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小島ケイタニーラブ「広州ノオト」

第4回 熱烈歓迎世界各国留学生(前篇)

 中国での生活も2週間が過ぎたあたりで、さすがに語学に不安を覚えてきた。僕は中国語を勉強してきたわけでもなく、もちろん喋れるわけでもない。とはいえ、漢字を使ってるから筆談もできるだろうし、国際都市だから片言の英語でも生活はなんとかなるだろう、ぐらいに思っていたのだ。しかし、まったくもって、「なんとか」ならなかったのである。

 まず漢字なのだけど、中国大陸では簡体字というものを使っている。台湾や香港は繁体字と呼ばれる画数の多い漢字で、それを簡略化したものが簡体字だ。台湾に行ったときなどは、繁体字を見ても、なんとなく想像できることが多かったけれど、簡体字は慣れていないせいか、まったく想像もつかないものが多かった。
 例えば、「東」の簡体字は「」である。東京と書きたいときは东京と書くことになる。
 あとは「車」の簡体字は「」。自転車のことは自行车という。
 そして音楽の「楽」は「」。僕が自己紹介をするときに、よく使う漢字である。
 この三つの簡体字を並べてみる。
 「」「」「
 最初はこの違いがまったくわからなかった。何度書いても読んでも、違いがわからない。そのうちにこの言葉を街で見かけるたびに、あわわわ、と微かなパニックを覚えるようになった。なんとなく、この漢字たちと顔を合わせたくない、というような、苦手意識に近い感覚が心に育ち始めているようであった。

 次に英語である。東南アジアに旅行に行くときは片言の英語があればほとんどはどうにかなった覚えがある。公用語であるシンガポールはもちろんのこと、マレーシアもタイもラオスもインドネシアでもなんとかなった。広州は東南アジアに近いし、同じノリでうまくいくと思っていたのだけど、実際に生活を始めると、英語がほとんど通じないことがわかった。最初の方は僕の発音が悪いから通じてないのかと思っていたが、どうやらそうではなく、そもそも英語自体が通じないのだ。それは今から語るエピソードでわかると思うが、僕はこの経験によって、語学に非常に大きな不安を抱えてしまうのであった。

 あるとき、僕はヘアクリームを買うことにした。髪も結構伸びていたし、広州の夏は湿気が多いからか、僕の髪は目も当てられないほどのボサボサ具合である。少しでもマシな感じに整えようとヘアクリームを探すことにしたのだが、広州にあるドンキホーテ的な店で探しても、なかなかそれらしきものが見つからない。次に、マツモトキヨシ的な薬局を見つけ、そこで探してみるもやはり見つからなかった。これは店員さんに聞いてみるのが一番である。辞書のアプリを使い、ヘアクリームの中国語を調べる。「染发膏」というらしい。液晶に映ったその文字を意気揚々と店員に見せるも、何度見せてもコンディショナーのコーナーに連れて行かれる。お互いの認識に何か大きな食い違いがあるのは明らかであった。筆談がダメなら、次は英語である。僕は片言でこう喋った。
 “No, I want a hair cream. I just want to set my hair, I don’t wash my hair!”
 店員さんはぽかんとしている。そうか、僕の英語の発音が悪いのだろうかと思って、大げさに髪の毛を整えるジェスチャーをして、同じセリフを繰り返した。店員さんはさらに口をぽかんと開けると、近くにいた別の店員さんに何か中国語で大声で話しかけた。話しかけられたその人は首を振ると、何か大声を出しながら、突然店の奥に走っていった。すると、どうしたどうした、という感じで、他の店員さんたちが僕のまわりにどんどん集まってきた。僕とコンディショナーを中心に店員5人が同心円状に集まる。彼らはああだこうだと中国語で話しているが、もちろん何を言ってるかはわからない。ほどなくして、奥からマネージャーらしき人が現れた。彼は英語で話しかけてきた。どうやらこの中で英語を喋れるのは彼一人ということなのであった。ざっくり内容を説明するとこんな感じである。

 「何か探してますか」
 「ヘアクリーム探してるんですけど」
 「コンディショナーじゃなくて?」
 「全然、コンディショナーじゃなくて、ヘアクリームです。洗う、違うです。整えたいんです」
 「ああ、ヘアクリームだったら、これかな」
 「この小さい瓶、一種類しかないの?」
 「そうなんです、あとはないんですよ。」
 「(うーん、ちょっと割高だけど)OK、じゃあ、これ買います」
 「3瓶買うとお得ですよ」
 「いや、1瓶で全然大丈夫なんだけど、というか、これ結構高いし」

 そんなふうにして、ようやくヘアクリームを手に入れたのであった。そのお店はそもそもヘアクリーム的なものをほとんど扱ってなかったそうで、こんな騒ぎになってしまったみたいだけど、そもそもマツモトキヨシ的な店にヘアクリームが一種類しかないなんて不思議な感じだ。他のお店でもなかなか見つからなかったことを考えると、もしや広州はヘアクリームの不毛地帯(←ヘアだけに)なのだろうか。そんなわけないか。

 とにかく、この経験によって、頼りにしていた筆談と英語のコミュニケーションに一気に不安を覚え始め、僕の風前の灯火状態であった語学力の自信は一気にかき消えたのであった。
 「そうだ、中国語勉強しよう」
 誓い新たに僕は語学学校の門を叩いたのであった。

 家から地下鉄で2駅ほどのところに、華南師範大学という大学がある。中山大学とともに広州を代表する名門校らしい。この大学内に語学学校があって、試験などもなく入れるので最速の9月からの授業を申し込むことにする。事務所に直接行っても登録できないらしく、webの登録フォームに記入して送信。あとは、ひたすら連絡を待つのみである。申し込んだのは8月14日でしばらくはダラダラと過ごしていたのだけど、9月が目前に迫った27日になっても連絡がこない。さすがに不安になってきた。電話も繋がらず、メールもしたが返信はこない。こうなったら直接問い合わせようと、大学に向かう。校門を入って5分ほど歩くと「熱烈歓迎世界各国留学生学校」という真っ赤な垂れ幕のかかった語学学校を見つけたが、事務所は開いていなかった。ドアに張り紙があり、28日に来てねと書いてある。翌日行ってみると、50人を優に超えるぐらいの長蛇の学生の列が事務所の前にできており、どうやら僕と同じように、授業の申し込みをしたい留学生たちの列のようであった。長いこと並んだ後、ようやく自分の番が回ってきた。事務所の人に経緯を話す。細めの銀フレームのメガネの似合うクールな女性であった。彼女は僕の話を聞き終わると、表情一つ変えず、OK、明日パスポート持ってまた来てね、とだけ言って、もう帰れ、というジェスチャーをした。本当に大丈夫なのか、不安は高まるが、もうここまできたら心配してもしょうがないので、翌日、早起きをして再び事務所へ行った。この日も、また同じように長蛇の列で、おそらく前日にスムーズに手続きができなかった生徒たちが集まっているからか、のろのろと列は進まず、結局午前中には順番が回ってこないまま12時になった。すると、事務所の男性スタッフが出て来て、”今から昼飯食べるから、1時間後にここに戻ってきてね”と言って、事務所のドアの鍵を閉めた。
 1時間後に戻るも、待てど暮らせどスタッフは戻って来ず、30分、1時間と過ぎ、最終的に彼らが戻ってきたのは2時30分であった。遅くなってごめんね、という感じでなんだか申し訳なさそうな顔をしているのだけど、爪楊枝をくわえてシーシーやっているところをみると、ついさっきまで飯を食べていたのだろう。もちろん、ゆっくりご飯を食べるのは無問題なのだけど、それなら、最初から2時30分に来て、と言ってくれればいいものなのに、そのあたりは彼らなりの何かこだわりがあるのだろうか。まあ、とにかくこんな調子だから、今日は夜までかかるのかな、と諦めに似た気持ちが湧いてきた。もはや、不安はなくなり、というか、不安に慣れ始めたといった方がいいのか、こんなことでいちいち不安になっていては体が持たないな、と悟り始めていた。そう思った矢先、一気に彼らスタッフのエンジンがフルでかかったようで、ものすごいスピードで事務処理をしはじめた。あっという間に僕の順番になり、入学登録もあっという間に終わり、入学の手引きをもらい、30分後の3時にはすべての手続きが終わった。
 不思議なもので、あれだけ長いこと待たされたのに、最後の最後に凄まじい速さで処理をしてもらったことで、なんとなく差し引きゼロになった感じがして、どちらかというと、むしろ得した気分にすらなり始めて、大きな不安は大きな希望に差し代わり、胸いっぱいのワクワクとともに帰り道の地下鉄に乗ったのであった。

 電車に揺られながら、さっきもらった入学の手引きを読みながらイメージを膨らませる。これからは毎朝7時に起き、7時45分に家を出て、8時30分から11時50分まで授業を受ける。クラスは初心者中国語クラスだ。事務所の前に並んでいた生徒たちを見て想像するには、世界各国から集まったバラエティ豊かなクラスメートができそうである。日本人はほとんどいないようだ。ちなみに授業はすべて英語だ。僕みたいな片言の英語レベルではもしかしたらハードルが高いかもしれない。考えるほど、やっぱり不安な気持ちが鎌首をもたげてくるけれど、きっとまた希望に差し代わることだろう。新しい日々はいつでも希望と不安から生まれるのだから。

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著者略歴

  1. 小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)

    シンガー/ソングライター
    1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部在学中に夏目漱石、川端康成、The Smithsに影響を受け、楽曲を書き始める。2009年にロックバンドANIMAとしてデビュー後、これまでにソロ作品として、アルバム『小島敬太』、『It’s a cry run.』を発表。
    2011年から、古川日出男・管啓次郎・柴田元幸と朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演、劇中音楽・主題歌などを担当。
    2013年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動<言葉と音の往復書簡>を開始。
    2016年には「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌など。
    2017年から、親子で楽しめる物語のフェスティバル『マンモススクール STORYTIME in NARA』のステージ監修を務める。シンガポールやインドネシアでの国際文芸フェスでも音楽と文学の垣根を越えたアプローチは注目を集めている。
    2018 年5月、フルアルバム『はるやすみのよる』をリリース。

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