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往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第六信 山内明美より 「近代」で測れない<余白>

姜さん

 もうかれこれ10年ほど前、わたしは福島県の会津若松に住んでいて、そこから週1回都内の大学院へ片道5時間かけて通っていました。ちょうど今頃の時期、まだ雪深く道路が凍っている会津から始発の磐越西線に乗って郡山、そこから新幹線に乗り換えて東京へたどり着くと、会津は氷の世界だったのに、東京は桜が満開で、何だか白昼夢を見た思いでした。あたりまえですけれど、この長い列島って、津々浦々で風土がぜんぜん違っている。こんなに違っているのに、歴史の内実が同じなんてことが、あるわけないのに。
 今日は3月29日で、夕べの青葉山は雪がちらついていました。でも、つくしはいっぱいになり、フキノトウはもう咲き終えて開いています。でも、桜はまだです。

 「近代」と向きあうことについて、石牟礼さんや緒方さんの方法を、姜さんがさらに「もうひと越え」したい、と考えていることもよく分かりました。私の場合は、〈近代を包み込んでも余りある知〉ということを、相変わらずぐずぐず考えています。
 嗚呼、この手紙が姜さんの手元に届くころには、次の元号が発表されているでしょうね。わたしたちは何処へ向かうのだろう。

 この手紙では「求道」の善悪を定めませんが、「求道」という言葉の内実がそのひとにとって何であるかは、個々ばらばらであるという気がします。多様多層な「求道」を一つにまとめようとするから、おかしくなるのではないかとも思うのです。姜さんの内側にも何がしかの〈求道〉はあるでしょう。「求道」はなくとも、〈求道〉はある。とりあえず、そんな書き方をしておきたいと思います。大文字の「求道」はないけれども、小文字の〈求道〉なら、わたしにもある。信念みたいなものを〈求道〉と呼ぶかは、それぞれの判断ですが。きっと、この往復書簡のやり取りの中でいずれ、わたしはこのことに触れると思います。
 というのも、「近代」とは神から科学へ突っ走った時代だったからです。姜さんは、そんな「近代」でとりわけのエリートでもあるわけでしょう? そこのところが、初発の石牟礼さんや緒方さんへの反応に現れているのではないか、とも思っています。今は、圧倒的多数のひとたちが姜さんと同じように反応するのだろうと思います。そんな中、姜さんはとりわけて、なのかもしれません。
 もっとも、神や宗教が全盛だった時代が幸福だったかというと、それは疑問です。とはいえ、かつての神の時代よろしく、近代の後半部分で生きるわたしたちにも、やたらと信仰が目に付く時代になっています。イスラーム世界へのヨーロッパの若者たちの改宗問題しかり、日本人には一見信仰がないように見えるけれども、その実、この全社会的「忖度」状況が何を意味するのか、それがどういうことか、ゆくゆく対話できたらよいと思います。今はもう少し、考えますね。
 人類学の議論では、ナチス・ドイツのファシズムに現われた大衆迎合とガンディーの非暴力精神を信望するひとびとの姿が酷似している、とまで語られることすらあります。人間社会は化け物であり、過酷な時代の中でひとびとは何がしかの真実を得ようともがくけれども、そんな真実がどこにあるのか、解りません。
 ここへきて、わたしはようやく、姜さんが何を逡巡していたのか、少し分かった気がします。このところ、姜さんは何だって瞽女さんの足跡を追うとか、山伏修行みたいなことをしているんだろうってずっと思っていたんです。それはどう考えても「ごく普通の在日韓国人」から逸脱し(いえ、いいんですけれども、それはそれで自由ですし。)。しかし、えっ、そんなに極端に日本の民衆文化の基層みたいなところを歩くの?!普遍的な場所と言われればそうかもしれないけれども、ほとんど壮絶なまでの辺境行脚にさえ見えます。
 私の場合は、石牟礼さんの描く世界や、緒方さんが語る漁師の信念が、身体感覚として少し解るんです。だから、姜さんとは真逆の反応でした。彼らの考え方に抵抗は、まぁありません。でも、とあるシンポジウムで、緒方正人さんを真っ向批判する論客に出会ったことがあります。水俣事件訴訟のリーダーだった緒方さんが裁判闘争から離脱したことで被った困難をそのひとは語りましたが、緒方さんをして「狂った」と語らせたのは、一緒に訴訟してきた人たちと袂を分けたことへの罪悪の気持ちもあっただろうと思います。

 わたしは、ザ・東北のド・田舎で育ちましたから、じいちゃん、ばあちゃんたちが〈かたり〉を日常とする経験と記憶を持っています。今はもう、わたしの田舎でも、そのような〈かたり〉や〈うた〉の日常はすっかり無くなりました。ごく普通に、狐や狸に化かされた話を真面目にしていました。
 わたしが中学の頃でさえ(とはいえ、すでに1990年代で、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一したころのことです。)村の山奥で5寸釘が打たれた藁人形が見つかったんです。(繰り返しますが、90年代です。)恨みがあったのでしょうね。藁人形の腹の中に、議員の名前が書かれてあったと村中で噂が飛び交いました。その藁人形は、実際に使用された民俗資料としてしばらくの間、村の公民館のガラスケースに展示されていました。(もはや笑い話です。)さすがに夜の宿直担当者が「藁人形が怖い」というので、お祓いしてもらい焼いたと聞きました。それはほんのひとつの例に過ぎなくて、そういう〈世界〉の経験があるため、わたしの中には一部「近代」では測れない〈余白〉があります。それは、方言を日常にする人間が、標準語を話さねばならない時に〈意味の残余〉をどうにもできなくて悶々とする感じに似ています。世界を横断する時には、たぶん、そうなります。だから「近代」って意外と狭い範囲だなという気がしています。また一方で、狐や狸に化かされない方がいいよなとも思うし、五寸釘で打つのも打たれるのもご免被りたいですし。笑。
 もっとも、そういう〈世界〉で人格形成してしまったので、大学へ進学してから2年くらいは同期のゼミ友だちと議論する時に、「建設的な議論」というのが全くできなくてかなり真剣に悩みました。村の日常会話って、喜怒哀楽の自分の〈かたり〉ができれば十分だからです。そんなことで、今でもわたしは都市型人格と村人格を自覚的に使い分けています。だからちょっとおかしなところがあります。まぁ「狂った」ところがあります。

 緒方さんの有機水銀に汚染された魚を食い続けてきた、水俣の環境の中で、子どもを産み育ててきたという〈かたり〉を「近代人」は理解できますまい。この緒方さんの〈世界〉に圧倒的な不理解があることが、わたしはとても悔しいのです。そして、こうした議論をするときに誤解のないように、最近は注釈をつけなくてはならなくなりました。ここで緒方さんが「汚染された魚を食い続けてきた」と言っていることは、放射能で汚染された農作物を食べろと言っているのではありません。そうではなく、海や山と共に暮らしてきた者が、海や山を裏切るわけにはいかないという意志なのです。しかし、そのこと自体、姜さんが考えている、その先の春を考えるときには「いや、もうひと越えできないか」とお考えかもしれません。
 今、大津波の後の三陸はそういう価値と「近代」がぶつかり合ってガチャガチャ鳴っています。だけど、早晩、お金でケリつける社会になっていくんだと思います。そうなると、もう漁師は漁師でいられなくなる。本質的にいのちの責任を取れない近代が、「命を守る防潮堤」なんてことをさっくり言ったりします。そして、漁師たちがそのコンクリートの壁を見て笑っている。漁師って、小さな船で大海へ漕ぎ出すひとたちで、海からの恵みと自分の命は等価なので、海と自分のあいだに壁をつくってしまったら、もう漁師ではなくなるでしょう。そうなるとこの〈世界〉はバランスを崩すと思います。もっとも、三陸の漁師はすでに気がついていて、動き始めているひともいます。自分が漁師でいるために。

 そういえば、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」なんですが、わたしはそれがシシオドリだなと思っています。賢治の「鹿踊りのはじまり」と対になっていると感じています。つまり、〈うた〉と〈おどり〉のことなんです。
 先だって姜さんは南三陸を訪ねてくれました。そこには、1724年に建てられた鹿子躍にまつわる供養塔がありました。(注:地元では「鹿子躍」と書きます。宮沢賢治は「鹿踊り」と書きます。)そこには、次のように刻まれています。

奉一切有為法躍供養也

 どう現代語訳すればよいでしょうか、とりあえず「この世の一切の森羅万象/諸行無常を躍って供養します。」と訳してみます。今も三陸の漁師たちが、この石塔の建つ漁村で、鹿子躍を継承しています。光も闇も、この世に生きとし生けるものも、石ころも……凡そこの森羅万象の一切を躍って供養します。そうせずにはいられない、切実な何かがこの〈世界〉にはあると思います。大津波が襲って来ようとも、ここで生きる。この〈世界〉の生というものが、あるのではないかと思っています。けれども、そうした〈世界〉の翻訳が、まだうまくできない。止むに止まれぬ〈うた〉と〈おどり〉を前にして、結局のところ、わたしたちはそれが生まれるような切実な現場に、直に立ち会ってはいない、ということなのでしょうか。けれども、この〈世界〉を翻訳できるようになりたいと、今、思っています。
 七つまでは神のうち。草一郎くんの自在に飛び交う〈うた〉のように、世界を悠々と横断できたらいいなと思います。そういう力もちょっと借りながら、そろそろ〈うた〉いましょうか。
 「朴烈と金子文子」「福島は語る」、仙台はこれからの上映です。観たら、感想を共有しますね。また、お手紙します。

山内明美 


夕陽を浴びる不知火海


不知火海と本願の会の地蔵


水俣市茂道の恵比須


水俣市茂道の漁港

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著者略歴

  1. 姜信子(きょう・のぶこ)

    1961年、横浜市生まれ。著書に『棄郷ノート』(作品社)、『ノレ・ノスタルギーヤ』『ナミイ 八重山のおばあの歌物語』『イリオモテ』(岩波書店)、『はじまれ』(サウダージブックス)、『生きとし生ける空白の物語』(港の人)、『声 千年先に届くほどに』『現代説経集』(ぷねうま舎)、『平成山椒大夫 あんじゅあんじゅさまよい安寿』(せりか書房)など多数。訳書に、李清俊『あなたたちの天国』、カニー・カン『遥かなる静けき朝の国』、編著に『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず書房)など。17年『声 千年先に届くほどに』で鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。路傍の声に耳傾けて読む書く歌う旅をする日々。

  2. 山内明美(やまうち・あけみ)

    1976年、宮城県南三陸町生まれ。宮城教育大学教育学部准教授。専攻は歴史社会学、農村社会学。日本の東北地方と旧植民地地域の双方をフィールドに、稲作とナショナリズムをテーマとする文化的政治にまつわる研究をしている。東日本大震災以後は、郷里の南三陸での農村調査も行っている。著書『こども東北学』(イースト・プレス)、共著『「辺境」からはじまる――東京/東北論』(明石書店)、共著『グローバル化の中の政治 岩波講座 現代4』(岩波書店)、共著『ひとびとの精神史 第3巻』(岩波書店)など。

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