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根井雅弘「英語原典で読む経済学史」

第4回 アダム・スミス(3)

 分業が高度に発達すると、誰もが自分自身の労働の生産物では自分の欲求のごくわずかな部分しか充足できないので、他人の労働の生産物との交換が一般的なものとなっていきます。その先にスミスが見たものは、誰もがある程度「商人」となり、「商業社会」と呼ぶのが適切であるような社会でした
 しかし、スミスは、歴史をひもときながら、この交換が「物々交換」から貨幣を媒介にした交換にまで進化していくには長い時間がかかった事情に触れています。この部分は、翻訳でもよいので、読んでおきましょう。

1 解説の必要もないので、スミスの言葉を引いておきます。

Every man thus lives by exchanging, or becomes in some measure a merchant, and the society itself grows to be what is properly a commercial society.

http://oll.libertyfund.org/titles/smith-an-inquiry-into-the-nature-and-causes-of-the-wealth-of-nations-cannan-ed-vol-1

 『国富論』には「商業社会」という言葉は出てきますが、「資本主義」という言葉は見当たりません。実は、「資本主義」という言葉は、のちに社会主義者たちが自分たちの批判する体制を表わす言葉として使い始めたものでした。Internet Encyclopedia of Philosophyのウェッブサイトには、哲学者が書いたアダム・スミスの項目がありますが、現代の経済学教科書よりは正確な記述がなされています。ちょっと引用してみましょう

Smith never uses the term "capitalism;" it does not enter into widespread use until the late nineteenth century. Instead, he uses "commercial society," a phrase that emphasizes his belief that the economic is only one component of the human condition. And while, for Smith, a nation's economic "stage" helps define its social and political structures, he is also clear that the moral character of a people is the ultimate measure of their humanity.

 「スミスは決して『資本主義』という言葉を使っていない。実は、その言葉は、19世紀後半になるまで広く使われることはなかったのである。その代わり、スミスは、『商業社会』を使っている。その表現は、経済的なものが人間の条件の一要素に過ぎないというスミスの信念を強調するものである。しかし、スミスにとって、一国の経済的『段階』は、その社会的・政治的構造を規定するのに役立ったものの、彼は同時に人間の道徳的性格が彼らの人間性を究極的に測るものだということを明確に理解していた。」

 難しい英文ではありません。ひとつだけ注意。andが出てくると、「そして」と条件反射的に訳してしまう学生がいますが、文脈を読んで、場合によっては違う訳語がベターなケースは少なくありません。上の英文では、And whileのところは、「しかし」と訳しておきました。

2 http://www.iep.utm.edu/smith/
書いているのは、ノース・ダコタ大学のジャック・ラッセル・ウェインステイン(哲学者)です。


 本題に戻りましょう。人々が、物と貨幣、あるいは物と物を交換するときに守るべき「法則」とは何なのでしょうか。スミスの価値論は、ここから始まります。しかし、「価値」には二つの種類があることに注意しなければなりません。すなわち、一つは、ある特定の物の効用を表す「使用価値」(value in use)であり、もう一つは、その物を所有することによって生じる、他の物を購買する力を意味する「交換価値」(value in exchange)であると。ところが、スミスは、ここで「価値のパラドックス」と呼ばれるようになった謎にぶち当たりました。

[1]The things which have the greatest value in use have frequently little or no value in exchange; and on the contrary, those which have the greatest value in exchange have frequently little or no value in use.

[2]Nothing is more useful than water: but it will purchase scarce any thing; scarce any thing can be had in exchange for it. A diamond, on the contrary, has scarce any value in use; but a very great quantity of other goods may frequently be had in exchange for it.

 最近の学生はスマートフォンを辞書代わりに使っていますが、残念ながら、有料の優れた辞書を引いているわけではないようです。少なくとも机の上で英文を読むときは、大きめの辞書を用いたほうがよいでしょう。英語特有の表現を一語一語丁寧に訳すか、日本語での表現に合わせるかは、いつも問題になります。例えば、[1]では、little or noですが、これは、「ほとんど・・・ない」と訳しても許されると思います。「最大の使用価値をもつものが、しばしばほとんど交換価値をもっていない。しかし、反対に、最大の交換価値をもっているものが、しばしばほとんど使用価値をもっていない」と。

 [2]では、scarceのように現在ではscarcelyと表現するような古い英語が使われていますが、文章自体は単純明快なものです。「水ほど有用なものはない。しかし、水をもっていても、ほとんど何も購買できないだろうし、水と交換にほとんど何も手に入れることができない」と。itは明らかに水を指しているので、「それ」でもよさそうですが、ここは水とダイヤモンドの違いを説明している件なので、「それ」は控えたほうがよいと思います。前にも出てきましたが、ここでは、itを「水をもっていても」と副詞的に訳しています。
 次は、「ダイヤモンドは、反対に、ほとんど何の使用価値ももたないが、ダイヤモンドと交換に、しばしば、他の物を大量に手に入れることができる」という文章ですが、最後のitも「それ」ではなく、ダイヤモンドと訳すほうがよいと思います。

 スミスは、結局、「価値のパラドックス」を解決することができなかったので、価値論を交換価値を中心に考察していきます。この謎は、19世紀の後半になって、「総効用」と区別された「限界効用」の概念を発見した学者たちによって解かれることになります。限界効用とは、消費量を1単位増やしたときの効用の増加分のことです。――水は確かに総効用は高いが、限界効用が低いために、ほとんど交換価値をもたない。それに対して、ダイヤモンドは総効用は水と比較して低いが、その限界効用が非常に高いために、交換価値が極めて高くなると。しかし、私たちは、まだスミスの価値論に入ったばかりなので、限界効用や限界革命の話はずっと先にとっておきましょう。

 スミスの価値論は、ふつう「労働価値説」と呼ばれていますが、彼は、それを「初期未開の社会状態」に適用される「投下労働価値説」と、資本の蓄積と土地の占有がなされるようになった「文明社会」に適用される「支配労働価値説」に分けています。まず、投下労働価値説から見ていきましょう。

In that early and rude state of society which precedes both the accumulation of stock and the appropriation of land, the proportion between the quantities of labour necessary for acquiring different objects seems to be the only circumstance which can afford any rule for exchanging them for one another. If among a nation of hunters, for example, it usually costs twice the labour to kill a beaver which it does to kill a deer, one beaver should naturally exchange for or be worth two deer. It is natural that what is usually the produce of two days or two hours labour, should be worth double of what is usually the produce of one day’s or one hour’s labour.

 「資本の蓄積と土地の占有に先立つ」という表現は、「未開社会」の特徴として何度も登場します。つまり、未開社会では、物を獲得するのに労働のみが必要で、資本や土地は必要ではないので、物の価値はそれを手に入れるために投下された労働量によって決まります。これを「投下労働価値説」と呼んでいます。スミスの挙げた例では、一頭のビーヴァーを仕留めるのに、一頭の鹿を殺す労働の二倍の労働を費やさなければならないなら、当然、一頭のビーヴァーは二頭の鹿と交換されることになります。未開社会では、資本家や地主はいないので、労働の全生産物は、賃金として労働者に帰属するといってもよいでしょう。

 ところが、資本が蓄積され土地が占有されるようになった「文明社会」では、賃金のほかに利潤と地代が加わるので、物の価値は投下労働量とは等しくならず、その物が市場で購買し支配する労働量によって決まります。これを「支配労働価値説」と呼んでいます。スミスは、「投下労働量=賃金」なので、文明社会で利潤と地代が加わったからには、投下労働価値説に固執することはできないと考えたのです。この点は、のちにデイヴィッド・リカードによって批判されますが、この話はリカードの価値論を説明するまでとっておくことにしましょう。
 重要なのは、文明社会では、「賃金と利潤と地代とは、すべての交換価値の本来の源泉であるとともに、すべての収入の三つの本来的源泉でもある。他のすべての収入は、究極的には、これら三つの源泉のどれかから生じるのである」(『国富論1』、98-99ページ)とスミスが言明していることです。文明社会とは、分業が高度に発達した商業社会と言い換えてもよいかもしれませんが、そのような社会では、労働者には賃金、資本家には利潤、地主には地代という収入が支払われるのです。スミスは、初めに述べたように、「資本主義」という言葉は使いませんでしたが、文明社会には、「労働者」「資本家」「地主」という三つの階級が存在していることを明確につかんでいました。資本主義の黎明期に活躍したスミスの慧眼というべきでしょう。

<参考訳>

岩波文庫(水田洋監訳・杉山忠平訳、全4巻、2000-2001年)

 「最大の使用価値をもつ物が交換価値をほとんど、あるいはまったくもたないことがしばしばあり、逆に、最大の交換価値をもつものが使用価値をほとんど、あるいはまったくもたないことがしばしばある。水ほど有用なものはないが、水はほとんど何も購買しないだろうし、水と交換に手にいれられるものはほとんど何もない。逆に、ダイアモンドはほとんど何の使用価値ももたないが、しばしばそれと交換に他の物をきわめて多量に手にいれることができる。」(『国富論1』、60-61ページ)

 「貯えの蓄積と土地の占有との双方にさきだつ社会の初期未開の状態にあっては、さまざまな物を獲得するのに必要な労働量のあいだの割合が、それらの物を相互に交換するためのなんらかの基準を提供しうる唯一の事情であるように思われる。たとえば狩猟民族のあいだで、一頭の鹿を殺すのに費やされる労働の二倍の労働が、一頭のビーヴァーを殺すのに費やされるのが通例だとすれば、一頭のビーヴァーは、当然に二頭の鹿と交換される、つまり、二頭の鹿の値うちがあることになるだろう。ふつう二日または二時間の労働の生産物であるものが、ふつう一日または一時間の労働の生産物であるものの、二倍の値うちをもつのは当然である。」(『国富論1』、91ページ)

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著者略歴

  1. 根井雅弘(ねい・まさひろ)

    1962年生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1990年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は現代経済思想史。『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店)、『経済学の歴史』(講談社学術文庫)、『シュンペーター』(講談社学術文庫)、『サムエルソン 『経済学』の時代』(中公選書)、『経済学再入門』(講談社学術文庫)、『ガルブレイス』『ケインズを読み直す』(白水社)、『企業家精神とは何か』(平凡社新書)、『アダム・スミスの影』(日本経済評論社)他多数。

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