書評
【書評】フォレスト『シュレーディンガーの猫を追って』 [評者]郷原佳以
2017年10月05日
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フィリップ・フォレスト 著 澤田直・小黒昌文 訳
『シュレーディンガーの猫を追って』
河出書房新社
3600 円+税


[評者]郷原佳以

すべては「かのように」


 本誌の読者は、 « Tout se passe comme si... » というフランス語独特の表現を知っている方が多いだろう。「まるでこんな具合なんだ」といった意味でよく用いられるが、本書の話者は、文字通り、「すべては「かのように」起きる」と言う。眼の前で起きることも、すべては「かのように」なのだと。別様の可能性が裏面に「重ね合わせ」になっている、いや、こちらこそが裏面なのだと。「シュレーディンガーの猫」という量子力学の寓話において、生きた猫と死んだ猫が「重ね合わせ」になっているように。

 本書の原書には、ジャンルを示す「小説」の一語が記されている。しかし、本書がいかなる「小説」であるのかも、この量子力学の副産物に対して本書が何をしているのかも、言うのが難しい。本書を読む前は、表題「シュレーディンガーの猫を追って」(原題「シュレーディンガーの猫」)から、量子力学の有名な寓話を素材に空想をめぐらせてみた一種の遊戯的な小説だろうと思っていた。けれども読んでみると、少し異なる。世界の始まりをめぐって会話をしていた娘を亡くし、鬱々と生きてきた話者は、妻と交互に訪れる別荘の庭で、夜闇から立ち去ってゆく猫の輪郭を感じ取るようになり、自分を実験室の科学者か占い師のように感じる。だんだんリアリティを帯びるようになったその猫は「シュレーディンガーの猫」と呼ばれ、シュレーディンガーに(重)なってしまった「わたし」はその猫を愛し……。断章構成の本書では、他方で、多世界解釈など、問題の仮想実験の帰趨をめぐる思弁も続けられる。

 「シュレーディンガーの猫」の仮想実験とは、そのような猫が実在しえないことを前提として、「重ね合わせの原理」の敷衍を否定するために考案された例である。考案者にとっては、だから、その猫の実在を前提として何かを語るということは、遊戯にすぎない。けれども、本書を読んでいてはたと気づかされるのは、波動力学者の前提に反して、私たちの世界はそもそも量子力学的な「重ね合わせ」から成る夜闇なのではないか、ということである。近年世界的に見られる確率論や可能世界論の文学への援用は、そのことに人々が気づき始めたことの現れではないだろうか。ただし、本書が悲痛なのは、話者がそのことに気づいたのが、娘の喪においてに他ならないからである。
(ごうはら・かい)

◇初出=『ふらんす』2017年10月号

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