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小島ケイタニーラブ「広州ノオト」

第6回 広州初ライブ(はじまり篇)

 広州に来て2ヶ月が過ぎた。
 行きつけのカフェを見つけたり、語学学校に通い始めたりと、少しずつ中国に慣れているところなのだけど、思い切って弾き語りライブをすることにした。
 というのも、歌を歌うのが一番語学の向上にもつながるし、交流も広がるのではと思ったのである。今思えば、かつての僕の東京生活を支えていたのはライブハウスで出会った友人たちのネットワークから広がった、文学、絵画、そのほか様々なジャンルの人々であった。全てはライブハウスのギター一本弾き語りから始まったのだ。
 ガラガラの客席を前に歌ったことも1回や2回ではない。いや控えめに言っても100回はくだらないだろう。お客さんが一人もいなくて、働いているスタッフに向けて歌った夜だってたくさんあった。
 その日の夜はそんなふうに興行的に失敗に終わっても、それをきっかけにスタッフと仲良くなり、ライブハウスで人気のアーティストを紹介してもらって、彼らのオープニングアクトで歌わせてもらったり、気づけば周りにたくさんの友達ができていて、今の僕につながっている。そう考えると、ライブには収入以上の価値があると思えるのだった。

 そんなことを思い出しながら、僕は広州で知り合いになったBOBOさんという友達にウィーチャットで連絡した。
 彼女は広州のIT系の会社で働いていて、日本語が堪能であり、なおかつ音楽関係の知り合いも多い。

「ライブしてみたいのですが、何かいい方法はありますか」

BOBOさん「そうですね、でしたら、友達がライブハウスやってるので紹介できますね」

「いいですね、いいですね、それいきましょう」

 というやりとりの後、2週間ほどして、

BOBOさん「友達と連絡取れました、彼はデビッドさんです。今週まで会社の旅行で広州にいなかったですね。やりとりは全部英語と思いますが、直接連絡しますか」

「OK、OK、やってみます」

 ということで、デビッドに連絡をし、早速その日の夜に会いに行くことになった。
 語学学校でのやりとりが英語で行われるおかげで、英語をしゃべる恐怖感も減ってきて、僕の適当な英語でもなんとかなるだろうと思いながら、デビッドのいる事務所に向かう。デビッドは地元の人のようで、広東語も中国語も喋るのだけど、どちらもできない僕のために流暢な英語で話しかけてくれるのだった。
 それでも正直、彼が喋る英語の半分もわからなかった。とりあえず「October or November」「I will support」というところは聞き取れたので、10月か11月あたりにライブできるということだろう。「OK?」と聞いてきたので、満面の笑みで「OK」と答えてみた。
 我々はガッチリと握手を交わし、では頑張ろうという感じで解散したのだった。

 ライブの日にちが決まるまでの間、僕は広州で行われた、いくつかのライブを見にいった。
 特に、広州にツアーにきたアーティストのライブを研究することにした。彼らがどんな曲を演奏し、どんなMCをするのか、気になったし、参考にしたいと思ったからだ。
 あるアーティストは歌もMCもすべて日本語だった。日本の音楽好きなお客さんがほとんどだったので、すべて日本語のステージだったけど、とても盛り上がっていた。他のアーティストは歌がないインストルメンタル音楽だったが、MCはすべて英語であった。シンプルな英語でわかりやすかった。
 どちらもお客さんは喜んでいたし、パフォーマンス自体も素晴らしかった。
 それを見ながら、ふと思った。僕は彼らのように日本から来て、この地を通り過ぎていくツアーアーティストではない。なぜなら、すでに広州に移り住み、生活を始めているからだ。せっかく現地に住んでいるのだから、中国語でMCをしたい。挑戦してみようと思った。


 10月に入り、デビッドから「今月20日にライブどう?」というメールがきた。
 カレンダーを見ると、20日まであと2週間しかないのだけど、まあこういうのは早い方がいいだろう、と思い、「Great!」と返事する。そうしたら「Cool!」という返信が来て、早速詳細を詰めていくことにした。

 彼は、僕のライブのオープニングに地元広州のミュージシャンを呼びたいのだが、と提案をしてくれた。しばらくすると、写真とホームページが送られてきた。広州を拠点に活動する、陈劭康(チェン・シャオカン)という名前の、若いシンガーソングライターで、プロフィールには癒し系と書いてある。僕と似たような風合いのアーティストを選んでくれたようである。僕は「Cool!」と返信すると、「Great!」と返ってきた。
 彼のライブが20分で、君のライブは80分がいいと思うんだけど、どうだい? と言われた。初めての中国ライブで果たして80分も時間が持つか不安になったが、まあ、ここまできたらやってみようという気持ちになった。やって失敗したら、次から考えればいいだろう。ひとまず失うものはないのだ。

 現時点で決まったことは、

・持ち時間80分
・日にちは10月20日

 この二つである。
 ここから、どんなライブをするのか練っていかねばならない。日本でのライブの方法だけでは限界があるかもしれない。ひとまずやりたいこと、やるべきことをまとめてみることにした。

【やりたいこと】
中国の人とコミュニケーションを取りたい

そのために
【やるべきこと】
中国語のカバー曲を覚える
日本語の持ち歌の前に、中国語でMCをして楽曲の説明をする


 本番まで残された時間はあと10日。
 毎日練習すれば、中国語カバーは可能だろう。カバーは基本的にお手本となる完成形があるので、それを何度も聴いて、ひたすら練習あるのみだ。
 中国語のMCだが、これは、試行錯誤が必要かもしれない。
 というのも、日本語のMCをそのまま中国語に翻訳するのだけでも結構大変な作業なのではないだろうか、と思うからだ。

 そんなふうに考えを巡らせていると、デビッドから再びメールがきた。
「ポスター作ったけどどうかな」
 彼は彼で現在、凄まじい速さで告知準備を進めているようであった。
 ポスターのデザインには現在の中国らしく、QRコードが大きくはめ込まれていて、ウィーチャットでそのコードをスキャンすればチケット購入フォームに行くらしい。
 ポスターには大きく「小島ケイタニーラブ音楽会」と書いてある。ケイタニーラブというカタカナを中国の人が読めるのだろうか、と少し心配になったが、出演者欄には小島敬太、陈劭康と書いてあり、日本民謡とも書いてあるので、「小島敬太」という日本人が「小島なんとか」という芸名で音楽会を開くのだな、ということは伝わってくるようであった。
 それにしても日本民謡という記載は面白い。僕は別に民謡を歌うわけではないけれど、日本のポップソングは日本民謡と書くようである。

 自分から言い始めたライブなのだけど、ものすごい勢いで外堀が埋まってきていることをひしひしと感じた。
 一体全体お客さんが集まるのか、という根本的な問題もあるのだけど、それはもうライブハウスを信じるとして、あとは、80分のステージを最高のものにするだけである。
 まあ、ひとまずやってみるか。悩んでいる時間はもうない。

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著者略歴

  1. 小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)

    シンガー/ソングライター
    1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部在学中に夏目漱石、川端康成、The Smithsに影響を受け、楽曲を書き始める。2009年にロックバンドANIMAとしてデビュー後、これまでにソロ作品として、アルバム『小島敬太』、『It’s a cry run.』を発表。
    2011年から、古川日出男・管啓次郎・柴田元幸と朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演、劇中音楽・主題歌などを担当。
    2013年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動<言葉と音の往復書簡>を開始。
    2016年には「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌など。
    2017年から、親子で楽しめる物語のフェスティバル『マンモススクール STORYTIME in NARA』のステージ監修を務める。シンガポールやインドネシアでの国際文芸フェスでも音楽と文学の垣根を越えたアプローチは注目を集めている。
    2018 年5月、フルアルバム『はるやすみのよる』をリリース。

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