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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第14回 デイヴィッド・リカード(5)

 ④ 収穫逓減の法則

 リカード体系を支える第四の柱は、「収穫逓減の法則」ですが、この法則は、実はこれまでにも使っています。昔の経済学教科書は、最初のほうで必ずこの法則に触れたものですが、リカードの場合は、資本の蓄積と人口の増加につれて、優等地からより劣等な土地へと耕作が進み、土地からの収穫が逓減するという動態的な文脈で使われています。「収穫逓減」とは、換言すれば、「費用逓増」のことなので、限界地での生産費で決まる穀物の価格は次第に高くなり、他方で限界地よりも肥沃度の高い土地では地代が増えていくことになります。リカードの言葉を思い出して下さい。「地代が支払われるから穀物が高価なのではなく、穀物が高価だから地代が支払われるのである」と。

 以上で、リカード体系を支える四つの柱――投下労働価値説、差額地代説、賃金の生存費説、収穫逓減の法則――は、すべて登場しました。この四つの柱は、フィリス・ディーン(もともとは経済史が専門ですが、経済学史にも造詣が深かった研究者でした)の名著『経済思想の発展』(奥野正寛訳、岩波書店、1982年)が明確に指摘していましたが、リカードの『原理』を体系的に理解するにはとても便利な枠組みを提供しているので、私もこれに従うことにします。
 人口の増加と資本の蓄積が進行するにつれて、穀物の生産のためにはより劣等な(生産費のかかる)土地を耕作せざるを得ません(収穫逓減の法則)。これは限界地での生産費で決まる穀物の価格を上昇させますが、穀物の高価格は一方で地代の増大をもたらすとともに(差額地代説)、他方で生存費の増大を通じて自然賃金を上昇させ(賃金の生存費説)、利潤を減少させます(穀物の価値は投下労働量によって一定の大きさに決まるので、賃金の上昇は必ず利潤の減少を伴います。これが投下労働価値説です)。そして、ついには、利潤(=[全生産額-地代]-賃金総額)がゼロとなるような「定常状態」(stationary state)が訪れるでしょう。リカードは、次のように言っています。

 The natural tendency of profits then is to fall.


 直訳すれば、「それゆえ、利潤の自然的傾向は下落することである」となりますが、岩波文庫のように、「下落することにある」と訳してもほとんど意味は同じです。ここでは、専門用語がほとんど使われていないので、「それゆえ、利潤は下落していく傾向があるのが自然である」と訳してもよいかもしれません。ここでは、then以外を、it is natural that profits tend to fall.と読み替えていることになります。ここをどう訳すかは、多分に好みの問題でしょう。
 産業資本家にとって、利潤がゼロとなる定常状態が訪れることは歓迎せざる事態です。それゆえ、リカードが穀物法論争において穀物の自由貿易を主張したというのは、自由化による穀物の価格の下落→賃金の下落と利潤の上昇というルートを通じて産業資本家の利益を擁護していることを示唆しています。それに対して、マルサスは、穀物のような主食の貿易自由化は、国家の安全保障上も望ましくないし、農業と工業のバランスを崩す恐れもあると主張し、地主階級の利益を擁護する持論を展開しました。穀物法論争は、結局、リカードが勝利し、その後の古典派経済学の主流はリカードの経済理論を基礎に発展していくことになります(リカードは、自由貿易を正当化するもう一つ別の理論、すなわち「比較優位の原理」を持っていましたが、ここでは、割愛します)。

 ところで、イギリスの古典派経済学がスミス以後リカードによって支配されたことは、別の側面で、のちにケインズにまで引き継がれる問題を残すことになりました。それは、「セイの販路法則」(ケインズは「セイの法則」と簡単に呼びましたが)をめぐる問題です。セイとあるのは、フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイ(1767-1832)の考え方に基づいているからですが、それによれば、商品生産社会では、売り手はまた同時に買い手でもあるので、商品の供給は必ず商品の需要につながるというのです。もっとも、セイの販路法則を支持する人たちも、一時的に部分的な過剰生産が生じることは認めていましたが、部門間の調整が終わったあと、一般的な過剰生産が永続することはあり得ないと考えていました。リカードもその一人です。
 リカードは、ナポレオン戦争のあとに訪れた不況も、貿易経路の急変に伴う一時的なものだから、一般的過剰生産が生じることはあり得ないと主張しています。次の文章を読んでみましょう。

Productions are always bought by productions, or by services;money is only the medium by which the exchange is effected. Too much of a particular commodity may be produced, of which there may be such a glut in the market, as not to repay the capital expended on it; but this cannot be the case with respect to all commodities; the demand for corn is limited by the mouths which are to eat it, for shoes and coats by the persons who are to wear them; but though a community, or a part of a community, may have as much corn, and as many hats and shoes, as it is able or may wish to consume, the same cannot be said of every commodity produced by nature or by art. Some would consume more wine, if they had the ability to procure it. Others having enough of wine, would wish to increase the quantity or improve the quality of their furniture. Others might wish to ornament their grounds, or to enlarge their houses. The wish to do all or some of these is implanted in every man’s breast; nothing is required but the means, and nothing can afford the means, but an increase of production. If I had food and necessaries at my disposal, I should not be long in want of workmen who would put me in possession of some of the objects most useful or most desirable to me.


 最近の学生はスマートフォンの扱い方には慣れていますが、わからない単語もすべてGoogleで調べるというのは、語学の勉強にはよくありません。最初の英文に難しい単語は出てきませんがseivicesときて「これを”サービス”と訳してもよいのだろうか」という疑問をもったら、迷わず大きめの辞書を引くべきです。経済学では、goods and services(財と用役)という言葉がよく出てくるだけに注意が必要です。文脈から、このservicesは「勤務」や「勤労」などがあっていることに気づくでしょう。岩波文庫の「勤労」が適訳と思います。「生産物はつねに生産物または勤労によって購買されるので、貨幣は単に交換がおこなわれるのを媒介するに過ぎない」と。
 続きは、「ある特定の商品があまりにも多く生産されたことによって、市場で供給過剰となり、その商品に費やされた資本を償うことができないほどになるかもしれない。しかし、このようなことは、すべての商品ついては当てはまらない。すなわち、穀物に対する需要は、それを食べる口の数によって制限されるし、靴や上着に対する需要は、それらを身につける人の数によって制限される。だが、ある社会、またはその社会の一部は、消費することができたり、または消費したいと思ったりするだけの量の穀物、帽子、靴しか持てなかったとしても、同じことが自然または技術によって生産されるすべての商品について言えるわけではない」とあります。glutは、一般的過剰生産はありうるかどうかをめぐるリカードとマルサスの間の論争によく出てくる言葉ですが、ふつうは「供給過剰」と訳してよいでしょう。but thoughのthoughは、「…としても」と訳しましたが、ここは「けれども」でもよいと思います。
 そして、「一部の人々は、ワインを手に入れる能力をもてば、もっと多くワインを消費するだろう。別の人々は、十分なワインをもてば、彼らの家具の量を増やすかその品質を改善したいと望むだろう。また別の人々は、彼らの庭園を装飾するかその住宅を広くしようと望むかもしれない」と続きますが、Others having enough of wineという表現は、If others had enough of wineと読み替えられると思います。
 最後は、「これらのことをすべてまたは一部をしてみたいという願望は、すべての人の胸中に植えつけられている。それゆえ、資力以外のものは必要ではなく、生産の増加以外にその資力を提供するものはないのである。もし私が自由に処分できる食糧や便益品をもっていれば、遠からず、私にとって最も有用か最も望ましい物の一部を与えてくれる労働者を見つけることができるはずである」と訳しました。最後の英文は悩ましいところです。「…労働者に長いあいだ事欠くことはないだろう」という逐語訳でも十分に意味は通じますが、ここでは、「遠からず…労働者を見つけることができるはずである」と解釈しています。

 さて、このようなセイの販路法則をいわば「公理」のように承認したリカードに対して、生産と消費のアンバランスが一般的過剰生産を生み出す可能性があると反論したのがマルサスでした。マルサスの思考法は、生産と消費のアンバランスを解消するには地主階級による不生産的消費が必要であり、そのためにも彼らの所得である地代が十分に保障されなければならないという主張につながっていきます。
 地主階級の所得が「有効需要」の重要な源泉となると考えるマルサスと、社会全体の「有効需要」(封鎖経済では消費需要と投資需要の合計)の不足が「非自発的失業」(現行の賃金率で働く意欲が十分にありながら有効需要の不足のために労働者が職にありつけないこと)の原因となると考えるケインズは、外見上は類似しているので、マルサスとケインズを直線的に結びつけたくなるかもしれません。ケインズ自身がその一人でした(ケインズのマルサス論は、1933年、『人物評伝』という著作のなかに収められました)。しかし、ケインズは、思想史家の眼からみると、文脈と離れていても、自分と似たようなことを言った過去の思想家や経済学者を過大に評価する癖がありました。私の恩師の一人、伊東光晴(京都大学名誉教授)はケインズ研究の大家ですが、「ケインズの古典引用は間違いが多い」と思想史家としてのケインズを高く買いませんでした。リカードを貶めるかのような解釈に至っては問題外であり、私のもう一人の恩師、菱山泉(1923-2007)もただ苦笑しておられました。
 このような思い出話はさておき、リカードが古典派経済学の中核を担った最も重要な経済学者であったという評価は揺るがないと思います。

 <参考訳>

 『経済学および課税の原理』羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、上・下(岩波文庫、1987年)

 「そうしてみると、利潤の自然的傾向は低下することにある。」(『原理』上巻、171ページ)

 「生産物はつねに生産物によって、または勤労によって購買される。貨幣はただ交換を行わせるための媒介物であるにすぎない。ある特定の商品があまりに多く生産されて、その商品に支出された資本を償わないほどの供給過剰が市場で起ることがあるかもしれない。しかし、こういうことは全商品については起りえない。穀物に対する需要は、それを食べる口の数によって制限され、靴や上着に対する需要は、それらの物を身につける人の数によって制限されている。だが、一社会または一社会の一部分は、消費することができるか、あるいは消費したいと思うかするだけの分量の穀物、帽子、靴しかもつことができないけれども、同じことが、自然によって、あるいは技術によって生産されるどの商品についても言えるわけではない。ある者は、ぶどう酒を入手する能力をもてば、もっと多くぶどう酒を消費するだろう。ぶどう酒を十分にもっている他の人々は、その家具の数量を増加させるか、あるいはその品質を改善するかしたいと思うだろう。別の人々は、彼らの庭園を飾るか、住宅を拡げたいと思うかもしれない。これらのことのすべて、あるいはそのいくつかをしたいという欲望は、すべての人の胸中に植えつけられている。必要なのは、資力だけである。だが、資力を与えうるのは、生産の増加だけである。もし私が自由に処分できる食物および必需品をもっておれば、私にとって最も有用な物または最も望ましい物のいくらかを私の手中にもたらす労働者に、私が長い間事欠くことはないだろう。」(『原理』下巻、113-114ページ)

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店)、『経済学の歴史』(講談社学術文庫)、『シュンペーター』(講談社学術文庫)、『サムエルソン 『経済学』の時代』(中公選書)、『経済学再入門』(講談社学術文庫)、『ガルブレイス』『ケインズを読み直す』(白水社)、『企業家精神とは何か』(平凡社新書)、『アダム・スミスの影』(日本経済評論社)他多数。

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