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小島ケイタニーラブ「広州ノオト」

第7回 広州初ライブ(怒涛の準備篇)

 10月20日の広州ワンマンライブに向け、僕は作戦を練っていた。

 ひとまず、中国語でカバー曲を歌詞を見ずに歌い、できれば中国語で新曲も作り、下手でも中国語でMCをするぞ!と目標を立てたものの、本番まで残り10日となった今、やるべきことは限られていた。
 これから10日間は一日刻みに、やりたいことと、できることを再確認して、やりたいけど間に合わないことはどんどんカットしてくことにする。

【ライブ10日前】
 有名曲を探し、すでに知っていた周杰倫(Jay Chou)のバラード『安静』を歌うことにした。バラードにした理由は明確で、中国語の歌詞を歌える自信が全くなく、バラードの方がゆっくり歌えるんじゃないかな、と思ったからだ。
 知ってる曲だが、カバーをするつもりで聴いていた曲ではないので、メロディーもおぼろげ。まずはたくさん聴いてメロディーを体にたたき込むことにした。
 「QQ音楽」というアプリをダウンロードし、リピート機能でひたすら『安静』を聴きながら、寝る。

【9日前】
 『安静』のメロディーはほぼ覚えた。いい曲だ。しかし、歌詞が一向に覚えられない。見慣れた日本語の歌詞と違い、すべて漢字だと、何を読んでも同じに見えてしまう。というわけで、A4ノートを広げ歌詞を全て書き出すことにした。時間はかかったが、ひとまず書き終えると、ノート1ページが漢字でいっぱいになった。それを見ているだけで、なんとなく達成感(何にもやり遂げてないのだけど)がある。出てくる漢字から歌詞のイメージを推測してみる。多分ロマンチックなラブソングだろう(適当)。

【8日前】
 語学学校で中国語の授業。
 今日は季節を習った。春は「春天(チュンティエン)」、夏は「夏天(シャーティエン)」というらしい。僕には季節感のある歌も多いので、これはMCで使えるかもしれない、と思う。

 学校の帰り道、カフェに寄って、ライブでやる日本語の曲を考えた。
 コーヒーを飲みながらふと『十五夜バタフライ』という曲をやろうと思った。この曲は自分で言うのもなんだけど、とてもロマンチックな曲なのだ。『安静』がロマンチックな曲なので、それに対する僕なりのアンサーをしたいと思ったのだった。


 『十五夜バタフライ』

 さなぎから孵った蝶のように
 二人は夜空に浮かびます
 唇が触れた瞬間に
 重力の意味を忘れたよ

 Here we go, here we go
 窓を開けて
 今夜僕らは何度も飛び立つ

 ホクロという名の惑星が
 君の肌の上揺れている
 僕の細胞の灯火が
 君の名を呼んで揺れている

 Here we go, here we go
 息を止めて
 今夜僕らは何度も震える
 さなぎから孵った蝶のように

 いびつな羽をした蝶のように


 ライブの中盤、『安静』と『十五夜バタフライ』を並べて歌いたい。今回のライブはとにかく「ロマンチック」なものにしよう。

【7日前】
 今日も『安静』の歌詞をノートに書くが、何度書いても覚えられず。
 気分転換に本屋に行くと、詩集のコーナーを見つけた。中国なので当たり前なのだけど、詩はすべて漢詩だった。ただ漢詩といっても教科書に出てくるような杜甫とか李白のようなクラシック作品は隅に並べてあるだけで、コーナーのメインは現代詩人の書いた詩たちであった。漢字の読み方や詩の正確な意味はわからないけれど、視覚からなんとなく世界観、雰囲気が伝わってくる。特に、月や夜、愛などの漢字が並ぶと、とてもロマンチックに感じた。
 この感じを『十五夜バタフライ』でも再現できないだろうか。『十五夜バタフライ』は日本語だし、その日本語の響きに合わせてメロディーも作っているので、そのまま中国語で歌ったとしてもきっと良さは伝わらないだろう。その代わり、日本語で『十五夜バタフライ』を歌う前に、歌の世界観を中国語で説明したいと思った。そうだ、歌詞を中国語に訳して朗読したらどうだろうか。
 すぐに『オトナノコイ』のPVでもお世話になったヤオチンに連絡を取る。翻訳アプリで作った十五夜バタフライの中国語詞を送って、添削をお願いした。

【6日前】
 今日も語学学校。授業の終わり頃に雨が降り出した。窓の外を見ながら、呂ラオシーが少しもったいつけながら「シャーユー」と言った。
 「下雨(シャーユー)」は雨が降る、という意味らしい。シャーという音が、まさに雨が降る音のようで覚えやすかった。呂ラオシーは雨を見ながら、誰にも聞かれてないのに「私は晴れより、曇りより雨が好き。雨はロマンチックだから……」と言った。雨空を見上げて突然、うっとりと語り始めた呂ラオシーを前に、うろたえるクラスのみんなだったが、ちょうどその時けたたましいチャイムが鳴って、授業は終わった。
 おそらく雨にまつわるロマンチックなエピソードがあったのだろう。まだまだ語りたげな顔をしながらラオシーは教室を去っていったが、いずれにしても雨が彼女の想像力をかきたてたことは間違いないのだった。そういえば、僕にも雨の歌があったことを思い出した。『サマーライト』という歌だ。今度のライブで雨の効果音を再生しながら、この歌を歌おうと決めた。

【5日前】
 メールを開くと、ヤオチンから完成した『十五夜バタフライ』の中国語訳が届いていた。

 『月圆蝶舞』         (翻訳ソフトの歌詞)
                
 宛如从蛹里孵化出来的蝴蝶般  像从蛹里回来的蝴蝶一样
 两个人漂浮在夜空       两个人在夜空中浮现出来
 嘴唇接触的瞬间        在我们的嘴唇接触的瞬间
 我们遗忘了重力的意义     我们忘记了重力的意义

 来吧,一起开始吧       来吧,一起开始吧
 打开窗户,          今晚我们打开窗户,
 今夜我们将不断翩飞      起飞好几次

 名为黑痣的行星        一颗叫做黑痣的行星
 在你的皮肤上摇摆       在你的皮肤上摇晃着
 我细胞燃亮的灯火       我的细胞灯火
 摇晃着呼喊你的名字      叫着你的名字摇晃着

 来吧,一起开始吧       来吧,一起开始吧
 呼吸停止           今晚我们停止呼吸,
 今夜我们将多次颤抖      多次颤抖
 宛如从蛹里孵化出来的蝴蝶般  像从蛹里回来的蝴蝶一样

 犹如羽翅扭曲的蝴蝶一般    像从歪的羽毛的蝴蝶一样



 第一印象は「美しい」であった。『月圆蝶舞』というタイトルを見ただけで、月の光に照らされる蝶々のシルエットが瞼に浮かんだ。って、あれ? タイトルって『十五夜バタフライ』だったよね、「十五夜」がどこかにいっちゃったけどどういうこと?

 ヤオチンの補足メールによると、十五夜には旧暦8月15日(中国語で「中秋節」)という意味と、満月の意味があるらしく、どちらの意味を取るかによってタイトルも変えた方がよいという。前者に合わせるとタイトルが『八月十五夜蝴蝶』、『中秋夜蝴蝶』になるのだが、この歌が日にちを8月15日に限定した歌でなければ、『月圆蝶舞』がよいのでは、というヤオチンからの提案であった。「なるほどそういうことなのか!」僕は画面越しに感嘆の唸りを上げた。そして、この歌は満月の歌なので、ぜひ『月圆蝶舞』でいこう、と思った。

 歌詞を読み進めると、似たような漢字を使っていながらも、元の翻訳とは違って見える箇所がたくさんあった。ヤオチンバージョンは、
「夜空」「星」「灯火」
などこの歌の世界観を表す大事な言葉たちが、まるで舞台俳優のように、次々とスポットライトで照らされていくような視覚的なインパクトを感じた。

 他に印象に残った箇所は「呼吸停止」だ。もともとの翻訳では「停止呼吸」だったけれど、ヤオチンバージョンは呼吸と停止が入れ替わっていた。二つの言葉を入れ替えることで、詩的で、印象に残るような効果を狙ったそうだ。

 ヤオチンはかつて自身で詩を書いていたこともあるという。彼は詩人の目線を持ちながら、詩的なアプローチでこの歌詞に向き合ってくれたのだった。ヤオチンにお願いしてよかった、と心から思った。と同時に、翻訳という仕事の大変さも感じたのであった。

 改めて『月圆蝶舞』の歌詞を最初から読む。視覚的に美しいからなのか、読めば読むほど言葉の一つ一つが生きているように感じてきた。「呼吸停止」が目に入る頃には、本当に一瞬、呼吸が停止したような感覚に陥った。無重力な言葉の宇宙に、僕の体が投げ出される。目の前の漢字たちがひとひらひとひら、花のように、蝶のように夜空に舞い上がった。雲の隙間から満月が顔を出す。秋の優しい風が、落ち葉たちをさらさらと鳴らし、何かを言いかけた恋人たちの言葉を遮った。そしてすべての時間が止まる。そんな『十五夜バタフライ』の世界がそこにはあった。

 気づけば返信することも忘れて2時間ほどメールを見入ってしまっていた。急いでお礼の返信をすると、パソコンを閉じて、感動に浸りながら寝た。

【4日前】
 『十五夜バタフライ』の朗読の練習。発音が難しい。特に声調というイントネーションのようなものに苦戦している。
 中国語にとって声調はとても大事で、例えば同じ「シャー」という音でも、4パターンある声調によって意味が変わってしまう。歌を歌う場合に限っては、声調自体がメロディーに影響されてしまうため、たとえ声調が正しくなくても問題がないそうなのだけど、朗読や普段の話し言葉では、この声調をしっかりできるかどうかが、ちゃんと伝わるかどうかの一つの分かれ道とも言える。

 MCも中国語でやると決めてしまったからには、ちゃんと通じる中国語を話さなければ意味がない。発音ももちろんだし、文法だって不安だ。テウくんとお昼を食べながら、「中国語のトークをちゃんとできる自信がないんだよね」と弱音を吐いた。テウくんは排骨面をすすりながら「無理に完成しなくてもいいじゃないのですか」と言った。僕がキョトンとすると、「つまり、キーワードとなる単語をしっかり覚えたらいいですよ。それだけ間違えないで、伝えたらいいんですね。雨のことを言うんでしたら、『シャーユー』という言葉をちゃんと発音して、聞いている人に雨をイメージしてもらいますね。あとは、完璧な文章じゃなくても、発音が少し違っても、きっと伝わると思いますね」とテウくんはハキハキと喋った。なるほど、そうかもしれないな、と思った。

 自分でもどこかで自覚があった。中国語に限らず、僕は何かのミッションに挑む際、無理だと知りながらも、すぐに「完璧」という目標を立ててしまう癖があることを。この目標がいつも自分を苦しめているし、今回もやはり「完璧」の呪いにかかっていたのだった。呪いを解いてくれたテウくんに食後のコーヒーをおごった。

【3日前】
 『安静』の歌詞、10回目をノートに書く。少しずつ体に染み込んできた気もするが、まだまだ歌詞は覚えられない。近所のカラオケボックスに入り、『安静』を一人で歌う。歌詞を見ながらだけれど、意外と淀みなく歌えた。少し自信をつける。

【2日前】
 朗読に苦戦中。テウくんのアドバイスをもとに、最小限のキーワードだけをしっかり発音できるように練習するも、その最小限すらなかなか覚えられない。
 しかし凹んでいる暇はないので、新たな作戦を立てることにした。名付けて「起死回生のカタカナ変換作戦」である。
 例えば『サマーライト』には「下雨」と「夏天」という言葉が出てくる。この「下」と「夏」の発音は同じ「シャー」である。このシャーの声調は、上から下にトーンが落ちていく第4声という声調。何度も発音していると、ガンダムに出てくる「シャア」と同じ発音と声調(声調といっていいかわからないけど)であることに気づいた。そこで、これから「下」や「夏」の文字を見たら、シャアを思い浮かべることにする。
 他にも、『十五夜バタフライ』にサナギという言葉が出てくる。中国語では「イヨン」と言い、声調は第3声。第3声というのは、トーンが一度低くこもってその後上がっていくというもので、このトーンの変化を頭ではわかっているつもりだけど、実際に声に出すとうまく言えない。しばらく練習していると、ショッピングモールの「イオン」を発音するときと同じ声調なのではないかと気づく。「サナギ=イオン」という公式を頭のノートに書き加えた。

 そんなふうにして、次々とカタカナに変換していった。学習法としては邪道かもしれないけど、自分の中にすでにあったイントネーションの再利用とも言えなくもない。とにかく、ひとまず詰め込む!

【1日前】
 本番まであと1日。ここまで来たら新たに詰め込むのは難しい。明日の最低限の目標をまとめて、それ以外はきっぱり忘れよう。

・その1
 『安静』の歌詞を完全に覚えるのは無理だった。歌詞を見ないで歌うのは諦め、プリントアウトした歌詞を見ることにしよう。カラオケでも歌えたんだから大丈夫。

・その2
 『十五夜バタフライ』の朗読。完璧な発音は諦め、カタカナ発音に集中しよう。自信満々に発音をしよう。

・その3
 MCはテウくんの助言通り、キーワードとなる単語をしっかり伝えることにしよう。かっこつけず、心で伝えよう。台本を読みながらじゃなく、お客さんの目を見て話そう。

 10日間、やれるだけのことはやった。今日はシャワーを浴びて早く寝よう。明日は何が起きるかわからないけれど、とにかく頑張ろう。

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著者略歴

  1. 小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)

    シンガー/ソングライター
    1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部在学中に夏目漱石、川端康成、The Smithsに影響を受け、楽曲を書き始める。2009年にロックバンドANIMAとしてデビュー後、これまでにソロ作品として、アルバム『小島敬太』、『It’s a cry run.』を発表。
    2011年から、古川日出男・管啓次郎・柴田元幸と朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演、劇中音楽・主題歌などを担当。
    2013年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動<言葉と音の往復書簡>を開始。
    2016年には「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌など。
    2017年から、親子で楽しめる物語のフェスティバル『マンモススクール STORYTIME in NARA』のステージ監修を務める。シンガポールやインドネシアでの国際文芸フェスでも音楽と文学の垣根を越えたアプローチは注目を集めている。
    2018 年5月、フルアルバム『はるやすみのよる』をリリース。

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