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宮下志朗「モンテーニュ『エセー』を読む」

第3回 後世はどう読んだか:パスカル、ルソー、レチフ

 さて、「わたし」というテーマを、モンテーニュは、「自分なりの人間的考察」として、「神にしたがって信じたことというわけではなく」、「このわたしが、自分なりに思考したこと」(1・56「祈りについて」)として提示していく。このことに関して、彼は自信たっぷりなのであって、「わたしは、この主題について、現存する人間のなかでは最も造詣が深いのだ」とか、「わたしは、文法家でも、詩人でも、法律家でもなく、まさに人間ミシェル・ド・モンテーニュとして、わたしという普遍的な存在によって自分のことを伝える、最初の人間となるのだ」(3・2「後悔について」)などと、半分は本気で、半分はふざけて豪語する。

 そこで、後世のパスカルも、ルソーも、レチフも、みんなこうしたモンテーニュを標的にする。有名なのが、パスカルの「彼が自己を描こうとした愚かな企て。しかもそれは、ふとして自分の主義に反してやったことではない。そういうあやまちなら、 だれにでも起こることである。ところが、彼は自分自身の主義として、しかも初めからの主なもくろみとしてそれを行なっている」(『パンセ』62、中公文庫)という批判。「自我は憎むべきもの」(『パンセ』455、中公文庫)と書きつけるパスカルにとっては、確信犯として、自分のことを描くなど許しがたいのだ。

 でも、モンテーニュには、そうした批判も想定内。「自分のことを話しすぎるということを彼に注意してやりさえすれば」(『パンセ』65、中公文庫)とパスカルが書くことを予期していたかのごとく、「人々に、おまえは自分のことをしゃべりすぎるぞと不満をいわれても、わたしとすれば、彼らこそ、自分のことさえ考えないくせにと、逆にいってやりたいくらいなのである」(3・2「後悔について」)と、先手を打っている。そしてもうひとつ、『パンセ』のなかに、1595年版の『エセー』を編んだグルネー嬢の名前が出てくることも知っておいてほしい。「モンテーニュの欠陥は大きい。みだらな言葉。グルネー嬢がなんと言おうと、これは全く価値がない。[…]人生のある場合における彼の、少し手放しで、享楽的な気持ちは許すことができる。730、331。しかし、彼の死に対する異教的な気持ちは許すことができない。[…]彼はその著書全体を通じて、だらしなくふんわりと死ぬことばかり考えている」(『パンセ』63、中公文庫)。パスカル愛蔵の 1652年版『エセー』にも収録されている長い「序文」で、グルネー嬢がモンテーニュを褒めたたえていることが、パスカルの頭をかすめたのだ。なお、「730、331」という数字は、1652年版『エセー』のページを示している。「730」は第三巻9章「空しさについて」なのだけれど、「331」はそのページに、しかるべき内容のテクストが見つからず、誤記とされて、あれこれ推測がなされてきたが、はたして結論が出たのだろうか? それにしても、「だらしなくふんわりと」死ねれば、それでいいじゃないかと、わたしなどは思ってしまうのだが、そんな軟弱な態度ではだめなのだろう。

 ところで、「みだらな言葉」という指摘は、いかなることだろうか? パスカルはおそらく、性的な話題や告白が披露される、第三巻5章「ウェルギリウスの詩句について」を念頭に置いているにちがいなく、そこで開陳されるモンテーニュの「品行」についても、許しがたく思っていたはずだ。実際、これはパスカルの死後となるわけだが、1676年に『エセー』は、神学的な理由ではなく、むしろ猥褻さゆえに禁書目録に入れられている。コンパニョンもいうように、「みずからの性について、今日の読者をも狼狽させるほど赤裸々に語って」いて(『寝るまえ5分のモンテーニュ』 28「羞恥と芸術」)、わたしも初めて読んだときにはびっくりした。おまけに、この第三巻5章が、別格といえる第二巻12章「レーモン・スボンの弁護」(拙訳『エセー 4』)を除けば、『エセー』で最長の章なのである。

 そういえば、グルネー嬢の版と同じ1595年、カルヴァン派の牙城ジュネーヴで『エセー』の海賊版が出されているのだが、当局の検閲によって、「ウェルギリウスの詩句について」を筆頭に、合計11もの章が削除されているという(現物を披見したことはない)。そこで待てよと思い、教科書版「クラシック・ラルース」を調べたら、やはり第三巻5章は収録されてはいなかった。

 さて、ルソーの作品にも、『エセー』の影が随所で立ち現れる(『エセー』とアミヨ訳のプルタルコスの『対比列伝』は、彼の枕頭の書)。「わたしは前例のない計画を立てているのだが、これを真似て実際にやるような人間は、今後も現れないであろう。わたしは、ある一人の人間の自然のままの真実の姿を、わが同類に向かって見せてやりたいのだけれど、その人間とは、このわたしなのだから」(拙訳)という『告白』の冒頭からして、明らかに『エセー』を意識している。前回も、少しだけ引用したけれど、モンテーニュが『エセー』の序文で、「ここには、わたしの欠点が、ありのままに読みとれるし、わたしの至らない点や自然の姿が、社会的な礼節の許すかぎりで、あからさまに描かれている」と言い放ったものだから、『告白』「ヌーシャテル草稿」の「序文」で、ルソーはこう揶揄する。

 「真実を語りながら人を欺こうとする、こうした偽の誠実家の筆頭に挙げられるのがモンテーニュである。モンテーニュは自分を描くとき欠点も描いてはいるが、人に愛されるような欠点しか示していない。〔ところが〕おぞましい欠点を持たぬ人間など一人もいないのだ。モンテーニュは本物そっくりに自分を描いてみせるが、それは横顔でしかない。われわれに隠している側の頰に傷跡があったり、あるいは片方の目がつぶれていたりして、人相がすっかり変わってしまっているようなことはないと、誰が言えるのだろう」(桑瀬章二郎訳、『思想』1027号)。

 いやはや、よくもここまで突っかかるなとも思うが、それだけモンテーニュという存在が大きくて、差異化の必要があったにちがいない。ちなみに『告白』には「ジュネーヴ草稿」と「パリ草稿」という2つの完全草稿があることは、文学史や翻訳の解説などにも書かれている。けれども、この「ヌーシャテル草稿」は不完全であるためか、専門家以外にはあまり知られていない。しかしながら、モンテーニュを読む人間にとっては、上の「序文」の存在もあって、最初に書かれたこの草稿がもっとも興味深い。未刊の遺作となった『孤独な散歩者の夢想』でも、ルソーは、自分は『エセー』の作者とはちがう、他人のためではなく、ひたすら自分のために夢想を書き記すのだと宣言する(「第一の散歩」)。

 そして、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌが、大長編『ムッシュー・ニコラ』(1794-97)をひっさげて登場する。その「序文」(邦訳なし)は、「わたしは、みなさんの同類の一人の生きざまを、まるごと、その思考も、その行動も、いささかも偽ることなく、みなさんに示したい。わたしが、その精神を解剖しようとする人間とは、このわたし以外にはありえなかった」と始まる。これは、『告白』の剽窃ではないか。次いでレチフは、「結局のところ、自分について語れば、どっちに転んでも損するしかない。自分を非難すれば、かならず信じてもらえるのだし、自分をほめれば、まず信じてもらえないのだから」(3・8「話し合いの方法について」)というモンテーニュの文章を、脚色して引用すると、今度はアウグスティヌスとルソーの『告白』という2つのお手本に言及、でも、わたしが書くのはどちらとも似ていない、「わたしは人間の心の原動力を暴露するのだから」と言い放つのである。こうしてみんな、『エセー』を拠点として、「わたし」をより深く探索していく。

 判断力の「試み」としてのessaiという意味合いから出発して、それが「わたし」に適用されることから、パスカル、ルソー、レチフのリアクションを、ごく簡単に紹介してみた。モンテーニュのessaiには、「試み」「試験」といった意味から発展して、「試食」「試飲」の意味もある。最後に、その極めつけとでもいえる箇所を挙げておきたい。1584年の12月に、アンリ・ド・ナヴァールが、モンテーニュの屋敷に滞在するという一大事があった(その後、再度、こうしたことがあった)。そのときには、「王の使用人ではなく、当家の奉公人がお仕えした。王はお毒味(エセー)も食器類もお許しにならず、わたしのベッドに眠られた」という。後のフランス国王アンリ4世が、わが家の召使いと食器とを使って、毒味もせずに食事をなさり、自分のベッドでお休みになったというのである。こうして全幅の信頼を寄せられ、モンテーニュもさぞかし誇らしかったにちがいない。ただしこれは、『エセー』ではなく、モンテーニュが暦の空白に書きつけた日録の文章である。

 

◇初出=『ふらんす』2016年6月号

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著者略歴

  1. 宮下志朗(みやした・しろう)

    放送大学特任教授・東京大学名誉教授。主な著書『本の都市リヨン』『神をも騙す』、主な訳書ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(全5巻)、モンテーニュ『エセー』(全7冊)

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