薇窓が全部砕け落ちたなんて虚報も乱れ飛んでいましたが、結局は薔薇窓のステンドグラスは3つとも無事でした。その辺りはきっと建物の構造に関係しているのだと思います。三宅先生に伺いたいところです。素人判断では、よくあそこで火が止まったな、と、それこそ奇跡を感じたくらいですが。

三宅:僕は最初このニュースをまったく知らなかったんですが、Facebook を開けたらで「たいへんだ!」という投稿がわっと入って来て、それで時間差で事の次第を知りました。僕は中世の建築の修復などもやっていますが、修復中に火が出るということはまずあまり考えられないことなんです。ただ、真っ先に思い出したのは、1949年(昭和24年)の法隆寺の金堂の火災です。当時、修復中に壁画の模写が行われていて、寒い時期だったので、その時使用されていた電気ヒーターや電気座布団が過熱して火が出たと言われています。日本の建築は木造なので全て燃えてしまいますが、西洋は石なので事情が違います。パリのノートルダムの上には登ったことはありませんが、シャルトルの大聖堂には何度もあります。火はふつう上へ上がりますし、燃えるようなものは大聖堂の上部にしかないので、下の方は大丈夫だろうなと思っていました。もちろん火災による高温で石が劣化したりすることはあるでしょうが、燃えるものが燃えてしまったらあとは大丈夫だろうと、極端には心配していなかったというか、落胆するということはなかったですね。しかし、今回は尖塔が燃えて倒壊したことで、日本語で穹窿(きゅうりゅう)と呼ばれるアーチ型の石のヴォールト(天井)に穴が開いたりしたようです。

鹿島:さすがですね。われわれは素人だから、すべて燃えて灰燼に帰すんじゃないかとはらはらして見ていました。確かに、木造の骨組みを作っている部分が燃えたわけで、石は大丈夫なんですね。

三宅:これと似たような話で、函館のカトリック元町教会の例があります。明治の大火(1907年)で木造は全焼し、その後煉瓦造で再建されましたが、大正時代(1921年)にまた大火で被害にあいました。ただその時は、屋根だけがなくなって、一番弱いはずのステンドグラスはすべて無事でした。実際には街並みが焼けて激しい上昇気流が生じて屋根が吹き飛び、焼けたのは上部の木組みの部分だけだったようです。ノートルダムのような巨大なものもそうですが、これは石造や煉瓦造の火災の特性でもあります。上部の骨組みはふつう硬く燃えにくい樫の木でできていますが、それでも一旦火が点いてしまった以上、燃えてしまいます。


三宅氏

鹿島:木組みの部分は中世のものがそのまま残っているんですか? ヴィオレ=ル=デュク[Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc、1814-1879、19世紀フランスの建築家、建築修復家、建築理論家]が修復した時にも、昔のものは残していたんでしょうか。

三宅:12世紀の創建当初の木材だったのですが、今回すべて燃えてしまいました。シャルトルのノートルダムも木組みは残っていますね。上が鉛で覆われていますから、何百年でも持つんですね。

 

尖塔は、5年後に修復されるのか?

三宅:パリ・オリンピックを控え、マクロン大統領が5年後までにノートルダムを修復すると宣言をしました。たしかに、技術的には2年ぐらいあれば再建は可能だとは思います。

鹿島:今回焼け落ちたあの尖塔は、19世紀にヴィオレ=ル=デュクが作ったものです。1845年からノートルダムの修復にとりかかり、第二帝政には尖塔もできている。ですから、20年足らずで修復は完成したんです。だからやってできないことはない。「尖塔が焼けた!」とみんな大騒ぎしたわけですが、専門家はすぐに「ノートルダムは12 ~ 13世紀に建てられたものだが、あの尖塔は19世紀になって新しく作られたものだから……」なんて言って、あまり嘆いていませんでしたね。ドイツのホフバウアーHofbauer というパノラマ画家が、建築家たちの意見を基に時代ごとのノートルダム大聖堂の復元画像を作っていて、変遷を追うことができます。尖塔も歴代いくつかあって、1792年には当時の尖塔が非常に不安定だということで、一度取り外されているんです。ですから、ユゴーが『ノートルダム・ド・パリ』を書いた1831年には、大聖堂には尖塔はなかった。そして、ヴィオレ=ル=デュクは、かつてあった尖塔よりさらに高いものを設計し、その尖塔基部の周囲に福音史家と十二使徒の彫像を新たに配しました。その十二使徒の一人に自分の顔を彫ったというのは有名な話です。


鹿島氏

三宅:その像はちょうど修復中で、地上に移してあったんですよね。

鹿島:それで無事だったんですね。我々がパリのノートルダムといってイメージする、あの有名なガーゴイル(キマイラ)も、ヴィオレ=ル=デュクの時代に作り直されたものですしね。

三宅:彼によってノートルダムの姿はかなり変わりました。薔薇窓の形もガラッと変わったんです。

鹿島:薔薇窓もほとんど19世紀のものだそうですね。シャルトルは相当古いまま残っているようですが、パリのノートルダムはフランス革命によってかなり破壊され、大部分が19世紀に作られたといっても過言ではないようですね。

三宅:さきほど、技術的には2年で再建することも可能だと言いましたが、とはいえ、修復というのはどの状態に戻すのかで話が全然変わって来てしまうんですね。最初の状態に戻す「当初復元」なのか、「中途復元」なのか。中途だとするとどこの時点にするのか。18世紀はフランス革命もあり、また火災も起きているので、そういった経緯を全て調査し、どの時点に復元するか議論する必要があります。僕はその議論だけで5年は有するのではないかと考えています。

鹿島:今回焼けてしまったヴィオレ=ル=デュクの尖塔をそのまま再現するということなら話は早いでしょう。彼が尖塔を再建した際に、過去の資料を調査し、記録も残していますから。

三宅:フランスの修復関係の文書管理は行き届いているので、ヴィオレ=ル=デュクの詳細な設計図もあるはずです。ただ、実施したものが必ずしも図面通りとは限らないので、その考証にも時間は必要だと思います。またそういった議論にいったい誰があたるのか、という人選もまた、なかなかむずかしいでしょうね。ただ、こういった修復で早く話が進んだ例というのはあまりありません。ことを早く進めると、たいていは批判の嵐にさらされることになりますし(笑)、個人的にはそんなに急ぐ必要があるとも思えません。

 

ヴィクトル・ユゴーの功績

鹿島:さきほど少し触れたように、ユゴーが『ノートルダム・ド・パリ』を発表した1831年時点では、ノートルダムは革命後の荒れ果てた状態にありました。この小説の反響があまりに大きく、大聖堂復興運動が起こります。ユゴーなどのロマン派が登場する前は、「中世というのは野蛮だ」とずっと考えられていました。古典主義の理論では、常にギリシア・ローマに理想があって、ゲルマン民族のやったことは野蛮・粗野つまりbarbare、まさに「蛮族の行ない」とされるわけです。ですから、ゴシック・リヴァイヴァルなんていうのはずっと後のことです。そもそもイギリスから入ってきた復興運動です。ユゴーは正統的カトリックから見るとかなり変わった人です。 たとえば『レ・ミゼラブル』でも、ミリエル司教は主人公のジャン・ヴァルジャンの更生を助けるけれども、 ジャン・ヴァルジャンは聖職者になるわけではなく、 サン=シモン主義的な工場を営む市長になる。 最期の瞬間も聖油を拒み、そのまま死んでいく。あれはユゴーそのもので、彼は洗礼も受けていないし、終油も受けていません。当時のフランス人としては、洗礼を受けていないのはたいへん珍しいことなんですね。じゃあ、アンチ・クリストなのかというとそういうわけでもない。信仰の貴さは認めるけれども、礼拝は拒否する。 どれかひとつの宗派を認めることのない、理神論者に近い立場なんですね。

三宅:フランス革命後を引きずっているということでしょうか。

鹿島:ええ。ユゴーの父親はナポレオン軍の将軍でフランス革命の理想に忠実な完全なライック(政教分離主義)なんです。一方、母親は革命期のヴァンデの反乱の王党派で、ユゴーは2つの矛盾する思想を抱え込んだ、引き裂かれた存在なんですね。ユゴーが信仰の貴さは認めながらも、キリスト教の儀式とか奇蹟とかいったことは一切認めない、という立場をとっているのはそんなところから来ているのかもしれません。

[……]

西麻布NOEMA images STUDIO にて

*対談の続きは、『ふらんす』2019年8月号でお楽しみください。

鹿島茂(かしま・しげる)明治大学教授。著書『馬車が買いたい!』『「レ・ミゼラブル」百六景』『失われたパリの復元』


三宅理一(みやけ・りいち)建築史家。東京理科大学客員教授。著書『エピキュリアンたちの首都』『パリのグランド・デザイン』

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パリ・ノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Paris

パリ大司教座聖堂 全長127メートル、身廊の高さ32メートル

1163年、着工(1225年一旦完成するが、その後も工事は続く)
1345年、竣工
1789年、フランス革命勃発により大打撃を受ける
1845年、ヴィオレ=ル=デュクらによる大規模修復開始
1864年、修復完了
1991年、大聖堂を含む「パリのセーヌ河岸」が世界遺産に登録される
2019年4月15日夕方、大規模火災が発生し尖塔が崩落

[公式サイト]http://www.notredamedeparis.fr

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エッフェル塔 La Tour Eiffel

設計:ギュスターヴ・エッフェルGustave Eiffel ほか 高さ324メートル

1884年、フランス革命100周年を記念し、1889年パリで万国博覧会が開催されることが決定
1886年、万博のコンペティションでエッフェルらの計画案が選ばれる
1887年、着工
1889年3月に竣工
1991年、エッフェル塔を含む「パリのセーヌ河岸」が世界遺産に登録される
2019年、竣工130年を迎える

[公式サイト]https://sete.toureiffel.paris/fr

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