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インタビュー「「その他の外国文学」の翻訳者」

第23回 ベンガル語:丹羽京子さん(3/4)

違和感に気づくきっかけを与える工夫
 インド系の言語でこれまで日本で翻訳されてきた作品は少なくない。なによりベンガル語ならタゴールがいる。ただ、訳を手がけてきたのはインド哲学、仏教の専門家だ。「『タゴール詩集』(岩波文庫)を訳した渡辺照宏さんもベンガル語がとても堪能で訳に間違いがないんですけど、文語体に訳してあって、どうしてもいま読むと日本語が古めかしい。それにすごく哲学的な根幹にかかわることばで、なんて訳したらいいだろうというのもあるんですが、仏教用語であったり、少なくともいまは普通には使われない語彙であることが多い。でもそれだと一般的な語彙じゃないから、ちょっとそのまま自分としては使いづらいかな」というのが丹羽さんの分析だ。20世紀の文学を翻訳する丹羽さんにとっては、参照できる蓄積がない。
 むしろ丹羽さんが参考にしているのは、いま現在、言語を問わず活躍している翻訳者たちの訳文だ。たとえば、イタリア文学の翻訳家、須賀敦子さんの訳したものはほとんどすべてを読んだ。ナタリア・ギンズブルグの『マンゾーニ家の人々』のような大部のものから詩の翻訳まで手がけ、優れたエッセイも記した、須賀さんのような仕事の進め方がしたいと憧れた。あるいは最近読んだ作品だと、英語圏の翻訳家、鴻巣友季子さんの訳したマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』と『誓願』。原文と照らし合わせて鴻巣さんの訳文を見ているわけではないが、「流ちょうでいて、感情が伝わってくる感じ」がするという。ここからも丹羽さんの翻訳の方向性がうかがえるようにも思う。
 ベンガル語ならではの翻訳の難しさにはどんな点があるのだろうか。ベンガル語の特徴として、関係詞を巧みに使う点がある。人物が出てくれば、関係代名詞でその人物がどうしたとあり、さらに場所が出てくればやはり関係副詞でその場所というのが、と続く。丹羽さんいわく「立体的な構造の文」が立ち上がる。これに対して日本語はいわば「平板に進む言語」で、形容詞で名詞を修飾するしかない。どうしても文の頭が重たくなるので、文を切って、意味がすっと通るような文になるように丹羽さんは工夫している。
 作家によっての文体のちがいもある。だが、それを細かに反映することはなかなかできていないという。どうしても自分自身の文体がにじみ出てしまうのだそうだ。なので、ほかにも翻訳をするひとがいたなら、バリエーションが出るはずなのにと残念がる。
 文体とは少し違うが、ベンガル語のなかの方言をどう表すかという問題もある。『ドラウパディー』の作者、モハッシェタ・デビを例にとると、ベンガル語は、コルカタで使われることば遣いが標準語なのだが、モハッシェタ・デビはあえて各所にさまざまな方言を使ってみせる。これを日本語にどう反映するか。
 共訳者の臼田さんと話し合ったところ、臼田さんは、自分が担当する短編の訳では長野県の伊那方言がぴったりくると提案してきた。丹羽さんはというと、それは自分が担当している作品にはぴったりこないと感じて、特定の方言ではなく、少し語尾や単語を変えるなど「造語」をして当てはめるという妙案を思いついた。具体例を挙げると、「こと」を「ごん」に変えてみる。「心配するごんはないぞ」、「なんてごんをしてくれたんだ」という具合になる。「この作者はそれぞれの土地柄をすごく主張するひとなんですね。ちょっとその雰囲気だけでも出せれば」。実際に現地に行き、ベンガル語のバリエーションを耳にしたからこそ、こうした工夫が思いつくのだろう。
 言語の問題でいくと、多言語国家インドならではの事情もある。特に会話文で、ヒンディー語やウルドゥー語、英語といったほかの言語が注釈なく出てくるのだ。しかもベンガル文字で、ほかの言語の音が表記されている。現地のひとはそれで意味がわかる。単純に発話の意味がわかるというだけではない。その言語がなぜ話されるのかという状況や、その言語を話すからにはどういう人物なのか、というところまで読み取るはずだという。「コルカタにいるのに英語で話してくる。すると階層差とか、ひけらかしているなとかのニュアンスが出てくるわけです」。
 ウルドゥー語が話されるとどんな効果があるのだろうか。バングラデシュはもともとパキスタンに属し、ウルドゥー語が唯一の国語と定義されたこともある。それに多くのベンガル人が反対し、1971年の独立にもつながった。なので、バングラデシュ独立戦争を主題にした物語で、ウルドゥー語を話す人物が出てくれば、威圧感を読者は読み取る。バングラデシュの3人の作家の短編を取り上げた『地獄で温かい』に、まさにそうした作品が収められている。
 ベンガル語以外が登場する場合、丹羽さんは訳文をカタカナだけで表記をするようにしている。ベンガル人が感じるニュアンスは伝わらないとはわかってはいる。ただ、異質なメッセージが差し込まれている、という印象くらいは伝わるかもしれない。
 方言も他言語の挿入も、意味内容は日本語で訳せたとしても、そのニュアンスまではすくいとれない。ただ、読者が「これはふつうの日本語に置き換えるだけではいけないなにかがありそうだ」という、いい意味での違和感をもつきっかけを、こうした工夫で与えることができる。

詩が大好きなベンガル人
 ベンガル文学で避けて通れない分野が詩だ。ベンガル人はみんな詩を愛している、というと大げさに思えるが、丹羽さんの教えてくれたエピソードを聞けば納得できるだろう。「ある在日のバングラデシュの方が、母国で詩集を出版したということで、出版記念パーティに呼ばれたんです。当時のバングラデシュ大使が、「ベンガル人なら、だれもが一生のうちに詩集を出したいと思っている、彼はそれを叶えた」と祝辞のなかで言ったんです。あ、やっぱりそうなんだと思いました」。そのあとスピーチに立つひとも面白い。詩集を出した本人への賛辞を贈るのがふつうだと日本人なら思うが、いまここに来る途中で思いついた詩があるといって朗読したり、自分も実は来年、詩集を出すことになっている、という具合なのだ。市場を見ても、小説より詩集のほうが売れるとも言われているそうだ。
 丹羽さんもベンガル詩に魅かれて、これまでに3冊の翻訳を手がけてきた。どんな点に魅かれたのだろうか。詩ならではの表現といえば、韻律の多様さだ。1800年代以降のイギリスを筆頭にヨーロッパの文学を学ぶ時期を経て、伝統的な韻律を残しつつ、さまざまな韻の工夫が凝らされた。たとえばシェイクスピアで有名なソネット形式は、もともと脚韻を重視するベンガル詩にぴったりはまった。タゴールもソネットの詩を書いている。あまりに広く使われているので、いまでは、プロはともかく、アマチュア詩人だと「ソネットという用語を知らずにこの形式を使っているひともいるのでは」というほどだそうだ。
 せっかくのすばらしい脚韻だが、翻訳するときには「脚韻はぜんぶ捨てました」と残念がる。語尾がどうしても同じになる日本語で、多様な脚韻を反映することはできなかった。日本語の詩の定型といえば、五七調や七五調が思い浮かぶが、それを翻訳に使うことはしない。「あまりにステレオタイプで、古い感じになってしまう」と考えたからだ。せめてもの工夫として、リズム感は残そうと、音読して訳文のリズムを推敲した。それでも「訳したときはこれが精いっぱいだと思ったんですけど、機会があれば訳し直したい」と、詩の翻訳のできには満足できていない。
 表現内容に目を向けるとどうだろうか。ベンガルでは中世には抒情詩が文芸の中心だった。その伝統があるから「表現がウエットだし、ちょっとした感情をとらえて表現するのがうまい」と丹羽さんは評する。さらに「ベンガル人は季節感が好きなんですよ」。日本人も四季を大切にするとよく言われるが、ベンガル人はそれ以上かもしれない。なにせ「六季」あるのだ。ベンガル暦では、新年は夏に始まり、雨季、秋、晩秋、冬、春というサイクルになっている。月の区分も西暦と異なり、毎年若干のずれがあるので、一律に何月何日からとあてはめることはできない。たとえば一年の始まりであるボイシャク月は、4月中旬から5月中旬にあたり、季節でいうと真夏になる。
 ベンガルに暮らす読者であれば、月の名前を見れば雨季だな、とわかる。それを日本の読者にどう共有してもらうか。詩でも小説でも、作品の冒頭にベンガル暦の一覧を付けることが多い。月の名前が出てくるたびにそこを参照するのはまだるっこしいし、実際にそんなことをする読者はいないかもしれないとは思っている。だが、最初に示すことで、どうやら日本とは感覚がちがうらしいと、気づくきっかけにはなるだろう。
 こうして丹羽さんの翻訳の工夫点を聞いていくと、翻訳不可能な、言語の構造や文化のちがいをいかに伝えるかに腐心していることが伝わってくる。研究者としての知見を活用して、翻訳者として魅力が伝わる訳文を練り上げる。知識と技量が両輪となって有機的に働いている。


現代詩人ショクティ・チョットパッダエ(1934-1995)の自筆の詩。14行詩と書かれている。ベンガル語で14行詩とはソネットのこと

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【お話を聞いた人】

丹羽京子(にわ・きょうこ)
東京外国語大学教授。東京外国語大学修士課程修了、ジャドブプル大学比較文学科Ph.D.取得。専門は近現代ベンガル文学、比較文学。著書に『ニューエクスプレスプラスベンガル語』(白水社、2018)、『タゴール』(清水書院、2016)。訳書にショイヨド・ワリウッラー『赤いシャールー』(大同生命国際文化基金、2004)、編訳『地獄で温かい バングラデシュ短編選集』(大同生命国際文化基金、2019)など。

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