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ジョージア映画祭を主宰して(はらだたけひで)

写真:『母と娘 完全な夜はない』より

 

 ジョージア、かつて日本ではグルジアと呼んでいた国の映画の虜になって46年になる。出会いはこの国の放浪の画家ピロスマニだった。私は神保町にあった岩波ホールで長く映画上映の仕事に携わってきたが、1978年にジョージア映画『ピロスマニ』の公開を担当してこの映画に深く魅せられた。映画の静謐さ、画家の絵に対する純粋さに心を奪われた。
 当時はグルジア=ジョージアという国の名を日本で知る人は少なく、ましてピロスマニについてはほとんど知られていなかった。上司だった総支配人の髙野悦子は、私が岩波ホールに来る前はピロスマニのように独学で絵を描き、地方を転々としていたので、映画の担当に相応しいと考えたのだろう。
 来日したギオルギ・シェンゲラヤ監督は、ピロスマニに心酔している私に「ピロスマニを知るためにはジョージアを知らなくてはならない」と語った。そして3年後、彼の言葉に応えるように、私はソ連時代のジョージアを訪れ、この国の独特な文化を知り、ますますジョージアに魅せられていった。
 ジョージアをこの国の言葉ではサカルトヴェロと呼ぶ。大コーカサス山脈の南、黒海の東に位置し、大きさは北海道の8割ほど、現在の人口は約370万人の小さな国である。しかし3000年以上の歴史があるといわれ、近年は8000年前のワイン発祥の地として知られている。一方で、シルクロードが通る文明の十字路であったため、首都トビリシが27回破壊されているように、中世の一時期を除いては大国からの侵略の憂き目にあってきた。そのなかで独自の文化を築き、今日まで守り抜いてきたことに驚く。この国を代表する文化とは、4世紀に東ジョージアが世界で2番目に国教としたキリスト教(ジョージア正教)、ジョージア語と文字、そして葡萄とワインの慣習である。ワインから派生する文化に、タマダ(宴の長)が主導する酒宴、ポリフォニー(多声音楽)、舞踊などが挙げられる。
 また私は、ジョージア映画を知るためにもジョージアを知らなくてはならなかった。「祈り 三部作」のテンギズ・アブラゼ監督は「ジョージア映画はポリフォニーだ」と言う。異なる複数の旋律を一つに束ね、重厚なハーモニーを生むポリフォニーは、この国の映画作りに大きな影響を与えていた。オタル・イオセリアニ監督は「ジョージア人は一つの考えを持った一つの集団になれない」と語っていたが、個の声が確かであると同時に、他の声を聞く耳を持たないとポリフォニーのハーモニーは生まれない。このポリフォニーを人々は子どもの頃から学ぶ。複数のモチーフを織り交ぜ、ダイナミズム溢れる作品を構築するジョージア映画人の手腕はこうした伝統に由来する。
 民族の坩堝といわれるコーカサス地域のジョージアに、このような特殊な文化が生まれたことは興味深い。この国の現大統領ズラビシュヴィリ氏はジョージアを「戦争と芸術の国」と語っていた。その昔、ジョージア人は敵国に侵略され、戦場に赴くときに懐に葡萄の枝を忍ばせたという。それはたとえ戦闘で敵に倒されても自らの屍から新たな葡萄の木(=ジョージア)を誕生させるためだった。私はこのジョージアを守り存続させるための慣わしを映画に重ねて考えるようになる。

 ジョージア映画祭は今年で3回目を迎え、これで長短篇あわせて65本前後のジョージア映画を紹介することになる。ジョージア映画祭2024では、第2回に引き続きソ連時代の作品を中心にプログラムを組んだ。前回の最終日前日、2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した。その時から私はソ連時代のジョージア映画が決して古くは思えなくなった。あの時代、多くのジョージアの映画人は巨大な権力に対して自身の社会への思いを映画で表明し続けていた。世界に強権的な政治家が台頭し、暴虐と混乱が拡がる今日、これらの作品は新しい輝きを帯びて迎えられるに違いないと考えたからである。
 ジョージアは1917年に100年以上にわたるロシア帝国の支配から脱し、翌年に独立するが、1921年にスターリンらが主導する赤軍に侵攻され、ソ連政権下に置かれた。以降のジョージア映画が置かれた状況の推移を、代表的な作品名とともに要約して述べる。1920年代はロシア・アヴァンギャルドの影響を受けて、芸術的意欲に富んだ作品が盛んに製作される(『エリソ』、『私のお祖母さん』、『スヴァネティの塩』)。30年代、政府はアヴァンギャルドを否定し、社会主義リアリズムを提唱する。大粛清が行われ、多くの国民が処刑され、または流刑に処された(『ウジュムリ』、『ハバルダ』)。40年代は独ソ戦(大祖国戦争)が勃発、戦時中は戦意高揚のために(『ギオルギ・サアカゼ』)、戦後の窮乏した時代には民衆に希望をもたらすために(『ケトとコテ』)映画が作られる。50年代、スターリン批判後、「雪どけ」の時代が訪れ、映画に新しい風が吹き込まれてゆく(『マグダナのロバ』)。60、70年代、厳しい検閲にもかかわらず、若い才能が多様に開花し、数多くの傑作が誕生する(『ひとつ空の下』、『結婚式』、『落葉』、『大いなる緑の谷』、『ピロスマニ』、『奇人たち』)。80年代、社会経済が低迷するなか、体制を問う作品が現れてくる(『懺悔』、『ナイロンのクリスマスツリー』)。そしてペレストロイカ(建て直し)を経て、ソ連邦は解体へと向かう。90年代、ジョージアは念願の独立を果たすが、その後に起きた内戦と紛争で社会は荒廃し、映画製作も打撃を受ける。そして21世紀に入って今日に至るわけである。そしてジョージア映画祭で上映したソ連時代の作品には、当局の検閲によって製作が危ぶまれ、たとえ完成しても上映を禁止されたものも多い。
 注目すべきは1960年以降の作品群である。この時代に先んじて作られた作品に、イオセリアニ監督の短篇『珍しい花の歌』(1959)があり、その後の傾向を如実に予見している。ジョージアの古い聖堂を臨む畑で園芸家が栽培したさまざまな花々が咲き乱れている。その花々をブルドーザーが踏み潰し舗装道路にする。しかし舗装の裂け目から懸命に草花は再生してゆく。主張は明確である。イオセリアニやシェンゲラヤ兄弟、ゴゴベリゼなど、新たに誕生した監督たちは、権力による政治的圧力に屈することなく、誇り高く、個性豊かな自身の映像言語をしっかりと携え、社会的主張をつよく込めて映画を果敢に作り続けてゆく。まさに百花繚乱の時代である。詳しくは拙書『ジョージア映画全史』(教育評論社)に記した。
 1984年に、タブーを破り、スターリンによる暗黒の時代を痛烈に批判したアブラゼ監督の『懺悔』が完成し、今年で40年になる。当時のソ連体制下で、この作品の製作は非常に身の危険を伴うものだったが、ジョージア共産党書記長シェヴァルドナゼを中心に、映画人が協力しあって秘密裏に製作され、完成させた。ラナ・ゴゴベリゼ監督の自伝『思い出されることを思い出されるままに』(白水社)は、この時代の様子が書かれた貴重な証言でもあるが、そこで彼女は「ジョージアの映画人の間には真の一体感があった」と述べている。
 今回のジョージア映画祭2024では、そのゴゴベリゼ監督の現代の作品も上映する。ドキュメンタリー『母と娘 完全な夜はない』(2023)である。彼女はソ連時代、大粛清のさなかである1937年に、共産党の活動家だった父は処刑され、ジョージア最初の女性監督だった母ヌツァ・ゴゴベリゼは長く極北の大地に流刑された。当時、ラナはまだ7、8歳の少女だった。その厳しい歳月を中心に描いた作品である。作品の終盤、ラナによる「専制政治は一時的なものだが、映画は永遠だから」というナレーションが入る。ジョージアの映画人は映画を永遠なるものとして捉え、心身を捧げているように思える。彼らにとって映画製作は国の存続に関わる重要な行為なのだ。ソ連時代、ジョージアの映画人は政治権力の抑圧下、映画を通して人間と世界の真実に迫ろうとした。彼らは永遠という名の大海に舟を浮かべ、普遍に少しでも近づこうと挑戦を続けていた。
 ジョージア人にはツティソペリ(この世の儚さという意)という考えが根底にある。酒宴には永遠の時が流れていて、そのひと時に永遠なる生の歓びを求めるという志向がある。それは絶え間ない戦争のなかで培われた死生観なのだろう。この永遠なるものへの姿勢は映画製作にも影響を与えている。
 とは言うものの、ソ連時代のジョージア映画について、再評価への道程は困難を極めている。ジョージアは劇映画だけでもソ連時代に800本前後製作されたといわれるが、ネガはロシアのもとにあり、両国の関係が不安定ななかで、その実態の把握が未だにできていない。国内のポジプリントの多くも独立後の混乱のなかで傷つき、復元されて上映可能な作品は極めて限られているのだが、その多くを映画祭ではご紹介してきた。
 今回、上映予定だったテムル・バブルアニ監督『雀の渡り』(1980)の上映も直前になって断念した。監督自身が懸命に捜索したが作品を見つけることが出来なかった。失われてしまったようだ。代わりに上映するダヴィト・ジャネリゼ監督『少女デドゥナ』(1985)も同様の運命にあった。マンハイム映画祭グランプリ受賞作にもかかわらず、現在、国内にはプリントはなく、監督が「覚え」として持っていたDVDから上映素材を制作した。カンヌ映画祭新人監督賞を受賞したナナ・ジョルジャゼ監督『ロビンソナーダ』(1986)も同様である。

 現在、ジョージアではロシアとウクライナの戦争の影響を受けるなか、今年の10月末に総選挙が実施される。その影響か、ジョージア国立フィルムセンターなどの文化機関全般に大規模な人事異動があったと聞く。ロシア寄りといわれる与党とEU加盟を急ぐ大統領、野党との溝は深まり、国民は分断され、対立が激しくなっている。選挙の結果次第ではジョージア社会だけではなく、世界政治にも大きな影を落とすことになるだろう。当然、文化行政にも大きな変化が予想される。ひいては私のジョージア映画祭に与える影響も大きい。しばらくはコーカサス、ジョージアの動向から眼を離せない日々が続く。

 

ジョージア映画祭2024は東京・ユーロスペースで8月31日から9月27日まで開催。全国順次開催予定。
https://georgiafilmfes.jp/

 

【関連書籍】

『思い出されることを思い出されるまま 映画監督ラナ・ゴゴベリゼ自伝』
 ラナ・ゴゴベリゼ著/児島康宏訳
 己の精神に忠実な生と、そこに寄り添う詩たち。「女性と時代」を描いてきた20世紀ジョージア文化・政治史を体現する映画作家のメモワール。
〈2024年9月発売〉
 四六判・466ページ・定価6380円(税込)

 

はらだたけひで
画家・絵本作家、ジョージア映画祭主宰。2019年まで、東京・岩波ホールで世界の名作映画の上映に携わる。近著に『ジョージア映画全史』(教育評論社)など。

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