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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第九信 姜信子より「ひそやかに『水のアナキスト』宣言」

山内さんへ  

 【男女】ひと、【自然】自リ然ルひとりする」、【活真】活キテ真いきてまこと、いいなぁ安藤昌益! 新しい世界には、新しい言葉、たしかにそうだ安藤昌益! 世の中の権力者や聖人、仏教、神道、儒教、この世の「求心力」のすべては「不耕貪食」、「直耕」する衆民だけが「活きて真」、これはまたアナーキーじゃないか安藤昌益! 
 私は土を耕したい心がむくむくと湧きおこってきました、(そもそも「土」は都市の子供の甘い憧れであり、遠い夢でもあります)、うっかりそれを心やすい人々に口走っては、ムリムリあなたにはとてもムリ、と、ここ一か月くらいの間にそれはもう何度も断言されたのでした、断言されればむくむくやる気になるのはへそ曲がりの常、ミソかクソか舐めてみなければわからない、というのは韓国の前向きなことわざ……。
 しかし、ほんとうに安藤昌益の言うとおりです、どんな言葉であれ、新たな言葉が私たちに到来したときには、それは常に既に過去のもの、言葉とは常に「古い杭」です、人々が言葉を共有すること、そして<いまここ>とは違う<もうひとつの世>を共に生きようとすることすら、そのこと自体に古い呪縛が潜んでいる。
 命の生きる速さに、身体に脈打つ赤い血の流れに、飛び立とうとする魂の行方に、言葉はつねに遅れるのです。
 思うに、そこにこそ私たちが言葉を探して語りつづけねばならぬ根拠があるのではないでしょうか。願わくは、せめて私たちの言葉が、杭を打つ言葉ではなく、杭を抜く言葉でありますよう、杭に囲い込まれて澱む世界に水をとおす言葉でありますよう……。
 と、そんなことを願う私は、たとえば在日の詩人金時鐘の、日本語をもって日本語を破壊する切実なる詩業を想い起こす私でもあります。植民地の忠良なる皇国少年であった金時鐘は、骨の髄まで沁みこんだ皇国の言葉/日本語をもって、内側から日本語を食い破ろうとする、絶えることなく歌いつづける、絶えることなく杭を抜きつづける、

 テロも行き会えないから
 人だけが ただ死ぬ。
 せめてすれ違えたなら
 俺こそが テロリストだ。 
 (詩集『失くした季節』より「蒼いテロリスト」第一連)

 そうだ、詩人であるとは世界を揺るがす言葉のテロリストであることなのだ、文学とは本来そのようなものなのだ、なるほど、安藤昌益もまた詩人なのだな、アナーキーな昌益は土のテロリストでもあるのだな、ふっとそんなことを思いもしたのでした。

 さて、いま私は雲の上です。石垣島から東京へと戻る機中でこの手紙を書いています。石垣島にはハンセン病市民学会八重山集会のために行きました。集会で私に与えられたミッションひとつ。それは「執念の毒蛇」(吉野二郎監督、1932年、日布映画社)なる映画の解説をすること。戦前に沖縄で撮影されてフィルムが現存している映画のなかでも、もっとも古い作品です。しかも実話なんだそうです。製作・脚本・主演は、沖縄からのハワイ移民一世。
 映画の冒頭、多くのハワイ移民の最初の入植地、サトウキビプランテーションが広がるワイパフ耕地が紹介されます。まるでチャプリンの「モダンタイムス」のような製糖工場の模様も映し出されます。映画の主人公はワイパフ耕地でのつらい労働を乗り越え、ようやく幸せをつかんだ移民の夫婦です。その美しい妻が突然にハンセン病を発病する。それは、最底辺の厳しい労働環境にあった移民にとっては珍しいことではありません。そして、当時、ハワイでハンセン病となれば、絶海の孤島モロカイ島にある脱出不可能のハンセン病療養施設に送られるのが常でしたが、この物語は別の展開を見せます。(ちなみにアメリカが作った絶対隔離のモロカイ島の療養所は、近代日本のハンセン病療養所のモデルの一つです)


ハワイ・ワイパフにある沖縄センター 一世ガーデンの碑石


ワイパフ プランテーションビレッジに復元された沖縄移民の家


モロカイ島のハンセン病療養所に収容された日本人女性の写真

 妻の発病を知った夫は妻を捨て、全財産を懐に太平洋を渡って沖縄へと逃げ帰る、そして不埒なことに那覇の辻町の「竹の家」なる遊郭で遊び暮らす、妻は帰らぬ夫を追いかけて那覇へとやってくる、那覇の町で物乞いをしながら夫を探す、そうしてばったり町でハンセン病の妻に出くわした夫は驚きおののいて、甘言を弄して妻を山中に誘い、崖から突き落として殺してしまうのです、ここから先は四谷怪談ばりの復讐譚に変じます、なんと殺された妻が「竹の家」に化けて出る、ハブに化身して無情な夫をぎりぎり絞め殺す……。 
 実を言うとね、前便で触れた石垣島の三線おばあがこの映画に出演していたのです。それも十歳のときに。貧しさゆえに九歳で石垣島から辻遊郭に売られた少女が、たまたま売られた先の「竹の家」が映画の舞台になったために、スクリーンにあどけない姿をとどめていたというわけです。この少女はやがて、十五歳で買い戻されて南洋サイパンに渡って、南洋興発会社のサトウキビ農園で働き、次いで植民地台湾に渡って日本人経営の料亭に身を置き、戦後は沖縄・八重山の島々で三線ひとつで生きぬいて、文字はほとんど読めぬから耳で聞きおぼえた数限りない歌を死ぬまでうたいつづけた、その地べたを這うような旅の人生のはじまりが映画「執念の毒蛇」には刻み込まれていたのです。そこには、ハワイ移民、ハンセン病、沖縄の女性史、そしてそれと結び合う社会からはじかれた者たちの芸能史も刻み込まれています。どれもこれも近代社会の「影」の領域のこと。


『執念の毒蛇』の一場面 左から4人目の少女が10歳の三線おばあ

 昭和も初めの頃、那覇の辻町のはずれの墓地には癩者が寄り集まっていたと幼い日の思い出を語ったのは三線おばあ。石垣島の海辺にも癩者の集落があったといいます。もちろん近代以前も癩者は影の領域の存在です。では、近代以前と以降で何が変わったのか? それを石垣島に伝わる歌が如実に教えてくれます。

 <宇根ぬ親ゆんた>

 名石ぬ村 宇根ぬ親 吾が愛すぃ 思夫
 (波照間島名石村の船頭は 私の愛しい夫)
 宇根ぬ親と吾とぅや  船勢頭とぅ めがとぅや
 (船頭と私は  船の頭と私とは)
 吾ぬゆ何故で思うだら 此りぃゆ いきゃで思うだら
 (私をなんと思ったのか これをいかに思ったのか)
 捨てぃな 捨てぃ 捨てぃるそ 遣投ぎな投ぎるそ
 (投げうつように捨て 打ちやるように投げ捨てた)
 捨とぅばん みしゃ ゆむみしゃ 投ぐばんみしゃあてぃみしゃ
 (捨てられてもよい 投げ捨てられてもいいでしょう)
 親ぬ家でん有どぅすう 母ぬ家でん有どぅりい
 (父の家もあります 母の家もあります)
 沖縄行うらば宇根ぬ親 御前行うらば船勢頭
 (沖縄島に行かれたら 船頭よ 琉球王府に行かれたら 船頭よ)
 五本ぬ指買いおうーり 十本ぬ指買いおうーり
 (五本の指を買ってきてください 十本の指を買ってきてください)

 ハンセン病ゆえに夫に捨てられた妻の声で歌われる悲しみの唄、病で指を失った妻が無情な夫に指を買ってきてくださいと訴える。それを病者ではない島の人びとが歌いついできました。たとえば、こんなふうに。


(ハンセン病市民学会 八重山集会レセプションにて。唄:山里節子&上地節のおばあ二人組)

 かつて島ではハンセン病者のことを「パダヤビピトゥ(肌破れ人)」、あるいは聖なる存在としての畏怖を込めて「アファリピトゥ(美しい人)」と呼んだといいます。病ゆえに村のはずれに暮らしはしたが、卑しめられることなかった。「ピトゥ(人)」として、名もあれば声もある人間として寓されて、祭祀のときには場を共にした。そんな人びとが、近代以降、国家により、「神かくし」のように島から消えていった、ゴミを一掃するように駆逐されていった、あとにはかつてなかったハンセン病へのすさまじい差別が残された、とハンセン病市民学会八重山集会では語られました。
 そう、駆逐された人々の行先はハンセン病療養所ですね。日本全国、いくつもあるハンセン病療養所の中の風景はどこもそっくりですね。そこでは地縁血縁社会とつながる本名を取り上げられます。風土との縁をすっぱり断ち切られた療養所では誰もが標準語で話すといいます。規格外の病気にかかって、(規格外というのは、もちろん、富国強兵国家の規格によって量産される「近代人」を前提としての話ですが)、近代社会にあっては役立たずの足手まといでしかない人々に社会的な死を宣告して、治療ではなく管理に重きを置いた規格によって設計された療養所/収容所に隔離するという「合理化」と「効率性」。その先にはナチスの強制収容所も見えるでしょう、相模原やまゆり園も見えるでしょう、そこには病む者と共に生きる者たちが病む者の声で歌いつぐ「宇根ぬ親ゆんた」のような唄はないでしょう。
 山内さん、私はね、島での三線おばあとの出会いにはじまって、まことに幸いなことに、三線おばあのような“影の旅人”を大切に寓する人びとに出会い、そのような人びとこそがリゾート開発という名の近代化/規格化に抗して島の風土を守りつづけてきたことを痛切に知りました。その風土に育まれてきた芸能と唄に、彼らの声と体をとおして出会いました。そうして、ようやく、「杭」を抜くということがわかってきたような気がしたんです。それも、まあ、今だからこそきちんと整理して言える話なんですけどね。

 言葉など軽々越えてゆく声、声を放って生きてゆく身体、規格化しようのない身体を産み育てる風土、風土をかたちづくる土と水と風と太陽と草木鳥獣虫魚、そして人。

 「宇根の親ゆんた」を歌ってくれたおばあ二人組は、石垣島で現在進行中の自衛隊ミサイル基地配備に抗して闘うおばあでもあります。あたしたちはハンセン病のこともやれば反戦もやるさぁ、とからから笑いつつ、週に一度、仲間のおばあたちと一緒に基地予定地に近い道端で基地反対の意思表示のスタンディングをしています。私も一緒に立ってみました。岩のようにどっしり座る九十歳の手には「世ばなうれ!」(世よ稔れ! 世よ直れ!のダブルミーニング)と大書された紙があり、軽やかに舞い歩く八十歳のおばあは次から次へと歌いだされる島の唄の中心となり、その傍らには「いのちの水資源を守ろう!」という横断幕がある。(基地というのは戦争以前にそもそもが有害化学物質の宝庫で、その意味では窒素の工場を抱えた水俣と本質的に変わりません)。


石垣島自衛隊基地予定地


基地反対スタンディング中


おばあたち手作りの横断幕と立看板

 ああ、水なんだな、水!
 おばあたちのかたわらで、そのとき、あらためてつくづくと思ったのでした。
 だいたい、規格の中で育ってきた人間というのは、恐ろしいほどに命に対する想像力とか実感に乏しいものです。実に愚鈍なことに、私が人間には水が必要だということをはっきりと体で認識したのは、もう四十代にもなっていた頃、水俣で漁村を訪ね歩くワークショップに参加したときのことでした。
 「天草から水俣へと渡ってきた漁師たちは、海辺のなかでもどんな場所を選んで住みついたのか?」
 「それは清水が湧いているところなのだ」
 教えられてみれば、それしかない、実に根源的なことではないですか……。
 ああ、そういえば、映画「執念の毒蛇」の主人公たるハワイ移民の入植地ワイパフ、その地名はハワイ先住民の言葉で「水がほとばしりでる」という意味です。清冽なる水の地。
 その生命力あふれる水の地は、近代化とともに、多くの移民をのみこんでゆく不自然きわまりないサトウキビモノカルチャーの地となりました。
 豊かな水の水俣も、七色の煙を吐き出す工場の到来とともに、新興化学工業の排水にまみれました。国民に食わせる米増産の窒素肥料は、戦う国家の火薬生産の窒素化合物と表裏一体でありました。
 火薬と言えば弾丸でしょう。弾丸と言えば足尾銅山でしょう。(こないだ観た劇団民芸の芝居では、足尾の銅は日露戦争の弾丸になったと言っておりました)。『苦海浄土』に石牟礼さんが「谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる」と記した足尾鉱毒事件もまた、その本質は渡良瀬川という豊かな命の水を富国強兵と引き換えに殺したことにあるのでしょう。近代とは水殺しではじまり、きっと水に復讐されて終わるのでしょう。
 そのことを思うたび、私は鉱毒で滅びた渡良瀬川源流の村、松木沢の、百三十年経ってもなお荒涼とした風景のなかに自分が立ちつくしているような心持ちになります。


足尾鉱毒で滅びた渡良瀬川源流の松木村跡


松木村跡

 松木沢を思えば、反戦する石垣島のおばあたちの歌う「新世節あーらゆーぶすぃ」が耳の底に流れます。

 於茂登うむとぅ岳から かんくいば うがみょーり
 宮良川めーらがーらから つぃくいば 受けおーり
 かんゆーや 暮らしょーった
 神ぬ世や 暮らしょーった

 おばあたちの歌声が呼び出す、山の声、川の声とともにあるはじまりの光景。私はそこに立って、願いを込めて、そっと小声で宣言するのです。
 私は水のアナキストである。

2019年5月20日
機上にて、姜信子

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著者略歴

  1. 姜信子(きょう・のぶこ)

    1961年、横浜市生まれ。著書に『棄郷ノート』(作品社)、『ノレ・ノスタルギーヤ』『ナミイ 八重山のおばあの歌物語』『イリオモテ』(岩波書店)、『はじまれ』(サウダージブックス)、『生きとし生ける空白の物語』(港の人)、『声 千年先に届くほどに』『現代説経集』(ぷねうま舎)、『平成山椒大夫 あんじゅあんじゅさまよい安寿』(せりか書房)など多数。訳書に、ピョン・へヨン『モンスーン』、李清俊『あなたたちの天国』、カニー・カン『遥かなる静けき朝の国』、編著に『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず書房)など。17年『声 千年先に届くほどに』で鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。路傍の声に耳傾けて読む書く歌う旅をする日々。

  2. 山内明美(やまうち・あけみ)

    1976年、宮城県南三陸町生まれ。宮城教育大学教育学部准教授。専攻は歴史社会学、農村社会学。日本の東北地方と旧植民地地域の双方をフィールドに、稲作とナショナリズムをテーマとする文化的政治にまつわる研究をしている。東日本大震災以後は、郷里の南三陸での農村調査も行っている。著書『こども東北学』(イースト・プレス)、共著『「辺境」からはじまる――東京/東北論』(明石書店)、共著『グローバル化の中の政治 岩波講座 現代4』(岩波書店)、共著『ひとびとの精神史 第3巻』(岩波書店)など。

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