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インタビュー「「その他の外国文学」の翻訳者」

第20回 マヤ語:吉田栄人さん(4/4)

一人称の語りの工夫
 マヤ文学の特徴と言えるかもしれないと吉田さんが挙げるのが、一人称の語りで書かれた作品が多いことだ。話していることばだけでなく、地の文が一人称の語りになっている。しかもその語り手が変わったり、ある登場人物の語りのなかに、ほかの語りが挿入されたりする。原文ではだれの語りなのか曖昧になっているところもあるが、日本語でそれをわかるようにしなくては読みづらい。自然な文になるように心がけたので翻訳文を読んでいても気づかないかもしれないが、試しに「だれが話しているのか」に注意しながら読んでみてほしいという。そうすればマヤ文学の特徴が感じられるかもしれない。
 さまざまな語り手、子ども、女性、老人、それぞれの語り口を、先住民らしさをどうやって反映したらのいいのか、ここがいちばん頭を悩ませたと振り返る。口調を変えて訳文のバリエーションをいくつか試作した。ときには方言を取り入れたこともある。だが、この方針は採り入れなかった。先住民に対する、遅れているとか野蛮だとかいう偏見を助長するだけではないか、と考えたからだ。結局、日本語で一般的にいう子どもらしい口調、女性らしい口調というようなことば遣いにした。
 そもそも、原文の文体に「先住民らしさ」があるとは吉田さんは感じていない。「話しことばであれば、イントネーションのちがいなど当然あると思うんですけど、文字化されたテキストにそれはない。だからスペイン語のテキストから社会的な属性に関してはあまり見えないですよね。だから日本語に訳したときも、社会的な属性は出す必要がないだろうなという判断もあるんです」。

読者の新しい読み方がメッセージになる
 訳文で過剰な口調を演出しないのは、読者に先入観をもたせないため。吉田さんは、先住民はこういうひとたち、マヤ文学はこういうものという先入観をもたずに作品を読んでもらいたいという意図をはっきりともっている。「マヤ文学とはなにかということを言ってしまうこと自体が、オリエンタリズム的な感じがしますよね。そんなふうに考えないで、純粋に文学作品として読んで、それに感動できればそれでいいと思うんです」。たしかに、だれがどこで書いたかは本質的な問題ではないはずで、読者が自分で魅力を見つけられることが大切だ。
 それと同時に、読者の読み方が変わることも必要だと吉田さんは訴える。それは、マヤ文学が生まれてきた状況を当事者たちと異なる立場から見てきた者として、そしてマヤ文学を紹介する翻訳者として感じている課題でもある。
 先に述べたように、脱植民地主義を目指してマヤ文学は生まれきた。マヤの文化を知ってもらうことも必要だが、西洋の文学的な批判に対抗できるだけの価値をもたなくてはいけない。ところが、なかなかそうはいっていない。実際には、西洋がこれまで作り上げてきたオリエンタリスティック的な表象としてのマヤ文化に関する言説をなぞり書きするに留まってしまっている。あるいは、西洋が抱える矛盾を解消する手がかりとしてのマヤ文化を提示することで、自分たちの文化的、精神的優位性を示すことで自己優越に浸り、満足してしまっている。吉田さんはその原因を、マヤ人作家たちが西洋の読者(西洋の論理)を意識しすぎて、西洋の読者が喜びそうなマヤ文化を描こうとしてしまうのだと見ている。「つまり、脱植民地主義を目指しながら、西洋という枠組みからなかなか抜けられない」という分析だ。作家たちが読者を意識している以上、読者の側がこの枠組みから脱することが転換の契機になる。「西洋の読者による脱オリエンタリズム的な読み方は、先住民作家に対するメッセージとなって、彼らがさらに新しい文学を生み出していく活力になるのだと私は考えています。もっと楽しい文学と出会いたいのならば、われわれ読者自身が、オリエンタリズムに陥らない新しい読み方を、彼らの作品の中に見出していかねばならないのだと思います」。作品、さらには作家は、読者によってつくられる面がある。これはマヤ文学に限ったことではない。
 この課題を見据え、吉田さんは日本の読者に読んでもらえるような翻訳にしなくてはいけないという責任を感じている。マヤ文学がもつ魅力を十分に引き出せるかは、翻訳者の手腕によるところも大きいはずだからだ。その点、吉田さんにとってうれしかったのが、小説の文としての魅力を取り上げた書評が出たことだ。地域に密着した作品やラテンアメリカ文学が評価されるときには、どうしても貧困や差別といった社会的な文脈のほうばかりに焦点が集まってしまう傾向がある。社会的なコンテクストで作品を読むことももちろん必要ではある。しかしそればかりではなく、ことばのもつ力から文学性を読みとってもらえたのは、吉田さんにとって本来の望みなのだ。

 マヤ文学にはこんな特徴がある、とは言うことはできない。そうしたラベル付けは読者の読み方を狭めてしまう可能性がある。「マヤ文学だから」という身構えは必要ない。
 ただ、これまでに日本でも、そして世界でもほとんど翻訳されてこなかった作品ではある。まだ他人の手垢のほとんどついていない作品なのだから、他人の評価を気にせず、自由に読むことができる。「作者の語りに耳を傾けることが本来の読書であるとするならば、マヤ文学はわれわれを読書の原点に誘ってくれる文学なのだと私は思っています」。
 吉田さんは次の出版を目指して、すでにいくつかの作品の翻訳を終えている。引き受けてくれる出版社が見つかればいつでも出せる。やはりソル・ケー・モオの作品だという。
 また、マヤ以外の先住民文学にフィールドを広げる可能性も考えている。日本には専門とする研究者はまだいない。「作者自身がスペイン語で訳してもいるのだから、スペイン語レベルで理解すると割り切ってしまっても。スペイン語ができるひとはぜひやってもらいたいですね」と後進に期待を寄せる。読書の原点に立ち返らせてくれる、新しい作品がマヤから、そしてほかの先住民文学からも届く日を楽しみに待ちたい。


ユカタン自治大学野口英世研究所マヤ語教室にて。左端が故イラリア・マアス・コジー先生。

ブックリスト)
翻訳の参考になる本
・ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』(岸本佐和子訳、講談社、2019)
語り手の視点がはっきりと分かるように訳された文体・語り口がテキストに奥行きを与えていて興味深い。その軽妙な語り口と行間を補う数々の言葉は、翻訳者が語り手(作家)になり切った、あるいはそれ以上の視点を獲得することで初めて可能になるものだと思われる。

おすすめのラテンアメリカ文学、マヤ文学
・ガブリエル・ガルシア・マルケス『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社、2006)
言わずと知れたラテンアメリカの文学的ナラティブの金字塔。

・エルミロ・アブレオ・ゴメス『カネック―あるマヤの男の物語』(金沢かずみ訳、行路社、1992)
いわゆるインディヘニスモ文学の作家が考えるマヤ人のイメージを描いた作品。

・マルコス副司令官『老アントニオのお話―サパティスタと叛乱する先住民族の伝承』(小林致広訳、現代企画室、2005)
チアパスのマヤ系先住民の伝統的な語りを現代の政治的なコンテクストで理解 するための一冊。

・ソル・ケー・モオ『穢れなき太陽』(吉田栄人訳、水声社、2018)
ソル・ケー・モオ文学の原点とも言える、マヤ文学の常識を覆した短編集。現代を生きるマヤの人々の生活をリアルに描写(マヤ文学においてマヤ人の生活をこれほどリアルかつビビッドに描写したものは他にない)。マジックリアリズム的なものも数編ある。

ラテンアメリカ先住民の概要を知る本
・アンリ・ファーヴル『インディヘニスモ―ラテンアメリカ先住民擁護運動の歴史』(染田秀藤訳、白水社(文庫クセジュ)、2002)

(聞き手・構成:webふらんす編集部)

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【お話を聞いた人】

吉田栄人(よしだ・しげと)
東北大学大学院国際文化研究科准教授。1960年、熊本県天草生まれ。専攻はラテンアメリカ民族学、とりわけユカタン・マヤ社会の祭礼や儀礼、伝統医療、言語、文学などに関する研究。主な著書に『メキシコを知るための60章』(明石書店、2005年)、訳書にソル・ケー・モオ『穢れなき太陽』(水声社、2018年。2019年度日本翻訳家協会翻訳特別賞)。

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