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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第17回 ジョン・スチュアート・ミル(3)

 ミルが、サン・シモン派の社会主義の思想に触れて、分配の様式が制度と習慣の変化とともに変化することを学んだことは前回に書きました。ミルは、ヨーロッパ大陸の社会主義関連の文献を広範囲に読んでおり、一時は社会主義の方向に傾きかけたこともあるのですが、結局は、社会主義者にはなり切れず、資本主義を漸進的に改革していく道を選びました。ミルは、どんな思想からも吸収すべきはすべて吸収しようという旺盛な知識欲がときに行き過ぎることがあることをみずから認めています。『ミル自伝』には、次のように述べられています

Those parts of my writings and especially of the Political Economy which contemplate possibilities in the future such as, when affirmed by Socialists, have in general been fiercely denied by political economists, would, but for her, either have been absent, or the suggestions would have been made much more timidly and in a more qualified form. But while she thus rendered me bolder in speculation on human affairs, her practical turn of mind, and her almost unerring estimate of practical obstacles, repressed in me all tendencies that were really visionary. Her mind invested all ideas in a concrete shape, and formed to itself a conception of how they would actually work: and her knowledge of the existing feelings and conduct of mankind was so seldom at fault, that the weak point in any unworkable suggestion seldom escaped her. 


 最初から長い文章ですが、できるだけ原則に即して訳してみます。「私の著作、とくに『経済学原理』の一部は、例えば社会主義者が主張し、一般に経済学者が厳として否定してきたような未来における可能性を熟考しているのだが、その部分は、妻がいなかったならば、欠落していたか、そこで示唆していることもはるかにもっと自信がなく限定された形にとどまっていただろう」と。何度も出てきますが、affirmed by Socialistsやfiercely denied byのような受身形は、必ずしも受身形で訳す必要はないと思います。
 次に、「しかし、妻はこうして人間社会の関心事についての私の思索をより大胆にした一方で、彼女に実践指向の頭脳と、実際の障害をほとんど誤らずに判断する力があったおかげで、本当に空想的になりがちな私の傾向をどこでも抑えてくれた」とあります。逐語訳でも意味は通りますが、repressed in me all tendencies that were really visionaryはやや難しいでしょう。ミルが社会主義関係の文献を広く読んでいたことは前にも触れましたが、一時はその影響で社会主義の「理想」の方向に引っ張られ過ぎた時期もありました。しかし、妻の冷静な頭脳のおかげで、「本当に空想的になりがちな私の傾向をどこでも抑えてくれた」というのです。allをここでは「どこでも」と意訳しています。
 最後は、「妻の頭脳はすべての思想に具体的な形を付与し、それらが現実にどのような働きをするかを明確に把握していた。さらに、人類の感情や行動が現在どのようになっているかについての彼女の知識は滅多には誤らなかったので、現実に通用しない提案の弱点を彼女が見逃すことはほとんどなかった」とあります。難解ではありませんが、うまく訳そうとすると悩みます。岩波文庫が、her knowledge of the existing feelings and conduct of mankindを、「人類が現在どういう感情を持ちどういう行動に出るかも実にまちがいなく知っていたから」と訳しているのは脱帽です。

 ミル夫人のハリエットが素晴らしい知性の持ち主であったことは間違いないでしょうが、『ミル自伝』を読むと、まるで何でもかんでも良いところは彼女の示唆があったおかげになっているかのようです。一部には、それはハリエットの過大評価だという意見もあります。しかし、性急な結論を出す前に、この問題に関心のある読者には、フリードリッヒ・A・フォン・ハイエク(1899-1992)の著作目録のなかでは珍しい作品(John Stuart Mill and Harriet Taylor : Their Correspondence and Subsequent Marriage,1969)を推奨することにします

1 『ミル自伝』は、前と同じように、以下から引用しました。
http://oll.libertyfund.org/titles/mill-the-collected-works-of-john-stuart-mill-volume-i-autobiography-and-literary-essays
2 社会学者の清水幾太郎の名著『オーギュスト・コント――社会学とは何か』(岩波新書、1978年)には、コントの思想の前期と後期と密接にかかわっているカロリヌ・マッサンとクロティルド・ド・ヴォーという二人の女性が登場しますが、ふとハイエクの本を思い出し、清水氏に直接質したら、なんと「その本は知らない」という答えが返ってきました。清水氏が「知らない」という本があることを、そのとき、私は「初めて」知りました。


 さて、ミルは、自分の眼でみた現実の資本主義の弊害を熟知していたので、大陸の思想の影響も受けながら、資本主義とは別の経済体制(ミルは、「社会主義」「共産主義」などの言葉を使っていますが、「共産主義」といっても事実上「社会主義」を指しているように思われます)との比較という興味深い領域へと足を踏み入れたのですが、留意すべきは、彼が生きていた時代、社会主義の思想はあっても、社会主義国はまだ地上に現われていなかったということです(多言は要しませんが、社会主義国は20世紀に入ってロシアで初めて生まれました。まだ100年前の話です)。もし理想状態の社会主義と現実の資本主義を比較するとなれば、どうしても前者に甘い評価が下される恐れがあります。
 ミルは、このような限界がよくわかっていましたが、あえてそのような領域に入っていきました。ただし、『自由論』の著者として、ミルには譲れない一点がありました。それがあったがゆえに、一時は社会主義の理想の方向に傾きながらも、最終的に、彼に資本主義の漸進的改革の道を選ばせたと言ってもよいでしょう。『原理』から、該当の部分を読んでみましょう

The question is, whether there would be any asylum left for individuality of character; whether public opinion would not be a tyrannical yoke; whether the absolute dependence of each on all, and surveillance of each by all, would not grind all down into a tame uniformity of thoughts, feelings, and actions. This is already one of the glaring evils of the existing state of society, notwithstanding a much greater diversity of education and pursuits, and a much less absolute dependence of the individual on the mass, than would exist in the Communistic régime. No society in which eccentricity is a matter of reproach, can be in a wholesome state. It is yet to be ascertained whether the Communistic scheme would be consistent with that multiform development of human nature, those manifold unlikenesses, that diversity of tastes and talents, and variety of intellectual points of view, which not only form a great part of the interest of human life, but by bringing intellects into stimulating collision, and by presenting to each innumerable notions that he would not have conceived of himself, are the mainspring of mental and moral progression.


 最初の英文は、「問題は次の点にある。すなわち、共産主義の下では性格の個性を保護するための避難所が残されているかどうか。世論の重圧が専制的なものにならないかどうか。各人が全体に絶対的に従属し、各人を全体によって監督することによって、すべての人が虐げられて無気力になるほど思想や感情や行動の画一化が表われないかどうか、ということである」と訳せますが、おそらく単語を文法通り並べても読みやすくはならないので、ところどころ、工夫が必要でしょう。allを岩波文庫が「社会全体」と訳しているのは巧いと思います。a tame uniformity of・・・は、直訳したら「・・・の飼いならされた画一性」ですが、その前の動詞部分がgrind all down intoとなっているので、「すべての人が虐げられて無気力になるほど…の画一性が表われないかどうか」と訳しました。訳し方は一様ではありません。
 次は、「いま述べたことは、すでに現在の社会状態においても著しく目立つ害悪の一つになっている。もちろん、現在の社会状態では、共産主義体制の場合よりも、教育や職業ははるかに多様性に富んでおり、個人が全体に絶対的に従属している度合もはるかに小さいのだけれども」というように、原則通り前から後ろに訳したほうがよいと思います。notwithstanding以下を先に訳しても意味は通りますが、出だしの文章(これが主文です)の力がやや弱くなります。
 その次は、「新奇なことが非難の理由になるような社会は、健全な状態にあるとは決して言えない」とありますが、ここのmatterは「問題」よりも「理由」のほうが合っているでしょう。
 残りは、「しかし、いまだに確認すべきことがある。すなわち、共産主義の計画は人間性の多種多様な発展、類似性の欠如の広がり、趣味や才能の多様性、知的観点の多面性と両立するかどうかという問題である。なぜなら、それらは、単に人間の関心事の大部分を形作っているばかりでなく、いろいろな才能を互いにぶつけ合って刺激し、各人に自分一人では思いつかなかった無数の考えを提供することによって、精神的かつ道徳的進歩の源泉となるからである」と訳しました。この部分も、原則通り、前から後ろへ読んでいます。multiform,manifold,diversity,varietyなど類似の単語がポンポン出てくるのは面白いですが、intellectual points of viewのところで切って、次のwhichはfor theyのように読み替えました。これは、スミスの『国富論』の冒頭に出てきたことを記憶力のよい読者は覚えているでしょう。

3 ミルのテキストは、以下から引用します。
http://oll.libertyfund.org/titles/mill-the-collected-works-of-john-stuart-mill-volume-ii-the-principles-of-political-economy-i


 ミルのこの問題に対する簡潔な答えは、『原理』第3版への序文(1852年7月)のなかに表明されているように思います。

It appears to me that the great end of social improvement should be to fit mankind by cultivation, for a state of society combining the greatest personal freedom with that just distribution of the fruits of labour, which the present laws of property do not profess to aim at. Whether, when this state of mental and moral cultivation shall be attained, individual property in some form (though a form very remote from the present) or community of ownership in the instruments of production and a regulated division of the produce, will afford the circumstances most favourable to happiness, and best calculated to bring human nature to its greatest perfection, is a question which must be left, as it safely may, to the people of that time to decide. Those of the present are not competent to decide it.


 「私には次のように思われる。すなわち、社会改良の大きな目的は、人類を教育することによって、最大の個人的自由と、現在の財産法規が意図してもみなかった労働の成果の公正な分配を結びつける社会の状態を実現するための準備を整えることであると。このような精神的かつ道徳的教養の状態が実現されたとき、ある形態の個人財産(もっとも、現在のそれとは非常にかけ離れた形態ではあるが)と、生産手段の共有と生産物の調整された分配のどちらが幸福に最も好都合な環境をもたらし、人間性を最大限に完成させるように最もうまく適合しているかどうかは、その時代の国民の決断に委ねられるべきであるというのが安全かもしれない。現世代の人々がこれを決定する権限はないのである。」

 individual propertyは「個人財産」と訳しましたが、「生産手段の共有」と対になっているので、岩波文庫のように「私有財産」と訳してもよいと思います。ミルの文章は、相変わらず長めですが、構文がとれるならば訳せないほど難解ではありません。
 ミルほどの教養人ならもっと自信をもって持論を述べてもよさそうに思えますが、彼の誠実な性格がそうすることを控えさせたのでしょう。

 <参考訳>

 『ミル自伝』朱牟田夏雄訳(岩波文庫、1960年)

 『経済学原理』全5巻、末永茂喜訳(岩波文庫、1959-1963年)

 「私の著作、特に「経済学原理」の中で、従来社会主義者が主張して経済学者たちからは一般に猛烈な勢で否定されてきたような未来のいろいろな可能性を考察している各部分などは、妻がいなかったとしたら全然書かれなかったか、あるいはもっとずっと小心で限定された形の暗示にとどまったかであろう。けれども、一方では妻はこのように私を人間世界の事がらについて大胆な思索に走らせると同時に、他方彼女の実際的な頭脳と、現実の障害に対するそのほとんどあやまることのない判断とは、私の中の本当に空想的になろうとする傾向のすべてをおさえてくれた。彼女の頭はすべての思想に具体的な形を与え、それらが現実にどういう働らきをするかを適確につかんだし、人類が現在どういう感情を持ちどういう行動に出るかも実にまちがいなく知っていたから、すこしでも実際に通用しそうもない提案がなされると、その弱点を見おとすというようなことはまずほとんどないことなのであった。」(『ミル自伝』、215ページ)

 「問題となるのは次のような事柄である。すなわち共産制には個性のための避難所が残されるか、輿論が暴君的桎梏とならないかどうか、各人が社会全体によって監督される結果、すべての人の思想と感情と行動とが凡庸な均一的なものになされてしまいはしないか――これらのことが問題である。社会の現状においては、共産主義的制度の場合よりも、教育および職業ははるかに多種多様であり、全体に対する個人の絶対的従属の度ははるかに低いが、その社会の現状においてさえ、輿論の力や個人の隷属はその著しい弊害のひとつとなっている。平凡人の軌道を逸していることが非難される社会は、決して有益な社会とはいえない。共産主義の企画は、果たして人性の多辺的発展、種々さまざまな不等性、趣味や才能の種々相、見地の多様性――これらのものは単に人生の関心事の最大部分を成すばかりでなく、人々の知能を互いに衝突させて刺激し、各人に対しひとりでは思いつかなかったであろう見解を数多く示すことによって、精神的道徳的進歩の根本動力となるものである――と両立するかどうか、なお将来においてこの点が確かめられねばならない。」(『経済学原理(二)』、32-33ページ)

 「私にはこう思われる。社会改良の終局の目的は、人類を教育して、最大の個人的自由と、現行の財産法規の意図せざる労働の成果の公正なる分配と、この二つを兼ね備えた社会状態に適したものたらしめるにある、そして精神的道徳的教育がこのような状態に達したときに、ある形式の私有財産(もっとも今日のそれとは大いに異なった形式ではあるが)と、生産用具の共有および生産物の規制された分配と、はたしていずれが幸福な社会状態にとってもっとも好都合な事情をもたらすか、人間の性格をもっともよく完成するか、という問題は、そのときの人々に決定させるべき問題、そのときの人々に決定を任せておくのが安全なもんだいである。現代の人々には、これを決定する資格はないのであると。」(『経済学原理(一)』、26-27ページ)

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店)、『経済学の歴史』(講談社学術文庫)、『シュンペーター』(講談社学術文庫)、『サムエルソン 『経済学』の時代』(中公選書)、『経済学再入門』(講談社学術文庫)、『ガルブレイス』『ケインズを読み直す』(白水社)、『企業家精神とは何か』(平凡社新書)、『アダム・スミスの影』(日本経済評論社)他多数。

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