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「ChatGPTと語学学習」森田学

第8回 蓄積された知識と経験を通して考え、判断する

 本連載は『ChatGPTと語学学習』であるが、生成AIはChatGPTだけではない。連載初回で筆者はこのシステム──あらかじめ学習したデータをもとに文章などを生成する人工知能──についてあまり知識がないと書いた。この分野において筆者はまったくの素人であるが、本連載が進行する間にもさまざまな変化が起こっており、ニュース等でも話題にのぼっている。
 なかでも筆者にとって非常に興味深かったのは、6月9日にNHKが放映した『国際報道 2023』のトピック「生成AI規制最新報告」である。そこでは、2023年内にEUでは新法を導入してAIを厳格に規制しようとしていることが報じられた。ただしそこでは、生成AIが人間に及ぼす影響の良し悪しや使用の可否が問題になっているのではないようだ。既存のルールやガイドラインで対応しようとするアメリカ、それに追従する日本では柔軟な考え方が一般的だ。そこでは現在の経済効果やソサエティー5.0の論理が働いている。それに対して厳格な規制を設ける必要性を求める声が大きいヨーロッパでは、アメリカの大手IT企業主導で進められているAI開発への危機感があるらしい。
 誤解のないように付け加えると、筆者はアメリカの大手IT企業がどうだと言いたいわけではない。生成AIの蓄積された知識(データ)が英語を基にして構築されているということだ。つまりそれは、人工知能が参照するデータも、蓄積されていくデータも英語を基準として構築され続けるということにある。また、ChatGPTの使用に関する指針が文部科学省から夏をめどに出されるようだが、現在のところ日本の各大学が表明している考え方では主に「正解を出すとは限らない」「著作権違反になる可能性がある」「(入力した)情報が流出する恐れがある」といったものだ。開発企業は「可能な限り個人情報を削除している」としているが、透明性が確保されるには至らない。それは「企業秘密に関わることなのでお答えできません。差し控えさせていただきます」といったところだろうか。
 研究者の世界では「研究倫理」に関するアップデートが欠かせない。数年前に話題となった「○○細胞はあります」のフレーズで思い出されるように、理系の実験のみならず、あらゆる研究において再現可能性は必要不可欠な要素だ。先述の番組内での問題点として、「オープンソース」と「多言語」によるデータ蓄積に支えられたシステム構築の重要性が挙げられていた。
 これはまさに日本における語学教育や語学学習でしっかりと考えるべき問題とリンクしているように筆者には思える。まず母語による思考が十全にできるようになることを目指し、その中で他の言語を学ぶことで言葉に対する考え方などの違いを認識し、母語に対するもう一つ別の視点を手にすることができる。そうすることでさまざまな情報を自分なりに咀嚼し、考えや価値観を体系的に表現することができるようになる。その際、母語(ここでは日本語)と異なる言語(外国語)が英語だけとなることの問題点に気づいてほしい。もちろん世界のより多くの地域や人々にとって英語が最も大きい共通項であることは間違いない。ある言語の使用範囲(面積?)の広さや使用人数の多さだけで決められる問題ではないし、多数決で少数派をないものと見なすことは多文化共生とは真逆の発想となる。筆者が学生の頃には「英語ぐらいは話せないと」「英語ができれば・・・」といった考え方が主流だったように思う。そこには、「英語ができれば、いい大学に入れ、いい会社に就職でき、いい生活ができる」といった図式があったのだろう。今の大学等で個人的に問題だと感じるのは、「外国語は翻訳ソフトや生成AIに任せられるので、(学生たちが嫌がり、無駄な努力を強いるよりは)その時間を別の勉強に充てた方がよい」とか「日本人は外国語が苦手なので少なくとも英語だけでも使えるようにさせる」といった考え方が漏れ聞こえてくることだ。
 外国語学習を実利とだけ結びつけて捉えるのではなく、自分とは違ったものの見方や考え方を理解する手立てを得ることで、内なる視点と外からの視点を手にし、自らの思考やそれを発信する言語表現をより豊かにできることだと言いたい。初回で述べたように、我々の生活や未来をより豊かなものにしようとして開発されているテクノロジーに人間が奉仕するのではなく、それを臨機応変に扱う術を習得するため、それぞれにとっての外国語を学ぶ意味を考え、ICT教材を活用しながら、習得のロードマップを組み立てる必要がある。その際、語学教師にはそれをサポートし、導く力量もこれまで以上に求められるだろう。時代がいくら変化しようとも変わらないものもある。「Roma non fu fatta in un giorno. ローマは一日にしてならず」。学問は何においてもそれを知りたい、成し遂げたいという人間の強い意志に支えられている。

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著者略歴

  1. 森田学(もりた・まなぶ)

    昭和音楽大学准教授。専門は西洋音楽(特にイタリア声楽曲)の実践研究。主な著作に『イタリアのオペラと歌曲を知る12章』(編著:東京堂出版)、『イタリアの詩歌』(共著:三修社)、『イタリアの文化と日本』(共著:松籟社)、『イタリア語の世界を読む』(共著:白水社)、『解説がくわしいイタリア語入門』『イタリア語のルール』『イタリア語のドリル』(単著:白水社)などがある。

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