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小島ケイタニーラブ「広州ノオト」

第1回 カフェのシャウトおじさん

 エスプレッソマシンの音が好きだ。

 コーヒーのエスプレッソは特別な方法で作られる。マシンで高圧の蒸気を発生させて、熱湯をコーヒーの粉に一気に通り抜けさせる。そうすると、粉から美味しい成分が抽出されてエスプレッソが出来上がるというものだ。蒸気のシューという音が、小さな機関車が走っているような印象で、線路の向こうから今にもエスプレッソがやって来る感じがして、実にわくわくするのであった。
 広州で生活を始めてから、最近家の近くで見つけたカフェがある。そこには立派なエスプレッソマシンがあるのだけど、先日、このマシンが暴走し始めた。たぶん、何かが詰まったとかそんな感じだと思うのだけど、いつもの蒸気機関車が突然に唸り始めたかと思うと、ガガガガガ、ドドドドド、というふうに、工事中のドリルのような振動が部屋に響き渡った。ガラス張りの店内がゴギゴギ揺れている。さすがにうるさいので、客は皆、厨房の方を見た。数十秒ほどすると、ピタッとマシンの音は止まり、また何事もなかったかのように時が流れ始めた。

 しかし、たとえこんなハプニングがなかったとしても、このカフェは基本的にいつもうるさい。マシンではなく、客がうるさいのだ。2人とか3人連れは結構静かなのだけれど、うるさいのは決まって、一人でいるおっさんだ。そのおっさんの何がうるさいかというと、ボイスチャットの音である。
 中国では「ウィーチャット」というアプリが流行っている。日本でいうLINEとほとんど機能は同じで、使い方も見た目もほぼ同じ。メールのように、【送信します・受信しました】といった、かしこまった緊張感もなく、まるで実際に会って気楽に話しているようにコミュニケーションを楽しむことができるツールである。
 このウィーチャットにはマイクの形をしたボタンがあって、それを押すと、自分の声をそのまま録音し、ボイスチャットという形式で音声ファイルを送ることができる。それを受け取った相手が再生ボタンを押すと、そのボイスが再生される。LINEにも同じ機能があるけれど、日本にいた頃は使ったことがなかったし、僕のまわりで使っている人を見たこともなかった。しかし、どうやら中国ではこのボイスチャットを利用する人も多いようで、その理由の一つとしては、漢字を一文字ずつ打ち込むのは煩わしいけど、声ならその手間も省けるし、チャット形式なので電話のように時間を拘束されることもなく、いろいろと合理的である、とのことらしい。ハイテク化が進む中国は、まさに合理的の塊なのだ。

 さて、行きつけのカフェの話に戻ると、ここに一人で訪れるおっさんたちも、このボイスチャット機能を駆使していることが多い。僕が心を落ち着かせながらコーヒーに口をつけようとすると、いきなり隣で大声がする。びっくりして見ると、おっさんがスマホに向かって何かを叫んでいる。電話のように継続的に会話をしているわけではないから、自分の声を送ったら、おっさんはまたしばらく沈黙状態になる。そして相手のメッセージが返ってくるたびに、再び叫び出す、といった具合を繰り返すのだ。このように断続的に叫び出すおっさんの声にはまだ慣れない。そのたびに、自分が怒られている気がして、体が縮こまってしまう。身に危険を感じるのだ。どんな動物でも危険を感じたときは精一杯身を守ろうとするのが常である。

 それにしてもなぜこうもこのカフェに集まるおっさんは大声ばかりなのだろうか。よくよく考えれば、スマホに口を近づけて小声で喋っても録音できるし、たぶんそうやって使っている人もたくさんいるのだろう。しかし、シャウトおじさんたちはあえてスマホと距離を20センチぐらい離して、エイリアンに遭遇した宇宙船がSOSを叫ぶようなテンションで叫ぶのだった。もはや、ボイスチャットというよりもシャウトチャットという別ジャンルなのかもしれない。

 と、そんなふうに、批判的に書いてしまったけれど、そもそも、僕は人が電話をしているのを隣で聞くのが結構が好きなのだ。気持ち悪いと思われるかもしれないが、実際気持ち悪い趣味である。電車とか、公園とか、とにかく、隣の人が電話で話し出したりすると、どういう会話をしているんだろう、と想像を巡らせる。その正解はいつもわからないままだけど、忘れられない光景が一つあった。
 もう10年近く前になるだろうか、お昼時に、代々木駅からすぐの小さな公園のベンチに僕はすることもなく座っていた。二つあるベンチの周りにはどれも大量の鳩が集まっていて、クウクウと言いながら誰かが捨てた菓子パンのかけらを餌に奪い合っていた。僕はぼーっとしながら、鳩たちを見ていたのだけど、向こうのベンチに座っていた一人の男がおもむろに大声で電話で喋り始めたのだった。彼は20代中頃であろうか、がっしりした肩と胸筋の上に真っ黒なスーツを羽織り、整髪料で固めた短い黒髪はいかにも溌剌とした印象を僕に与えた。
 彼のベンチも僕と同じように大量の鳩の群れに囲まれていた。僕が勝手に想像するには、彼は何かのセミナーの勧誘をしているようであった。「説明会」などの言葉が聞き取れた。どうやら、説明会とやらの感想を聞いているようだ。次に、「大丈夫大丈夫」「やれるやれる」というようなポジティブな言葉を強く電話口で連呼し始めた。声も徐々に大きくなり、少し離れた僕にもはっきりと聞き取れた。3分ぐらいポジティブ連呼が続き、どうやら、話は佳境に入ったらしかった。彼は用意していた決め台詞を言うかのように、一度ゆっくりと深呼吸をしてから、大声でこう言うのだった。「もうね、このプログラムはね、スーパーマリオでいうとね、スターを取ったようなものなの。無敵なのよ、無敵。すごいでしょ、ね、すごいよね、じゃあ、次いつ会おうか!!!」最後の言葉で彼はすでに叫んでいた。はずみで周りの鳩がいっせいに飛び去っていった。こんな剣幕で誘われても誰も会いたがらないのではないか、と思ったけれど、うまくいったのだろうか。

 そんなふうに、代々木の怯えた鳩たちに自分の姿を重ねながら、今日もコーヒー片手に隣のおっさんの叫び声を聞いているのだった。しかし、代々木のシャウト青年とは違い、このカフェに集まるシャウトおじさんたちは熱心に勧誘していたり、怒っていたり、気持ちが異様に高揚していたりするわけでもないようである。こちらとしては、電話口でまくし立ててるように聞こえるのだけど、どうやら「今日は暑いね」ぐらいのことを喋っているだけらしい。そうだとすると、このおじさんたちは本当に怒るときには一体どんなテンションになるのだろうか。まさに壊れたエスプレッソマシンのようになってしまうのではないか。その様子をちょっと見てみたいような気もするが、体に悪そうな気もするのでやめておくことにしよう。

 そんなことを考えていたら、再びエスプレッソマシンがシューとなった。また誰かの元へ機関車が走り出すようである。僕は我にかえり、ほとんど飲まずに冷めてしまったコーヒーに口をつけた。心を落ち着かせようとカフェにきたつもりだが、今日も強烈な音に心を奪われて、まったく休まらない。もうこうなったらこのカフェのノリに合わせるべく、僕もボイスチャットを始めようかな、とも思ったけれど、両隣のおっさんに挟まれて、3人でスマホに叫ぶ様子を想像して、ウィーチャットを閉じた。

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著者略歴

  1. 小島ケイタニーラブ(こじまケイタニーラブ)

    シンガー/ソングライター
    1980年、静岡県浜松市出身。早稲田大学第一文学部在学中に夏目漱石、川端康成、The Smithsに影響を受け、楽曲を書き始める。2009年にロックバンドANIMAとしてデビュー後、これまでにソロ作品として、アルバム『小島敬太』、『It’s a cry run.』を発表。
    2011年から、古川日出男・管啓次郎・柴田元幸と朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演、劇中音楽・主題歌などを担当。
    2013年から、温又柔とともに朗読と演奏によるコラボレーション活動<言葉と音の往復書簡>を開始。
    2016年には「NHK みんなのうた」に『毛布の日』を書き下ろす。ほかに、ミスタードーナツのCM『ドレミの歌』、読売テレビ・日テレ「遠くへ行きたい」主題歌など。
    2017年から、親子で楽しめる物語のフェスティバル『マンモススクール STORYTIME in NARA』のステージ監修を務める。シンガポールやインドネシアでの国際文芸フェスでも音楽と文学の垣根を越えたアプローチは注目を集めている。
    2018 年5月、フルアルバム『はるやすみのよる』をリリース。

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