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「アクチュアリテ 食」関口涼子

シェフのカタログ・レゾネ



Pierre Gagnaire, Une vie en cuisine (Editions Keribus, 2023)より

 フランスでは、秋に文学賞が集中するために、小説の出版が相次ぐが、料理本の季節でもある。クリスマスプレゼントを見込んで、数千円から時には1万円以上にもなる、ガストロノミーの大型本が刊行されるからだ。今年はレシピ本も含め200冊以上の料理本がこの間に出版されるというから、競争は激しい。その中でも注目すべきなのは、ピエール・ガニエールが出した本だろう。ガニエールはこれまでにも、レシピがあるからと言って料理を再現できるわけではないのだから、シェフ本を出すことには興味がないと言い続けてきた。自分のエゴの拡張のような本には関心がないというのだ。

 そんな彼が満を持して出した本は、なんとレシピ本ではなく、1981年から2022年までに彼が作り続けてきたメニューを全て掲載した、500頁にわたる本だった。10頁がほぼ1年に相当することになる。このメニューは、料理名だけではなく、簡単な説明が添えられているが、料理の写真はほとんどない。また、代表的な料理のレシピもさすがにいくつか載ってはいるが、材料も作り方も驚くほどそっけない。しかしその分、読者はイメージに頼らず料理の味を想像することになる。

 厚さ4センチのこの本が示しているのは、ガストロノミーの華やかさの裏には、料理人の日々たゆみのない創造の作業があるということだ。ファッションデザイナーの年2回のコレクション、ミュージシャンの全国ツアーに勝るとも劣らないクリエーション能力が要求されるのであり、ガニエール個人の想像力と、その時々の料理の流行の交わるところにメニューがあることがこの本を読んでいてよくわかる。ある意味、アーティストのカタログ・レゾネに等しい、ひとりの料理人がこの半世紀に接してきた素材、調理法、時代と共に変化する食感や香りの膨大な情報に読者はただただ圧倒される。

 ある料理人の成し遂げた仕事は、個人のものであると同時に共同の文化に属する。ガニエールの本から読み取れるのは、一人のシェフの思考の軌跡であると同時に、フランスのガストロノミーの歴史でもある。ピエール・ガニエールはそれを自覚した上で、必ずしも一般受けするわけではないであろうこの本を出したのだろう。しかしこの本の次世代の料理人、そしてガストロノミーの歴史への貢献度は大きいと思う。そして数年に渡りシェフの料理ノートを読み解き、資料を揃える作業を成し遂げ、このような書物を出版する出版社が存在するところにフランスの美食界の厚みを感じる。

◇初出=『ふらんす』2024年1月号

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著者略歴

  1. 関口涼子(せきぐち・りょうこ)

    著述家・翻訳家。著書Fade、La voix sombre、訳書シャモワゾー『素晴らしきソリボ』

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