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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第十六信 山内明美より「9年目の《三陸世界》で」

姜さん

 「明けましておめでとうございます」を、遥かに過ぎ去り、今日は3月10日です。
 去年の今頃は、3.1独立運動百年目のソウルで手紙を書いていたのでした。今年も2月29日までソウルへ行っていたのでしたが、新型肺炎で韓国国内は騒然としていました。マスクを販売していた郵便局前にはもの凄い行列ができていました。今回は、安東市へ行く予定だったのですが、新型肺炎のため規制がかかっていることもあり、大事をとって見合わせました。大邱と慶尚北道は交通規制がしかれ、現在ほぼ封鎖されています。急きょ予定を変更し、孔徳(コンドック)駅前にホテルを予約しました。ホテルの入り口では、入るたびに検温されました。こんなことを書くと「こんな大変な時期に韓国へ行く(来る)なんて」って、日本と韓国、双方からの批判は免れなさそうです。言い訳をすると、私が出発した2月下旬はまだ規制はありませんでした。しかし、3月9日からは、仙台‐ソウル間の飛行機も見合わせとなり、実質渡航できなくなりました。状況が刻々と変化しています。

 私は少し前まで、結局のところ人類は核戦争で滅びるだろうと考えていました。今ももちろん、半分くらいはそう思っています。あるいは、自動車を運転する自分は、交通事故で死ぬのかな、と。
 姜さんと一緒に年末、陸前高田、気仙沼、南三陸を散策していたとき、私の車でずっと流れていたのは忌野清志郎でした。RCサクセションが唄った「明日なき世界」(原詩P.F.Sloan、日本語訳 高石友也、忌野清志郎)は冷戦時代の詩です。サビの部分がずっとリフレインしていた年末年始のころ、弱冠16歳の少女、グレタ・トゥーンベリさんが、気候変動国際会議で金儲けばかり考えている大人たちに憤りの声をあげていました。女島の緒方正人さんを姜さんと一緒に訪ねた時、緒方さんも彼女に言及されていましたね。彼女はたったひとりで毎週金曜日に学校を休んで気候変動問題を社会に訴えるべく、座り込みをつづけ(未来のための金曜日)、その波紋は世界中に広がっていきました。もう人間同士で殺し合いしている場合ではなく、ウィルスも気候も、人間を排除したがっているように見えます。それでも、今日にいたるまで1日たりとも人間同士の戦争が終わった日はありません。大航海時代には、まだ世界が途方もない広がりを持っていました。植民地を伴う支配と被支配の関係はその頃すでにはじまっていましたが、近代科学が世界は有限だと認知することで、より一層酷い戦争が繰り広げられています。結局人間は死んでしまうのに、なぜ途方もない犠牲をはらってまで戦争をしようとするのでしょうか。その根拠が、一時的な富のためなのでしょうか。そうだとしたら、あまりにもバカバカしくはありませんか。われら、喰えない奴ら。
 改めて、昨年末は「鍋」へお越しいただきありがとうございました。私は「鍋」という器に幾ばくかの思い入れがあります。それは命の入れ物だからです。「鍋」は命をいただく入れ物だからです。人類は、長い長い間、鍋を囲んできたのでした。なかなかスゴイメンバーでしたよ。姜さん、瀬尾夏美さん、小森はるかさん、志賀理恵子さん、清水チナツさん、菅野瑞穂さんという女性ばかりの鍋でした。陸前高田では、佐藤たね屋さんを訪ねたのが、私にとっては念願の思い出になりました。英語、中国語、スペイン語、さらにあのフラメンコギターといい、ただ者ではありませんでした。とても素敵なタネ屋さんです。映画「息の跡」で小森さんが伝えてくれた言葉にしんみりしながら佐藤貞一さんの「禁じられた遊び」を聴いていました。「あの経験を、日本語で表現するのはとても辛かったので、英語で記録を残すことにした。だけど、英語で書いても悲しみは消えなかった。」佐藤さんはそう語っていました。佐藤さんの英語の本『The Seed of Hope in the Heat ‐March, 2017~Six years from “311”‐』を手にとると、一文一文、英単語を吟味しながら文章をつくっていることが分かりました。この、被災体験の「翻訳」作業は、とてつもなく辛い作業であるに違いないのです。言葉を紡ぐ作業は、姜さん、やっぱりしんどい作業ですね。でも、日に日にあの英語の本は厚さを増していく。わたしたちが佐藤さんを訪ねた日、すでに5版目になっていました。

陸前高田 佐藤たね屋 佐藤貞一さんによる「禁じられた遊び」


陸前高田の佐藤たね屋店主の佐藤貞一さんが書いた英語の震災記録と、この本を購入した人におまけについてくる小松菜のたね「あっ復興すごい菜」。「心に希望の種を」が口癖。

 明日は、東日本大震災から9年目になります。
 この間、三陸沿岸部のみならず、広島、熊本、岡山、北海道…とにかく立て続けに災害が起きています。回りまわって、昨年秋の台風19号の爪痕が、まだ南三陸でも残っています。
 ある地震学者は600年先まで日本列島は活断層活動期に突入したと言いました。またある海洋学者は、大気中二酸化炭素が現状のように増えていけば100年後には今の10倍の回数の台風が日本列島を襲うことになるという予測をしました。私たちの孫世代の8月、9月は毎日台風ということになりそうです。こうして、この「近代のつけ」は「まだ産まれぬ子ども」までをも、巻き込んでゆくでしょう。私たちは、とても愚かです。少なくとも、先進国に生きる私たちは、誰一人、免罪されえないでしょう。かつて緒方さんが「チッソは私であった」と語ったように。
 この9年間、私は時々《三陸世界》ということを考えてきました。近代を包み込んでも余りある《三陸世界》、ということを。
 三陸は、50年から100年おきに、人間の《生》がかく乱される場所です。とりわけ、9年前の津波は、それはそれは巨大なものでした。あの巨大津波は、未来にもやって来ます。私はそんな土地で生まれ育ちました。あれほど恐ろしい海の厄災がありながら、三陸の漁師たちは今日もイタコ一枚下は地獄の太平洋に、ほんのちいさな舟で漕ぎだし、今日を精一杯生きようとします。どんなことがあろうとも、《海と一緒に生きる》ということを諦めたりはしない。そのことがよく分かった9年間でした。こんなリスクの高い土地に住まうことは非科学的であり、近代的な価値観とは相反するものですよね。その、現代にあって《もうひとつの生き方》というものが、あるいは《もうひとつの社会のあり方》というものが《三陸世界》に見えないだろうか、と考えてきました。
 思えば、世界一周した最初の日本人は若水丸という船を操業していた三陸の水夫たちでした。途方もなく巨大な環太平洋に船を漕ぎだしたはいいが、暴風に遭い、石巻から江戸へ向かうはずだった船は、はるか遠くアリューシャン列島に漂着したのでした。世界三大漁場と呼ばれる三陸は、寒流(親潮)、暖流(黒潮)、さらに日本海側から津軽海峡を潜り抜けた対馬海流がぶつかる、渦巻く海です。ひとたび海が荒れれば、たちまち呑み込まれる海なのです。そのため、津波以上に海難事故も多く発生しています。
 そのかく乱する《三陸世界》で、近代資本制の何たるかを裏側から考えてみたいと思ってきました。そういう意味では、三陸という生業世界は、《近代の他者》的側面も持ち合わせています。もっとも、水俣にもそうした側面が、現在でも脈々とありますね。石牟礼さんの世界がそうだと思います。
 一緒に訪ねた気仙沼のリアス・アーク美術館は、「東日本大震災の記録と津波の災害史」を常設展示にしています。そして、館内の解説には次のように書かれていました。

 津波という現象もまた地域の文化的事象、三陸沿岸部にとっては地域文化形成上の重要な要素であると捉えてきました。

 端的にいえば、これが《三陸世界》です。津波もまた、自分たちの暮らしの一部。
 このことは、伝わらない方が多いでのです。誰だって、安心、安全に暮らしていたいですからね。とりわけ、近代社会は何よりも、安心、安全を追求してきました。それは、食糧を大量生産することだったり、医療技術を進歩させることだったり、自動車や飛行機を動かすことだったり、原子力を開発することだったりします。けれども、その軌道がどうやら刃をむき出しにして、私たちへ向かってくる時代になりました。
 ここからどんな《生》がありうるのか、9年目は、この先についてじっくり考えるつもりです。


南三陸町田束山から志津川湾をのぞむ

2020年3月10日 青葉山にて
山内明美

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著者略歴

  1. 山内明美(やまうち・あけみ)

    1976年、宮城県南三陸町生まれ。宮城教育大学教育学部准教授。専攻は歴史社会学、農村社会学。日本の東北地方と旧植民地地域の双方をフィールドに、稲作とナショナリズムをテーマとする文化的政治にまつわる研究をしている。東日本大震災以後は、郷里の南三陸での農村調査も行っている。著書『こども東北学』(イースト・プレス)、共著『「辺境」からはじまる――東京/東北論』(明石書店)、共著『グローバル化の中の政治 岩波講座 現代4』(岩波書店)、共著『ひとびとの精神史 第3巻』(岩波書店)など。

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