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小島ケイタニーラブ「広州ノオト」

第15回 出会いはいつも突然に

 近所の花屋が突然消滅した。
 消滅した、といっても、一瞬にして建物ごと更地になってしまうというわけではなくて、あくまで閉店してテナントの中が何もなくなってしまうだけなのだけど、そのなくなり方が、あまりに突然で、前触れもなく、まるでもぬけの殻になったようになってしまうので、その切なさも含めて、僕はあえて「消滅」と呼んでいる。

 広州に来て以来、こんなふうに店が消滅することは日常茶飯事で、契約した携帯ショップにSIMの設定をしに行ったら消滅していたし、お気に入りの飲食店も次々に消滅していく。

 思えば僕の好きだった花屋だっていつ消滅してもおかしくなかったのだろうけど、3ヶ月通っていた店がなくなるのは寂しいものだ。スタッフは皆優しく、近所の花屋の中では珍しく英語ができた。来たばかりの頃は中国語がまったく喋れなかったので、片言の英語が通じたことがどれだけ心の支えになったかわからない。

 「これください」
 「これはいくらですか」
 「3本ください」
 「この花はきれいです」
などの覚えたての中国語を試すこともできた。そこはなんとなく、学校とは違う、社会への入り口のような場所に感じていたのだった。

 そんな喪失感を抱いたまま、翌日いつものように学校に行った。教室に入るといつもの席にテウくんがいたのでさっそく消滅した花屋のことを話す。テウくんは、ふむふむとうなずくと、

 「そういうこと広州でよくありますね。あと突然お店がなくなるのと同じぐらい突然お店ができますね」

 確かにテウくんの観察の通り、突然、お店がオープンするということも、消滅と同じぐらい多いのだ。実際、街を歩いていると、いつもどこかのビルで何かしらテナントの工事をしている。開けたままのドアから、壁や机に釘をカンカンと打ち付けたり、ウイィーンとネジを回したりして、内装を工事する音が聞こえてくる。そしていつのまにかお店がオープンしているのだ。そんなわけで、今回は「突然」が多めの文章になるかもしれないけれど、それもまた自然の成り行きなのである。

 この日も突然、キャンパスの近くにパスタ屋ができていた。午前中の授業が終わった我々はさっそく店に入った。
 注文したクリームパスタを待ちながら、テウくんが突然、「そういえば、日本には『八方美人』という言葉がありますよね」と語り始めた。
 この「そういえば」というのは、テウくんの口癖である。テウくんは日本語が堪能なので二人でいるときはだいたい日本語で喋るのだけど、彼は話す際、この「そういえば」を多用した。話は逸れたが、以下、テウくんの八方美人の話の続きである。

 「『八方美人』は、韓国にも同じ言葉があるんですが、日本の意味とは全く違って、いい意味で使われるんです」

 僕もペペロンチーノを食べながら、とっさに「八方美人」の意味を思い出す。(広辞苑より)

 1.どの点から見ても欠点のない美人。
 2.誰に対しても如才なくふるまう人を、軽んじていう語。

 日本で「八方美人」といえば、主に「2」の方の意味の、誰に対してもいい顔をする人を指し、あまり良い意味では使われない。誰かに「あなたは八方美人ですね」と言ったら間違いなくキレられるだろう。韓国ではどういう意味になるのだろうか。

 「韓国では、いろいろなことに精通しているマルチな才能を持った人を褒めるときに使います」

 つまり先ほどの「1」の意味なのだという。実際にテウくんが韓国語で「八方美人」(「팔방미인」)と検索すると、俳優や音楽活動などマルチな活動をするアーティストが紹介されている。
 なぜ同じ「八方美人」が、日本と韓国で捉え方が違うのか、テウくんなりに分析しているようだった。

 「日本は一つのことに精通した職人を大事にしますよね。その代わり、何か一つに特化してるわけではない、いろいろなことができる人をあまり褒めないですね。だから『八方美人』は悪い意味に使われたのでないかと思うんです。韓国ではいろんなことをできる人はすごく評価されますので、『八方美人』はいい意味です」

 なるほど、言われるまで気づかなかったけれど、確かに日本には、一つのことを実直にやり続ける人を応援する雰囲気があると言える。実際、僕も職人を追ったドキュメント番組など感動して泣きながら見ることがよくある。
 それはそうと、韓国には日本で使われるネガティブなニュアンスの「八方美人」にあたる言葉はないのだろうか。

 「もちろんあります。意味が一緒かわかりませんが、韓国ではそういう人を『水族館を管理する女』(어장녀)と言います」

 言葉のインパクトに僕の頭は完全に思考が停止する。「水族館を管理する女」というのは一体全体どういう意味なのか。テウくんの説明によるとこういうことらしい。

 「いろいろな男にいい顔をしている女性のことを、水槽の中のいろいろな魚(男たち)に餌をやっている管理人に例えているのですね」

 なるほど、うまい例えかよくわからないけど、とにかくなんとなく腑に落ちる部分もある。(「八方美人」とはちょっとニュアンスが違うかもしれないけれど。)フォークをパスタの皿に差し込みながら、彼はさらに続けた。

 「他にも『花蛇』(꽃뱀:韓国語の発音はコッペム)という言葉もあります。花「コッ」(꽃)と蛇「ペム」(뱀)蛇を合わせた言葉です」

 どうやら、「花蛇」は水族館を管理する女とは違う意味らしい。フォークで掬い取ったパスタを一気に口に放り込むと、テウくんはまるで機密情報を告げるスパイのように、ゆっくりと語った。

 「『花蛇』は金を目的に接近してくる女のことです」

 直訳調の説明がかえって生々しさを感じさせる。テウくんは握ったフォークを見つめながら言った。

 「そしてその女は金だけ持って帰っていきます」

 さっきのパスタが一本だけフォークに挟まったまま、蛇のように怪しく揺れた。パスタの演出のせいもあるだろうけど、とにかく花蛇とは恐ろしいもののようである。

 さらにテウくんの説明を聞くと、ニュアンス的には結婚詐欺に近いようで、「花」の美しさ、「蛇」の怪しさを言葉でも表しているようだった。意味を聞くと怖いけれど、日本語で「はなへび」と口にすると、響きや余韻から底知れぬ怪しいフレイバーが醸し出されるようで、どこか詩のように感じる言葉だな、と思った。
 ちなみにテウくんが「有名な花蛇はこの人です」と言ってハングル版のウィキペディアを見せてくれた。そこには日本を一時期騒がせた連続殺人犯・木嶋佳苗の記事と写真が載っていた。どうやら彼女は韓国でもとても有名な花蛇らしい。

 「彼女は花蛇の中の花蛇ですね。それにしても、、、」

 テウくんは空になった皿にフォークを置くと、遠い目をしながら

 「いつの時代でも金がある男はモテますね」

としみじみした口調で言った。それは韓国も日本も同じである。

 「僕も一度金を持って、ああいうモテさを感じてみたいです」

 テウくんはさらに遠い目をした。
 そこで二人の会話は途切れ、僕らの目線は窓から見える一台の車に止まった。そこには、まさに「私はお金持ちです!」というように、ポルシェを運転する広州の20代の若者が信号待ちをしていた。

 「僕は今の中国はチャレンジする機会がたくさんあるのがとてもいいと思います」

 ポルシェに触発されたように、テウくんは語り出した。

 「中国は会社を興して一度失敗してもまだやり直しがききます。韓国や日本は一度会社を立ち上げて失敗すると、また会社を立ち上げて成功させるのはなかなか難しいことですよね」

 テウくんの話が終わるか終わらないうちに、信号が青になった。誰に向けた音かわからないが、パフッとこぎみのいいクラクションを鳴らしてポルシェが走り去っていく。普通のクラクションの音なのに、なんだか景気のいいファンファーレのように聞こえた。

 花屋もパスタ屋も次々に現れては消えていく。今まであったものがなくなることに切なさを感じ、寂しくなってしまうけれど、テウくんの話を聞いていると、お店をたたむこともネガティブなことだけはなくて、次へのチャレンジと考えれば、そこまで後ろ向きに捉えることでもないのかもしれないな、と思った。

 会計を済ませ、我々は外に出た。大学の裏門の隣に花屋があったことを思い出し、僕はテウくんを連れ花屋に向かう。行きつけの花屋がなくなったことを忘れるかのように、僕はとにかく、どこでもいいから花を買いたいという衝動に駆られていたのだった。
 運よく、学校近くの花屋はまだ消滅していない。一人のおばちゃんが退屈そうにスマホをいじりながら店番をしている。こちらに気をとめることも、振り向きもしない。
 行きつけだった店と比べると品揃えは決して多くはない。値段は割安なのだけど、そこまでそそられる花も見つからない。それでも何かないかと物色していると、隣のテウくんが急激に退屈そうな様子になってきた。あからさまに花に興味がない様子で、スマホをいじりながら、突然話しかけてくる。

 「そういえば、今ネットゲームの世界大会が大変なことになっています」

 テウくん、それ、花と全然関係ないよ、と思ったけど、ひとまず、そうなんだ、大変なんだね。と話を合わせる。テウくんは再びスマホに戻ると、今度は

 「そういえば、チワワは犬の中でも性格が悪いそうです」

 とにかくスマホで流れてくるニュースをいち早く僕に伝えてくれているようである。いずれにしても彼は花に興味がないのであった。
 ついにテウくんはスマホにも飽きたのか、お店の外に出てしまった。僕は百合の花を買い、包装してもらい、外に出ると、店の外でテウくんがしゃがんで何かをじっと見ていた。

 「敬太さん、これ」

と言って、指を指す。それは体長15センチほどの可愛い亀が20匹ほど入っている透明なガラスの桶であった。どうやらこの花屋で売られているらしい。花屋で亀を売っている時点で不思議ではあったが、さらに亀たちの雰囲気も、日本の縁日で見るようなものとは明らかに違った。そこにいる亀たちの甲羅にはそれぞれ赤や水色、黄色などなど、とにかく鮮やかな色を使った派手なイラストが描かれているのだ。近づいて、よくよく見てみると、一匹の甲羅にはスヌーピーのイラストがついて、しっかりSNOOPYとも書かれている。もしかしたら、亀の甲羅用(?)のシールなどが販売されていてそれを貼っているのかもしれない。いずれにしても目の前にスヌーピーを背負った亀がいる光景はだいぶシュールである。テウくんは不思議そうに言った。

 「なぜ亀に絵が描かれているんでしょうか」
 「うーん、わからないなあ」
 「なんでスヌーピーなんでしょうか」
 「わからないねえ」

 しばし、言葉もなく、亀を見つめる僕たち。亀たちはお互いの甲羅に乗ったり乗られたりしながらガチャガチャと水槽の中を動いている。そのたびに甲羅のイラストたちが揺れる。この亀たちを自分の身に置き換えてみると、かなり切ないものがある。さっきテウくんから聞いた、水族館を管理する女という言葉を思い出した。さしづめこの亀が我々男なら、この花屋のおばちゃんが水族館を管理する女といったところだろうか。

 なんとなく切ない気持ちに包まれながら、亀を見終わった我々は、駅に向かい、いつもの地下鉄ホームまで歩いた。

 「そういえば」

 別れ際にテウくんが言った。

 「今期の授業が終わったら、韓国に戻ることになりました」

 出会いも別れも、いつも突然訪れる。

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著者略歴

  1. 小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)

    シンガー/ソングライター
    1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部在学中に夏目漱石、川端康成、The Smithsに影響を受け、楽曲を書き始める。2009年にロックバンドANIMAとしてデビュー後、これまでにソロ作品として、アルバム『小島敬太』、『It’s a cry run.』を発表。
    2011年から、古川日出男・管啓次郎・柴田元幸と朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演、劇中音楽・主題歌などを担当。
    2013年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動<言葉と音の往復書簡>を開始。
    2016年には「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌など。
    2017年から、親子で楽しめる物語のフェスティバル『マンモススクール STORYTIME in NARA』のステージ監修を務める。シンガポールやインドネシアでの国際文芸フェスでも音楽と文学の垣根を越えたアプローチは注目を集めている。
    2018年5月、フルアルバム『はるやすみのよる』をリリース。
    2018年8月から広州在住。

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