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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第十三信 姜信子より「ケモノになる」

山内さんへ

 なんだかすごく久しぶりにお便りします。とはいえ、9月初めに水俣でナマ山内明美と三日間をともに過ごしていたわけなんですが。(笑)
 しかし、あの3日間は、愉快でした。
 その名のごとく、幾俣もに分れて流れくだってゆく豊かな水の流れに恵まれた地である水俣の、その水源である<山の水俣>に、この世とどこか波長の合わない、群れることをよしとしない怪しげな人びとが集まって、昼はなにやら語らって、夜になれば、ぴろろろろろ~と、山内さんの吹く南三陸・入谷の祭囃子の笛の調べが流れて、それを合図に、大阪からのチンドンやら、奈良からやってきて錫杖を打ち鳴らす山伏やら、韓国の太鼓チャンゴの叩き手やら、秩父生まれの舞い手やらが、しゅうりりえんえん、しゅうりりえんえん、よか水じゃ! この日のために作られた「水俣神楽」を歌い踊って、芸能の夜の幕が切って落とされる、そうしてみんなで何度もくりかえし唱えましたね、しゅうりりえん、しゅうりりえん、よか水じゃ!
 南三陸からぐるりと水が水俣まで流れてめぐってくるようでしたよ。私も神楽の片隅で、ここに集ったすべての命の水も澱むことなく流れてめぐりますようにと祈りましたよ。
 しゅうりりえんえん、しゅうりりえんえん、よか水じゃ! そう唱える声が、澱みの極みのこの世に穴を開けて、新たな水路を開くことをも予祝する、そこがそういう場になることを、笛と錫杖と打ち鳴らされる太鼓と予祝の声が、その場をよみがえりの「乱場」に変えることを私は心ひそかに願っていました。
 傍から見たら、いい大人がただ遊んでいるだけだろうと言われそうだけど、どんなに小さな「場」であろうとも、他の誰に知られることがなかろうとも、声をあげる、「場」を開く、あっちこっちに小さな「場」を開いてゆく、どんどん開いてゆく、そのこと自体が、命を物のように束ねてゆく大きな力に対する、最小で最大の抗いなのだと私は思っているのです。
 ご存知の通り、「しゅうりりえんえん」は石牟礼道子さん作の絵本『みなまた、海のこえ』のなかに響きわたる、水俣のしゅり神山の狐たちの祈りの言葉です。チッソという近代の到来とともに、工場建設のためにしゅり神山はダイナマイトで崩されて、狐たちも逃げるようにして姿を消していきました。日本で人が狐に化かされなくなったのは1960年代のことだと語ったのは哲学者の内山節さんだったように記憶しています。その一方で、私は、山内さんが『こども東北学』で教えてくれた1980年代の南三陸の狐たちのことを想い起こします。(人を化かしたあの狐たちは、東日本大震災の後の<復興>のなかで、ついに完全に息の根を止められてしまったのだろうか……)。

 豊かな山、豊かな水、豊かな海。そういう場所こそが、大量の電気と大量の水を必要とし、大量の汚水を放出する近代工業が真っ先に到来する場所であるということ、到来した近代は山を崩し、川の流れを変え、無駄のないまっすぐな道をつくっては水脈を断ち、そうやって命よりも生産性を重んじてきたのだということ、そんなことを思い返しながら、狐たちのしゅうりりえんえんを、狐のようにケモノのように唱えてみる。私の中の小さな小さな野生の呼び声、小さな一歩。それを<山の水俣>で笛吹き山内さんと一緒にやったのは、ひそかにかなり嬉しいことなのでした。

 水俣の最後の日に一緒に緒方正人さんを訪ねていった、あの2時間ほどの時間も忘れがたいものです。私は三十年ぶりに緒方さんと再会しました。しかし、人間というのは、自分の器の中に収まるものばかりをおのずと受け取って、そこからこぼれ出たものにはとんと気づかぬものなのなんですねぇ。
 三十年このかた、私にとっての緒方正人さんは、水俣病を患い、チッソと闘い、ひとりのたうち回って狂うほどに考え抜いた末に、みずからが放り込まれている近代というシステムを看破した人。水俣病患者の運動の急先鋒から一転、「私がチッソであった」と叫んで、運動から降りた人。「私」も「チッソ」も近代という同じ穴のムジナなのだと、近代そのものとの闘いに転じた人。
 でもね、遅まきながら気がついてみれば、緒方さんはなによりも野生の人でした。緒方さんの軌跡は、近代人の近代に対する覚醒みたいなものなどではなく、ついに近代が押しつぶすことのできなかった野生の精神のほとばしり。大事なのはそこのところだったんですねぇ。
 聞けば、緒方さんは、水俣病の患者運動に飛びこむ以前、二十代前半に、既にして、直観的に、国家という不自由なしばりを振りほどこうとして、水俣市役所に出かけていって戸籍返上を申し出たという……。
 そもそも、緒方さんが、行政から割り当てられる住所なんか御免蒙ると、これまた近代的土地所有を直観的に拒否して番地のない土地に住んでいるということを、私は三十年前にご本人からしっかり聞いていました。悲しいかな、そのとき私はそのことに驚きはしたものの、それが意味するところを芯からわかってはいなかったようです。
 振り返れば、とにかく民族とか国家とか宗教とかイデオロギーとかアイデンティティとか自分を縛るすべてを振りほどきたかった私にとっては、「私がチッソであった」と覚醒の声をあげて、荒野の預言者の如きたたずまいで目の前に現れた緒方さんは、十分に警戒の対象でした。
 群れたがるのは近代の羊たちの習性でしょう。そんな習性が実は自分にもあることを知っているから、新たな群れを生みだしそうな存在を必要以上に遠ざけてきた。たったひとり荒野に立って、自分自身の声をもって、群れ社会の囲いに穴を開ける単独者と、群れの真ん中に立って、大きな声を放って、囲いの壁を厚くしていく者との違いもよくわからなかった。つまり、私という器には「野生」とつながる回路(もしくは、穴)はなかったというわけです。

 あのね、山内さん、前便で私は「さあ、山内さん、行くよ、逃げるよ、語って歌って踊って生きぬくよ!」と、「逃げよう」と、思わず呼びかけていたけれど、つまりは、こういうことなんです。
 この世界で、近代のマイノリティとして、近代の真ん中への闘争を仕掛けても、きっと私たちは負けつづけるでしょう。一方、こんな世界はイヤだと、真ん中に背を向けて、近代の彼方へと逃走したところで、それは終わりなき逃避行にしかならないでしょう。
 だから、私はまずは、いまここに生きている以上は、諦めずに負けつづけます。とにかく負けつづけます。負けることをやめるつもりもなければ、負けることに慣れるつもりもない。地団太踏みながらくりかえし負けつづけます。
 同時に私は、だからこそ、大地をドンドンと踏みしめて反閇する芸能者のように、地を這うようにして様々な土地をめぐりあるいた遊芸の徒のように、踊りたい、歌いたい、誰の支配も受けない「場」を開きたい、「穴」を穿ちたい、この世の内側から無数の「穴」を穿って、この世を内側から食い破りたい。しかし、これはもう、良くも悪くも近代の落とし子の必死の願いのような響きがありますなぁ、切ないなぁ。
 そして、さらに、こんなことも思うのです。たったひとりの緒方正人、たったひとりの石牟礼道子は、やっぱりのみこまれそうで怖い、でも無数の緒方正人、無数の石牟礼道子ならいいなと。無数の狐、無数の鹿、無数の狼、無数の生者、無数の死者、無数の命、無数のケモノどもが、それぞれに数字には変換できない名を持って、むやみに群れず、つるまず、奉らず、ひそかな声を行き交わし、行く先々でそれぞれに土地の鳥獣草木虫魚や小さきカミたちとひそかな歌い踊って、あちこちでひそかなはじまりを予祝して、無数の反閇の静かな地響きで、この近代という名の澱んだ水の底を踏み抜くのだと。

 山内さん、私の「逃げる」は「ケモノになる」ことなのです。

 さてさて、ここから先は、水俣で山内さんが語ったことの一つ、「復興」についてです。
 近代と野生の最後の闘いの別名とも言える「復興」と「芸能」をめぐることです。
 実は、十月の初めに、陸前高田から七年にわたって震災から復興へと移り変わってゆく日々を記録・発信しつづけてきた瀬尾夏美さんと語り合ったんです。『あわいゆくころ』(晶文社)という本に彼女の記録はまとめられているのですが、これが実に味わい深かった。
 東京出身の芸大生が居ても立ってもいられず被災地に入り、ついには陸前高田に移り住み、共同体の外の人間から、そこに立ち上がりつつある目には見えない新たな共同性のひとりになってゆく、その過程から教えられることは実に大きいものでした。
 最初、高田の人たちの言葉を標準語で、つまり自分自身の言葉で記していた瀬尾さんは、ある時点で高田の言葉で記すようになるんですね。彼女はじっと人びとの声にじっと聴き入っている、そのとき、彼女は目の前の生者だけでなく、その生者とつながる死者たちの声にも耳を澄ましている、(彼女は陸前高田での生計のためにたまたま写真店でアルバイトをすることになり、必然的に多くの遺影と出会うこことになった!)。よく聴き、わかったふりをせずによく問う耳が紡ぎだす関係性があるんですね。聴くことによって取り戻される声があるんです。そうして彼女が「声」たちとともに手さぐりで開いていった「場」とは、生と死のあわいをも含みこんだ「場/共同性」であり、それは目に見える成果を効率的に生産的に追求してゆく「復興」とは相容れない精神の「場」ともなってゆくわけです。
 たとえば、瀬尾さんは、ふっとこんな言葉を漏らす。

  工事車両が行き交って、
  まちの痕跡も山の稜線も
  まっすぐに変わってしまった。
  ふと、神聖さはどこに行ってしまったのか、
  と思う

 高田の町を嵩上げするために、風土の神の宿る山が切り崩され、直線で構成される風景が広がってゆく。それに対する違和感。
 大きな声で語られている「復興」とは近代の総仕上げの謂いであり、それは同時に人間にとっては終末の到来の一風景なのだというひそかな気づき。
 町が嵩上げされるとき、五本松の石と呼ばれて祭りの場にもなっていた巨石もまた、有無を言わさず土の下に埋められることになったのだそうです。高田の人たちは、生き埋めになる石とのお別れのために、石の周りを提灯で囲んで、盆踊りをしたといいます。生者も死者も共に踊る盆踊りです。そうして、石が埋められたあと、今度は、その石を足もとの大地に感じつつ、自分で神楽を作って、見えなくなった過去とまだ見えない未来をつなぐ「穴/回路」を穿って、「復興/再生」を祈って舞い踊る人が現われた。通称トクさん。
 ああ、これはすごいことだなぁと感じ入りながら、私は瀬尾さんの話を聞いていました。
 野生だね、うん、野生ですね。
 近代の権化の連中の「復興/破壊」、クソクラエだね、はい、クソクラエです。
 そんなやりとりを私は瀬尾さんとしたのでした。
 そこでは、ひそかな新しい歌が生まれ、新しい踊りが生まれ、大地をドンドンと踏み鳴らして、まっすぐな風景に見えない穴を穿つ者がいる。それは実にうれしい知らせだったのでした。
 トクさんが自作の五本松神楽を舞い踊るのは、わけあって五月五日と決まっているんだそうです。ならば、来年の五月五日、五本松神楽を踊りに行こう! というわけで、来年のその頃、私は山内さんの南三陸から陸前高田へと旅をすることになると思います。
 先日いきなり、手短に、南三陸のかつての修験の本拠地の山・田束山に、来年五月の初めに登りたいと、ご相談メッセージを送ったのはそういうわけなのでした。
 神楽と言えば、修験(山伏)。修験と言えば、芸能。この芸能は風土の小さきカミたちと深く結び合う芸能です。言わずと知れた、明治維新の立役者、国家神道の推進者、近代の中央集権の権力者たちがもっとも嫌った種類の芸能でもあります。いわば、「穴」を穿つ芸能です。
 「穴」を穿って「復興/再生」に向かう旅 in 東北。ずいぶん先の話になりますが、来年五月はよろしくです。

     

2019年11月9日
だいぶ冷え込んできた奈良にて、姜信子


陸前高田


陸前高田 嵩上げ


冷水水源の水神


冷水(ひやすじ)水源

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著者略歴

  1. 姜信子(きょう・のぶこ)

    1961年、横浜市生まれ。著書に『棄郷ノート』(作品社)、『ノレ・ノスタルギーヤ』『ナミイ 八重山のおばあの歌物語』『イリオモテ』(岩波書店)、『はじまれ』(サウダージブックス)、『生きとし生ける空白の物語』(港の人)、『声 千年先に届くほどに』『現代説経集』(ぷねうま舎)、『平成山椒大夫 あんじゅあんじゅさまよい安寿』(せりか書房)など多数。訳書に、ピョン・へヨン『モンスーン』、李清俊『あなたたちの天国』、カニー・カン『遥かなる静けき朝の国』、編著に『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず書房)など。17年『声 千年先に届くほどに』で鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。路傍の声に耳傾けて読む書く歌う旅をする日々。

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