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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第七信 姜信子より「カミさまの不在」

山内さん

 いきなりですが、「エリート」って、何なんでしょうね。最近、私の高校や大学の同級生の姿を国会やら検察に関する報道で見ることがままあります。日本国の最高級公僕ってやつです。世間一般には彼らをエリートと呼ぶわけだけど、私個人のことで言えば、けっして日本近代の権力中枢に入ることのできない人間が、(いやいや、権力中枢どころか、日本社会それ自体からも実のところはじかれている人間が)、死に物狂いで競争を勝ち抜けば何とかなると無闇に素直に信じこんで、気がつけば恥じ入るほどに立派な「皇国臣民/近代人」になっていたような、そんなクソのような事態が私にとっての「エリート」でありました。何度か、山内さんには、「姜さんはエリートでしょう?」って尋ねられたけれど、これほどしんどい問いもなかったのです。なにしろ、クソですから、クソッ。
 でも、別の意味では、私こそは真の近代人である、という自負がある。反骨がある。だって、移民、難民、植民地の民ほどすばらしく近代的な存在はないでしょう? 風土からすっぱりまるごと切り離されて、社会の底辺にちりぢりばらばらにばらまかれて、死ぬほど働いて、這いあがるために懸命に学んで、生き抜くためなら母語の痕跡も必死に消して立派な近代標準語の使い手にもなって、そうしてうっかり我を忘れたりして……、そんな私たちこそが真の近代人である、この近代人の声を聴け! というわけでね、1968年にアメリカのImpressionsというグループが歌ったこの歌、若き日の私のテーマソングの一つでした。歌詞のcountryは modernityに置き換えてもよいです。

Some people think we don't have the right
To say it's my country
Before they give in, they'd rather fuss and fight
Than say it's my country
I've paid three hundred years or more
Of slave driving, sweat, and welts on my back
This is my country

(超訳:ここを私の国と言う権利はないと考える人もいるけれど、
なに言ってるのさ、この国のために300年以上も奴隷となって、汗流して、鞭打たれて、
もうそれだけで、ここは私の国)

 とにかく、「国家」とか「民族」(含む、「在日」)とか、あるいは教祖様のいる「宗教」とか、強力な求心力で人を括ってゆくすべての共同性から逃れること、二度とクソのような事態にのまれないこと、若き日の私にとっては、それがなにより大事でした。
 やがて私が「文字」から「声」へと、「歌」へと漂いだし、そのうち説経・祭文・瞽女唄のような語りの世界にさまよいこんで、果ては山伏修行めいたことをするようになったのも、その根底には求心力への抗いがある。語りや山伏修行については、いまは、風土の小さき神々の声を感じる回路を自分のうちに開きたいがゆえのものと言うにとどめて、またあらためてゆっくりと話しましょう。

 それからもうひとつ、これもとても大事なこと。求心力への抗いとも関わることですが、私は石牟礼さんや緒方さんの方法をさらに「もうひと越え」しようと考えている、と言ってしまうと、どこか微妙に違うんです。石牟礼さんや緒方さんの方法はその生きる世界と不即不離のもので、その意味において、そもそも私は石牟礼さんや緒方さんと同じ「場」に立っていない。石牟礼さんたちの世界を、観念としてはともかく、生きている実感として共有するのは難しい。これは、「もうひと越え」以前の話です。
 石牟礼さんや緒方さん、さらに言うなら山内さんとも異なる場に私は生まれ落ちて、そこから立ち上がり広がっていった世界に生きてきました。私はまずはそこを足場に近代の乗り越えを考えるしかない。なんと言えばいいんだろう、石牟礼さんは旅の空に仰ぎ見る道標の北極星のようなもので、石牟礼さんの語る世界に憧れ、緒方さんの生き方に深い敬意を抱きつつも、そこにある一つの凄まじく魅力的な答えにのめっていかないことが私にとっての慎みなのです。それを忘れれば、私はまた「エリート/クソ/皇国臣民」と同じ轍を踏む。
 道は自分で拓くこと、答えは自分で探すこと、ブッダに会ったらブッダを殺すこと。
 巨大な中心を無化するほどに、無数の小さな名もなき中心たちが息づく世界を、私は本気で夢みています。互いが互いの北極星になるような、そんな星たちの世界。私も、まぁ、「狂った」ところがあります。

 さて、ついこないだ、3月下旬に、不意に友人に誘われて、まことに慌ただしく、山内さんの地元、南三陸・志津川に行ってきましたよ! 他所から志津川に移住してきた方のお宅にお世話になったものだから、残念なことに、土地の人とじっくり言葉を交わす機会はありませんでした。ただ風景を観てきました。地名にひかれて志津川のとなりの歌津にも車を走らせました。通りすがった歌津の海辺の高台の社、三嶋神社。海辺の民の祈りの依り代でしょうか、恵比須さんがたくさん祀られていました。かつて神仏習合の修験(山伏)の山であった田束山から江戸時代に海辺に降りてきた社という説明を見たけれど、確かに神社なのに寺のような鐘楼もあったけれど、他のことは何もわからず、ただただ高台から海を眺めていました。きれぎれの防潮堤に視界が大きく遮られる海です。なんだかひどく切ない。


南三陸・歌津 三嶋神社境内 恵比須さん。

 南三陸で観た風景は、震災後に何度も通った陸前高田の“復興”の風景にも似て、“復興”という名のローラーに風土が砕かれて均されているようにも見え、ああ、とても切ない……。
 南三陸の鹿子躍りの「奉一切有為法躍供養也」の供養塔の話は、以前にも山内さんは話してくれましたね。その記憶もあって、お世話になったお宅にやってきた地元の人に、ふっと震災後の祭りのことを尋ねたんです。私が三嶋神社に行ってきたと言ったものだから、その方は鹿子躍りではなく、三嶋神社のことを念頭に答えることになったのですが、その答えは「祭りより、復興だ」でした。すれちがいざまのこんなやりとりで、どれほどのことがわかるものかと思いつつも、このなんとも経済的な答えに、私は、山内さんの前便の手紙の言葉により深く強く共感している自分をあらためて発見したのでした。「光も闇も、この世に生きとし生けるものも、石ころも……凡そこの森羅万象の一切を躍って供養します。そうせずにいられない、切実な何かがこの<世界>にはあると思います。大津波が襲って来ようとも、ここで生きる。この<世界>の生というものが、あるのではないかと思っています。」という言葉に。
 山内さんの言葉に共感する私は、「産土(うぶすな)」ということをしきりに思いました。それはかつて詩人金時鐘(きむ・しじょん)からまことに印象深く聴いた言葉です。土地の死者の魂はその土地の神、産土神によって鎮められねばならないのだと詩人は言ったのです。
 金時鐘の「産土」はこんな光景とともにあります。
 1948年冬、韓国・済州島、夕陽沈む渚。「神房(シンバン)」と呼ばれる島のシャーマンが、鉦と太鼓が鳴り響くなかを激しく舞い踊り、歌うように、かきくどくように祈りの言葉を死者たちに捧げる。ええ、もちろん、神房による祭祀などというのは、頑なな近代精神からすれば淫祠邪教の類です。そして、その渚は、アカ/共産主義者という刻印を押された島の男たちが、数珠つなぎに手首を括られて、船で沖合に連れていかれて、海に放り込まれて、膨れあがった死体になって、砂利浜にジャリジャリと打ち上げられて、肉もおからのようにぼろぼろとこそげ落ちていく、そういう無惨な渚だったのです。かれら、島全体を襲った惨禍の中の死者たちは、島の産土神に祈って鎮めるほかはないのだ、それは近代の領域のことではないのだと、かつて植民地時代にはきわめて近代的で優秀な皇国少年であった詩人金時鐘が、血肉から滲み出る静かな声で語ったのでした。
 島全体を襲った惨禍とは、山内さんもご存知のとおり、済州4・3事件です。1948年4月3日の島の青年たちの武装蜂起をきっかけに、アカ狩りの名の下、数年にわたり島全体に吹き荒れた権力による無差別虐殺の<狂風>です。ついこないだの4月3日が、済州4・3から71回目の春でした。私の身内にもこの<狂風>を生きのびた者がひとりいます。
 あの当時、植民地支配からの解放もつかの間、南北分断の動きに抗する済州島の民に対する、南側の権力による報復がまずあった。島に送り込まれた極右団体が島民へのテロを繰り広げた。それが4月3日の武装蜂起を呼び起こし、その武装蜂起に対してさらに凄まじい報復が権力から加えられたのでした。生きのびるための、島の人間の間の密告もある、裏切りもある。疑心暗鬼の中での島民同士の殺し合いもあったという。この<狂風>で島民の5人にひとりが殺されたと言いますが、実情はもっと多いかもしれない。なにしろ国家が非を認めて謝罪するまで、恐ろしくて物も言えなかったのですから。島の村々の共同体には無数の見えない亀裂が走って、そんな状況が半世紀以上も続いたのですから。
 しかも、これは単に朝鮮半島の南端の小さな島を襲った惨禍ということにとどまりません。米軍の傘の下で誕生した韓国という新国家の、建国にまつわる不義非道の秘密がそこにある。解放空間にやってきた米軍は、軍政を即座に容易に進めるために、解体すべき植民地支配の行政組織と朝鮮人下級官吏たちを温存して活用します。(これが韓国で言うところの「親日派」ですね。「親日派」は済州島民虐殺に大活躍しました)。それはまたは同時に、米軍の傘の下の戦後日本の行方とも深く関わることです。日本でも、近代日本を戦争に導いた仕組みやそれを動かしていた者たちがだんだんと息を吹き返していきましたよね、たとえば安倍晋三が尊敬する祖父・岸信介のような者たちが。
 思えば、済州島は、近代日本の戦前と戦後の闇をつなぐひそかな点の一つでした。明治150年は切れ目なく滔々と流れ、その流れの中で人びとは「村」の内でも外でも繰り返しちりぢりばらばらにされてゆく。「産土」を忘れてゆく。
 済州島では、<狂風>から半世紀以上も経て、有志の手によって、無数の死者たちのために、神房による鎮魂の祭祀が行われています。産土の小さき神々のもとで舞い踊る祈りです。それは死者への祈りであると同時に、ばらばらに分断された生者のための祈りでもありましょう。


済州43平和公園 43の虐殺で今も行方不明の人々の墓石。

 私自身も済州島で、神房が産土の神を降ろし、死者を降ろして、歌い語り舞い踊り祈る場に立ち会ったことがあります。2010年の夏のことです。その祈りの場では、ひとりの死者の来歴が、まるでひとつの神話のように、たとえば聖書でアダムの系図が「アダム、セツ、エノス、カイナン、マハラレル、ヤレド、エノク、メトセラ、ハラレルエノク、レメク、ノア……」と語られるように、延々と語られていくのです。いつ誰の代に陸地から島にやってきて、またいついつ誰それが島から外に出ていき、一族代々命を紡いで、そうしてこの死者へとつながってゆくのだと、こうしてこの死者を祀る生者にもつながるのだと、神房は神々の来歴を語るように歌い語ります。ジャンガジャンガと鉦と太鼓の鳴り響くなか、舞い踊ります。産土の神とは、小さき神々の別名なのだと、その祈りの場が私に教えてくれました。でも、こうして語りながらも、鹿子躍りの供養塔に現れた<世界>をまだうまく翻訳できないと言う山内さんのように、私もまた、産土の小さき神々の<世界>を自分の言葉としてどう語るのかというところで、いつも足踏みをしています。いつも、いつまでも、借り物の言葉で夢見るようにばかり話しているような、忸怩たる感覚があるのです。


済州島 神房(シャーマン)の祈り。往復

 それでも、私たちは、きっと<春>のほうへと歩いていくのだから、足踏みするばかりの私は、足踏みのリズムで、いつもこんな歌をうたっております。

  カチューシャかわいや わかれのつらさ
  せめて淡雪 とけぬ間と
  神に願いを ララ かけましょうか

  カチューシャかわいや わかれのつらさ
  ひろい野原を とぼとぼと
  独り出て行く ララ あすの旅

 「カチューシャの唄」の1番と4番。大正時代の流行り歌だけれども、私はこの歌を、求心力から逃亡してぐるぐる彷徨う旅の途中の石垣島で、三線一本で戦前戦後の沖縄の島々を歌って踊って生き抜いてきたおばあから受け取りました。2002年の夏のことでした。
 その三線おばあによれば、歌なんてものは歌う者が歌の主であるから、この流行り歌がどんな人にどんな意味で作られて、誰が最初に歌ったかなんてことはまったく関係ない。そしてまた、おばあによれば、草にも木にも石にも風にも水にもカミさまは宿る、もちろん人間にも。人間は誰も頭の上にカミさまを載せていて、カミさまは歌い踊るのが大好きだから、人間も歌を聴けばカミさまと一緒に踊りだすのだ、と、そんな話も聞きました。このおばあは初めて会った私のために何時間も歌っては語り、語っては歌いまくったすえに、礼儀正しく正座して拝聴していた私に、一言、こう言ったのでした。
「あんたの頭の上にはカミさまがいない。早くカミさまを探しに行きなさい」
さらにそのうえ、
「あたしが三線弾いて歌ったら、踊れ!」
と言われた。


石垣島の三線おばあ。

*石垣島のおばあの「カチューシャの唄の動画
https://youtu.be/A2BgqMZpMWw?t=44

 お告げというのは、思わぬところからやってくるものなんですねぇ。そのときから私は、頭の上のカミさまの不在をひしひしと感じて、切ない気持ちになって、やがて反骨ばかりの頑なな私の旅が、カミさま探しの旅へと変じていったのです。
 今日は2019年4月8日。<春>の言葉を探して、ひろい野原をぐんぐんと、独り出て行くララあすの旅。歌えば、ほら、空には輝く北極星。

姜信子

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著者略歴

  1. 姜信子(きょう・のぶこ)

    1961年、横浜市生まれ。著書に『棄郷ノート』(作品社)、『ノレ・ノスタルギーヤ』『ナミイ 八重山のおばあの歌物語』『イリオモテ』(岩波書店)、『はじまれ』(サウダージブックス)、『生きとし生ける空白の物語』(港の人)、『声 千年先に届くほどに』『現代説経集』(ぷねうま舎)、『平成山椒大夫 あんじゅあんじゅさまよい安寿』(せりか書房)など多数。訳書に、李清俊『あなたたちの天国』、カニー・カン『遥かなる静けき朝の国』、編著に『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず書房)など。17年『声 千年先に届くほどに』で鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。路傍の声に耳傾けて読む書く歌う旅をする日々。

  2. 山内明美(やまうち・あけみ)

    1976年、宮城県南三陸町生まれ。宮城教育大学教育学部准教授。専攻は歴史社会学、農村社会学。日本の東北地方と旧植民地地域の双方をフィールドに、稲作とナショナリズムをテーマとする文化的政治にまつわる研究をしている。東日本大震災以後は、郷里の南三陸での農村調査も行っている。著書『こども東北学』(イースト・プレス)、共著『「辺境」からはじまる――東京/東北論』(明石書店)、共著『グローバル化の中の政治 岩波講座 現代4』(岩波書店)、共著『ひとびとの精神史 第3巻』(岩波書店)など。

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