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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第8回 アダム・スミス(7)

 スミスの『道徳感情論』や『国富論』を精読したことがなくても、「見えざる手」という言葉だけは知っている人が世の中に多いようです。高校の政治経済の教科書や、大学でも経済学入門のような教科書では、「見えざる手」という言葉を使って自由放任主義や予定調和論を正当化した「経済学の父」としてスミスは登場します。このような理解の問題点は、すでに何人ものスミス研究者たちが指摘してきましたが、ここでは、次の点を指摘するにとどめます。――スミスは確かに人々の「利己心」を肯定したが、市民社会のルールを平気で破るような勝手な行動を容認したわけでは決してなく、その行動は「公平な観察者」の「同感」が得られる範囲内でなければならないと考えていた。それゆえ、「見えざる手」という言葉を自由放任主義と結びつけて理解するのは問題を含んでいると。
 では、「見えざる手」は、『国富論』のどこに登場するのでしょうか。それは、第4編「政治経済学の諸体系について」の第2章「国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について」、つまり重商主義批判の文脈で登場します。

[1]The produce of industry is what it adds to the subject or materials upon which it is employed. In proportion as the value of this produce is great or small, so will likewise be the profits of the employer. But it is only for the sake of profit that any man employs a capital in the support of industry; and he will always, therefore, endeavour to employ it in the support of that industry of which the produce is likely to be of the greatest value, or to exchange for the greatest quantity either of money or of other goods.

[2]But the annual revenue of every society is always precisely equal to the exchangeable value of the whole annual produce of its industry, or rather is precisely the same thing with that exchangeable value. As every individual, therefore, endeavours as much as he can both to employ his capital in the support of domestic industry, and so to direct that industry that its produce may be of the greatest value; every individual necessarily labours to render the annual revenue of the society as great as he can.

[3]He generally, indeed, neither intends to promote the public interest, nor knows how much he is promoting it. By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was no part of it. By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it. I have never known much good done by those who affected to trade for the public good. It is an affectation, indeed, not very common among merchants, and very few words need be employed in dissuading them from it.

 [1]から読んでいきましょう。industryは以前「勤勉」と訳しましたが、ここは岩波文庫と同じように「勤労」とするほうがよいと思います。「勤労の生産物とは、その対象物や素材に対して勤労を費やすことによって追加されたもののことである。この生産物の価値が大きいか小さいかに比例して、雇用主の利潤も同じように増減するだろう。しかし、どんな人も、勤労を支えるために資本を用いるのは、ただ利潤を稼ぐという目的があるからである。それゆえ、彼は、その勤労を支えるために資本を用いようとつねに努力するだろうが、ただし、その勤労の生産物が最大の価値、すなわち貨幣か他の商品の最大量と交換される見込があるときに限られる」と。
 資本の本質は最大の利潤を求めて生産部門のあいだを自由に出入りすることにあります。スミスの時代に「資本主義」という言葉は使われていませんが、資本主義の勃興期に活躍したスミスは、資本の本質を正確に捉えていました。[1]は、そのことを、簡単に説明している文章に他なりません。is likely toは、受験英語では「~しそうな」でほぼ足りますが、やはりこまめに辞書を引きましょう。「~する見込みがある」のほうがベターと思います。

 [2]は、あまり解説の要らない素直な英文です。

 「しかし、どこの社会でも、年々の収入は、つねに、その社会の勤労の年々の生産物全体の交換価値に正確に等しい。あるいは、むしろ、その交換価値とまさに同じものだと言ってよい。したがって、どの個人も、できるだけ自分の資本を国内の勤労を支えるために使おうと努力することによって、その勤労の生産物が最大の価値をもつように方向づけるだろう。すなわち、どの個人も、その社会の年々の収入ができるだけ大きくなるように必然的に努力することになるのである。」

 [3]に、いよいよ「見えざる手」が出てきます。「たしかに、彼は一般に公共の利益を増進しようと意図してもいないし、自分がどれだけ公共の利益を増進しているかも知らない。外国の勤労よりも国内の勤労を支えることを選好することによって、彼は自分自身の安全を確保することだけを意図しているに過ぎない。すなわち、勤労の生産物が最大の価値をもつような方法で勤労を方向づけることによって、彼は自分自身の利益を得ることを意図しているに過ぎないのだが、他の多くの場合と同じように、見えざる手に導かれて自分では全く意図しなかった目的を推進するようになるのである。それが彼の全く意図しなかったことであることは、必ずしも社会にとってさらに悪いというわけではない。自分自身の利益を追求することによって、彼はしばしば、実際に社会の利益を増進しようと意図した場合よりも、もっと効果的に社会の利益を増進するのである」と。
 何度も繰り返すようですが、資本主義というシステムで主導権を握っているのは、資本家のもつ資本です。彼はそれを最大の利潤をもたらすように用いるでしょう。生産部門のあいだで利潤率に違いがあれば、当然ながら、彼は利潤率の低い部門から資本を引き揚げ、それを利潤率の高い部門へ資本を投じようとします。このような資本の「可動性」を「競争」と呼ぶならば、競争メカニズムが妨害なく働くことによって、究極的には、すべての生産部門で均等利潤率が成立するはずです。これが、いわば古典派の「均衡」ですが、均衡という言葉は、のちに新古典派が登場したとき、「需要と供給の均衡」という枠組みのなかに再構成されたので、ここではその言葉を使うのは避けましょう。
 要するに、「見えざる手」という言葉が出てくる文脈の中でスミスが言っていることは、自由競争が支配する世界では、資本家は自分自身の利益(利潤)にしか関心がないにもかかわらず、競争メカニズムの作用によって、資本を最も生産的な方法で投じる方向に導かれるということです。もちろん、前に説明したように、スミスは「生産的」労働を「不生産的」労働から区別し、資本の安全度への配慮から、資本が農業→製造業→外国貿易へと投じられるのが「自然的順序」と考えていたことを押さえておかねばなりませんが、重商主義の規制や独占など自由競争を阻害するものがなければ、競争メカニズムは、「見えざる手」に導かれるように、資本の最も生産的な投下方法を教えてくれるということなのです。それ以上のこと、例えば、「見えざる手」が自由放任主義を説いているというようなことは示唆されておりません(関心があれば、拙著『アダム・スミスの影』日本経済評論社、2017年をお読み下さい)。
 残りの英文を読みましょう。「私は、いまだかつて、公共の善のために仕事をすると気どっている人たちが多くの善を成し遂げた例を全く知らない。もっとも、そのように気どって見せることは商人の間ではそうあることではないので、彼らにそうしないように説得するのにはごくわずかな言葉しか使う必要がないほどだ」と。

 スミスが自由競争や自由貿易を原則として推奨したことは間違いのない事実です。しかし、そのことと、彼が自由放任主義者であったということは決して同じではありません。自由競争を阻害するような規制や独占があったとき、誰がそれを排除するのでしょうか。政府以外にはありません。保護貿易から自由貿易に移るときも、それによって利益を得る人たちと損害を被る人たちが必ず出てきてきます。スミスは、決して「急進主義者」ではなく、そのような場合、損害を被る人たちの痛みに慎重に配慮しながら自由貿易へと漸進的に移行すべきだと考えていました。二つのグループの利害を調整するのも、政府の役割の一つです。

 「見えざる手」が独り歩きし、「スミス=自由放任主義者」という紋切り型の理解がいまだに教科書のなかに出てくるのは誠に遺憾なことですが、そのような誤解は、スミスの原典を精読することによってほとんどすべてなくすことができることを強調しておきたいと思います。

 <参考訳>

 岩波文庫(水田洋監訳・杉山忠平訳、全4巻、2000-2001年)

 「勤労の生産物とは、勤労が使用される対象すなわち材料にたいして、その勤労がつけ加えるものである。この生産物が大きいか小さいかに応じて、雇用主の利潤も、同様に、大きかったり小さかったりするだろう。しかし人が勤労を支えるのに資本を使用するのは、ただ利潤のためである。したがって人は生産物が最大の価値をもちそうな勤労、すなわち最大量の貨幣または他の品物と交換されそうな勤労を支えるのに、資本を使用しようとつねにつとめるだろう。」(『国富論2』、302-303ページ)

 「しかしどの社会でも、その年々の収入は、つねにその社会の勤労の年々の生産物全体の交換価値と正確に等しい。あるいはむしろ、その交換価値と正確に同一物なのである。したがって、どの個人もできるだけ、自分の資本を国内の勤労を支えることとともに、そうすることでその生産物が最大の価値をもつようにこの勤労を方向づけることにも、つとめるのであるから、どの個人も必然的に、その社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと、骨を折ることになるのである。」(『国富論2』、303ページ)

 「たしかに彼は、一般に公共の利益を推進しようと意図してもいないし、どれほど推進しているかを知っているわけでもない。国外の勤労よりは国内の勤労を支えることを選ぶことによって、彼はただ彼自身の安全だけを意図しているのであり、またその勤労を、その生産物が最大の価値をもつようなしかたで方向づけることによって、彼はただ彼自身の儲けだけを意図しているのである。そして彼はこのばあいにも、他の多くのばあいと同様に、みえない手に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的を推進するようになるのである。またそれが彼の意図のなかにまったくなかったということは、かならずしもつねに社会にとってそれだけ悪いわけではない。自分自身の利益を追求することによって、彼はしばしば、実際に社会の利益を推進しようとするばあいよりも効果的に、それを推進する。公共の利益のために仕事をするなどと気どっている人びとによって、あまり大きな利益が実現された例を私はまったく知らない。たしかにそういう気どりは、商人たちのあいだであまりよくあることではなく、彼らを説得してそれをやめさせるには、ごくわずかな言葉しかつかう必要はないのである。」(『国富論2』、303-304ページ)

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店)、『経済学の歴史』(講談社学術文庫)、『シュンペーター』(講談社学術文庫)、『サムエルソン 『経済学』の時代』(中公選書)、『経済学再入門』(講談社学術文庫)、『ガルブレイス』『ケインズを読み直す』(白水社)、『企業家精神とは何か』(平凡社新書)、『アダム・スミスの影』(日本経済評論社)他多数。

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