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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第二十信 山内明美より「近代国家が内包する排他的愛」

姜さん

 今日は、朝鮮戦争勃発から70年目の6月25日です。そして、一昨日の23日は沖縄戦終結から75年目でした。
 それぞれが節目の年で、新聞での報道は例年に比べれば比較的に言及されてはいるものの、それほど大きな扱いではありません。一面に上がったのは、山口県と秋田県に配備予定だった迎撃設備イージス・アショアの配備中止の記事でした。(これについては後で触れます。)Face Bookで知り合いが共有してくれた朝鮮戦争に関わる新聞記事の中で、高史明さんが「私は朝鮮人なのに朝鮮語が分からない、得体の知れない存在だ。日本社会がつくりあげたものだ。」と語っていました。
 在日韓国・朝鮮人を総称して、「在日」と表記することがあります。マイノリティ研究をはじめとする研究者の間でもしばしばこのように書きます。それは広く見れば、在日中国人、在日台湾人、在日フィリピン人、在日ネパール人……といった他の在日外国人と区別するために「在日」と表記するわけですが、もっと別の意味があるように思います。それは高史明さんがはっきり言ったように、「日本に長く暮らしていても日本人ではなく、朝鮮、韓国籍を持っていても朝鮮、韓国人ではない」という意味での、国家と国家のはざまに位置する「在日」のことです。そして、この「在日」を日本で使う場合には、植民地支配以後の排外による、つまり高史明さんが言う、「日本社会がつくりあげた「在日」」というもう一つの意味があります。(もちろん、こうした特別な意味の含みを持ったカッコ付き表記を嫌う人もたくさんいます。)
 こうした「朝鮮人なのに朝鮮語が分からない」「日本に住んでいるのに、日本人ではない」という存在は、ナショナリズム(民族主義/国家主義)の「一国家、一言語、一民族」を主張する立場から異質とされ、排除されてきました。日本社会がアイヌや琉球民族、そして多くの在日外国人によって構成される多民族国家であるという自明の事実があってもなお、ナショナリズムはそれを見えなくします。こうしたナショナリズムの感情は、近代社会(国民国家)がその内部に抱えている排他的愛にまつわる、もっとも厄介な情念です。


東北自動車道 白石市を通過する頃の看板

 姜さんと一緒に何度かこの看板を見ながら南から北、北から南を縦断しましたね。私はこの看板から北で暮らしています。姜さんはこの看板から南で暮らしている。この38度線を境界に南北朝鮮は分断されました。ふたりのアメリカ人によって、たった30分で分断線が決定されました。

 前回の姜さんのお手紙はBlack lives matterの日に書かれたものでしたが、レイシズム(人種主義)についても同様のことが言えます。近代社会は、フランス革命がそうだったように自由・平等・友愛の世界を目指したつもりでした。しかし、今日に至るまで、世界は一日たりとも自由・平等・友愛になった日はありませんでした。この社会を本来あるべき姿の、「あの近代」と呼べるのかどうか、とても怪しい。むしろ高度な殺害技術の開発も相まって、ナショナリズムによる排外と人種主義は壮絶化しているように見えます。ここまで何度も繰り返し、この書簡で私たちは語り合ってきたと思うのですが、この近代社会の仕組みそのものが、排外と人種主義を生み出しているように、私には見えます。この書簡の第十信で、アウシュヴィッツを回想しながら、私が「この近代社会は否だと思いました。」と書いたのは、どう考えても、この社会の仕組みそのものに排外と差別が巣食っているとしか思えないからです。ならば、古代や中世社会に差別が無かったかというと、そうとは言えませんが、しかし差別の度合いは激化しているように思えてならないのです。
 私が前任校でお世話になった、ヴィトゲンシュタインの研究者である星川啓慈先生は、ついに「他文化に対する排他的態度は、人間に深く内在し/人間に不可避に備わっている」と結論づける倫理学にまつわる論文を書かれました。これはつまり、人間は多文化共生など無理なのだ、という話だったのです。もちろん、そんなことを聞いたとしても、姜さんは少しも驚かれないでしょう。しかし、この星川先生の思考を前提に人間社会を考えるなら、私たちの社会は根本的なところで編み直しが必要になる。排除される側にとっては、生き死にの問題です。
 かつて、C P(脳性まひ)当事者である横田弘さんが、「青い芝」神奈川県連合会報『あゆみ』に試案として載せたC P者の行動宣言は、次のような強烈な主張でした。

一、 われらは自らがC P者であることを自覚する。
われらは、現代社会にあって「あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。

一、 われらは強烈な自己主張を行う。
われらがC P者である事を自覚した時、そこに起こるのは自らを守ろうとする意志である。われらは強烈な自己主張こそそれを生しうる唯一の路であると信じ、且つ行動する。

一、 われらは愛と正義を否定する。
われらは愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。

一、 われらは問題解決の路を選ばない。
われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発点であるか、身を持って知ってきた。われらは、次々と問題提起を行うことのみがわれらの行いうる運動であると信じ、且つ行動する。

 C P当事者が立ち上げた日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」は1957年に発足しています。同じ年に、国立岡山療養所で結核療養をしていた朝日茂さんが生活保護をめぐる訴訟(朝日訴訟)を起こし、日本における憲法25条(「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」)の生存権をめぐる画期的な判決がでました。しかし、その後60年代、70年代を通じて現在に至るまで、障害者家族による障害児の殺害は続いています。1970年に横浜市で起きた母親による障害児殺害事件では、当時のメディア報道は、障害児を殺した母親に同情的であり、社会的には母親の減刑嘆願が起きるなどしました。一連の社会の動きに恐怖を覚えた彼らは、殺された障害児の存在を社会が抹殺していることを告発しました。障害者抹殺のために、マスコミも行政も、障害児を持つ父母の会も共犯だった。横田さんが社会の愛と正義を否定するのはそのためです。人種主義や「在日」排外を引き起こす愛と正義、子殺しに及ぶ母親の愛と正義。被害者の勤くんはしかし、母親によって殺されたのではない。「地域の人々によって、養護学校によって、路線バスの労働者によって、あらゆる分野のマスコミによって、権力によって殺されていった」1のでした。

 近代社会は、学校や病院(精神病院)、老人ホーム、難民収容所、監獄そして女性を収監する家庭といった収容施設を次々につくり、規律訓練や矯正、奴隷労働や終末のための目隠しの場所を設えました。街の中を闊歩できるのは、当該国籍を持ち、経済的に自立し、規範を身につけた「近代人」だけなのです。このことをひたすら指摘し続けたのは、自らセクシャルマイノリティーであった歴史思想家のミッシェル・フーコーでした。
 相模原障害者殺傷事件の顛末は、この社会でずっと続いてきたことでしかなく、たくさんの障害児が父や母に殺されてきました。それは繰り返しますが、障害児家族の向こう側に、「近代人主義」の圧倒的な排外社会が巣食っているのです。このことは、水俣病を考えるときには、もっと複雑化して行くのではないかと思うのですが、その話は姜さんの水俣でのお話を伺ってからにしたいと思います。

 それから、今日もう一つニュースがありました。
 それは山口県と秋田県に配備予定だったイージス・アショアが、防衛相の判断で「中止」(28日に断念が決定)となったことです。
 昨年の姜さん宛の第4信で、私は3・1独立運動100年目の翌日に韓国星州にある、人口100人ほどのソソンリ村を訪ねた様子を書きました。私がソソンリを訪ねたのは、実はアメリカ製の高高度迎撃ミサイルシステムT H A A D配備のその後がどうなっているかを知るためでした。それは多くの秋田市民から、イージス・アショア配備への不安と反対の声があがっていることを知らされたからです。すでに韓国では2017年に韓国国民の壮絶な反対運動にもかかわらず、この迎撃ミサイルシステムが強硬配備され、ソソンリでは、現在でも毎週水曜日に村の女性たちを中心にデモ行進をしています。配備地入り口では、今日も団結小屋に座り込みしている人たちがいます。私には、韓国におけるT H A A Dと、日本におけるイージス・アショアの配備計画はほぼ同じ経過を踏んでいるように見えました。

THAAD配備動画 提供:円光大学 元永常先生

 


ソソンリ ちらし

 イージス・アショアは敵方からの迎撃だけではなく、規格としてはトマホークを撃つことが可能だそうで、秋田市民の多くは、こうしたミサイル設備ができることで、非常時に郷里が標的になることを恐れていました。しかも、配備地から半径300メートル以内に商業高校と小学校があるのです。にわかには信じられない防衛省による「適地選定」でした。
 さらに、こうした巨額の武器を購入することは安全保障というよりはむしろ、ビジネスだということを、ソソンリの人々も、秋田市民も気がついていました。もはや、武器購入は巨大な金を動かすための口実となって、原発の次は、ミサイル施設へとその危機状況の度合いが、不感症的に増しています。今日の報道で、ひとまず山口と秋田へのイージス・アショアの配備は断念されることとなりましたが、さらなる高性能の戦争設備を整える機運ができるのではないかと、そのことがとても気がかりな、朝鮮戦争から70年目の今日です。
 私たちが生きているうちに、南北統一の日がやって来ますよう。


秋田県吉乃鉱山麓の朝鮮人墓地 
毎年6月から7月に開催されている朝鮮半島から強制動員された方々の慰霊祭の様子。
2020年の慰霊祭は新型コロナの影響で中止となりました。


梅雨入りの青葉山より 6月25日
山内明美

1 横田弘『障害者殺しの思想』現代書館、2015、p 26.

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著者略歴

  1. 山内明美(やまうち・あけみ)

    1976年、宮城県南三陸町生まれ。宮城教育大学教育学部准教授。専攻は歴史社会学、農村社会学。日本の東北地方と旧植民地地域の双方をフィールドに、稲作とナショナリズムをテーマとする文化的政治にまつわる研究をしている。東日本大震災以後は、郷里の南三陸での農村調査も行っている。著書『こども東北学』(イースト・プレス)、共著『「辺境」からはじまる――東京/東北論』(明石書店)、共著『グローバル化の中の政治 岩波講座 現代4』(岩波書店)、共著『ひとびとの精神史 第3巻』(岩波書店)など。

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