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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第18回 古典派経済学を終えるにあたって

 これまで、スミス、リカード、そしてミルへと受け継がれてきた古典派経済学を概観してきましたが、ミルのあとは、経済学は大きく分けて二つの方向に発展していきます。一つは、資本主義体制を打倒する社会主義運動にきわめて大きな影響を与えたカール・マルクスの経済学と、もう一つは、限界革命によって古典派の価値論を乗り越えようとした近代経済学です。「近代経済学」とは、一昔前によく使われた「非マルクス経済学」を意味する言葉ですが、その起源は限界革命にあり、その一つの共有財産がマーシャルやワルラスに代表される均衡理論です(もちろん、マーシャルとワルラスでは「部分」と「一般」の違いがありますが、どちらも「需要と供給の均衡」理論であることに変わりはありません)。
 ミルは、すでに見てきたように、社会主義の理想には共感していましたが、最終的には、資本主義を漸進的に改革する道を選びました。のちのマルクス主義者は、このように煮え切らなかったミルを非難しましたが、ミルには彼なりの考えがあったと思います。
 資本主義という経済体制の土台にあるのは「私有財産制」ですが、ミルは、『経済学原理』のなかでこれを次のように捉えています

The essential principle of property being to assure to all persons what they have produced by their labour and accumulated by their abstinence, this principle cannot apply to what is not the produce of labour, the raw material of the earth.


 明快な文章です。propertyは「財産」の意味ですが、文脈から「私有財産」を指していると思われます。「私有財産の本質的原理は、すべての人々に彼らが労働して生産したものや節欲によって蓄積したものを保障することだから、この原理は、労働の生産物ではないもの、自然のままの大地には適用することができない」とあります。raw materialは「原料」と訳すことが少なくありませんが、「大地の原料」では日本語としてわかりにくいので上のように訳しましたが、別案もあるでしょう。「資源」でもよいかもしれません。岩波文庫では、「土地の原生的素材」とやや直訳調になっています。

1 ミルの『経済学原理』と自伝のテキストは、以下から引用します。
http://oll.libertyfund.org/titles/mill-the-collected-works-of-john-stuart-mill-volume-ii-the-principles-of-political-economy-i

http://oll.libertyfund.org/titles/mill-the-collected-works-of-john-stuart-mill-volume-i-autobiography-and-literary-essays


 このような私的財産の原理を厳密に適用すれば、「土地」ばかりでなく、「相続権」も私的所有の原理と抵触することになりますが、ミルは、ここから一足飛びにその原理の否定には向かいません。――例えば、土地所有は明らかに自分の労働の成果ではないが、土地の「改良」は労働の成果なので、土地所有者の改良への努力は認めなければならない。あるいは、相続権もまた自分の労働の成果ではないのは明らかだが、「遺贈」は容認してもよいのではないか。等々。
 マルクス主義者がそのような曖昧な態度に批判的だったのもうなずけますが、ミルは決して現状がよいとは思っていませんでした。彼はイギリスの土地所有制度が多くの問題(長子相続の慣習や、借地農の不安定な土地保有条件など)を抱えていることを重々承知しており、晩年、土地保有改革協会を組織し、その改革に熱心に取り組んでいました。それにもかかわらず、彼は決して急進的な改革は支持せず、長子相続性の維持を主張する保守派と、土地の公有化を主張する急進派のあいだの「中庸」の立場に落ち着きました。つまり、私有財産制を否定するのではなく、それを基本に漸進的な改革を推進するというものでした。この辺の事情は、『ミル自伝』に次のように書かれています。

[1]The social problem of the future we considered to be, how to unite the greatest individual liberty of action, with a common ownership in the raw material of the globe, and an equal participation of all in the benefits of combined labour. We had not the presumption to suppose that we could already foresee, by what precise form of institutions these objects could most effectually be attained, or at how near or how distant a period they would become practicable. We saw clearly that to render any such social transformation either possible or desirable, an equivalent change of character must take place both in the uncultivated herd who now compose the labouring masses, and in the immense majority of their employers. Both these classes must learn by practice to labour and combine for generous, or at all events for public and social purposes, and not, as hitherto, solely for narrowly interested ones. But the capacity to do this has always existed in mankind, and is not, nor is ever likely to be, extinct. ……

 

[2]The deep rooted selfishness which forms the general character of the existing state of society, is so deeply rooted, only because the whole course of existing institutions tends to foster it; modern institutions in some respects more than ancient, since the occasions on which the individual is called on to do anything for the public without receiving its pay, are far less frequent in modern life, than in the smaller commonwealths of antiquity. These considerations did not make us overlook the folly of premature attempts to dispense with the inducements of private interest in social affairs, while no substitute for them has been or can be provided: but we regarded all existing institutions and social arrangements as being (in a phrase I once heard from Austin) “merely provisional,” and we welcomed with the greatest pleasure and interest all socialistic experiments by select individuals (such as the Cooperative Societies), which, whether they succeeded or failed, could not but operate as a most useful education of those who took part in them, by cultivating their capacity of acting upon motives pointing directly to the general good, or making them aware of the defects which render them and others incapable of doing so.


[1]の初めはそれほど長い文章ではありませんが、we considered to beでいったん切りましょう。「将来の社会問題は、次のようなものになると私たちは考えた。すなわち、個人の行動の最大限の自由を、どのようにすれば地上の資源の共有と、すべての人が共同労働の利益に平等にあずかることと結びつけることができるかという問題である」と。participate inは「参加」というよりも、何らかの利益に「あずかる」という意味でしょう。
 次はやや長い英文ですが、「もちろん私たちは、正確にどのような制度を整えればこのような目的を最も効果的に達成できるか、あるいは、それらが実現可能になるまでの時期はどれほど近いのか遠いのかをすでに予見できると想定するほどの厚かましさは持ち合わせていなかった」と訳しましょうか。to suppose以下がもっと短ければ、We had not the presumptionのところを「厚かましくも……しなかった」というようにも訳せますが。
 次も同じくらい長いですが、なるべく原則通りに、「私たちが明確に理解しているのは、そのような社会変革を可能または望ましいものにするには、相応の性格の変化が、いま労働大衆を構成している無教養な人たちの側にも、大多数の雇用主の側にも生じなければならないということである」と訳しました。
 最後は、「この二つの階級は、実践によって利己的でない、あるいはともかく公共的・社会的な目的のために働きかつ協力することを学ばなければならず、これまでのように、ただ狭い利害を目的に行動してはならない。しかし、このような能力は、つねに人類には存在してきたし、消滅したのでも、いつまでも消滅しそうにもないものである」と訳しましょう。

[2]は、英文として構成上ちょっと面白い文章です。The deep rooted selfishnessのあとにso deeply rootedとあり、類似の表現が繰り返されています。ミルはよほどこのselfishnessが嫌いだったのでしょう。「現在、社会状態の一般的性格を形づくっている利己主義がこれほど根深く浸透しているのは、ひとえに現在の制度全体の流れがそれを助長する傾向にあるからである。すなわち、現在の制度がいくつかの点で古い制度よりもそういう傾向にあるのは、個人が報酬を受けずに公共のために何かをするように要求される機会が、大昔のより小さい社会よりも現代の生活でははるかに少ないからである」とあります。
 次は、「もちろんこのように考えたからといって、私たちは、社会的な仕事における私的利害の誘因を、それに代わるものが何も与えられておらず、またその可能性もないのに、早急に放棄しようと試みることの愚かさを見おとしたわけではない」と。長いので:butの前で切ります。These considerationsが主語ですが、「このような考慮が私たちに……を見落とさせなかった」ではあまりに直訳調なので、上のように訳しました。
 続きは、「しかし、私たちは、現存の制度や社会的な取り決めすべてを、(かつてオースティンから聞いた表現を使えば)「単に一時的な」ものと見なし、(例えば生活協同組合のような)選ばれた個人による社会主義的実験をすべて、最大の喜びと関心をもって歓迎したのである。そのような実験は、成功するにせよ失敗するにせよ、それに参加する人々を最も有益な方向に教育することによって、直接一般的な善を指向する動機に基づいて行動する彼らの能力を養い、またどのような欠陥があれば彼らやその他の人々がそのように行動することができなくなるのかを気づかせるような効果をもたらさずにはおかなかったのである」とあります。なるべく原則通りに訳しています。acting upon motivesは、「動機に基づいて行動する」とも「動機に働きかける」ともとれますが、文脈から前者と判断しました。『ミル自伝』の岩波文庫訳は相変わらずよくできていて、making them aware of以下を「どういう欠陥があればそういう行動ができなくなるかを悟らせる」と訳しているのは見事です。私もそれを一部取り入れて訳しました。

 しかしながら、このようなミルの「優柔不断」に我慢ならなかった人々が、のちにマルクス主義に熱狂するようになったのは歴史的事実です。ミルの『経済学原理』初版が出版された1848年は、奇しくも、マルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』の出版年と重なっています。それほど思想史に詳しくないひとでも、それが、A spectre is haunting Europe – the spectre of communism.(ヨーロッパには、一つの幽霊が出没する――共産主義という幽霊である)という文章に始まり、Working Men of All Countries, Unite! (万国の労働者よ、団結せよ!)で終わる文書であることは記憶しているかもしれません2
 もちろん、マルクスの思想や経済学について語るには、『ドイツ・イデオロギー』『経済学・哲学草稿』『資本論』などの古典を読み込まなければならないので、マルクス経済学が専門ではない私には荷が重い仕事です。そこで、この連載の趣旨にも合うような文献を推薦しようと思って最近のものも含めていろいろ調べてみたのですが、やはり英語の文献なら、ポール・M・スウィージー(Paul M. Sweezy,1910-2004)の『資本主義発展の理論』(The Theory of Capitalist Development,1942)がよいという選択に落ち着きました。何よりもスウィージーの英文は、実にわかりやすく、マルクス主義は難渋という通念を打破してくれるでしょう。英語でマルクス経済学を学ぼうとしている人たちにおすすめするゆえんです。

2 マルクスやエンゲルスの文章のほとんども、インターネット上で読むことができます。
https://www.marxists.org/archive/marx/works/download/pdf/Manifesto.pdf


 ただし、原語はドイツ語なので、ときにドイツ語を参照することが必要です。もう二十年近く前、存命だった都留重人、私の恩師である伊東光晴、それに私の三人で鼎談をしたことがありますが、雑談の折、マルクスやシュンペーターのドイツ語の話になり、私が『資本論』の冒頭の文章を発音することになりました。都留重人の前でしたが、ちゃんと覚えていてホッとしました。

Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.


 英訳で読むと、ドイツ語と英語の構造の差は、日本語と他のヨーロッパの言語の構造の差に比べれば実に小さいことがわかるでしょう。

The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,”its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity.



 <参照訳>

 『経済学原理』全5巻、末永茂喜訳(岩波文庫、1959-1963年)

 『ミル自伝』朱牟田夏雄訳(岩波文庫、1960年)

 「私有財産の本質的原理は、人々が自分の労働によって生産し、自分の制欲によって蓄積したものを、すべてそれらの人々に保障するということである。したがってこの原理は、労働の生産物にあらざるもの、土地の原生的素材には妥当しないわけである。」(『経済学原理(二)』、68ページ)

「将来の社会問題は、どうすれば個人の行動の最大の自由を、地球上の原料の共有、および、共同の労働の利益への万人の平等な参加ということと一致させ得るか、であるとわれわれは考えた。われわれはむろん、どのような制度をとれば上のような目的が最も効果的に達成できるか、どれくらい近いあるいはどれくらい遠い時期にそれらが実行可能になるか等を、すでに予測できると想像するような厚かましさは持たなかった。ただわれわれは、そのような社会の変革を可能ならしめるには、あるいは望ましいものたらしめるには、現在の労働大衆を構成する無教養な下層階級の側にも、また大多数の雇用者の側にも、相相応する性格の変化が必要であることをはっきりと認めていた。この両方の階級が、今までのようにただせまい利害にとらわれた目的のためにではなく、もっと高潔な、すくなくとも公共的社会的な目的のために、働らきかつ協力することを実行によって学ばねばならぬ。といってもそういう能力は、常に人類には存在していたのであり、消滅してもいなければ、いつになっても消滅するとは考えられない。」(『ミル自伝』、202-203ページ)

「今現実の社会の一般的性格になっている根深い我利々々根性がああまで根深いのは、現存する制度全体の傾向がそれを助長する方向をむいているからであり、それも、個人が報酬を受けることなしに公共のために何かをするように要求される機会が、大昔の比較的小さな社会にくらべて今日の生活でははるかにすくないために、いくつかの点において現代の新らしい制度のほうがむかしの制度にくらべて一層そうだからに過ぎない。といっても以上のように考えたからといってわれわれは、社会的な活動にあって個人の利益が持つ魅力を、何もそれに代るものが与えられもせずまた与えられる可能性もないのに、早急に追払ってしまおうと試みることの愚かさを見おとしていたのではない。ただ、われわれは、すべての現行制度や社会機構を、(かつてオースティンから聞いたことのある言葉をかりれば)「単に暫定的な」ものと見、(たとえば協同消費組合のような)えらばれた人々によるすべての社会主義的実験を、最大のよろこびと興味をもって歓迎した。そのような実験は、それらが成功するにせよ失敗するにせよ、それに参加した人々に、直接社会全体の利益を指向する動機に基づいて行動する能力を養わせ、また自分らにしても他の人々にしてもどういう欠陥があればそういう行動ができなくなるかを悟らせるという点で、その人たちの最も有益な教育にならずにはいなかったのである。」(『ミル自伝』203-204ページ)

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店)、『経済学の歴史』(講談社学術文庫)、『シュンペーター』(講談社学術文庫)、『サムエルソン 『経済学』の時代』(中公選書)、『経済学再入門』(講談社学術文庫)、『ガルブレイス』『ケインズを読み直す』(白水社)、『企業家精神とは何か』(平凡社新書)、『アダム・スミスの影』(日本経済評論社)他多数。

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