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インタビュー「「その他の外国文学」の翻訳者」

第8回 ノルウェー語:青木順子さん(4/4)

正しさとわかりやすさのバランス
 絵本ならではの翻訳の難しさにはどのようなことがあるのだろう。まず考えるのが、子どもが読むので読みやすくするということだ。
 たとえばノルウェー語はあまり男女の言葉遣いのちがいがない。『うちってやっぱりなんかへん?』は女の子が主人公で、それを日本語で読んだときにどう親しみをもってもらえるか。編集者からは「~だわ」というように、語尾に「わ」をつけるという提案があった。しかし、青木さん自身、あまりそういうことばは使わないかなと思ってこの案には反対した。なるべくわかりやすく、普通の女の子が話すようなことばを心がけたという。難しいのは、青木さんはノルウェー語を教える立場でもあるということもあって、文法的に正しく伝えないと、という意識が働いてしまうが、しかしそれではどうしてもこなれない日本語になってしまうことだ。この悩みを抱えているところに、編集者から「もっと自由に考えていいですよ」というアドバイスをもらった。
 「原語にひきずられなくていいよということで、わりと自分に近い感覚で書いていいんだという意味で言ってくださったんです。読みやすさはすごく大事だと思います。だれに向けて出す本かと考えたらノルウェー人じゃなくて、当然日本の読者。なので、日本人が読みやすいようにということですよね」。このアドバイスでふっきれた。
 もうひとつ、『わたしの糸』ではどうだろうか。この絵本は、逆に文字の量が少ない。ノルウェー語の文体としても、かなりシンプルに書かれている。ストーリーもはっきりした筋があるわけではなく、テキストは詩のようだ。
 「テキストが少なければ楽というものではないんだと気づきました。逆にテキストが少ない分、すごく目立ってしまう。あまり絵の邪魔をしてもいけないし、全体のトーンを乱してもいけない。すごく苦労しました」。
 短い文でメッセージを伝える、いわばコピーライター的なセンス、あるいは詩心が必要だと感じた。具体的にこうすればいい、というようなテクニックがあるわけではないのだ。たとえば悩んだところが、最後にある「そして、この世界に自分の道を見つけるでしょう」という一文。それだけの文を、あまり教訓的すぎないように、お説教っぽくならないように訳す。青木さんが「それでいて背中を押すような感じの文章を…」とつまるのを見て、それだけ推敲を重ねたこと、ひと言で言い表すのが難しかったことが伝わってくる。経験豊かな編集者が伴走者のように寄り添ってくれたおかげで生まれた訳と青木さんは振り返る。
 青木さんは翻訳の経験を重ねてきて、ノルウェー語がわかるということと、翻訳ができるということがまったく別ものだとわかった。あるいは、通訳ともちがう。通訳は言われたことを瞬間的に受け止めて、日本語でいかにわかりやすく置き換えるかという反射神経が肝になる。翻訳は対照的で、じっくりと向き合う。「こんなに同じ本を何度も読むことはないですよね。読んで読んで読んで、わからない。でもこういうことかなと漠然とわかってくる。それをいかにわかりやすいというか、近い日本語にするかという作業」が翻訳だ。わからない箇所はマーカーをしておく。知っている単語だと思って侮ってはいけない。辞書をあらためて引くと、いままで知らなかった意味が見つかる。いろいろな用例から使う文脈がわかってくることもある。何日もうなりながら考える。大変だが、「ぴたっとはまる日本語を見つけた瞬間がいちばん楽しい」。

発信の場をつくる
 マイナー言語の辛いところは、翻訳者として先達が少ないことだ。しかし青木さんには、ノルウェー語ではないものの、目標にしている人がいる。
 マイナー言語に捧げる情熱という意味で見習いたいと挙げたのがフィンランド語の翻訳家、稲垣美晴さんだ。絵本や児童書を中心に多くの翻訳を手がけてきた。青木さんは留学前に稲垣さんのエッセイ『フィンランド語は猫の言葉』(文化出版局、1981)に出会い、勇気づけられたのだそうだ。帰国後には『注文の多い翻訳家』(筑摩書房、1987)を読んでさらに感銘を受けた。この本は翻訳テクニックが書いてあるわけではない。青木さんの心を打ったのは、フィンランドという国、人、ことばに稲垣さんがかける熱意だ。稲垣さんは自分が出したいと思う本があれば、作者に会いにフィンランドへ飛ぶ。そして友人としての絆を結ぶ。最初はつてのない状態だが、どうにか出版できるように力を注ぐ。最終的には、「フィンランドの文化を日本に伝える」ことを目的とした出版社「猫の言葉社」を自らも立ち上げたほどだ。
 もうひとりは、スペイン語の翻訳者、宇野和美さん。宇野さんもやはり絵本を中心とした翻訳を手がけている。宇野さんは青木さんと同じように、最初から語学や翻訳の世界にいたわけではない。企業に勤めた後に留学をし、帰国後に翻訳に取り組んできた。実は青木さんとも近所という縁があって知り合いにもなった。青木さんが宇野さんを尊敬するのは熱意だけではない。「宇野さんが翻訳する絵本は一味ちがう感じ」なのだ。日本の絵本ではあまりない、社会派なテーマを果敢に選ぶ。たとえば『民主主義は誰のもの?』(プランテルグループ作、マルタ・ピナ絵、あかね書房、2019)。選挙や政党、政府といった民主主義の仕組みを遊びにたとえて、魅力的なコラージュの絵とともにわかりやすく説明した画期的な内容だ。「宇野さんの出す絵本は絶対に面白いぞと思わせてくれます。もちろん読みやすいし、仕事の丁寧さも伝わってきます」。
 宇野さんの活動は翻訳だけではない。スペイン語圏の絵本を紹介、販売するネット書店「ミランフ洋書店」の経営も手がける。あらゆる手段を使って、よいものを広げていこうということだ。
 稲垣さん、宇野さんのふたりに比べて、青木さんは「自分は比較するのもおこがましい」と言う。しかし、3冊の絵本を一から出版に漕ぎつけたように、熱い気持ちは負けていない。それに、稲垣さんが出版社、宇野さんが書店、さらに言えば先に挙げた山内清子さんならサロンを立ち上げるなど、ネットワークをつくろう、場をつくろうという意識を大切にしている。webサイトと語学教室を運営している青木さんも、確実に同じ系譜を継いでいる。そうした姿勢からは、文化はみんなでつくっていくものだと感じさせられる。
 翻訳への熱い思いは、作者も共感してくれることがある。青木さんは『うちってやっぱりなんかへん?』も『わたしの糸』も、翻訳作業に入る前に作者へ「作品誕生の経緯」を問い合わせたのだが、日本語に翻訳されることを喜んでくれ、丁寧に教えてもらえた。それらが訳文づくりに反映されている。作者と翻訳者の距離の近さは、マイナー言語での翻訳だからこそのよさだろう。

ことばはパスポート
 青木さんは翻訳だけでなく、語学参考書もつくってきたが、いずれにしても書店のコーナーとしては「その他の外国語」になる。最初は「その他」というくくりにいじける気持ちもあったが、いまはそのコーナーをいかに豊富にさせるかということにやりがいと面白さを見出している。「世界は英語圏の国だけでないし、北の果ての国の人もいろんなことを考えている、ということを発信していきたいですね」。
 『わたしの糸』は、自立がサブテーマにある。普遍的なテーマと言えるが、とても自立を重んじるノルウェー人らしいと言えるし、だからこそ生まれた作品かもしれない。一見、無国籍な世界が描かれているが、表層下からノルウェー的な価値観や文化がにじみ出てくるし、読者もその国に理解があるかどうかで受け取り方はちがうだろう。
 日本の絵本ジャンルはどうしてもロングセラーや人気作家のものが大半になる。そのなかで青木さんのような活動をする人がいれば、可能性は広がるかもしれない。読者としてはそんな期待を感じる。
 これまで青木さんが翻訳を手がけてきた作品は、どれも自分が好きだと思えるものだが、「必要としているひとがいると感じられるもの」だったという。『パパと怒り鬼』のように深刻なテーマのものは、万人受けはしないことはわかっている。それでも「気に入ってくれるひと、心にひっかかるひとがいる。そういう人が想像できる本」を取り上げるようにしている。だから、ジャンルも絵本にこだわらずに取り組みたい。たとえば自身でもよく読むノンフィクション。ノルウェーには面白い作品がたくさんあるそうだ。
 翻訳の仕事を依頼されてみたいが、断られそうな持ち込み企画であっても続けたい。それにノルウェー語を教える仕事も続けたい。「もしかしたら赤い糸だと思った先にはスカと書いてあるかもしれません。あと五年くらいやった結果、なんだちくしょーとなるかもしれないけど、でもいまのところすごくノルウェー語とかかわるのが楽しいんです」。
 ノルウェー語を介して、青木さんは作家や読者、北欧好きなど、いろいろなひとと出会えた。青木さんの活動は、ことばがその国や文化を知るための、そして新しいひととの出会いを開くための「特権的なパス」なのだと教えてくれる。


ノルウェー語原書の『わたしの糸』。翻訳に迷うところには付箋をつけておく


2019年、オスロ大学のノルウェー語講師向けのサマーセミナーに参加。ノルウェー語講師としての研鑽は欠かせない

ブックリスト)
翻訳の参考になる本
・『フィンランド語は猫の言葉』(稲垣美晴、角川文庫、2019)
フィンランド語翻訳者、稲垣美晴さんによるフィンランド留学体験記。ユーモアに満ちた筆致で語学漬けの日々を記している。『注文の多い翻訳家』(筑摩書房、1987)はやや手に入れにくいが、ぜひあわせて読みたい。
・『うちへ帰れなくなったパパ』(ラグンヒルド・ニルスツン、はたこうしろう絵、山内清子訳、徳間書店、1995)
「男性であること、パパであること」にゆらぎをおぼえた主人公。と同時に、様々な妨害が入って、うちへ帰れなくなってしまう。果たしてパパはうちへ帰れるのか? 現代日本でも十分に刺激的なジェンダー要素がユーモラスに描かれた児童書。

おすすめのノルウェー文学
・『薪を焚く』(ラーシュ・ミッティング、朝田千惠訳、晶文社、2019)
ノルウェーで社会現象になった本の待望の邦訳。精緻かつ美しい訳文が、心地よい。コロナ禍中、じっくり焚き火を前に読みたい1冊。

以下は残念ながら未邦訳作品。
・“En av oss” (Åsne Seierstad)
2011年、ノルウェーで1人の男性が77人を殺害する未曽有のテロ事件が発生。本書では、犯人の生い立ちから犯行時の様子、さらに事件の被害者たちを迫力あるタッチで描くノンフィクション。反イスラムや極右思想を抱く犯人像は、日本人にも既視感がある。
・“Aldri, Aldri,Aldri” (Linn Strømsborg)
「子どもは欲しくない」を貫く35歳のノルウェー人女性が主人公の小説。子ども=幸福、とされるノルウェー社会で、主人公は心ない言葉や偏見にさらされ、子どもを欲しがる恋人とも溝が生まれていくが…。

ノルウェー、ノルウェー語を知るために
『ノルウェー語のしくみ《新版》』(青木順子、白水社、2016)
文法用語をなるべく使わずに書かれているので、まずちょっとノルウェー語をかじってみるのにおすすめ。青木さんの軽妙な筆致にページを繰る手が止まらないはず。

・『私の出会ったノルウェー』(中田慶子、ドメス出版、1992)
夫の仕事の都合でノルウェーに家族で赴任することになった著者。ノルウェーでの日常生活を通じて、教育や政治、社会や国民性など驚きをもって綴った1冊。30年近く前に出版されたが、現代ノルウェーに通じる点がおすすめ。

(聞き手・構成:webふらんす編集部)

【お話を聞いた人】

青木順子(あおき・じゅんこ)
ノルウェー国立ヴォルダカレッジ、オスロ大学に留学。帰国後、ノルウェーの情報提供を目的としたコミュニティー・サイト「ノルウェー夢ネット」(http://www.norway-yumenet.com)を開設。講演講師、通訳翻訳、ならびにブログやSNSを通じノルウェーの情報発信を行っている。著書に『ノルウェー語のしくみ〈新版〉』(白水社、2017)、『ニューエクスプレスプラス ノルウェー語』(白水社、2018)など。訳書に『パパと怒り鬼 -話してごらん、だれかに』(G.ダーレ& S.ニーフース、共訳、ひさかたチャイルド、2011)、『わたしの糸』(トーリル・コーヴェ、西村書店、2019)、など。

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