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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第23回(最終回) 限界革命(5)

 前回、ワルラスの一般均衡理論が限界革命の一つの到達点であることに触れました。たしかに、方程式と未知数の数が一致することで「数理的解法」になると思い込んでいたワルラスはナイーブでしたが、それでも、当時の経済学者でその意味を理解していた者は決して多数派ではなかったのです。
 ワルラスの『純粋経済学要論』を読んでいくと、彼が、「二商品の間の交換の理論」「多数の商品の間の交換の理論」「生産の理論」「資本形成および信用の理論」「流通および貨幣の理論」というように、一歩一歩、理論の射程を広げていき、そのたびに方程式と未知数の数が等しいことを確認するという、いわば「愚直な」方法論に忠実であったことがわかります。彼が書いた数式はお世辞にもエレガントとは言い難いのですが、ともかく、ワルラスをもって一般均衡理論は誕生したのでした。

 興味深いことに、ワルラスは「数理的解法」とは別にもうひとつ、「市場における解法」を提示しています。これは、数理的解法によって得られた均衡価格が、市場メカニズムによっても達成される過程――ワルラスはこれを「模索過程」と呼びました――を明らかにするものです。彼は、パリの証券取引所をモデルに次のような過程を構想しました。――つまり、初めに「競売人」がある価格を叫ぶ。その価格で需要と供給が一致しないとき、彼は価格を改定する(超過需要があれば価格を引き上げ、超過供給があれば価格を引き下げる)。彼は、需要と供給が等しくなるまで、これを繰り返す。そして、ついに需給が一致したとき、ようやく現実の取引がおこなわれると。
 以上は、交換の模索過程と呼ばれる最も単純な例ですが、生産の模索過程も同様に考えることができます。

In exchange, [the total existing quantities of ] commodities do not undergo any change. When a price is cried, and the effective demand and offer corresponding to this price are not equal, another price is cried for which there is another corresponding effective demand and offer. In production, productive services are transformed into products. After certain prices for services have been cried and certain quantities of products have been manufactured, if these prices and quantities are not the equilibrium prices and quantities, it will be necessary not only to cry new prices but also manufacture revised quantities of products. In order to work out as rigorous a description of the process of groping [toward equilibrium] in production as we did in exchange ……and yet take this additional circumstances into account, we have only to imagine, on the one hand, that entrepreneurs use tickets [‘bons’] to represent the successive quantities of products which are first determined at random and then increased or decreaced according as there is an excess of selling price over cost of production or vice versa, until selling price and cost are equal; and, on the other hand, that landowners, workers and capitalists also use tickets to represent the successive quantities of services [which they offer] at prices first cried at random and then raised or lowered according as there is an excess of demand over offer or vice versa, until the two become equal. (Elements of Pure Economics, p.242)


「交換においては、商品[の総量]は変化しない。ある価格が叫ばれ、この価格に対応する有効需要と有効供給が等しくなければ、もう一つの価格が叫ばれ、これに対応するもう一つの有効需要と有効供給が成り立つ。生産においては、生産用役が生産物へと変形される。用役に対するある価格が叫ばれ、ある数量の生産物が生産されたとしても、もしこれらの価格と数量が均衡価格や均衡数量でなければ、新しい価格を叫ぶだけではなく、生産物の数量も変更する必要があるだろう。生産における[均衡に向けての]模索過程を交換の場合と同じように厳密に描写することを成し遂げ、……さらにこのような追加的事情を考慮に入れるためには、次のように仮定しさえすればよい。すなわち、一方で、企業家が次々に成立する生産物・・・の数量を表わすための取引証書・・・・を使用すること。それは初めに任意に決められた数量だが、販売価格が生産費を超えるに応じて生産量を増やし、反対ならば生産量を減らすことによって、ついには販売価格が生産費に等しくなる。そして、他方で、地主、労働者、資本家もまた、次々に成立する用役・・の数量を表わすための取引証書・・・・を使用すること。それは、初めに任意に叫ばれた価格で[彼らが供給する]数量だが、供給に対する需要の超過が存在するのに応じて価格を引き上げ、逆ならば価格を引き下げることによって、ついには両者が等しくなるのである。」

 ジャッフェの英訳は、非常によくできていることはもちろん、注解もしっかりしており、推奨に値します。フランス語やドイツ語からの英訳はカットなどがあって、そのままでは利用できないものが少なくないのですが、ジャッフェの英訳は安心して読めます。日本語訳もできるだけ原則通りにしてあります。
 「取引証書」(フランス語では‘bons’)とは、生産物や生産用役の価格と数量が均衡に達するまでの暫定的契約書と考えればよいと思います。もっとも、生産には時間がかかるという問題も残されるのですが、ワルラスは生産の一般均衡を考察するときにはその問題を捨象しています。経済学における「時間」の取扱い方は実は重要な問題ですが、ここではそれを指摘するにとどめます。

 ところで、ワルラスの「模索過程」の構想は、1930年代、一般均衡理論を研究していた社会主義者に大きな影響を与えることになります。例えば、ポーランド出身のオスカー・ランゲ(1904ー65)がその一人です。ランゲは、ワルラスの「競売人」を「中央計画当局」に置き換え、一般均衡理論を社会主義計画経済に利用しようとしたのです。ランゲは、将来は、コンピューターの発展によって市場の「模索過程」の問題は解決されるだろうという楽観的な見通しさえ提示していました。もちろん、ランゲ以前にも、イタリアのエンリコ・バローネ(1859-1924)が類似のアイデアを抱いていましたので、ランゲの独創というわけではありません。しかし、ランゲといえば、1930年代の最も異彩を放った理論家の一人であり、さらに、その頃はたまたまアメリカのシカゴ大学で教鞭をとっていた時期と重なっていたので、学界にも大きな影響を与えました

1 Oskar Lange, “ On the Economic Theory of Socialism,” Part I and Part II, Review of Economic Studies, 1936-37. なお、ランゲは、当時京都帝国大学にいた柴田敬の次の論文を高く評価しましたが、ランゲの学界における影響力も手伝って、柴田の名前がアメリカにも知られるようになりました。
Kei Shibata, “Marx's Analysis of Capitalism and the General Equilibrium Theory of the Lausanne School,” The Kyoto University Economic Review, July 1933.
2 シュンペーターもランゲの才能を高く評価していましたが、遺作『経済分析の歴史』のなかには次のような言葉が見られます。
It may still be averred that, in spite of the Marxist revival we observe, the scientifically trained socialist is no longer a Marxist except in matters of economic sociology. The names of O.Lange and A.P.Lerner may be invoked as illustration. (J.A.Schumpeter, History of Economic Analysis, first published in 1954, with a new introduction by Mark Perlman, Routledge,1996,p.851)
 「次のように断言しても、いまだに許されるだろう。マルクスの復活を今日目にしているにもかかわらず、科学的な訓練を受けた社会主義者は、経済社会学に関係する分野を除けば、もはやマルクス主義者ではないと。O・ランゲとA・P・ラーナーの名前が、その例証として引き合いに出せるかもしれない。」


 ところが、さらに興味深いことに、ワルラス自身も独自の意味での「社会主義」を奉じており、しかもそれが一般均衡理論という「科学」によって基礎づけられている点で他の「経験的社会主義」(「ユートピア社会主義」のこと)とは区別されると自負していたことです。実際、彼は、自分の経済学体系を「科学的社会主義」と呼んでいたのでした。
 ワルラスは、父親オーギュストから受け継いだ土地公有化論と賃金免税論を、次のように発展させました。――「純粋経済学」は、完全競争を仮定したときの価格決定理論である。一般均衡においては、主体的均衡(効用最大化と利潤最大化)と市場均衡が同時に達成されたが、この結論は「応用経済学」を導く原理となる。完全競争は純粋経済学では「仮定」に過ぎなかったが、応用経済学では、いかなるときに完全競争が実現されるか、もしそれが達成できないとすれば、国家はいかにして干渉すればよいかなどを考察しなければならない(実際、ワルラスは、貨幣管理、広告の規制、公共サービスの国家による供給、自然独占や公益事業など広範囲の問題を扱っている)。だが、経済学は以上に尽きるのではなく、「正義」の観点から所有権の問題を考える「社会経済学」によって補完されなければならない。「正義」の原理とは、「条件の平等と地位の不平等」に他ならず、土地国有化と賃金免税論がその柱であると。
 もう少し説明を加えましょう。ワルラスは、「人格的能力」は個人に属するものの、「土地」は自然の恵みであり、本来、国家に属すると考えていました。それゆえ、個人は自分の能力と運次第で未来を切り開いていくことが許される(「地位の不平等」の原則)けれども、土地は国家のものだから国有化されなければならないと主張しました(「条件の平等」の原則)。土地の国有化によって、土地から得られる収入(地代や小作料など)は国家のものとなるので、賃金に課税する必要はなくなり、個人はその人格的能力の成果をすべて自分のものにすることができます。賃金免税によって労働者には小さいながら財産所有者になる道も開かれるので、そのためにも、土地の国有化が不可欠のプログラムとなります。もちろん、ワルラスの構想が本当に実現可能なのかについては疑問も少なくありませんが、彼が独自の社会主義を奉じており、それを一般均衡理論という科学によって基礎づけたと信じていたことは間違いありません。

 ワルラスは「科学的社会主義者」であった――その事実はマルクス主義者には意外かもしれませんし、一般均衡理論を現代資本主義の経済学だと思い込んでいた現在の学生たちにも驚きをもって迎えられるかもしれません。しかしながら、ワルラスの仕事のなかで、後世にも受け継がれたのは「純粋経済学」のみだったことも事実です。シュンペーターを初め多くの経済学者は、彼の社会経済学や応用経済学を高く買いませんでした。かくして、ワルラスの名前は、現代経済学では一般均衡理論の先駆者としてのみ登場することになったのです。
 現在、ローザンヌ大学の中庭にはワルラスのための青銅の記念碑がありますが、それにはこう書かれています。

 A Léon Walras, né à Evreux en 1838, professeur à l’Université de Lausanne, qui le premier, a établi les conditions générale de l’équilibre économique, fondant ainsi : l’”Ecole de Lausanne”. Pour honorer cinquante ans de travail désintéressé. (レオン・ワルラスへ。1834年、エヴルーに生まれ、ローザンヌ大学の教授にして初めて経済均衡の一般的条件を確立し、かくしてローザンヌ学派を創設した。無私なる50年の研究に敬意を表すために。)

 

【連載を終えるに当たって】

 経済学の歴史を英語で学ぶという企画にどれほどの読者がいるのか、私には全く予想がつかなかったのですが、意外にも「webふらんす」の連載もののなかでも比較的よく読まれている一つになって最後にたどり着きました。
 最近、私が痛感してきたのは、大学院の外国語入試科目が事実上ひとつだけとなり、しかもそれをTOEFLなどで代替する大学が増えるにつれて、大学院生の英語文献を読む力がガタガタになってしまったことです。ほとんど「崩壊」していると言っても過言ではないくらいです。経済学史を研究しようと志す若い人が、アダム・スミスもリカードも英文で読んだことがないことを知ったときは驚愕しました。しかし、それはどうも事実のようです。厳しいようですが、そのような英語力で研究者を目指すのはとうてい無理と思います。
 少なくとも私が学問を志したときは、「昔は英語だけで学問をやっていたらバカにされたものだ」とか、「マルクスをドイツ語で読めなかったらウェーバーは無理だろう」とか、そんなことをいうベテランの教授はいくらでもいました。私たちも、「それはその通りだ」と納得していました。自分が私淑した清水幾太郎や菱山泉といった先生方は数か国語は楽に読めた学者たちでした。
 もちろん、語学力だけが学問ではありません。語学力の不足を感じさせないほど数学のできる人が、数理経済学者として一流の仕事をした例はたくさんあるでしょう。しかし、専門の洋書を辞書を引きながら丁寧に読んだ経験を積まなかった人が古典を研究する学者になれるはずはないというのは、いまだに真実だと思います。
 ただし、ひとつの救いは、高校までの受験英語から卒業してしまえば、意外に自然に英語が読めるようになるのではないかという「希望的観測」です。そう思い立って、白水社の編集者にも激励されながら、連載を続けてきたつもりです。受験英語は偉大な「発明品」ですが、あれですべての英文を読むには無理があります。私の連載がそのことを理解してもらうのに少しでも助けになることを願うのみです。最後までお付き合い下さった読者の皆様に厚くお礼を申し上げます。
 なお、連載に大幅加筆した単行本が白水社より今年中に刊行予定です。

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店)、『経済学の歴史』(講談社学術文庫)、『シュンペーター』(講談社学術文庫)、『サムエルソン 『経済学』の時代』(中公選書)、『経済学再入門』(講談社学術文庫)、『ガルブレイス』『ケインズを読み直す』(白水社)、『企業家精神とは何か』(平凡社新書)、『アダム・スミスの影』(日本経済評論社)他多数。

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