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新井潤美「ノブレス・オブリージュ——イギリスの上流階級」

第13回 新しい「アッパー・クラス」と「ブライト・ヤング・ピープル」(上)

 アガサ・クリスティの作品には、ベルギー人の私立探偵エルキュール・ポワロも、イングランドの田舎の村に暮らす年配の素人探偵ミス・マープルも出てこない小説がいくつかある。登場人物がたまたま探偵のような役割を担う物語の他に、そもそもいわゆる「事件」らしいことすら起こらないものもある。「エドワード・ロビンソンの男らしさ」( ‘The Manhood of Edward Robinson’、1934年)もそのひとつだ。あらすじは次のようなものである。
 エドワード・ロビンソンはロンドンの羽振りの良い会社の事務員で、モードという婚約者もいて、不満のない毎日を送っている。この冒頭の部分だけで、当時のイギリスの読者には主人公の階級の見当がつく。「事務員」であること、そして婚約者の名前が「モード」であることから、彼がロウワー・ミドル・クラスだと推測がつくのである(ヴィクトリア朝の人気詩人アルフレッド・テニソンが1855年に書いた詩「モード」のヒロインの名前はその後、女の子の名前として、特にワーキング・クラスやロウワー・ミドル・クラスの間で人気があった)。モードは安物のブラウスを着ているが、肌は綺麗で容姿も頭も良く、分別もある。妻にするには理想的な相手だが、アッパー・クラスや貴族が出てくるロマンス小説の愛読者であるエドワードには実はどこか物足りない。
 エドワードにはモードに言っていない秘密がある。3か月前に週刊誌の懸賞に応募したところ幸運にも一等賞の500ポンドを手にして、その金でスポーツカーを衝動買いしてしまったのだ。ある日、ひとりでドライブに出た彼は、車のポケットに入れておいたマフラーをとろうと手を入れて仰天する。そこにマフラーがなかっただけでなく、ダイアモンドのネックレスが入っていたのである。途中で車を止めてあたりを歩き回った時に似たようなスポーツカーが近くに止めてあったことを、エドワードは思い出す。明らかに彼は車を間違えてしまったのだ。気を落ち着けて車のポケットをさらに探ると、「グリーン村、ソルターズ・レインの角で、十時に」と書いてあるメモが見つかる。そこへ行って事情を説明しようとエドワードは決意する。指定された場所にようやくたどり着くと、待っていたのは真っ赤なイヴニング・ドレスを身にまとった、漆黒の髪に真っ赤な唇の美女だった。「あら、ジェラルドじゃないわ」と彼女は最初は驚くが、エドワードが名乗って、説明を始めようとすると最後まで聞かずに「代わりに来てくれてありがとう」と、車に乗り込む。夢でも見ているのではないかとエドワードは思うが、この見知らぬ美女が言うままに席を替わり、彼女の運転でロンドンの社交界の花形が出入りする有名なナイトクラブに連れて行かれる。途中で彼女は、ダイアモンドのネックレスをやすやすと盗むことができたと、エドワードに得意げに語る。そしてナイトクラブに着いてそのネックレスを身につけ、エドワードと踊っていると、知り合いに「レイディ・ノリーン」と声をかけられる。社交界に縁のないエドワードもその名前は知っていた。

エドワードは頭がくらくらしていた。この女性が誰だかわかったのだ。レイディ・ノリーン・エリオット、まさにあの有名なレイディ・ノリーン、イングランドで最も話題になっていると言ってもよい、その人なのだ。その美貌、そして大胆さは有名で、「ブライト・ヤング・ピープル」として知られている連中のリーダー格だ。
(「エドワード・ロビンソンの男らしさ」)

 気を取り直したエドワードが、なぜネックレスを盗んだのか尋ねると、レイディ・ノリーンは「同じことをしているのにもう飽き飽きしたから」と答える。

しばらくは宝探しが面白かったけど、なんにでも慣れてしまうでしょう。「空き巣」は私の思いつきだったのよ。参加費が50ポンド、それでくじをひくの。今回が三度目よ。ジミーと私はアグネス・ラレラに当たったわけ。ルールはこうよ。三日以内に空き巣をやってのけて、戦利品を公共の場で、少なくとも一時間身につけるの。できなかったら参加費は没収で、さらに100ポンドの罰金をとられるのよ。
(同上)

 エドワードはやっと納得がいくが、そこに「たいへんだ、ジミーのバカが車を間違えたんだ」と叫びながら若者が走ってくる。エドワードをジミーの代理で来た友人だと勘違いしていたレイディ・ノリーンは、今度はエドワードを本物の泥棒と勘違いする。エドワードはレイディ・ノリーンの目に「尊敬と賞賛」が浮かぶのを見て、とっさに泥棒のふりをするが、「ネックレスをアグネス・ラレラに返さなければいけないの」と哀願するレイディ・ノリーンにネックレスを返し、「紳士的な泥棒」の役割を見事に演じて車で立ち去る。しがない事務員エドワード・ロビンソンのつかの間のロマンスと冒険の物語である。
 レイディ・ノリーンという称号から、彼女が貴族の娘であることがわかるが、なぜそのような人物が、遊びとは言え空き巣などするのか。なぜ「本物の泥棒」を「尊敬と賞賛」の目でみるのか。「ブライト・ヤング・ピープル」として知られていた、当時のアッパー・クラスの一部の若者たちのことを知らないと、理解するのは難しいかもしれない。

アッパー・クラスと新聞業界
 「ブライト・ヤング・ピープル」、あるいは「ブライト・ヤング・シングス」とは、1920年代のイギリスで、派手な仮装パーティや遊び、そして大がかりな悪ふざけで世間を騒がせたアッパー・クラス中心の若者のグループに、マスコミがつけた名前である。第一次世界大戦が伝統的なアッパー・クラスにもたらした影響は多大なものだった。パブリック・スクールの生徒たちは卒業すると共に(時にはその前に)志願し、士官として戦場に行き、その多くが命を落とした。今でも歴史のある男子パブリック・スクールに行くと、講堂などに卒業生の名前がずらっと壁に刻まれているのを目にするが、それは第一次世界大戦で命を落とした卒業生のリストなのである。無事に戦場から帰還した者も、戦争が終わってももとの生活に戻ることは難しかった。社会そのものが大きく変わったこともあった。彼らは教育を中断され、理想や大義を失い、目的を失ったまま刹那的に毎日を生きていた。戦争に行くには若すぎた年代の若者にも同様のことが起こっていた。そして「ブライト・ヤング・ピープル」はおもにこのような若者たちにマスコミが与えた呼称だったのである。


写真家セシル・ビートンも「ブライト・ヤング・ピープル」の一員だった。ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーは、2020年3月から「ブライト・ヤング・シングズ(ピープル)」展を開催したが中止を余儀なくされ、現在、彼らの華麗さを偲べる見事な動画を下記で公開している。
www.npg.org.uk/whatson/cecil-beaton-bright-young-things/exhibition

 特に彼らの行動を常に報道して、その知名度を上げたのが、今でもロイヤル・ファミリーやセレブの記事の報道で知られている『デイリー・メイル』である。『デイリー・メイル』は1896年に、ロウワー・ミドル・クラスの読者をターゲットとして、アルフレッド・ハームズワース(1865〜1922)によって創刊された新聞だった。ハームズワースは1905年に男爵の爵位を与えられて、ロード・ノースクリフとなったが、これは当時「爵位の粗悪化」と非難された、1890年代から第一次世界大戦の勃発までの20年間に見られた、財閥に爵位を与える動きの一環だった。1895年にいわゆる「新聞王」に最初に爵位が与えられた。『モーニング・ポスト』紙(1937年に『デイリー・テレグラフ』紙に買収される)の所有者アルジャーノン・ボースウィック(1830〜1908)が男爵の爵位を得て、ロード・グレネスク(第一代グレネスク男爵)となったのである。1903年には『デイリー・テレグラフ』紙の所有者エドワード・レヴィ=ローソン(1833〜1916)がやはり男爵となった(第一代バーナム男爵)。さらに1917年にはカナダ生まれの新聞王で、当時世界最大の発行部数を誇っていた『デイリー・エクスプレス』紙の所有者マックス・エイトケン(1879〜1964)が第一代ビーヴァーブルック男爵となった。
 ヨーロッパの例にもれず、イギリスでも1880年以降、地主階級の財力と権力は損なわれていった。農作物の値段が著しく下がり、土地はもはや最も安定した財源ではなくなったのである。新聞王の例にも見られるように、爵位がはじめて地主階級出身ではない人々に与えられるようになった。このような新しい、財閥系の貴族に対する最大の批判は、デイヴィッド・キャナディンの言葉を借りると「彼らが上品でもなければ私欲のない人間でもない」ことだった(『イギリスの貴族の衰退』327ページ)。キャナディンは次のように続けている。

土地を持った有閑階級が支配することの正当性というのは――グラッドストン[イギリスの首相ウィリアム・グラッドストン]が常に言っていたことだが――彼らが義務感と、国の利益のために支配していたことだった。[中略]しかし金融業者や資本家、投機家、そして公債を組織したり政府との契約をとりつけようとした人々は、定義上「私欲がない」ことはあり得なかった。彼らが政治に携わっていたのは、そこからなんらかの見返りを得るためであって、なんらかの貢献をするためではなかったのだ。さらに彼らの多くは地域に属しているという自覚がなかった。ひとつの土地との歴史的なつながりとか、忠誠心といったものを持たなかったのである。
(327ページ)

 これらの新しい貴族たちが、昔からの貴族や地主だけでなく、他の階級の人間からも冷ややかな目で見られていたのは無理もないだろう。
 イギリスの人気ドラマ『ダウントン・アビー』についてはこのコラムで何度か触れてきたが、第二シーズンでサー・リチャード・カーライルという人物が登場する。裕福で金儲けのためには冷酷にもなる新聞王で、欲しいものを手に入れるためにはゆすりもやってのける。グランサム伯爵の長女、レイディ・メアリーと婚約するが、レイディ・メアリーが婚約を破棄しようとすると、破棄したら彼女の秘密を新聞で暴露する、新聞を売るのが自分の仕事だからだ、と婚約者までもゆすりの対象にしようとする人物である。
 『ダウントン・アビー』の製作者ジュリアン・フェロウズの姪のジェシカ・フェロウズ著『ダウントン・アビーの世界』(2011年)によると、サー・リチャードはロード・ノースクリフとロード・ビーヴァーブルックがモデルになっているという。その財力で称号(サー・リチャードの場合は爵位までは手にしていないが、ロード・ノースクリフもロード・ビーヴァーブルックも、前者は准男爵、後者はナイトとして、まず「サー」の称号を得てから爵位を得ている)や土地や邸宅を手に入れるが、しょせん紳士ではなく、メアリーの家族や友人からも受け入れられないのである。しかも彼らが発行する新聞は、当時その数が急増して新しい消費者として存在感が大きくなりつつあった、ロウワー・ミドル・クラスの読者をターゲットとしていた。そのような読者の興味を惹くためには国内外の政治についての論説や報道ではなく、センセーショナルなニュース報道、そして懸賞や賞金つきのゲームが効果的だという判断のもとに、これらの新聞は、再びキャナディンの言葉を借りると「中途半端に教養のある民主主義の新聞」となり、「起こったことを報道するだけではなく、これから起こることに影響を与えようとする」ものとなっていったのである(327ページ)。冒頭で紹介したアガサ・クリスティの短篇でエドワード・ロビンソンが手にする500ポンドは、週刊誌の懸賞で得たものだが、ロビンソンが読むような当時の新聞でも似たような懸賞がしょっちゅう行なわれていたのだ。

見る側、見られる側としてのアッパー・クラス
 このような新聞を読んでいたのは、ロビンソンのようなロウワー・ミドル・クラスの事務員だけではなかった。ビーヴァーブルックやノースクリフの新聞は、アッパー・クラスのパーティや集まりを報道するために、金に困っているか小遣い稼ぎをする必要があるアッパー・クラスの若者や、彼らと接点のあるアッパー・ミドル・クラスの若者を、ゴシップ・ライターとして雇っていた。アガサ・クリスティのエドワード・ロビンソンは、レイディ・ノリーンをはじめとする「ブライト・ヤング・ピープル」についての情報を、この種の新聞をとおして得ていたのだが、自分たちの言動を、しかもしばしば自分たちの仲間によって書きたてられたアッパー・クラスの若者たちの多くも、これらの新聞を読んでいたのである。
 小説家イーヴリン・ウォー(1903〜66)は、ロンドンのアッパー・クラスの社交界を風刺した『卑しい肉体』(Vile Bodies、1930年)の中で、やはりロード・ビーヴァーブルックをモデルにした新聞王、ロード・モノマークを登場させている。ロード・モノマークはゴシップ・ライターとして「第八代バルケアン伯爵」を雇っているが、ロード・バルケアンはゴシップ・ライターであることがばれていて、社交界のホステスたちがなかなか自分たちのパーティに招いてくれない。ある日変装して社交界の花形ホステスのパーティに忍びこむが、変装がばれて、パーティを追い出される。これ以上ネタがないと首になると編集長に言い渡されたロード・バルケアンは、嘘八百のスキャンダラスな記事を送ったのちガス・オーヴンに首をつっこみ、「こうして最後のバルケアン伯爵は祖先のもとに行ったのである」という、ウォーのシニカルな語りと共に退場する。そしてさらに皮肉なことに、このパーティにはバルケアン伯爵の雇い主のロード・モノマークが出席していて、「変装するなんてなかなか見込みのあるやつだ。明日昇給してやろう」と話しているのである。アッパー・クラスをネタにして金を儲けた新興貴族の新聞にネタを提供し損ねて身を滅ぼす、由緒正しい家柄の貴族の青年の最期が、ウォーらしいブラック・ユーモアと共に淡々と語られるエピソードである。
 ウォーのロード・モノマークは(そしてロード・バルケアンも)架空の人物だが、このような新興貴族と積極的に社交をするアッパー・クラスは少なくなかった。なによりも彼らは財力と権力を兼ね備えていたし、世慣れていて、興味深い話題を提供し、刺激的であった。そして「アメリカン・マネー」の場合と同じく、彼らが社交界に受け入れられた大きな理由のひとつは、エドワード七世だったのだ。彼は「スマート・セット」と呼ばれた、おもにアメリカ、あるいはユダヤ系の財産家と交際するのを好んだ。アメリカ人の場合と同様、古くからの家の保守的な貴族や地主たちよりも、彼らと話したり遊んだりするほうがよほど面白かったのである。エドワード七世はアスター家やロスチャイルド家の人々と親しく付き合い、贅を尽くしたディナーとウィットに富んだ会話を求めた。古いしきたりや伝統を嫌い、華やかな生活や女性とのロマンスを追い求める彼の性格は、後に孫で、恋のために王冠を手放したエドワード八世に受け継がれたのである。

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著者略歴

  1. 新井潤美(あらい・めぐみ)

    東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士号取得(学術博士)。東京大学大学院人文社会系研究科教授。主要著訳書:『執事とメイドの裏表―イギリス文化における使用人のイメージ』(白水社)、『階級にとりつかれた人びと 英国ミドルクラスの生活と意見』(中公新書)、『不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書)、『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』(岩波新書)、ジェイン・オースティン『ジェイン・オースティンの手紙』(編訳・岩波文庫)

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