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詩・野村喜和夫×音楽・小島ケイタニーラブ×写真・朝岡英輔「花冠日乗」

(9)さまよひの街のわたくしは

32
毒のある花冠は奪う、惜しみなく奪う
肉を踊らせたあの騒擾の記憶も
サキソフォンの優美な曲線も
いまは遠い
でも母なる言語だけは残る、残るだろう
たとえまあたらしい廃墟のような街に放り出されたとしても



33
さかのぼるが
半年ほどまえ
私は「短歌往来」という雑誌の求めに応じて
つぎのような詩を寄稿したことがあった、旧仮名遣いで
母なる言語への思い入れたっぷりに

さまよひの街のわたくしは
あの角を曲がれば
と思ふことがありました
風が不意に強くなつたり蜂起が匂つてゐたり
ナジャに似た女性があらはれたり
しないものか
あるいは悲鳴



さまよひの街のわたくしへ
悲鳴が
彗星の尾のやうに
だがけふあの角を曲がると
誰に悲鳴は引き取られてゐたのでせうか
無音の喉の
繁みのみ
あはく光つてゐました
炎症性の壁の亀裂のあたりからは
砂礫のやうな無の日付のやうなあれが噴き出し
追はれるやうにわたくしは
もう一度角を左へ

さまよひの街のわたくしを
おもてに
つぎつぎと痕跡たち
終はりのあれの痕跡たちが還るかのやう
誰ここは誰の
死後なのか
わたくしは大声で叫びました

花冠よ、毒のある花冠よ
半年もまえに私はおまえたちの到来を予感していた
ということになるのだろうか、まさか
誰ここは誰の死後

34
花冠よ、毒のある花冠よ
おまえたちによって
私たちも魔法にかけられたように動けなくなって
スキャン、発熱のため、スキャン、きれぎれの息のため
転じてヘヴン、ハナニラの低い繁み

5月9日
ふとヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の
透明な球体に閉じ込められた裸の男女のことを思う
マドリードのプラド美術館で、きみと一緒に観たことがあったね
でも彼らはなぜ閉じ込められたんだっけ? 神の罰?

──ボクラハ愛シ合ウ、罌粟ト記憶ノヨウニ
誰? 誰の声?



35
さかのぼって
4月25日
下北沢から代沢の住宅街のアップダウンを過ぎて
駒場野公園というところに出た
近代農学発祥の地
の樹間から、木管の音が洩れてくる
なんとファゴットを吹いているひとがいるのだ
音は楽器に戻れオーケストラに戻れ
私は穴をあけられて在りたい、風がそこを吹き渡るだろう

でなければ、きみに伝えたい何かを探して
私はなおもひとり歩く
たとえばひっそりと粥のような疲労のひろがりのなかで
夜の舗道を横切る猫の
ヘヴン、ひとすじの光のような跳躍
ためらいとは無縁な
あれだよあれ

 

詩:野村喜和夫(のむら・きわお)
1951年、埼玉県出身。早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。戦後世代を代表する詩人のひとりとして現代詩の先端を走り続けるとともに、小説・批評・翻訳なども手がける。詩集『特性のない陽のもとに』(思潮社)で第4回歴程新鋭賞、『風の配分』(水声社)で第30回高見順賞、『ニューインスピレーション』(書肆山田)で第21回現代詩花椿賞、評論『移動と律動と眩暈と』(書肆山田)および『萩原朔太郎』(中央公論新社)で第3回鮎川信夫賞、『ヌードな日』(思潮社)および『難解な自転車』(書肆山田)で第50回藤村記念歴程賞、英訳選詩集 Spectacle&Pigsty(Omnidawn)で2012 Best Translated Book Award in Poetry(USA)を受賞。著書はほかに『証言と抒情——詩人石原吉郎と私たち』(白水社)など多数。2020年度から東大駒場の表象文化論コースで詩を講じている。

音楽:小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)
シンガーソングライター。1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部卒業。2016年、「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。18年、最新アルバム『はるやすみのよる』をリリース。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌の歌唱、映画『老ナルキソス』(東海林毅監督)の音楽など。 2011年から朗読劇『銀河鉄道の夜(with 古川日出男・管啓次郎・柴田元幸)』に出演および音楽監督を担当。13年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動pontoを開始したほか、江國香織やよしもとばななの作品に音楽をつけるなど文学の領域でも多彩な活動を展開。20年3月、初の著書『こちら、苦手レスキューQQQ!』を刊行。

写真:朝岡英輔(あさおか・えいすけ)
写真家。1980年、大阪府生まれ。埼玉県出身。中央大学理工学部物理学科卒業。松濤スタジオ勤務、写真家・藤代冥砂のアシスタントを経て独立。後藤まりこ、downy、打首獄門同好会、オガワマユ、DOTAMAをはじめとしたミュージシャンや、ポートレートの写真を撮影。2016年、音楽と旅をテーマにした初の風景写真集『it’s a cry run.』を上梓。林奕含『房思琪の初恋の楽園』(泉京鹿訳、白水社、2019年)、フレデリック・ルノワール『スピノザ よく生きるための哲学』(田島葉子訳、ポプラ社、2019年)、乗代雄介『最高の任務』(講談社、2020年)などのカバー写真を担当。

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