白水社のwebマガジン

MENU

往復書簡 姜信子×山内明美「忘却の野に春を想う」

第五信 姜信子より「失われた世界の『うた』、来たるべき世界の『うた』」

山内さん

 もうすぐ春ですね。わが家は都内でもひときわ冷える八王子のはずれにあるのですが、気の早い桜が少しずつほころびはじめています。
 なんだか胸騒ぎばかりする2019年の春。なんかね、よいことも、よくないことも、ざわざわ渦巻いているような、できること、できないこと、やりたいこと、やるべきこと、予感と予兆とがひたひたと迫ってくるような、胸騒ぎ。なんだか3月うさぎになったような心持の私の今日の手紙は、さて、予祝までたどりつけるのか……。

 3月1日、山内さんが独立宣言100周年のソウルの光化門前に立っていた頃、私は渋谷の小さな映画館で、誇り高い“犬ころ”たる大正のアナキスト、関東大震災直後の混乱の中で捕えられ、大逆罪に問われた朴烈と金子文子の強烈な声が響きわたる映画を観ていました。
 「私は犬ころである/空を見てほえる/月を見てほえる/しがない私は犬ころである/位の高い両班の股から/熱いものがこぼれ落ちて/私の体を濡らせば/私は彼の足に/勢いよく熱い小便を垂れる//私は犬ころである」(朴烈、1922)
 この朝鮮人青年アナキストの声に射抜かれた文子の、射抜かれるだけのことがある凄まじい生きざま死にざまが映画では見事に描かれていて、(なにしろ文子は天皇の名による死刑恩赦を拒んで最期は獄中で自死するのだから)、私ももうすっかり感染して、一匹のアナキストになっちまって、少しばかり殺気立った心で映画館を出てきたのでした。その余韻を手放すまいと、すぐにも文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』(岩波文庫)を買って読みました。
 すさまじい集中力で書かれた手記です。そのなかでも印象深かったのは、地べたの犬ころ文子が、地べたの犬ころであるからこそ、社会主義思想に疑問を突きつけていたこと。アナキストも社会主義者も「反体制」という点でそう大きな違いなんかないだろう、と思う向きもあるかもしれません。ところが、社会主義革命が成就したあとの世界へと思いを馳せる文子はこう言うんです。
 「指導者は権力を握るであろう。…(中略)…そして民衆は再びその権力の奴隷とならなければならないのだ」
 アナキストの面目躍如です。「反体制」と「反権力」は本質的に違うのだと見切って、言い切るこの力。この獄中手記を書いたとき、文子はまだ二十歳そこそこ、公教育とはほぼ無縁の、地べたを這いずるような境涯のなかでみずからを鍛え上げたこの若きアナキストは、さらにこうも言います。
 「既にこうなった社会を、万人の幸福となる社会に変革することは不可能だ」
 だからといって何もしないということでもない、たとえ不可能でも、成就しなくても、自分がやるべき「真の仕事」をするのだ、それこそが「真の生活」なのだと、文子はさらりと言ってのける。日々の暮らし、それ自体が権力との闘いなのだというわけです。思うにそれは、今現在この社会で、無闇にヘイトの対象とされがちな在日という立場にある私や、生まれ育った東北・南三陸を近代を生きぬく足場とする山内さんにとっては、とりわけ3・11以降は、ことさらに言うまでもない生活実感ではないでしょうか。そもそも実感などというなまやさしい言葉では言いようもない、ますます傷つきながら生きている《身体》の疼きではないでしょうか。その一方で、“日々是権力との闘い”という感覚は、この国のマジョリティでありたい人々がもっとも厭うものでありましょう。彼らは、意識してか、無意識のうちにか、権力の存在に目をつぶる、権力と無縁の(つもりの)平穏な暮しに埋没する。

 さて、文子が獄中記を書いていたのは1925年の秋頃のことです。山内さんが第二信で触れていた『農民芸術概論綱要』を宮沢賢治が構想していたのも、おそらくこの時期のことでしょう。
 試みに、文子と賢治、この二人の「幸福」をめぐる言葉を並べてみましょうか。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(賢治)

 「既にこうなった社会を、万人の幸福となる社会に変革することは不可能だ」(文子)

 この二人、一見、言っていることは真逆のようで、実は同じことを言っているようにも思えます。
 違いがあるとすれば、「権力」に対する構えなのではないか。賢治の言葉の際どさとは、賢治自身が意識することのなかった「権力」に対する無防備さなのではないか。法華経の大乗の思想を支えに衆生済度を願う賢治のあまりに厳しい求心的な「求道」こそが、銀河系にまで広がる賢治の四次元世界をたかが三次元の国家の枠に矮小化する回路を開いたのではないか。
 と、いかにも考えているふうに書き連ねてはみたものの、実のところ、「ぜんたい幸福」という文字の前で、われわれは不用意に「求道」なんかしちゃいけないんだ、と、これはもう直感的に、ほとんどケモノの本能のように反応している私がいます。

 「ねえ、おまえ、よっぽど気をつけないと、求心力の虜になっちまうよ」

 振り返れば、物心ついた頃からずっと、私はこんな内なる声を聴きつづけてきたようにも思います。
 こういうのを、世間的には、単なるへそまがり、と言うのかもしれないですけどね、わたし的には、民族とか国家とかについてまわる求心力の病への身体免疫系の声のようにも思うのですが、正直ときには、それが自分自身を縛る悪魔のささやきにもなるという……。
 実を言うと、水俣の女島の番外地の緒方正人さん宅に初めて伺ったときにも、私はこのささやきを聴いているんです。1987年のことだったと思います。そのとき私も山内さんと同じように、“狂って狂って狂いぬいてついに近代を見切った”と語る緒方さんの覚醒の物語を震える思いで聞きました。近代の呪縛を振りほどき、常世の舟で不知火海を渡ってゆく、その船体には石牟礼道子さんの手になる「常世の舟」という文字がくっきりと浮かび上がっている。そんな光景を眼前にありありと呼び出す声で語られる「もうひとつの世」の物語に、ああ、いまここにひとつの宗教が立ち上がろうとしている、とそのとき私は感じてしまったようなのでした。そういう納得の仕方しか、そのときの私は持ち合わせていなかったのでしょう。(山内さんが言うところの「近代を包み込んでも余りある何か」という身体感覚を、当時の私はまったく持ち合わせていなかった、と言い換えてもよいかもしれません)。
 そのとき私は瞬間的に心がこわばりました。からめとられてはならぬ。私の体がそう言ったようでした。まったくもって近代的な三次元の心身反応です。その気配に応えるかのように、緒方さん自身もまた「カリスマ」になることの危うさをふっと口にした。対話というのは、向かう心あっての、応える心でありますから、私という小さな近代の器からこぼれでた気配に、緒方さんの心がすっと寄り添った、そんな現象がそのとき起こっていたのかもしれません。

 そのときから、くり返し、
 1994年に緒方さんや石牟礼さんたちが「本願の会」を立ち上げて、会の呼びかけに応えた多くの人びとの手で、水俣の埋め立て地につぎつぎに石仏が建立されていった時も、
 1996年に緒方さんが水俣から東京・水俣展の会場へと、日月丸と名づけた古い木造の打瀬船(これもまた常世の舟だ!)を廻航させたときも、
 その舟を東京で出迎えた石牟礼さんと水俣病患者の杉本栄子さんが、沖縄の久高島の神事を髣髴とさせる白衣の神司となって、舟に魂込めの儀式を執り行った時も、
 その瞬間ごとに私の心はぎゅっとこわばったのでした。

 私は、「もうひとつの世」に向けて常世の舟を漕ぎだす緒方さんや、常世の舟の神司たる石牟礼さんたちの“宗教”めいた気配に条件反射のようにあとずさりしながら、同時に「もうひとつの世」を手繰り寄せる石牟礼さんの近代語ならぬ言葉に前のめりになりながら、つかず離れずの形でしか関われない自分を哀しみながら、自分なりの関わり方、自分なりの言葉を手さぐりしながら、ずっと水俣あたりをうろうろしていたのでした。

 いま、私は、これを、「三次元の哀しみ」と呼んでいます。

 光が闇を語れないように、三次元は四次元を感じる言葉、触る言葉、語る言葉を持ちえない。  その自覚を持たない愚かな三次元は、たやすく四次元を矮小化します、ときには背景も前後の脈絡まで切り捨てた二次元にまで矮小化していきます。
 確信犯で四次元を三次元、二次元に矮小化する輩もいます。そして人は四次元の気配を漂わせた三次元に罠に落ちるかのようにのまれます。
 私の心身がつかみかねる(頭での理解ではなく、身体感覚でつかみかねる)世界がそこにあったとき、たとえば緒方さん・石牟礼さんがこの世に「もうひとつの世」への航路やその出発点となる場を拓こうとしているとき、私はそれを一種の危うい新興宗教のようなものとして眺めている、そうやって納得しようとする、そのときに聴こえてくる「ねえ、おまえ、よっぽど気をつけないと、求心力の虜になるよ」というあのささやきは、三次元に私を釘付けする。

 人間は盲目なのだと、賢治が帰依した法華経は言います。時空を超えて衆生済度が成就されるという大乗仏教の見えない世界がある、近代の知には収めようもないその見えない世界を四次元という近代的概念でなんとか語ろうとした賢治がいる。
 思うに、来たるべき「もうひとつの世/新たな世界観」を呼び出そうとするとき、それはどうしても「もうひとつのはじまりの神話/はじまりのうた」を必要とするでしょう。その意味においてそれは宗教である、と言うのも大きな間違いではないでしょう。(でも、いわゆる宗教という言葉なんかに収まるものでもないこともはっきりしている)。
 日本の近代が、近代以前の無数の風土の小さき神々を淫祠邪教と貶めて、神々とともに人の命も鳥獣虫魚草木の命もひとしく息づく世界を破壊するところから始まったことを思えば、近代を超える「もうひとつの世/ぜんたい幸福」もまた、近代の中心に鎮座する唯一神を無化するところから始めるほかない、これは神々の戦いでもあるのです、ひそかな四次元宗教戦争でもあるのです! と、勢いあまって口走る私は、あらあら、アナキスト金子文子が乗り移ったかのよう、簡単に憑依される心は危うい心なのにね……。

 国家によるTHAAD配備と闘う者たちの鉦と太鼓と歌と踊りと万歳の声がひびきわたるソソンリ、土地からのさずかりものを共に食らい共に闘う韓国の小さな村の話は胸に響きました。山内さんが伝えてくれたこの風景は、日本の近くて遠い昔のひとつの「うた」を想い起こさせてくれました。
 それは、明治31年(1898)に、足尾銅山の鉱毒被害に苦しむ栃木県足利郡吾妻郡大字下羽田の農民、庭田源八60歳が書いた『鉱毒地鳥獣虫魚被害実記』です。
 この『実記』は、私にとっては『苦海浄土』にも匹敵する、地を這う声で語られた村の物語です。ここには、足尾鉱毒―水俣―福島へと連なっていく明治150年の無惨なはじまりの光景があります。同時にそれは、あるひとつの世界のおわりを語るものでもあります。
 語られる被害の主体が人間ではなく、鳥獣虫魚である、そのことだけでも、この『実記』は私にとって見事に「うた」です。
 1月から12月まで、村の風土に生きる鳥獣虫魚草木の命のうごめく様子をありありと源八翁は語ります。実際、源八翁は家の縁側に立って、『実記』を声をあげて語ったといいます。
 たとえば、
 正月の節より十日も経って、「最早陽気でございまして」、雪が解けて土が見えだすとき、「陽炎は立ちまするが、陽気が土中よりのぼりて、譬ば湯げの如きが立ち登る」のに、そのもうもうたる陽気が鉱毒被害に遭った田からは立ち登らない、そこで源八翁はこう言う。「鉱毒のため陽気の立登る土地性分なきものと見留候」。 
 土地から陽気立登り、名もなき草々、柳、葭、菰、篠竹、蓬、野蒜、亀、蛙、おびただしい蛍、鯉、鱒、鰌、うなぎ、獺、すずき、ぼら、蟹、何万何千何億のとんぼ、蜘蛛、蝶、なめくじ、蛇、鳥、竹の子、むかで、蝙蝠、蝉ははあしんちこ、はあしんちこと鳴き、何千万億の蜉蝣、白鷺、鵜烏、山雀、百舌鳥、ほおじろ、いなご……、源八翁が慈しんであげる名前をここに抜き出そうと思ったのだけど、全然だめです、このものたちの在る世界を要約して伝えることとができません。
 せめて、12月の一部を書き抜きます。

 小寒十二月の節に相成ますると、渡良瀬川筋枝流川沼にて、泥の厚く居ります所に、うなぎが土に差し、冬籠りを致しておりました。是をうなぎ掻きと申まする、鉄を曲て是にあきがありまして、掻きまして取れました。又寒中でも、其厚き泥の中に、吹穴と申ました穴が明てありました。後に針、蚯蚓刺しまして、穴釣りと申まして、うなぎが釣れました。是も、廿歳以下青年諸君は知ますまい。

 大寒 十二月の節に相成ますると、狢や狐等が多く、人家軒端や宅地等を多く回り歩行きました。狢は、がいがいがいがいと嗚き、狐は、こんこんこんこんと鳴き、いんいんいんいんと啼もありました。何れも、耽もので御座りまするやう、多く居りました。鉱毒被害のため野に鼠も居りません、虫類も居ません。又た魚類の少なき故なるべし。又屋敷回り等に人参等を取りまして、土に埋置きますると、堀出し多く喰ふもので御座り升が、廿歳以下の青年諸君は、右等事は 御存じありますまい。

 ガイガイガイ、コンコンコン、インインインと庭田源八翁が呼び出す鳥獣虫魚草木とともに生きる世界は、もはや明治生まれの「廿歳以下の青年諸君」は知らない。足尾鉱毒以降、土地の神々と共に瞬く間に獰猛に失われて、既に存在しない世界です。明治150年の今となってはもう、四次元そのものの世界です。単に田舎の田園風景が失われた、ということではない。世界そのものが根本的に変わってしまった。これを、たやすく近代的な三次元の文脈に収めてはいけない。
 私は庭田源八翁の声を、『苦海浄土』と同様、失われた世界の「うた」として、そして、来たるべき世界の「うた」として聴きます。
 「声」は場を開くものです、「うた」には神が宿るものです。無数の「うた」は、無数の小さき神々を呼び出して、それは無数の世界の可能性を拓くでしょう。だから、庭田源八翁だけではいけない、賢治だけでもいけない、金子文子だけでもいけない、緒方正人さんや石牟礼道子さんだけでもいけない、きっと私たちひとりひとりが歌いださないといけない、私たちひとりひとりが歌の主にならなければいけないでしょう。そのうち私も私の「うた」を歌いだしますよ、山内さんもきっと山内さんの「うた」を歌いだしますよ。

 ああ、なんだか、長い手紙になっちゃいました。
 でもね、あと少しだけ。
 山内さんに聴いてほしい「うた」があるんです。3月11日に映画『福島は語る』を観に行ったときに、上映後にゲストの歌い手七尾旅人さんが聴かせてくれた6歳の安斎草一郎君の「うた」です。
 草一郎君は震災後すぐに福島から北海道へと避難した。そして2012年12月15日に、七尾旅人さんとのやりとりのなかで、草一郎君のなかから「うた」が生まれでた。それは、大好きなスキーで時空を超えて、北海道と福島を自在に飛び交う「うた」なのです。

 『スキー』  (「うた」の主:安斎草一郎  サポート:七尾旅人)

 スキーがたのしい ばんけいの森
 スキーですべる ほっかいどう
 さわやかで きもちいい きぶん 
 きいろい きぶん

 リフトできたぞ よし すべるぞ
 「オーイ!」 「オーイ!」
 いちばんうえから すべるんだ
 おうちの やねまで すべるんだ
 ついたら くつに はきかえて
 そりに たちのりして
 スキー場にかえって また すべるんだ

 スキーがたのしい ぬまじりの森 
 スキーですべってた ふくしま
 ともだちがいて キャンプもできる 
 おとまりもできるよ

 ともだちの しんちゃんと 
 またいっしょに スキーしたいなあ
 「オーイ!」 「オーイ!」
 「オーイ!」 「オーイ!」
 いちばんうえから すべるんだ
 おうちの やねまで すべるんだ
 ついたら くつに はきかえて
 そりに たちのりして
 スキー場にかえって また すべるんだ

 スキーがたのしい ばんけいの森
 スキーですべる ほっかいどう
 さわやかで きもちいい きぶん
 きいろい きぶん

 おーい! おーい! 歌うぞ、われらも、歌うぞ、われらも、おーい! おーい!


(草一郎君の「うた」はこのサイト http://www.diystars.net/hearts/P00223.html

*両班(やんばん):朝鮮王朝時代の支配階級。


水俣の埋め立て地に本願の会が建立した野仏(魂石/たまいし)。


庭田源八翁が「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」を語った足利郡吾妻村羽田の現在の風景。


鉱毒で滅びた谷中村跡地(現・渡良瀬遊水池)のはずれの旧谷中村共同墓地跡。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 姜信子(きょう・のぶこ)

    1961年、横浜市生まれ。著書に『棄郷ノート』(作品社)、『ノレ・ノスタルギーヤ』『ナミイ 八重山のおばあの歌物語』『イリオモテ』(岩波書店)、『はじまれ』(サウダージブックス)、『生きとし生ける空白の物語』(港の人)、『声 千年先に届くほどに』『現代説経集』(ぷねうま舎)、『平成山椒大夫 あんじゅあんじゅさまよい安寿』(せりか書房)など多数。訳書に、李清俊『あなたたちの天国』、カニー・カン『遥かなる静けき朝の国』、編著に『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず書房)など。17年『声 千年先に届くほどに』で鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。路傍の声に耳傾けて読む書く歌う旅をする日々。

ランキング

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2019年6月号

ふらんす 2019年6月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

webふらんすのおすすめ本

「リサとガスパール」と一緒にひとことフランス語

「リサとガスパール」と一緒にひとことフランス語

詳しくはこちら
  1. jiji.com
閉じる