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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第二十四信 山内明美より「〈三陸世界〉から見つめ続ける」

姜さん

 新型コロナのパンデミックで明け暮れた、2020年の年の瀬です。
 青葉山の暮れはここ数年にないほどの雪で、今も、外はしんしんと泡雪が降っています。明日朝の雪かきがちょっと大変そうです。いつもの年なら、南三陸の実家へ帰って大掃除と餅つきをしているのですが、今年は帰省せずに、仙台で過ごすことにしました。
 わたしの仕事場には、「ゑびすの幣」が飾ってあります。南三陸では「鯛飾り」とも呼ばれますが、大漁の神である恵比須の切り紙で、大きな鯛やお宝が網にかかっている様子をそのままに一枚の紙を立体的に切り出して表現した御幣です。南三陸町には七種類のこうした「ゑびすの幣」が継承されており、それぞれの集落の法印さん(今では神主)が、一子相伝で継承しています。「ゑびすの幣」は、大漁のイマジネーションそのものを神とするユニークな祈りです。村の中で、圧倒的多数のひとびとが文盲の時代に、文字の刷られた御幣ではなくこうした切り紙が好まれたようで、それが現在まで継承されているようです。
 一説によれば恵比須は、イザナギ、イザナミの三番目に生まれた蛭子尊で、三つになっても立ち上がることができず、船に流したのでしたが、やがてこの子が”恵比須”となって海の向こうから戻ってきたのだと、伝えられています。恵比須は、その障害ゆえに親に葬られ、あの世とこの世を流浪し、自ら生還/再生した異邦の神です。多様な顔をもつ恵比須が、座像で描かれるのも、ハンディキャップを表現しているからです。
 水俣がそうであるように、三陸にも、たくさんの恵比須がいます。クジラやイルカ、ウミガメも恵比須と呼ばれます。時には、海を漂って船に寄りついた無縁仏をも恵比須と呼びます。網にかかった死者を丁重に葬る習わしがあるのは、死者が大漁に導く恵比須でもあるからです。そして、巨大な鯨波となって荒れ狂う津波も、やはり恵比須なのです。
 世界とは、清-濁、幸-不幸が一体となって現れる場所です。しかし、それを善/悪や幸/不幸と区別するのは、ただ人間がそうするのだと、わたしは、生まれ育った〈三陸世界〉で学んだように思います。言い換えれば、区別/差別は、人間がその社会の内側に生み出すものです。自然の中に区別が存在するわけではありません。
 思えば人間がつくった暦にあわせて、虚構の時空間を基盤に、富を蓄積し、人間の人間による支配も続いてきました。現在に至るまで使われてきた、月の満ち欠けと農漁業を軸とした暦です。こうした暦も、資本主義という圧倒的価値規範の中で序列化が加速し、お金と時間を基準に月日がまわるようになって現在に至っています。
 姜さんが、とてつもなく長大で深淵な書物と語った農それ自体もまた、自然支配のはじまりでした。あるいは、水俣の漁師緒方正人さんは、漁師という生業の罪深さについて、いつもお話しされます。「漁師は、あらゆる罪を犯している。拉致監禁殺害。」海から魚を奪ってくることを、その命を屠ることを、緒方さんはそのように話していました。それは、すべて人間の所業です。それもまた「凡庸な悪」であり、この悪をいかに制御できるかが、この世界の行く末を決めていくのだと思います。その制御にはたぶん、姜さんもお考えになる「非人」の知恵というものが必要なのだと、わたしも感じています。人間の生は、生産性ゼロに産まれて、やがて生産性ゼロに戻って行きます。赤子や年寄りの存在が大事なのは、「凡庸な悪」に抗する存在だからかもしれません。生産性ゼロの存在を認め合う世の中になって行けなければ、「凡庸な悪」は制御できない。この世に恵比須が非人となって再来するのは、そのためかもしれません。姜さんもやがて、恵比須ですね。


私の仕事場に飾ってある伝承切り紙の「恵比須大黒」。これは南三陸町戸倉地区二渡神社の佐藤泰一さんに切っていただいたものです。1枚の障子紙を幾重にも重ねて、昔は包丁で切っていました。現在ではカッターを使うようです。網に鯛がかかっている様子を表現しています。中央上に蕪の造形があるので、これは大黒も兼ねています。三陸地域の家庭には、茶の間と中座敷にふたつの神棚があり、恵比須大黒は茶の間に飾るのが一般的です。網元などの大きな家では、お金をつんで豪奢な鯛飾りをつくってもらうこともあったそうです。


南三陸町入谷地区入谷八幡神社の禰宜 榊美江さんが「ゑびすの幣」を切っている様子。

 と、ここまで前置きでした。
 2018年12月からはじまった2年間に及ぶ、姜信子さんとわたしとの、これが最後のお手紙となりました。この往復書簡は、2018年12月14日にはじまりました。姜さんから一番最初の書簡を受け取ったのは、鉄犬ヘテロトピア文学賞贈賞式の日にあたる2018年12月22日でした。鉄犬ヘテロトピア文学賞は、詩人の管啓次郎さんの呼びかけで、「グローバル資本主義に蹂躙されるこの世界に別の光をあて、別の論理をもちこみ、異郷化する運動への呼びかけ」として、当初のオリンピックの開催年であった2020年までの期限付きの文学賞として2014年にはじまり、今年が最後となりました。選考対象となる作品は、

 ・小さな場所、はずれた地点を根拠として書かれた作品であること。
 ・場違いな人々に対する温かいまなざしをもつ作品であること。
 ・日本語に変わりゆく声を与える意志をもつ作品であること。

 姜さんは、2016年の第3回で『声 千年先に届くほどに』(ぷねうま舎)で本賞を受賞されました。そして、2018年の受賞作品は、台湾出身でタオ族作家のシャマン・ラポガンさん『大海に生きる夢』(訳・下村作次郎さん、草風館)で、ラポガンさんを囲んでのお祝いの会の席上で、姜さんは封筒に入った一通目のお手紙を、わたしに差し出されたのでした。
 受けとった書簡の第一信には、植民地朝鮮の詩人 李相和(イ・サンファ)の詩「奪われし野にも春は来るか(빼앗긴 들에도 봄은 오는가)」が引用されていました。この詩を、一連の書簡の主題として姜さんは設定されたように思います。そして確かにわたしたちは、この書簡の中で「奪われし野」について語り合い、奪われし春の奪還/回復について思考をたどってきました。
 毎回の書簡を受けとるたびに、わたしの方はびゅんびゅん飛んでくる姜さんの飛礫を拾うのに精一杯で、とてもラリーのようにはできませんでした。拾いに行ったまま戻ってこないわたしが何人もいます。また、わたしの方はわたしの方で、お互いが使っている言葉の内実の幅について気になっていました。たとえば「祈り」という言葉の内実について、あるいは「民主主義」という言葉の中身についても。とりわけ、姜さんが民主主義、アナキズムと使うときの、その内実の意味はわたしの想念にあるものとはかなり違った意味であったはずです。それは“민주주의(民主主義)”や“아나키즘(アナキズム)”を含む意味を持っていたはずでした。韓国、朝鮮における“민주주의(民主主義)”は、東学や光州事件を背景とするような、まさに民衆精神のよりどころであり、多くの日本人が想定する民主主義や、欧米由来の“Democracy”ともずいぶん異なるものだと感じています。このことは、わたし自身が短い韓国での勉強の時間に嗅ぎとった感覚であり確かなものではありませんが、それくらい意味の幅を持った言葉だろうと感じていましたが、その意味については書簡で触れようと思いながらも、ついに触れず仕舞いでした。そして “아나키즘(アナキズム)”についても現前の植民地主義を乗り越える意味として、この日本社会の中で、「在日する」姜さんの内側でなにがしか醸成され、培われた内実をもって機能しているのではないかと思います。あるいは姜さんの「祈り」は、“기도(祈祷/祈り)”に由来するからこその「すんなら じょろりば 語りましょうかい」になるのかもしれず、石牟礼さん由来とばかりではないかもしれないのでした。国と国のはざまからこぼれ落ちた非人(かんじん)から、この世がどんな風にみえているでしょうか。――こんなことならいっそ、みんな国非人になってしまえばいいのに、とわたしが語れる立場でもないのですが……。
 最後の書簡にあたって、春について、もうひとつの言葉をここに置きながら、最後のお手紙を認めたいと思います。

 ノアの洪水さながらの東日本大震災の惨事すらやがては記憶の底へと沈んでいって、またも春はこともなく例年通り巡って行くことであろう。記憶にしみ入った言葉がない限り、記憶は単なる痕跡にすぎない。(2011年4月12日付 東京新聞)

 福島第一原子力発電所の爆発事故から、ちょうど一か月後に、詩人の金時鐘さんが新聞紙上で語った言葉です。異邦の神としてあらわれた恵比須は、他者の本性を見抜き、浮き彫りにするのです。これが恵比須の恵比須たる由縁だと思います。
 時鐘さんのこの言葉が語られた直後は、海から数十、数百という津波の犠牲者が引き上げられる時間の中で、わたし自身も受け入れることが難しい言葉でした。しかし、今思い返しても、この10年の来し方がすべて見通されていたような言葉であったと思います。時鐘さんはすっかりこの国の中身を見抜いているのです。
 金時鐘さんが“春”という言葉を語るとき、李相和を意識することなしにはありえないように思うのです。否、植民地時代を経た人々にとって、奪われた春という主題は、共有された認識だと思います。それは石牟礼さんにとっても重層低音です。

 わたしには童謡、子供のとき唄ったわらべうたがありません。誰しもが至純に思い起こされるべき、幼い日の歌がないのです。あるのは押しつけられた日本の歌ばかりです。それも押しつけられる歌とはつゆ知らず唄った歌でしたので、無心に唄う幼い日まで失くしてしまった「歌」なのです。ありあまる朝鮮の風土の中で、ほほもめげよとばかり声張り上げて唄った歌は、皆が皆、日本の童謡であり、文部省選定の唱歌ばかりです。「夕焼け小焼け」と唄うとき、かさぶたのような藁屋根の向こうに、鎮守の森を歌ごころで被せて唄っていたのです。それだけに歌の情景とはほど遠い朝鮮の風土は、わたしの心からずんずん離れていかざるをえなかったのでした1

 「またも春はこともなく例年通り巡って行く」と時鐘さんが語るとき、植民地下の教育で日本語を話し、皇国少年であった自分が、何を失ったのかさえ気がつかないままでいたことかもしれません。そして、戦後においてもなお、朝鮮戦争と反共国家を背景に「在日」しなければならなかった自身の「祈り」について、時鐘さんは「ひとりっ子の安全を恨み多い日本に託さねばならなかった父の思いこそ、在日するわたしの祈りの核だ。」と語っていました。皇国少年だった時代を経て、やがて朝鮮語を回復してゆく過程で見出した春。しかし、戦後の混迷期の中で、朝鮮語では語ることのできない出来事を、「在日する日本語」で語りはじめるときのこと。ここで語られる春は、大変重たいものです。
 さて、これをわたしはどう書けばよいでしょう。
 福島での原発事故を顧みれば、広島、長崎に原爆が投下され、アジアは解放され、日本は負けました。戦後はアメリカの植民地となり、原子力による人類初の人体実験の記憶を忘却させるための「核の平和利用」は、テレビ、冷蔵庫、洗濯機となって日本家庭の隅々にまで電化製品となって浸透していきました。日本列島の津々浦々には四角い田んぼがどんどん開拓され、春はこともなく例年通り巡って行きました。一億総中流と言われた時代の中で、わたしたちはまさに、その沈黙の春とでもいうべき「ぬるさ」を享受してきました。田んぼの風景と原子力発電所が共存するその景色の中で、自分たちが何を失っているのかさえ、気づかないままに。
 こうして書きながら、金時鐘さんの経験と福島の原発事故を並列して語ることに、戸惑いを覚えています。
 時鐘さんは、子どもの頃に父が教えてくれた朝鮮語の歌の記憶とともに、自分の朝鮮語を取り戻すことになりました。しかし、その過程は、わたしが想像しても、苦しい経験であったと思うのです。では、一方の福島は、この日本社会はどうなっているだろう。こともなくぬるい春が、また巡っています。10年という人間が勝手につくった尺度の時間で、原発は、無反省にも加速的に再稼働容認の動きを見せています。
 単に記憶の記録のみならず、そこにしみ入った言葉がなければ、奪われた春が巡ってくることはない。そしてわたし自身について言えば「記憶にしみ入った言葉」を未だ獲得できてはいません。そして、直面した事実の困難と、日本という国の情けない来し方を思えば、そう簡単ではないとも感じてもいます。あえて言っておかなくてはならないですが(姜さんにではなく)、これは自虐でも何でもなく、原発だらけ、使用済み核燃料に埋もれてゆくわたしの國への、嘆きです。そういう意味では、わたしの内側はパトリなのです。だから、わたし自身の方法としては、「記憶にしみ入った言葉」を探しながら、土を耕していくしかないなと思っています。この論理が、姜さんと共有できるかどうかは心許ない気がします。
 広島・長崎に人体実験のための原子力爆弾が投下され、この国の戦後は、被爆からはじまりました。しかし、2011年に起きた福島第一原発の爆発事故は、この国が戦後66年間、あの被爆を顧みることなく過ごしてきたことを、明らかにしました。誰かの犠牲のもとに成立してきた国家は、戦後も、植民地での所業を顧みることがありませんでした。それがやがて自己を植民地化し蝕んでいることすら、未だに気がついていないのです。
 この10年間、わたしが石牟礼道子さんの『苦海浄土』をなんども参照してきたのは、「記憶にしみ入った」言葉が、石牟礼さんのもとにしかなかったからです。この日本には、それしかなかったからです。
 日本海側の海に比べれば、三陸の海はもうすこし穏やかです。けれども、不知火ほど穏やかで凪の美しい海は見たことがありませんでした。あの海と共に暮らす人びともまた、不知火なのだと思います。あの不知火に、有機水銀が引き起こした生の歪みの、そのままの生を容認できない難しい部分が、わたしにはとても恐ろしかった。そして、その生の歪みが、わたしの國の内側で、わたし自身を蝕んでおり、春を知らないままに生きてきたことも、原発事故の後で、ようやく気がつくという愚かなあり様だったのです。
 この書簡がはじまる少し前に、わたしは帰郷し、地元仙台の大学で教鞭をとることを選びました。ここには、津波に遭遇した学生も原発避難の学生もいます。そんな場所に、とりあえずでも身を置こうと思ってここへ来ました。
 フーコーならヘテロトピアと言いました。水俣では、じゃなか娑婆(もうひとつのこの世)、この苦海浄土は、わたしの言葉なら〈三陸世界〉です。この世界の顛末を、わたしはもうしばらく、この場所で見つめる作業を続けます。答えはまだ、出ないけれども。

2020年12月29日
山内明美

1 金時鐘『「在日」のはざまで』平凡社、2001、pp27-28


青森県六ケ所村。日本原燃 使用済み核燃料の再処理工場。


青森県六ケ所村。六ケ所村は、エネルギーとの共生を村是にしており、
村には、メガソーラー、風力発電、石油の備蓄基地が広がっている。


青森県六ケ所村。メガソーラーと石油備蓄基地。


福島県大熊町、2018年11月19日。
手前は2011年の津波被害を受けた建物がそのままになっている。
写真奥の白い建物は、中間貯蔵施設。

 
福島県大熊町。
福島第一原子力発電所を取り囲む形で16キロ四方にわたって中間貯蔵施設の埋設作業が行われている。
2018年11月19日のダンプ搬入1750台。汚染物質の搬入作業の様子。


青葉山の雪景色

(撮影はすべて山内)

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著者略歴

  1. 山内明美(やまうち・あけみ)

    1976年、宮城県南三陸町生まれ。宮城教育大学教育学部准教授。専攻は歴史社会学、農村社会学。日本の東北地方と旧植民地地域の双方をフィールドに、稲作とナショナリズムをテーマとする文化的政治にまつわる研究をしている。東日本大震災以後は、郷里の南三陸での農村調査も行っている。著書『こども東北学』(イースト・プレス)、共著『「辺境」からはじまる――東京/東北論』(明石書店)、共著『グローバル化の中の政治 岩波講座 現代4』(岩波書店)、共著『ひとびとの精神史 第3巻』(岩波書店)など。

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