白水社のwebマガジン

MENU

インタビュー「「その他の外国文学」の翻訳者」

第22回 ベンガル語:丹羽京子さん(2/4)

ベンガル語でベンガル文学を学ぶ
 学部3年生でベンガル語に出会った丹羽さんは、もう少し勉強したいと、修士課程に進学した。ただし、ベンガル語もベンガル文学も日本では学べる環境が整っていないのは変わらない。ベンガル文学をテーマにすることは難しく、タゴールから影響を受けたヒンディー詩人について修士論文を書いた。次は、修士修了後の進路を決めなければいけない。
 当時の東京外国語大学には博士課程がなかった。はっきりと研究者になろうという意志があったわけではないが、このまま日本にいても仕方ない。最後の最後には高校の教員免許がある。時はバブル直前、なんとかなるという世の中の雰囲気にも背中を押され、インドへの留学を決めた。
 当時のインドは大学の数がさほど多いわけではなかった。ベンガル地域だと候補は3校で、カルカッタ大学は最も伝統があり規模も大きい。ただ、留学した先輩の話を聞くと事務手続きが遅い。また、文学部も古い時代のものを扱う傾向が強く、近現代文学を専門としたい丹羽さんには少し合わない。もうひとつはタゴールの創立した、ビッショ・バロティ大学。タゴール国際大学の名でも知られるが、こちらもやはり事務手続きに時間がかかる。一年以上も待たされた、授業が回っていない、という話を聞いた。最後がジャドブプル大学で、ここに日本から留学したことがあるひとは当時いなかった。消去法で選んだところもあるが、インドで初めての比較文学科が、高名な詩人、ブッドデブ・ボシュによって設けられた大学である。留学したいと手紙を送ると「ぜひいらっしゃい」との返事が届いた。1984年10月、丹羽さんはインドのコルカタに到着した。時の首相、インディラ・ガンディーが暗殺される数週間前のことだった。
 インドの大学では、日本とはちがい学部課程、修士課程とも論文は書かず、代わりに厳しい試験が課される。しかもその成績が就職などその後の人生にも影響を及ぼすという。丹羽さんは修士課程までを日本で終えていたので博士課程に入ることができ試験は免れた。好きな授業だけを取り、あとは指導教官について論文を書くことが基本になった。資料を調べたりディスカッションをすることが中心になるので、ベンガル語の習得は自分でなんとかしなくてはならない。大学とは別に、ふたりのベンガル人を先生に個人レッスンをしてもらうことにした。勉強法は文学を読むこと。ひとりの先生から「これを読めれば、あとはなんでも読めますよ」と言われて取り組んだのが、タゴールの長編小説『ゴーラ』。やはりタゴールは偉大である。ベンガル人の先生なので、和訳をしてくれるわけではない。音読をして、ひっかかるところがあれば、それをベンガル語で教えてくれる。ベンガル文学をベンガル語を通して学ぶのだ。これまで日本では到底できなかった語学、そして文学の学び方だ。文学作品を次々と読むことを続けていると、ベンガル語の音の感じや表現の面白さ、物語の盛り上がるところなどを先生と共感できるようになった。
 大学の指導教官にも恵まれた。オミヨ・デーブ先生はいまでも交流のある恩師だ。その指導の仕方はほかのひとにはなかなかできないのでは、と丹羽さんはいう。最初に論文の目次をもっていくと「いいね。じゃあ1章を書いてみよう」。大学に入ったばかりなのにもう書くのか、と驚きつつ英語で書いて見せると、「面白いね、英語もうまいね。じゃあ次は2章を」。その調子で「この次はどうなるの?」と促されて、1年で最後まで一旦は書き上げた。そしてそのあとで最初から見直すことになるわけだが、すると「全然だめだよ、あの資料は読んだ?誰それに話を聞いてみたら?と、もうメタメタに直されたわけです」と丹羽さんは笑って振り返る。ふつうに考えると、最後まで書けないから、時間をかけていろいろと調べていくのだろう。ピンポイントでアドバイスをできるからこそのやり方かもしれない。「こういう指導法もあるのか」と感心した。

身体からベンガル語に染まる
 日本ではベンガル文学を研究するのに孤独だったのと打って変わり、周囲の環境も刺激的だった。日本でインドの文学をやっていると説明しても、「なんでそんなことやってるの?」という反応がふつうだ。ベンガルではその真逆、「よくぞ!」と大歓迎してもらえた。
 そもそもベンガル人は詩や文学が大好きなのだ。バウルといわれる吟遊詩人の伝統があるし、自分の詩集を出したいというひとも多い。女性であればたいていは「タゴール・ソング」を習っている。
 その一方で、自分たちの誇るべき文学がほかの国ではあまり知られていないこともわかっている。なので、日本からベンガル文学を学びに来たという丹羽さんの自己紹介を聞くと、みんな喜んでくれた。たとえば図書館に調べものをしに行く。司書にこういう博論を書いていると説明すると、カード目録を全部探して、この本はどうかと持ってきてくれる。「いい思い出ばかり」と振り返る。
 丹羽さんが留学をして1年が経った頃、インドの環境に体がすっと慣れた気がした。日本とコルカタではまったく気候風土がちがう。はじめ、雨期は暑さで眠れなかった。もちろん真夏も厳しい。それにすっかり慣れて、扇風機もつけないで眠れるようになったということだ。そしてそれと同じタイミングで、ベンガル語が使える、という実感がもてたというのだから面白い。たまたま時期が重なっただけかもしれないが、身体からベンガルの風土とことばに染まっていったともいえるかもしれない。

翻訳は研究の副産物ではない
 1987年、丹羽さんは博論を無事に提出。帰国して査読の結果を待つことになった。
 研究は続けたいという希望があった。母校の恩師、田中敏雄先生に帰国したことを報告にいくと、それではベンガル語を非常勤として教えてみないかと誘われた。他大学でのヒンディー語の講師と並行して、ベンガル語の仕事を得られた。帰国してすぐにキャリアにつながったのは運がよかったとはいえる。だが、ベンガル語は歴史学などほかの分野で学んだことのある研究者はいたが、語学や文学を専門的に学んだのは丹羽さん以外にいなかったのだ。自ら切り開いた道に結果がついてきたというべきだろう。
 近現代ベンガル文学という類のない専門性が、翻訳のきっかけも呼び寄せた。ウルドゥー語の鈴木斌(たけし)先生から、翻訳をやってみないかと声をかけられた。
 公益財団法人大同生命国際文化基金が「アジアの現代文芸」シリーズという事業を行っている。その名の通り、アジア諸国の文学作品を翻訳し、日本に紹介するもので、ベンガル文学もそのラインナップに、ということだった。このシリーズが翻訳者にとってうれしいのが、メセナとしての性格が強いため、どの作品を翻訳するかについて、財団側が要望を出すことはなく、翻訳者自身が決めることができる点だ。
 文学が好きでこの道に進んだ丹羽さんなので、もちろん翻訳も手がけたい仕事だった。留学したときに読んで、いつか訳せたらと思って下訳をつくっておいた作品を提案した。タゴール以後のベンガル文学を代表する作家、タラションコル・ボンドパッダエの『ジョルシャゴル』だ。この作品は世界的に活躍する映画監督、サタジット・レイの手によって『音楽ホール』というタイトルで映画化もされている。
 この『ジョルシャゴル』の翻訳もそうだが、丹羽さんはその後も、面白いと思った作品があれば、日本語に訳すようにしている。具体的に出版する予定がなくても、次はこういう作品を翻訳できるといいな、と下訳を準備しておく。すると不思議なことに出版しないかと声がかかるのだそうだ。
 たとえば、モハッシェタ・デビの短編集『ドラウパディー』(現代企画室、2003年)を出版することになったきっかけは、作家の津島佑子さんからの誘いだった。津島さんは英訳でモハッシェタ・デビの作品を読んで興味をもったということで、作家に会いたいという依頼が丹羽さんに届いた。やはり現代のインドを代表する重要な作家のひとりだ。丹羽さんがインドに同行してインタビューを行い、その流れで日本でも翻訳を出しては、ということになり、臼田雅之さんと丹羽さんとで共訳をした。
 丹羽さん自身は、「翻訳の話がたまたま舞い込んでくる」と淡々としている。しかし、文学好きなベンガル人が育んだ作品に、少ないかもしれないが魅かれるひとはいて、翻訳となったときに丹羽さんが数少ないチャンネルになっているとはいえる。
 丹羽さんは「ひとりでなんでもやっている状態なので研究と翻訳、どちらが主とは言いづらい」と話す。研究者も読者も多い英語やフランス語などの文学であれば、研究に専念するひともいるし、ある作家に特化して翻訳をするひともいる。ベンガル文学は、丹羽さんが手塩にかけた大学のベンガル語専攻がやっと10年という段階で、まだ場は広がっていない。論文だけでは、知ってもらう機会にはなりづらい。だから一般向けの講演などは機会があれば引き受ける。翻訳は、常にやっていたいものとして取り組んでいるが、「翻訳だけぽんと出しても読んでもらえないんじゃないかな。研究一本、翻訳一本でと考えたことはなくて、両方が有機的になっている。双方あってこそ、こういうジャンルは発展すると思うので」。丹羽さんにとって翻訳は研究の副産物ではないのだ。


コルカタのコーヒー・ハウス。1876年にまで歴史を遡るこの場所は、多くの詩人や作家が執筆をし、また文学談義を交わしたことで知られる

>次のページ:違和感に気づくきっかけを与える工夫/詩が大好きなベンガル人

【お話を聞いた人】

丹羽京子(にわ・きょうこ)
東京外国語大学教授。東京外国語大学修士課程修了、ジャドブプル大学比較文学科Ph.D.取得。専門は近現代ベンガル文学、比較文学。著書に『ニューエクスプレスプラスベンガル語』(白水社、2018)、『タゴール』(清水書院、2016)。訳書にショイヨド・ワリウッラー『赤いシャールー』(大同生命国際文化基金、2004)、編訳『地獄で温かい バングラデシュ短編選集』(大同生命国際文化基金、2019)など。

タグ

バックナンバー

関連書籍

ランキング

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2021年12月号

ふらんす 2021年12月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

白水社の新刊

とってもナチュラル ふだんのひとことフランス語

とってもナチュラル ふだんのひとことフランス語

詳しくはこちら
  1. jiji.com
閉じる