書評
【書評】鹿島茂『失われたパリの復元:バルザックの時代の街を歩く』 [評者]倉方健作
2017年05月22日
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『失われたパリの復元:バルザックの時代の街を歩く』
鹿島茂 著
新潮社 10000円+税

 

[評者]倉方健作

 

30年の情熱、ライフワークの結実

 ナポレオン三世治下の大規模な都市整備事業、いわゆる「オスマン大改造」によって、世界に冠たる近代都市パリが完成した。それと同時に、バルザック、ユゴー、大デュマらの作品の舞台、薄暗く湿気た路地に建物が密集する「いにしえのパリ」は完全に消滅した。本書は、かつての都市の名残を留めた資料を可能な限り渉猟し、失われたパリを「図像的に再構築する」という壮大な、30年におよぶ著者のライフワークの結実である。

 失われたパリを復元する最大の手がかりとなるのは、マルシアル『いにしえのパリ』(1866)である。大改造前から着手された300枚の銅版画集は、パリの街角を生き生きと切り取っている。マルシアル自身、ときには当時すでに失われていた景観を過去のデッサンをもとに甦らせており、都市への愛着と哀惜とが見る者の胸に迫る。だが、魅力に満ちた稀覯書であっても、『いにしえのパリ』の複製自体が本書の眼目ではない。銅版画の傍らには、貴重さにおいて劣ることのない図像資料の数々が対置され、それらを語る本文には豊かな知見と考察が溢れている。著者の態度は、書物の入手をもって満足し、秘蔵あるいは死蔵するコレクターのそれとは対極にある。現在はフランス国立図書館のサイトGallicaで参照可能となった『いにしえのパリ』だが、その景観を地理的・歴史的に位置づけた本書は、銅版画集の価値を30年前よりもはるかに高めたと言えるだろう。私たちは著者の長年の情熱に、そして最後には「強く望む」者のもとに書物を導くという「古書の神」にも深く感謝しなければならない。

 本書が誘うパリ時間旅行はたちまちのうちに過ぎ去る(もちろん何度でも再訪が可能である!)。表紙カバーをはずすと、本書の最後に紹介されている銅版画家ヴィルマンの「1860年のパリ」の中心部が美しく目に飛び込んでくる。この大作に惹かれて作者の経歴を調べてみたが、作品同様に興味深かった。カールスルーエに生まれた彼は声楽にも才能を発揮し、パリではコンセルヴァトワールに学び舞台での成功も嘱望されていたという。最終的には版画家の道を選んで名を成し、晩年は故郷の美術学校の教授となってその地で没した。多才なひとりの異邦人によって詳細に描かれたパリの精密画──本書『失われたパリの復元』と通じるものがある。

(くらかた・けんさく)

◇初出=『ふらんす』2017年6月号

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