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小島ケイタニーラブ「広州ノオト」

第14回 香港に白鳥が舞い降りた

 関さんが香港に来るという。彼は「スペースシャワーミュージック」で働いていて、僕が去年リリースしたアルバムでめちゃくちゃお世話になった人なのだ。香港は僕の住む広州から近いので、さっそく会うことになった。

 中国の南部、南シナ海に面する一帯は広東(カントン)と呼ばれている。気候は温暖で、珠江を中心に、広州、香港、そして近年IT関係でめざましい成長を遂げている深センなどの大都市がこの一帯に集中している。
 広州から香港までは高速鉄道で2時間ほど。最近は45分ほどで行ける線もあるという。僕は家から最寄りの高速鉄道「広州東」駅から香港に向かった。

 香港のホンハムという駅で高速鉄道を降り、地下鉄に乗り込んだ。香港の地下鉄も広州と同様、多くの人が乗っている。座っていると、車両のそこここから広東語の響きが聞こえてきた。
 香港映画でジャッキー・チェンが喋っている言葉である。抑揚のバリエーションも豊富で、独特の響きを持っており、会話のテンポ感も小気味よく、言葉の意味はわからないが聞き入ってしまう。僕が今習っているのは、中国の標準語にあたる普通話(プゥトンホワ)なのだけど、広東語と普通話は発音も声調も異なる、まったくの別物らしい。
 例えば、香港という名前。「ホンコン」というのは広東語で、これを普通話で読むと「シャンガン」となり、音から受ける印象もだいぶ変わってくる。
 イギリスから中国に返還されるまで、香港で使われていたのは広東語、そして英語であった。返還後は大陸からの観光客や人口流入なども増え、普通話の話者も増えたそうだが、しかし、今こうやって耳でキャッチしている音から想像するに、現在も日常的に広東語を使う人は多いようである。

 地下鉄を乗り継ぎ、関さんのいる駅を目指す。彼は自身が担当するNABOWAという日本のバンドの香港初ライブのために、この街にやってきたのだった。
 NABOWAは京都を中心に活動するインストゥルメンタルバンド、つまりボーカルがいないバンドである。メンバーは4人編成でギター、バイオリン、ベース、ドラム(ドラムの人はピアニカなどもやる)。6、7年前、日比谷の野外ステージでライブを見たことがあるけれど、技術や音楽理論の裏付けを感じさせるフュージョン的なアプローチと同時に、バンドが生み出すロックのダイナミズムを兼ね備えたサウンドでとても感動したことを覚えている。
 そんなNABOWAと僕にはちょっとした縁がある。
 昨年リリースしたアルバム『はるやすみのよる』で僕はタイトル曲のミュージックビデオを作った。清水貴栄さんという映像作家によるMVなのだけど、アニメーションを使用した表現がとても素晴らしくて気に入っている。そして、彼がその少し前に制作したのがNABOWAの「Swan」という楽曲MVであった。
 清水監督と「Swan」のMVを一緒に見ながら、自分のMVの打ち合わせをしたことをよく覚えている。NABOWAのメンバーとは直接話したこともなく、僕が一方的に知っているだけなのだが、清水監督を通して、なんとなく「NABOWA = 清水組の先輩」という感じで親近感を覚え始めていた。

 そんな彼らのライブが今晩、ここ香港で開かれるのだ。ライブハウスの名前は「This Town Needs」。開場の少し前の時間に着くと、入り口にちょうど関さんがいた。

 小島「おおお!」
 関「おおおお!」
 小島・関「おおおおお!」

 ただ待ち合わせて会っただけなのに、海外で会うと自然と盛り上がる。
 関さんは隣にいる男性を紹介してくれた。

 「彼はフィリックスと言います」

 年齢は20代後半から30代前半頃だろうか。目があったときはこちらを警戒していたのか、ややムッとした表情だったが、表情を崩すと、手を差し出した。地元・香港の音楽プロモーターのような人物で、彼こそがこのライブハウスと協力して、NABOWAを呼んだ張本人とのことであった。とても流暢な日本語を話した。
 フィリックスと固い握手を交わしていると、ライブハウスの店長も出てきた。英語で、よくきてくれた、よくきてくれたといった感じで気さくに話しかけられる。40代だろうか、少し恰幅のいい、気の優しそうな人である。ニコニコした、いかにも温和な顔つきだけれど、どうやらこの店長は香港ライブハウス界隈で伝説の人物のようで、営業停止など数々のハードルを乗り越え、今に至るのだという。そう思うと、このライブハウスの「This Town Needs」(この街が必要としている)という名前にも、熱い思いが込められているような気がしてくる。

 フィリックスは無表情でボソッと
 「店長の家は動物園なんです」
と言った。意味がわからず僕が不思議そうな顔をすると、店長が笑いながら説明した。
 「犬とか猫をめちゃくちゃたくさん飼っててさ、もう動物園状態なのよ!ガハハ」
 フィリックスは再び無表情で続けた。
 「あと、店長は料理を作るのもうまいんです」
 店長はやはり笑いながら
 「毎日家で料理作ってるからさ、大得意なのよ!ガハハ」
 とにかく、何か相談したら笑って吹き飛ばしてくれそうなそんな店長である。やや、生真面目な印象のあるフィリックスとは対照的で、この二人はとてもいいコンビかもしれない、と思った。

 話も一段落し、関さんは
 「NABOWAのメンバーを紹介します」
と言って楽屋に連れて行ってくれた。そこにはリラックスした様子のメンバーがいた。さっそく関さんに紹介してもらうと、偶然にもギターの奏さんが僕のCDを聴いてくれていたりして意外なかたちで話が盛り上がる。NABOWAのマネージャーの姉川さんとも挨拶をしつつ、楽屋を出た。あとは本番を待つだけ。

 まだ開場したばかりの客席で関さんと並んで話をした。彼はふと懐かしそうに言った。

 「すごく久しぶりに香港に来たんですよ」

 関さんが以前香港に来たのは、まだイギリスから返還される前だったという。香港返還は1997年だから20年以上前。関さんは現在40代前半のはずなので、まさに20歳前後の青春の1ページをここ香港で過ごしたことになる。

 「あの頃は英語が通じたんですけど、今回、英語が通じないお店が増えていて驚きました」

 様変わりした香港、昔のままの香港。20年の時を経て、様々な景色が関さんの胸に去来しているようであった。彼は少し遠い目をしながら、まだ誰も上がっていないステージを見つめていた。僕は彼に尋ねた。

 「そういえば、関さんはNABOWAとは長いんですか」

 「そうなんです。NABOWAとは昔からの付き合いなんです。ずっとライブも見続けてるんですけど、最近の彼らのパフォーマンスは本当に素晴らしいんです」

 彼は誇らしそうに言った。キャパシティ300人ほどの会場は次々に人で埋まっていく。世代はほとんど20代と思われる。香港ではまだリリースしていないNABOWA。しかし、口コミの力なのだろうか、店長の影響力なのだろうか、香港の若者たちは彼らの音を逃すまじと集まってきていた。

 しばらくして客席の照明が落ち、拍手に迎えられてNABOWAが現れた。一気に高まった空気の中、演奏が始まる。ステージの後ろに大きく飾られた「NABOWA」の文字が4人のシルエットと共に輝きを放つ。


 客席の若者たちはそれぞれに楽しんでいるようだったが、音に合わせて激しく踊るというよりも、じっくり聴いている、というような雰囲気だった。そして一曲が終わるごとに割れんばかりの拍手が起こる。そして、体も少しずつ動かし始めていた。一曲ごとに会場があたたまっていくのを感じた。

 ライブも中盤を過ぎ、メンバーが簡単なMCをした。バイオリンの山本啓さんが広東語で喋る。何を話しているか全くわからなかったが、会場は最高に盛り上がっていた。さらに一段上がった熱気とともに、ライブは佳境に入る。

 MVの曲、「Swan」の演奏が始まった。
 イントロのコードギターが始まる。軽やかに舞う白鳥の翼のような、優雅な動き。
 ドラムのキックが、ライブハウスを揺らしながら、鼓動を刻む。白鳥の心臓の音のようでもある。うねるベースは羽を動かす筋肉のようにしなやか。
 僕たちオーディエンスは、あっという間に空にいるような気分になった。

 そして、空から一気に光が差し込むように、バイオリンのメロディーが始まる。風を読み、一気に舞い上がる。飛翔だ。今、僕らは気流に乗ったのだ。

 サビに入り、バイオリンとベースが絡み合うように上昇下降を繰り返す。風を読め!僕らはまるでメーヴェに乗るナウシカのように、風の上をサーフィンしていく。ドラムのライドシンバルとタムが響いた。体中が躍動している。僕らがここに生きていることを実感する。静かに動いていた若者たちはいつのまにか激しく体を動かし踊っていた。

 風を切り裂くようにギターソロが始まる。それは、切れ切れになったいくつもの記憶の断片のようだった。もちろん僕はメーヴェに乗ったことも、白鳥になったこともない。だけど、今空を飛び、顔に当たる無数の風を感じながら、通り過ぎた街、海、山、サバンナ、どこかで出会った風景を思い返していた。それは、走馬灯のようでもあり、未来に見る景色のようでもある。

 曲の最後、4人の演奏はユニゾンになった。それまで別々のパートを支えていた4人が今、同じフレーズ、同じリズムをともに刻むのだ。4人の音が一つの塊になっていく。4人の人間ではなく、一つの生き物になっていく。それは、逆風に立ち向かい羽をバサバサと広げ、舞い上がろうとする白鳥のようだった。圧巻の演奏だった。目がうるうるとし、NABOWAの文字が少しぼやけた。香港の空に飛び立とうとする一羽の白鳥がそこにいた。

 演奏が終わっても拍手はしばらくの間、鳴り止まなかった。店長もフィリックスも、オーディエンスも、This town needs――この街が、この音を必要としているのだな、と思った。きっと、音楽はいつの時代もそうやって伝播してきたのだろう。街が求める音たちを、アーティストたちが直接届けにいく、それはどんなにネットが普及した現在だって変わりはしないのだ。

 ライブ後、NABOWAにサインを求める長蛇の列を見ながら、関さんとマネージャーの姉川さんと3人で話す。

 小島「ライブ素晴らしかったですね」
 姉川「ありがとうございます」
 関「よかったですね」
 小島「こんな夜は酒も一段と美味しくなりますね」
 姉川「ああ、そうですね…」
 小島「きっとビールが合いますね」
 関・姉川「…」
 小島「この喜びをぜひ乾杯して分かち合いたいですね」
 関「…え、ええと、そうですね、今から打ち上げするので小島さんも来ますか」
 小島「行きます行きます」

と、ほとんど誘導尋問のような形で打ち上げ参加を取り付け、片付け終わったNABOWA一行に混ざり、タクシーに乗って、打ち上げ会場に向かう。店長は来られなかったが、フィリックスがすべての段取りを取り仕切っていた。打ち上げ会場はNABOWAが滞在するホテルのほど近くにある食堂のような店。真ん中の大きな長机を二つ並べて、各自どかっと椅子に腰をおろし、おつかれの乾杯をしたのだった。

 フィリックスがまとめて注文した野菜の炒め物や、エビなど現地の料理が次々と出てくる。おばちゃんが何か広東語で喋りながら、でかいおかゆの丼をボンとテーブルに置いた。なみなみと注がれたおかゆが表面張力を突き破り、テーブルの上に少しこぼれた。大きなレンゲで小さな椀におかゆを取り分けて、うまいうまいとかき込みながら、我々は語った。

 広東語で話した山本さんのMCの話になった。
 「あれは必死に練習したんですよ」
 彼は言った。
 「簡単な挨拶文なんですけど、暗唱できるようになるまで何度も何度も繰り返したんです」
 あのMCの盛り上がりは、彼の静かな努力が実を結んだのだろう。見習おうと思った。

 僕の左では、ギターの奏さんがおかゆを食べていた。ライブ中の彼はギターを弾きながら、「本当に音楽が好きでたまらないんだ」というような表情をする。それが見ている方にも伝わって、感動的なのだけど、今も、やはり、「本当におかゆが美味しくてたまらない」という顔をしていた。美味しさで顔がふにゃふにゃと緩んで、このままおかゆに溶けてしまいそうなぐらいである。

 皆が思い思いに酒や食を楽しみ、とにもかくにも打ち上げは楽しく進行しているようだった。僕もビールを急ピッチで空にしていく。こうして、NABOWAの初香港ライブは無事に終わったのだけど、大陸ではまだライブをしたことがないという。僕は無性に広州で彼らのライブを見たいと思った。僕はいつにないほどに気が大きくなっていた。

 「今度、ぜひ広州にもライブしに来てください!街もいろいろ案内したいし」

 僕は勢いよく声を出した。「いいねえ、やろうやろう」という空気になったが、自分で言い出してから、いや、待てよ、実際どうやったらNABOWAを呼ぶことができるのだろう、と思った。冷静に考えなければいけない。
 まずはライブハウスだ。これはDavidに聞けばいいだろう。彼のブッキングするライブハウスは広州随一だし、実際、日本のアーティストを呼びたい、とも言っていた。ギャランティなどの条件も交渉せねばならない。あとは、そのライブハウス以外にもどこかでライブをしてツアーにした方がよいのかもしれない。これは、僕よりもっと詳しい、谷本さんにも聞いてみよう。あと、ビザとか?それと物販はどうするの?やっぱりこういうことはイベント専門の人に聞いた方がいいのかな。
 など、頭の中でいろいろな考えが浮かんできた。

 僕はシンガーソングライターなので、イベントのオーガナイズ(主催)のプロではない。しかし、なんだかうまくできそうな気がするではないか。ココナッツスープを飲んで以来、僕はなんだか楽観的に前向き気味になったのだった。

 NABOWAを広州に呼ぶ。いや、あの白鳥を広州に呼ぼう。この感動を広州の人と分かち合いたい。
 そして、打ち上げでまた広東の美味しいおかゆを食べよう。そんなことを思いながら、残りのビールを飲み干した。香港の夜は眠らない街の呼び名に違わず、僕たちバンドマンの喧騒を抱いて、また一段と深まっていくのだった。

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著者略歴

  1. 小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)

    シンガー/ソングライター
    1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部在学中に夏目漱石、川端康成、The Smithsに影響を受け、楽曲を書き始める。2009年にロックバンドANIMAとしてデビュー後、これまでにソロ作品として、アルバム『小島敬太』、『It’s a cry run.』を発表。
    2011年から、古川日出男・管啓次郎・柴田元幸と朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演、劇中音楽・主題歌などを担当。
    2013年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動<言葉と音の往復書簡>を開始。
    2016年には「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌など。
    2017年から、親子で楽しめる物語のフェスティバル『マンモススクール STORYTIME in NARA』のステージ監修を務める。シンガポールやインドネシアでの国際文芸フェスでも音楽と文学の垣根を越えたアプローチは注目を集めている。
    2018年5月、フルアルバム『はるやすみのよる』をリリース。
    2018年8月から広州在住。

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