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新井潤美「ノブレス・オブリージュ——イギリスの上流階級」

最終回 新しい「アッパー・クラス」と「ブライト・ヤング・ピープル」(下)

 前回触れた、おもにアメリカやユダヤ系の財産家からなる「スマート・セット」と呼ばれる華やかな人びとは、拠点はロンドンにおきつつ、カントリー・ハウスで豪華なパーティや週末のもてなしをすることも多かった。農業の不況などで生活を切り詰めなければならなくなった古くからのアッパー・クラスの地主たちは、屋敷や土地を手放すか、そこまでしなくても、借り手を見つけてイギリスを出て、ヨーロッパやエジプトを旅した。そのほうが経済的だったのである。また、「スマート・セット」ではなくても同様に、経済的にあまり豊かではない昔からの貴族や地主の屋敷を一,二年借りて「アッパー・クラス」の気分にひたる新興の財産家もいた。
 アガサ・クリスティの『チムニーズ館の秘密』(1925年)についてはこのコラムでも「カントリー・ハウスと相続 下」で触れたが、その続編に当たる『セヴン・ダイアルズの謎』(1929年)では、ケイタラム侯爵の屋敷、チムニーズには、自転車屋の店員から一代で富を築き上げて「サー」の称号をもらった(ナイトか准男爵かは明らかにされていない)サー・オズワルド・クートと夫人のレイディ・クートが暮らしている。ケイタラム侯爵は屋敷を手放したわけではないが、やはり経済的な理由のために、2年間屋敷をサー・オズワルドに貸しているのである。
 レイディ・クートは執事をはじめとする使用人の扱いに戸惑い、自分の言うことをまったく聞いてくれない庭師頭に恐れおののいている。しかもサー・オズワルド夫妻が館を借りている最中に、招待した客のひとりが亡くなるという事件が起こる。その後ケイタラム侯爵とその娘が戻ってきて、この死亡事件に興味を持った娘のレイディ・アイリーンが謎解きに乗り出すというのがこの物語である。レイディ・クートには終始不機嫌そうな表情を見せ、「夕食に温室の葡萄をいただきたいんだけど」と言われても「まだ早いです」とやりこめる庭師頭が、レイディ・アイリーンには「歓迎の笑みともとられかねない表情の兆し」を見せる。「温室の葡萄を夕食にいただきたいわ。もちろんまだ早いでしょう、いつもまだ早いんだから。でも持って来てちょうだいね」と言い渡されて大人しく従うのである。クリスティはプロットとはまったく関係のない、無愛想な庭師頭との二人の会話をこうしてわざわざ描くことによって、読者が昔からの貴族の側に立って、成金の金持ちを笑うことを可能にさせている。レイディ・アイリーンの大胆さ、冒険心、いたずら心などから、明らかに彼女は「ブライト・ヤング・ピープル」と見なされるタイプのアッパー・クラスなのだが、エドワード・ロビンソンにとってと同様、だからこそまたその姿が華やかで憧れの対象となるのである。

「ブライト」の光と影
 1920年代には「ブライト」という言葉が流行っていた。作家D. J. テイラーによる著書『ブライト・ヤング・ピープルーー一つの世代の興亡』(2007年)によると、「『ブライト』という表現は、戦前の慣習からはずれることや、戦前の安定した生活への挑戦と見られるような行動に対して、おもに新聞や社交界を扱った雑誌が使っていた」ものだった(17ページ)。ウォーの『卑しい肉体』では、年配の男性2人が「ブライト・ヤング・ピープル」について、次のように話している場面がある。

私が学校にいた頃は先生に「何かをやるのであれば、良い結果を出すように努力するべきだ」と教えられてきました。[中略]だけど今の若い人たちはものごとを逆から見ているし、ひょっとしたらそれが正しいのかもしれません。彼らはこう言うんです。「良い結果が出せないのだったら、最初からやらないほうがいい」と。だから彼らにとってこんなにもすべてのことが難しいのでしょう」
(第八章)

 良い結果が出せないならば最初から努力もしない。こうして彼らはその時その時を衝動に任せて、快楽を追い求めて生きていく。『卑しい肉体』の主人公アダムは恋人のニーナに向かって吐き出すように言う。

「ああ、ニーナ、なんてたくさんのパーティなんだ・・・・・・・・・・・・・・・
(……仮面パーティ、野蛮人パーティ、ヴィクトリア朝パーティ、ギリシャ風パーティ、アメリカ大西部パーティ、ロシア風パーティ、サーカス・パーティ、自分ではない他の誰かの格好をしなければならないパーティ、セント・ジョンズ・ウッド[ロンドンの住宅街]の、裸同然のパーティ、フラットで、ワンルームで、一軒家で、船で、ホテルで、ナイトクラブで、風車で、プールで開かれるパーティ。マフィンやメレンゲや蟹の缶詰を食べる、学校でのティー・パーティ。茶色いシェリーを飲んで、トルコ煙草を吸うオックスフォードでのパーティ。ロンドンでの退屈なダンスパーティにスコットランドでの喜劇的なダンスパーティに、パリでの胸が悪くなるようなダンスパーティ――人間が次々と群れ、それが繰り返される……。この卑しい肉体たち……。)
(第八章、強調は原文どおり)

 何のために集まっているのか、何を求めているのかもわからずに、惰性的に変化を求め、目新しい娯楽のテーマを求め、何かに追いたてられるように次々とパーティに出かけて行く若者たちのダンスは、「死の舞踏」とも言えるかもしれない。そして、登場する「ブライト・ヤング・ピープル」の中心人物のひとりで貴族の娘のアガサ・ランシブルは後に、見物に行ったカーレースでなぜか「代理ドライバー」を務めるはめになり、レースコースを何周か回ったところで、コントロールがきかなくなってコースからはずれてしまい、病院に運ばれるがそこで死亡する。「ブライト・ヤング・ピープル」の狂気じみた、快楽の追求を象徴する顛末である。


『卑しい肉体』初版表紙
(Wikimedia commons)

奇行あれこれ
 ウォーは25歳の時にこの小説を書いたが、当時彼自身、ブライト・ヤング・ピープルのひとりだった。オックスフォード大学出版からシリーズとして現在出版されつつある『イーヴリン・ウォー全集』の第二巻、『卑しい肉体』所収の、マーティン・スタナードの解説によると、「アメリカ大西部」パーティや「自分ではない誰かの仮装」パーティ、プール・パーティなどはじっさいにロンドンで行なわれていた。特にプール・パーティはアガサ・ランシブルのモデルとされている、高名な政治家アーサー・ポンソンビーの娘エリザベス(1900〜40)やクランブルック伯爵の次男エドワード・ゲイソーン=ハーディ(1901〜78)らが1928年の7月13日に夜の11時から、ロンドンの公共のプールを借り切って開いたもので、客にはそれぞれ水着とタオルと酒を持って来るようにという招待状が送られた。「プールとボトル・パーティ」(Bath and Bottle Party)として知られるようになったこの夏の夜中のパーティは、D・J・テイラーの言葉を借りると「ブライト・ヤング・ピープルの極致」だった(『ブライト・ヤング・ピープル』2ページ)。客は華やかな色の水着を身にまとって現れ(この時代には水着でのパーティなどというものは、極めて大胆なものだったのである)、黒人のバンドに合わせてダンスに興じ、見物用の二階席ではカクテル・バーが設置されたが、バーテンダーも水着姿だったと『デイリー・エクスプレス』紙のコラムは報じている。このパーティも、彼らの他のパーティと同様、翌日には新聞のゴシップ欄で大きく報道されたので、潜り込むことができなかったゴシップ・コラムニストは面目を失わないためにも、他の仕事で抜けられなかったことを吹聴しなければならなかった。
 「ブライト・ヤング・ピープル」が世間を騒がせたのは、このような大胆で斬新なパーティによってだけではなかった。「宝探し」も彼らがしばらく夢中になり、マスコミに報道された遊びのひとつだった。1924年7月26日の『デイリー・メイル』の朝刊には「社交界の新しいゲーム」、「ロンドンで真夜中のカーチェース」、「自動車五十台」、「ブライト・ヤング・ピープル」の見出しが並んだ。最初は小規模に行われていたこの「宝探し」が、五十台もの車が真夜中にロンドンを暴走する騒ぎとなったのである。参加者は「ヒント」が書かれた紙を渡され、そこに書いてある謎を解くと、次に行くべきところ、するべきことがわかるという仕組みになっている。こうして一番先に終点にたどり着いたものが「宝」を手にすることができる。今でも子供のパーティなどでよく行なわれるゲームだが、もちろん「ブライト・ヤング・ピープル」の場合はその規模が違った。次の「ヒント」を得るためには人の家の敷地内にも侵入した彼らの行動が、派手に報道されたのも不思議はない。本章の冒頭で紹介したアガサ・クリスティの短篇でも、ロウワー・ミドル・クラスの主人公エドワード・ロビンソンが、アッパー・クラスの若者のこのような奇行を『デイリー・メイル』で夢中になって読む様子が想像できる。
 さらに彼らは大がかりな悪ふざけを行なったが、なかでも最も悪名高かったのは「ブルーノ・ハット展覧会」だった。中心人物は第二代モイン男爵ブライアン・ギネス(1905〜92、ビール会社の経営者一族)と、その妻でナンシー・ミットフォードの妹のダイアナ(1910〜2003、後にブライアンと離婚して、名だたるファシストの准男爵サー・オズワルド・モズリーと再婚する)だが、計画を思いついたのは詩人のブライアン・ハワード(1905〜58)だったという。


いかにも「ブライト・ヤング・ピープル」らしい雰囲気のある、ダイアナ・ミットフォードのポートレート。
1932年1月27日
(Wikimedia commons)

かれらは「ブルーノ・ハット」という名前の芸術家をでっちあげ、画家のジョン・バンティング(1902〜72)の助けを借りて、ブラックやピカソ風の「芸術作品」を適当に作って、その内覧会をギネス夫妻の家で開催した。イーヴリン・ウォーが作品の批評をもっともらしく書き上げ、作品のカタログも作られた。そこにはブルーノ・ハットの経歴が書かれていたが、それによると彼は31歳でドイツ北部の出身で、イギリスに移ってきて雑貨店を経営しているが、独学で絵を学び、それまで作品を人前に出したことがなかった。しかし一か月前に彼のパリに持ち込まれた作品の何点かが、たちまち評判を得たので、展覧会が開催されることになった、というのである。招待された客やジャーナリストはさらにそこで、ブルーノ・ハット本人に会うことができた。見事な口ひげをたくわえ、サングラスをかけ、ドイツ訛りの英語でぶつぶつとつぶやいている車椅子に座った男性だったが、実はそれはダイアナの兄のトム・ミットフォード(1909〜45)だった。D・J・テイラーはこのいたずらにひっかかった人間はほとんどいないとの見解を示しているが、それでも『デイリー・エクスプレス』紙は「芸術の専門家に対する驚愕すべき悪ふざけ、つけひげの知られざる画家ブルーノ・ハット氏」と大々的に報道したのである(『ブライト・ヤング・ピープル』129ページ)。

「アッパー・クラス」の魅力
 1929年にはすでに「ブライト・ヤング・ピープル」の時代は終わりつつあったと、テイラーは書いている。マスコミから勝手につけられたネーミングであり、少しでも目立つことをしたアッパー・クラスの若者にこの名前が当てはめられたため、そのメンバーがじっさい誰だったのか、今ではあまりはっきりしない。何代も続く貴族や地主の家柄の者もいれば、イーヴリン・ウォーや写真家でデザイナーのセシル・ビートン(1904〜80)のようなアッパー・ミドル・クラス出身者もいた。彼らはブライト・ヤング・ピープルとの交流によって作品のインスピレーションを得ると共に、その後のキャリアを築くもととなるコネを得て、彼らの世界を後にした。しかし、なかにはエリザベス・ポンソンビーのように、習慣化した過度の飲酒により肝臓をおかされて40歳の若さで死去し、今では「ブライト・ヤング・ピープルのひとり」としてしか知られていない者もいる。彼らもまた第一次世界大戦の犠牲者と言えるのかもしれないが、マスコミが作り上げた彼らの姿は「マイペースでまわりから自分がどう見られているかまったく無頓着、大胆でエキセントリック」という、ミドル・クラスにとっては憧れの対象ともなるアッパー・クラスのイメージを強化したのである。
 現在のイギリスでは、「アッパー・クラス」の言動やスキャンダルがゴシップ新聞の見出しを飾ることが少なくなった。イギリスでは戦後に、「社交界デビュー」の宮廷でのセレモニーが廃止され、「アッパー・クラス」の社交界は間違いなく存在するものの、見えにくくなったことが理由のひとつかもしれない。マスコミの関心はひたすら王室のメンバーに集中しているし、エリザベス女王の子供たちや孫たちは、それなりに話題の種を提供し続けている。王室以外の例でいえば、2016年の8月に、第7代ウェストミンスター公爵が、64歳で急死した父の称号と莫大な財産を25歳の若さで継いで、「イギリスの最新の億万長者」(『ザ・ガーディアン』2016年8月11日)、「可哀相な金持ちの子供」(『ザ・サンデー・タイムズ』2016年8月14日)などと新聞が書きたてた。「長子相続制度で、姉二人を差し置いて相続」と、『ザ・ガーディアン』は小見出しをつけているが、これも現代のイギリスの読者はアッパー・クラスの相続制度に馴染みがないと思われているからだろう。しかし相続するまでグロウヴナー伯爵として知られていたこの若い公爵は、それまではほとんどマスコミには取り上げられてこなかった(彼がウィリアム皇太子の長男、ジョージのゴッドファーザーのひとりになった時に名前が報道されはした)。これは他の貴族やその他のアッパー・クラスの若者についても同様だろう。「ブライト・ヤング・ピープル」は現代では、王室のメンバーを含む「セレブ」にとって変わられたといえる。しかし、それでもイギリスの文学や文化においては「アッパー・クラス」の姿は常に、さまざまなかたちで表れ続ける。それは時には邪悪であり、時には滑稽な道化であり、時にはヒーロー/ヒロインであったりするが、イギリスの「使用人」と同じく、現代では実際に会ったり接したりしたことのない、大部分の人間にとって、依然として大いなる興味の対象なのである。

 

*本連載は今回で最終回となります。ご愛読いただきありがとうございました。なお本連載に加筆・修正の上、白水社より書籍として刊行予定です。詳しい時期などが決まりましたら白水社ウェブサイトにてお知らせします。どうぞご期待ください。

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著者略歴

  1. 新井潤美(あらい・めぐみ)

    東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士号取得(学術博士)。東京大学大学院人文社会系研究科教授。主要著訳書:『執事とメイドの裏表―イギリス文化における使用人のイメージ』(白水社)、『階級にとりつかれた人びと 英国ミドルクラスの生活と意見』(中公新書)、『不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書)、『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』(岩波新書)、ジェイン・オースティン『ジェイン・オースティンの手紙』(編訳・岩波文庫)

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