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詩・野村喜和夫×音楽・小島ケイタニーラブ×写真・朝岡英輔「花冠日乗」

(12)ヒヤシンスの紫

46
夢? 無観客のピアノリサイタルになぜか居合わせている
痩身のピアニストからきらびやかな音のシャワーが私の全身に降り注ぎ
恐れやおののきのいっさいを洗い流してゆく
嘘だろう? 演奏が終わり外に出ると雨まじりの曇天



さかのぼるが
ヤコブの梯子から地上の砂礫に
ふと眼を落とすと
もう薔薇だ、薔薇が咲いてしまっている
真紅のビロードの肉を重ね、看護師のひるがえる白衣を集めて
それらもまた剥き出しの何か
だろうか

5月11日
世田谷通りから分岐した道を辿ると
いつのまにか、卵管の奥みたいな? この先行き止まり
に強制終了させられてしまう
尽き果て
杣道でいえば、林間の空地のようなところに出てしまうのだ
思惟の猿も明るむ?

5月15日
むき出しの岩になりたや雷雨浴び
鬼房



47
そう、剥き出しの私たちには
もしかしたら油脂の殻さえないかもしれない
ただの細胞の塊としてころがり
スキャン、どこかべつの星にいるような強烈な光を浴びて
叫びを上げ、あるいは沈黙に口を歪め、涙も出ないでいる私たち

夕刻7時、環七の方南町歩道橋から
医療従事者への感謝のしるしに
青くライトアップされた都庁舎のツインタワーが見える

出口はあるのだろうか
ない、たぶん
ここ自体が非常口なのだ、未来永劫にわたって
ヘヴン、非常口なのだ



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だからだろうか、毒のある花冠が去り始めた
近いうちまた来るよ
と不気味に突起をひらめかせながら

──いつか死ぬことと、いま生きていることと、どちらが確実か、もう一度、自分の言葉で答えてくれませんか。
──いつか死ぬことと、いま生きていることと、どちらもひとしく確実であり、不確実です、仏たちの顔もウイルスを縁取る花冠も、ヒヤシンスの紫に如かないのですから。

5月22日
誰? 雲に夕映えが反射してターナー
の画面のような、その柔らかくも不穏な光の層に
おまえが駆る不安もいくらか輪郭をぼかし、溶け入ってゆくようだ
と誰が

代わりに時間はふたたび流れを取り戻し
整序され始めた
秋のフラメンコ舞踊公演に向けて、きみもようやく動き出す



49
尽き果て、という言葉がまた浮かぶ
私もまた何かの尽き果て
がどこまでもどこまでも岬のように伸びてゆくのだ
岬? 陸へとめくり返され
ああもう産道でも参道でもいい、尽き果ての
うつくしい狭窄のなか、私も逆立ちしてダンスダンスしたいよ
バッカスの滓かかえ
弥勒のフルフル吹きはらし

5月28日
豪徳寺付近で
不意の驟雨に襲われたあと
虹に出会った、なつかしい友のような虹に
あるいは空へとまよい出た未知の波濤のきれはし
世田谷線の踏切を越え
梟焙煎研究所にいたる路上
崇高ともいうべき、とてつもなく大きなクスノキの近くで



50
さかのぼるが
5月25日
緊急事態宣言が解除された

バッカスの滓かかえ、弥勒のフルフル吹きはらし

 

 

 

 

 

 

 

 

詩:野村喜和夫(のむら・きわお)
1951年、埼玉県出身。早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。戦後世代を代表する詩人のひとりとして現代詩の先端を走り続けるとともに、小説・批評・翻訳なども手がける。詩集『特性のない陽のもとに』(思潮社)で第4回歴程新鋭賞、『風の配分』(水声社)で第30回高見順賞、『ニューインスピレーション』(書肆山田)で第21回現代詩花椿賞、評論『移動と律動と眩暈と』(書肆山田)および『萩原朔太郎』(中央公論新社)で第3回鮎川信夫賞、『ヌードな日』(思潮社)および『難解な自転車』(書肆山田)で第50回藤村記念歴程賞、英訳選詩集 Spectacle&Pigsty(Omnidawn)で2012 Best Translated Book Award in Poetry(USA)を受賞。著書はほかに『証言と抒情——詩人石原吉郎と私たち』(白水社)など多数。2020年度から東大駒場の表象文化論コースで詩を講じている。

音楽:小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)
シンガーソングライター。1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部卒業。2016年、「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。18年、最新アルバム『はるやすみのよる』をリリース。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌の歌唱、映画『老ナルキソス』(東海林毅監督)の音楽など。 2011年から朗読劇『銀河鉄道の夜(with 古川日出男・管啓次郎・柴田元幸)』に出演および音楽監督を担当。13年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動pontoを開始したほか、江國香織やよしもとばななの作品に音楽をつけるなど文学の領域でも多彩な活動を展開。20年3月、初の著書『こちら、苦手レスキューQQQ!』を刊行。

写真:朝岡英輔(あさおか・えいすけ)
写真家。1980年、大阪府生まれ。埼玉県出身。中央大学理工学部物理学科卒業。松濤スタジオ勤務、写真家・藤代冥砂のアシスタントを経て独立。後藤まりこ、downy、打首獄門同好会、オガワマユ、DOTAMAをはじめとしたミュージシャンや、ポートレートの写真を撮影。2016年、音楽と旅をテーマにした初の風景写真集『it’s a cry run.』を上梓。林奕含『房思琪の初恋の楽園』(泉京鹿訳、白水社、2019年)、フレデリック・ルノワール『スピノザ よく生きるための哲学』(田島葉子訳、ポプラ社、2019年)、乗代雄介『最高の任務』(講談社、2020年)などのカバー写真を担当。

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